二節『雨の中と傘の中』1
私は魔法少女になりたいわけでもなければ、特別な力が欲しかったわけでもない。どうしてこうなったのかと聞かれれば、その理由は嫌という程にハッキリと分かる。
それがまた私の気分をひとつ落とさせていることも。
ナル君から異能世界へと歓迎の言葉をもらった日から既に5日が経っている。
分からない。そう言って彼から逃げた私が呑気に隣の席に座っているというのは、ものすごく肩身が狭い。
白猫は何処から情報を仕入れてくるのか、「酷い自演だったな」と爆笑し、それを日毎に聞かされる私は胸が痛かった。
ナル君は能力者で、隣人で、隣の席に居て、なんてことも無いように笑っている。
それはとても怖いことだ。
だって、私が危険視されているということだから。
私が彼らの琴線に触れれば、何が起こるか分からない。
殺されるのか。
拷問されるのか。
何が起こっても不思議ではないように思えた。
裏を知り、何も行動を起こせないでいた私は、それが間違いであったと後で知ることになる。
二日後の四月八日、金曜日。
中途半端な距離を保っていたと思っていたナル君が私の家のインターホンを押して現れた。
「ナル君……!?急にどうしたの、こんな早い時間に」
「小泉さん、昨日の夜は何してたのか聞いていい?」
「昨日の夜?普通に家の中に居たけど」
「そう……ありがとう。ごめんね」
「ちょっと待って!何かあったの……?」
玄関から身を乗り出し、冷たいタイルからの感触を足裏で感じ取る。
今日のナル君は余裕が無いように感じられて、とても不安定であるように見えた。顔色も悪く、まるで何かに怯えているような──
「新しい魔法少女が現れたんだ」
──その言葉を聞いた瞬間、身体が凍りついた。
疑問が私の体内を巡っている間の時間ですらナル君は惜しいのだろう。「今日は学校休むって伝えておいて」と、足早に私の前から姿を消した。
隣の部屋の扉が閉まる音が嫌に耳に響いて残る。
新しい魔法少女が現れたっということは、能力者が死んだということだ。
仮にあの白猫の仕業だとすれば、絶対にそうだ。
早鐘を打つ心臓に急かされるように支度をした私は、学校に行くふりをして彼と初めて会った公園へと向かった。
感とでも言えばいいのか、必ずそこで待っているような気がしていた。
……遠い。遠すぎる。
胸を抑えて必死に走っているはずだった。
身体能力の強化をして走っているはずだった。
だと言うのにこうも遠いのは、気が急いでいるからか。分からぬままにひた走る。
「はぁ、はぁ……んっ」
もう少し、……膝に手を付き見上げた公園はまだ遠い。けどもう少しだ。
そうして踏み出した一歩を踏み出して感じたのは、何かを破ったかのような違和感だった。
空気の膜を押し通ったような感覚。決して勘違いなどではないそれに、私の体温が一層と上がった。
白猫と転々と能力を集めて回っていた時に感じたことのあるそれは、人避けの結界で間違いない。
白猫が居なくとも、能力者が居ることは確実だった。
はたして公園で私が見た景色とは、白猫と、その隣で青いドレスに身を包んだ女性だった。
「遅かったな、いや、早いほうか。少なくとも、彼等よりかは早い」
ドレスを着た女性には見覚えがあるけど、それよりも今は彼女の足元で行儀よく座っている白猫の方が問題だ。
彼が言う彼等とは、ナル君や他の能力者だろう。それが良いことなのかどうかは分からない。少なくとも、私は今のうちに話しておかなければならなかった。
「どういうこと。昨日の夜は何をしてたの」
「それを俺に聞くのか。お前が一番分かってるんじゃないのか?」
「それは……」
「同じことをしただけだ」
「どうして?」
「歯切れが悪い言い方をするな」
私には白猫がため息をついたように見えた。
話さなければと思っているのに、これ以上の言葉が形を成さない。
胸の中に泥水でも溜まっているかのようだった。
「俺はお前だから声をかけたんだぞ?それがなんだ、あれは」
「あれって何よ。私はそんなの望んだわけじゃない」
「本当にそう思うのかい?」
それは聞いたことのある言葉だった。
全て分かっているぞと、そう言外に語る二つの大きな瞳が不快だった。
興味なさげに隣で突っ立っている彼女が目障りだった。
急に足元が崩落していくような感覚。
怒りと困惑がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさった何かが、血管を押し開いて進んでいくような酩酊感があった。
体から光が溢れ出し、それが服の形をとる頃に、私は自分の中の感情を認めざるをえなくなった。これは白猫が能力で用意した謎のドレスだが、感情に起因して現れることだけは分かっている。
殺すまでしないなら、多少傷を与えても許されるだろう。不幸を、知らない世界を背負わされたのだから、感情をぶん投げるぐらいやってもいいんじゃないか。
一度溢れ出した熱流が止まることはない。
「クックックッ、もったいねぇなぁ。そのまま解放しちまえばいいのに」
「……うるさい、なぁッ!!」
公園に転がっていた小石が私の感情に乗って白猫へと飛んで行く。
隣に立つ女の表情が驚愕に変わっても、白猫の気持ちの悪い笑みが消えることはなかった。
大人が投げるのと同等の速さで宙を舞うそれらは、いくら押しても猫の眼前で静止したまま動くことはない。ナル君のように不可視の障壁を張っているのだろうか。
鋭利な武器を素手で受け止められる程度の強度があれば、小石ぐらい簡単に止められるだろうから。
「面白くなってきたなあ。それじゃあ、そろろそお暇しようか」
「待って!!」
叫んだところで待つ道理もなく、公園に残されたのは場違いなドレスを着た私と、ようやく駆け付けたナル君たちだった。




