ササミトースト
「ササミトースト?」
聞き返しながらタカシは食べ終わった牛丼のどんぶりを持ち上げると、お盆の上に逆さに置き直した。俗に言う〈伏せ丼〉といって、古式の御馳走様のサインである。どんぶりから米つぶがぱらぱらと盆に落ちる。店員が訝しげにじろりと見てくる。
「そうだよ!高タンパク低脂肪でしかもおいしいんだ!タカシ君も試してみなよ!」
牛丼屋のカウンターの隣に座る、同僚のシゲルが痩せこけた顔で話しかけてくる。急激な減量で皮膚がたるみ、笑うたび目元のしわが目立つ。彼は去年9月から半年間、朝食を毎日ササミトーストにすることで40kgも減量したとゆう。
「おれも始めはてきとうさ!、イヤ、この前の健診で、中性脂肪がやばいって言われて、食事制限をしなさいって医者に言われて、カーッときてさ、医者を怒鳴りつけて、診療所飛び出したんだよ、もうやんなっちゃってさ、うさばらしにショウチュウでも飲もうと思って、スーパーで買ったんだよ、5ℓの。それ飲んで寝ようと思って、テレビつけたらさ、ダイエット特集やってて、ササミトーストってのがいいって言うのよ。で冷蔵庫に材料あったから作ってみたら、美味いのよこれが。みるみる体重も落ちて、ウエストがどんどん減るもんだから、ズボンなんか三回も買い替えたよ。」
カウンターの奥にある厨房から、若い男性店員がちらちらとこちらを見ている、きっと彼は牛丼信者なのだろう。小さい頃から牛丼で育った彼は、鶏肉の会話が耳に入ることが許せないのだ。
お盆に落ちている米つぶは汁にまみれ光沢がある。タカシは麦茶を飲もうと冷たいグラスを持ち上げる。結露が掌を湿らす。セーターの袖が盆に触れ、濡れた米つぶが白い袖にくっついた。
シゲルはタカシの家でササミトーストを作ると言って聞かなかった。やむなく二人でタカシのマンションに向かい、途中のスーパーでササミとトマトを買わされた。トマトを挟むことで味気ないササミの旨みが増すという。
マンションのエレベーターに乗る。ドアが閉まり、暗い窓に映る自分たちの表情と、階番号を見つめる。
人が来る予定はなかったので掃除はしていなかった。昨日魚を焼いたためか、室内はすえた生臭さがした。
台所にまな板を置き、タカシはシゲルに言われるがまま食材を切っていく。
「タカシくん、ササミは斜めに切るんだよ!」
タカシはその言葉に不快感を感じた。家に来いなどと頼んでいない。シンクの上に置かれた、小さい鏡には自分とシゲルが並んで写っている。
すると包丁を握る自分の手を、シゲルの汗ばんだ手が上から握ってきた。鏡に映るシゲルの表情は変わらない。黙っていると、シゲルはタカシの腹に手を回してきた。鏡を見るとシゲルが自分を後ろから抱きしめるような格好になっていた。シゲルはシャツに下から手を入れ、指で腹をなぞってきた。耳元に荒い鼻息がかかった。
うわっ!と手を大きく回し振り払う。右の肘がシゲルの鼻っ柱にあたり、涙を浮かべうずくまる。
蹴飛ばすにようにシゲルを台所から追い出す。待ってくれ、ササミトーストが…トーストが…とボソボソ言うシゲルを部屋から蹴り出し、玄関の鍵をかける。動揺がひどい。拍動が胸を強く打っている。白いまな板には切りかけのササミとトマトがある。切欠けのササミはトマトの赤い汁に濡れている。