一説『窓枠の星』3
ベンチに腰掛けた白猫は瞳孔を開き、口を大きく開けて言った。
「せっかくの休み時間だろ。知り合いと話さなくていいのか」
大きく伸びをする彼が何を楽しんでいるのか。ほんの数日であっても濃密な日々を過ごした私にはちょっとだけ察することが出来た。
あの雨の日から、特定の人間が近づくと猫の笑い声が聞こえるようになっていた。
「そうだ。隣の席になったあいつとは知り合いだろう」
「ナル君は今頃女子に囲まれてるんじゃない?」
「初めて会うわけじゃないんだ。積もる会話もあると思うぜ」
「ただのお隣さんでしょ」
「本当に?」
彼は「本当にそう思うのかい?」と二度続けて、私の顔を覗き込む。
「例えばそう、雨の日に……空へと昇っていく雷を見たんじゃないか?」
「ナル君が能力者だって言いたいの?」
「君が二人目を打ち抜いたとき、隣を走っていた人の顔を覚えてる?」
「私を殺すために……」
「それはどうだろう。彼に聞いてみるといい」
にゃあにゃあと耳障りな音を残して立ち去った彼を探そうとは思わなかった。
言いたいことはたくさんあるが、今は先に教室に戻らなければならない。私が探しても白猫を見つけることは出来ないのに、何の気まぐれかフラッと姿を見せるのを待つしかないことをここ数日で学んでいた。
教室に戻って席に着き、無邪気に笑うナル君を伺ってみる。
……少し大人びて見える顔は何とも無害にしか見えない。
彼が私のことを魔法少女だと知っているのなら、きっと私のことを許しはしないだろう。
一瞬で肌に広がっていく鳥肌を隠すように、セーラー服の上から腕を掴む。長袖だから見えるはずもないのに、急に隣の彼を見ることが出来なくなっていた。
頭が沸騰して何を考えているのかも分からないままに授業が進んでいくのを感じる。
魔法少女となったあの日から、さらに私が撃ち殺した人は二人。能力は簡単なものを猫が選んだらしいけど、私からすればそのどれもが馬鹿げた力を持っているのだから。
良く見える目。
記憶の操作。
遠くの物を動かす力。
身体能力の強化。
これだけでもうお腹いっぱいだし、白猫も現状はこれ以上は要らないと言っていた。
だけど……ナル君が本当に雷を扱えるのなら、私では手も足も出ない。
彼の顔が見たいのに見れない。頭が動かない。
教室は暑くないはずなのに、湯だったように体の奥が熱い。
だなのに体表は冬空に晒されたかのように冷たく、膝は笑い転げてぶつかる。
もちろんそんなに怪しい動作をしていれば最初に気が付くのは──
──大丈夫?
ノートの切れ端に書かれたその四文字の差出人はナル君で、今はまだその優しさに甘えようと私は思うのだった。
かろうじて頷いて見せればそこから何をしてくることもなく、今は放置してくれていることが嬉しいと感じられた。
授業が終わり、どうにか落ち着いた私をナル君は心配そうに気遣ってくれる。
そんな彼から逃げるように急ぎ足で屋上へと逃げだした私は、女子に囲まれらながらもこちらに視線を寄越す彼から何かを感じ取っていたのかもしれない。
廊下を走り、階段を駆け上がって開けた屋上の景色を目に入れる。
最初に目に入るのが高いフェンスで、どうしようもないこの気持ちに棘が刺さったかのように錯覚を覚えてしまう。
申し訳程度に置かれた古ぼけたベンチに背を預け、バクバクと大きな鼓動で騒ぐ胸を抑えつけた。
仰いだ青空に何があるわけでもないのに、飲み込まれそうに感じるのはなぜだろうか。
今日はもう授業が無いことを感謝しつつも、また教室に戻らねばならないことを億劫に感じる。自分で魔法少女だと口にするよりもナル君から何か接触があると薄々は分かっていても、一歩を踏み出す事の方が恐ろしかった。
視界の端でこの心境の元凶が軽やかなステップでフェンスを駆け上がってくるのを見てしまえば、やはり知らない世界に来てしまったのだなと痛感するしかない。
足元に来て口を開くこれは、猫の皮を被った化け物だ。
「こんなところに居たのか、探したんだぞ」
「またそんな嘘ばっかり」
「いやそれが楽しそうな話を聞いたもんでな」
「なにがあるの……」
「今夜はあの雷が戦うらしい。行ってみないか?」
「あの雷ってナル君のことを言ってるの?さっき自分で言ったこと覚えてないの?殺されるかもしれないのに?」
「遠くから見るだけで殺されるなら世も末だな」
お前が末に連れてきたんじゃないか、と、そう言いたいのに我慢して私はベンチから立ち上がる。
白猫が私の背中に語り掛けた大まかな時間を耳に入れつつ、今日の日は帰路に着いた。




