一説『窓枠の星』1
タワーマンションの最上階。人が一人で住むには大きすぎる物件であることに違いはないが、リースさんの顔を見て無言で語りかけても何かが返ってくることはなかった。
高そうなマンションを目の前にしてから悪い予感がしていればこれだ。
「今日から二年間、ここがナル君の部屋になるから。荷物はまた自分で用意してね」
「え、いや待ってください。これはどういう……」
困惑する俺に、彼女は苦笑いで鞄から冊子を取り出した。
「はい」と、軽い調子で纏められたそれを受け取れば、リースさんは口を開きだす。
「魔法少女であると目される少女、小泉 明菜の部屋が隣に住んでるの。明後日は四月の一日。用紙を見てもらえればいいんだけど、ナル君には爾汝高等学校に転入してもらいます」
「……そういう処罰です。俺からは何も言う権利はありません」
「君のそういうところがあるから派閥も切れないんだよ。仲間想いで、実力があり、能力も珍しい。……死なないで」
「分かっています、そのつもりです」
この言葉が現実になることが難しいことは分かっている。
それでも、むざむざ死ぬつもりもない。せめて死んだ人の分は働かなければならなかった。
「それじゃあ分かっていると思うけど、引っ越しのイベントを消化しようか」
「挨拶をしに行くんですよね。と言っても今日は水曜日ですし、家に居るかどうか」
「居ないほうが良いんじゃないの?」
「居たほうが良いに決まってるじゃないですか」
俺もリースさんも、どす黒い感情をこの身の内に灯していることは違いない。
それを隠す術を学んだのは異能者が生きていくために必要だったからで、きっとこういう時のためなのだろう。
「どうです、俺笑えてます?」
「うーん……、一人称は僕の方がいいかな。笑顔は百点満点っ!」
そう言ったリースさんもいい笑顔をしていた。彼女には一生かかっても勝てる気がしないや。
靴を履き、つま先で軽く床を叩くリースさんを追いかけるように対魔法少女への冊子を靴箱の中に隠せば、僕も靴を履いてこの大きな部屋を出た。
「いい?ナル君は便宜上、私の弟ね。くれぐれも抜かりなく」
「僕もそれなりに出来るつもりですけどね」
「もう八年かぁ。すっかり大きくなっちゃって」
世間話も一瞬で終わってしまうほどの近い距離。
これからこの距離が当たり前になるのかと思うと、少し嫌だ。
リースさんが押したインターホンの反応を待つこと少し。扉を開いて現れたのは、赤い眼鏡をかけた黒ショートカットの少女だった。
「はーい、どちらさんです」
「あ、こんにちはー。隣に引っ越してきた赤城です。良かったらこれ貰ってください」
「わぁ、ありがとうございます!」
この子が魔法少女なのかは分からないが、随分と人当たりの良さそうな性格をしている。
顔も悪くなく、性格も申し訳ない。これなら学校でもモテそうなものだが。
「ほら、ナルも挨拶して」
「弟のナルです。えーっと小泉さん、これからよろしくお願いします」
「あはは、ナル君もよろしくね」
「ナルは明後日から高校二年生なの」
「えー!?私と一緒じゃない」
「え、学校どこなんですか?僕は爾汝」
「私もそうなの!奇跡じゃないかなぁ、これ」
「本当ですか!知り合いが居るのは心強いです……」
僕がこれから通うことになる爾汝高等学校は元が女子高なだけに男子生徒が少なく、そのほとんどが女子生徒であるという。
爾汝の交わり──互いに「きさま」「おまえ」などと呼び合えるほどの親密な交わり。
この言葉から取ったらしい学園は、所謂、お嬢様学校だった。
挨拶を済ませ、部屋に戻ってきたフローリングの床に腰を下ろしたリースさんは「座布団欲しいね」と続けた。
「で、どうだった?魔法少女ちゃん」カーテンもなく、日差しを手で翳して目を細める彼女からは、仄かに険悪の匂いがした気がする。
「言わなければ、いけませんか」
「思ってることは一緒っと。……そうだよね。言わなくていいよ」
「僕たちが持ってたはずの幸せはどこに逃げて行ったんでしょう」
「さぁね。星にでもなったんじゃないかな。一人じゃないよ、ここでは皆が輝ける」
「少し皆と遠いだけ、ですか」
「ううん。遠いよ……それはもう、すんごーい遠く。……ちょっと手を伸ばしても。生きているうちはずっと付き合っていかないと駄目でも。飛び立てばもう二度と戻れない」
うわーっと両手を挙げて背中から倒れこんだ彼女は自分の隣を手で叩いて言った。
「来なよ。私も今日はちょっとセンチメンタルなのかも」
「二人で星座ですか?でも……そういうの悪くないかもです」
暗く、限られた照明で彩られた地下のバー、背の高い小さな椅子に座ってカウンターに頭を預けて眠っていた僕が、人より高い場所で、空に近いタワーマンションで星座を作る。
偽りの一人称、偽りの姉と弟、偽りの身分。ありもしない星々の繋がりだとしても、人間関係なんてそんなものなんだから、きっと綺麗に見えるんじゃないだろうか。
遮るものない大きな窓は夜空を切り取って、リースさんが去った一人の部屋の中を白く線を引いていた。
そっか……これだけ高いと星が見えるんだ。




