一節『窓枠の星』4
学校の生活というのは思ったよりもストレスが溜まる。
そんなことを考えながらマンションへと帰ってきた僕は先程かかってきた電話の内容を反芻し、いつの間にか姿の見えなくなっていた泉さんのことを考えていた。
「お隣さんどうだったの?」と、携帯から聞こえてくるリースさんの声に「微妙です」と僕は答えた。
「まぁ、別に初日だし焦ることは無いよ。少しずつ仲良くなればいい」
「それなんですけど……少し距離を取られてる気がするんです」
「気付かれた?」
「まだ分かりません。ただそんな気がしただけなので」
「今日の夜で様子見しようか」
「夜に何か?」と聞けば、彼女は声色を低くしてその名を口にした。
「ドキドキっ!魔法少女は年頃の乙女!作戦!!……概要はまた送っておくから」
「え、あの、ちょっと!?もしもし!……えぇ……」
すぐに切られた電話に作戦名を言うのが恥ずかしかったなら言わなければよかったのに、そう思わずにはいられないし、酷く残念なネーミングセンスから伝わってくる嫌な予感を胸に僕はその時を待つのだった。
リースさんから届いた指令書によれば、ドキドキっ!魔法少女は年頃の乙女!作戦!!というのは正式な作戦名であるらしい。この際、作戦名には目をつぶるとして、問題は作戦内容だった。
魔法少女が能力者界隈に疎いのは明らかであり、今作戦ではそれを利用して彼女の目的を聞こうというのが本題である。
具体的に何をするのかといえば、同派閥の人間で戦闘を行い、付近にやってくるだろう魔法少女を襲わせ、僕が助けるというシナリオだった。
彼女が現れない場合は時間を変えて三度ほど実行するらしい。わざわざ戦いに行く人員たちのことを考えると不憫でしかなく、個人としては初回である今夜に来てほしいところである。
そんなこんなで視野の通る高い場所に陣取ること一時間が経っただろうか。
今夜の戦闘場所は山の手の廃校であり、辺りは木々が生い茂って起伏の激しい場所である。ひときわ高い場所に身を潜め、武器の具現化能力を有する人たちの立ち合いを見守る僕は小泉さんの姿を見つけることができていなかった。
「探知系の能力持ってないのに、探すのが無理なんだけど……」
外套を着ているとはいえ、四月の深夜一時である。元から夜目が効くような人間でもない僕に誰かを探せるような視力があるわけもない。月明りだけでどうやって見つけろというのか。
「あー、こちらR。Nさん、聞こえてますか」と、符号で呼びかけるリースさんからの通信に胸元のボタンを抑え、僕は彼女に「はい」と答えた。
「こっちでターゲットを見つけた。Nの十一時方向。グラウンド入ってすぐの茂みに潜んでる」
「了解しました。接触を図ります」
「……全員に通達。作戦を一段階進めます。」
通信が切れるや否や、殆ど光のない森の中を走り出す。一歩を踏み出すたびに落ち葉がガサガサと不気味に音を立てるが、それらも次第に音を忍ばせ、僕の体が闇夜に沈んでいくかのように錯覚を覚えて離さない。
他の能力者たちの手を借りて風になった僕は、彼女の元へと駆けた。
僕が到着するよりも少し前、小泉さんが隠れている茂みの近くに男が立ち会いのさなか狙って吹き飛ばされていく。
作戦は順調に進んでいるようで、彼女の小さい悲鳴があがって小泉さんが襲われ始めた。
襲われると言っても、僕たちからすれば茶番の一幕であることに変わりはない。僕には聞こえない音量でやり取りされる会話にもどかしさを覚えつつ、僕はようやく彼女を背に武器を構えた男の前に立ち塞がった。
「邪魔をするならまとめて殺す」
「悪いけど、知り合いなんでね」
「そうか、残念だ」
互いに大根役者であることを理解しているためか、次の行動も早い。
「ナル君!?」
小泉さんの言葉が耳に届くよりも素早く振るわれた武器であったが、それが僕に当たることはなく、彼の武器は僕の掌に受け止められているように宙に止まっていた。
僕が持つ能力である雷ともう一つの能力である防御膜は有能であるのだが、その分自分の消耗も激しい。相手もそのことは理解しているために鍔迫り合いもそこそこ、男の腹を蹴り飛ばす。わざとらしく吹き飛んだ男を他所に、小泉さんの手を引いて走り出した。
「え、ちょっと!?」
「いいから逃げるよ」
夜の森の中。意識して足音を消しながら走ればすぐに人間の視界から外れることが出来る。
強引に掴んだ彼女の手が自分のものに包まれているというのは、とても不思議な感覚であった。体の芯ばかりが熱を持っているようでいて、それが錯覚であることを十分に理解出来ていたのだ。
それなりの場所で足を止めた僕は、軽い調子で息を吐く彼女からの疑問の言葉を受け止めた。
「何が起きてるの?」と言った彼女に、短く「抗争だよ」と返して後ろを振り返る。それはあたかも追っ手を警戒しているかのように。
「ねぇ……ナル君は能力者なの?」
小泉さんの声は小さいものであった。
だと言うのにそれはすんなりと僕の中に入りこみ、脳髄を痺れさせ、背筋を凍らせる。
「だとしたら……どうする?」
自分の声が震えているのが分かった。
あの夜の、隣人の死体が脳裏に浮かんだ。
「私、私は……謝りたいと思ってる」
「どうして」
「それは……、分からない。ごめんなさい。分からないの」
この距離ならば分かる。闇の中にあって彼女の顔が赤く、その瞳には涙が溢れていることを。
対して僕の中にあったのは、戸惑いと憤りだった。自制しなければと、任務だからと、そうやって心を縛り付けるほどに彼女に対しての怒りが湧いてきていた。
口角を無理に釣り上げた僕の口から出てきたのは、皮肉と複雑な感情を無茶苦茶に練り混ぜた歓迎の言葉だ。
この世を呪うような言葉った。
「能力者社会にようこそ、小泉さん」
それは感情の暴走か、能力の暴走か。
光を纏った彼女が空へと飛び上がり、夜空に消えていったのを見ていた僕は、リースさんへと作戦の終了を告げた。
夜の帳に線をひく彼女は魔法少女と、そう呼ばれるのも納得の綺麗さだった。




