暗幕
今朝、自室のドアノブを回してもドアがまるで動かない事に気づいた。
まるで古いアパートの一室の出入り口を精巧に模したデザインの壁ででもあるかのように押そうが引こうがびくともしない。
しばらくそうしている内に体力が尽き果てた。途方に暮れ座り込み、今まで寝ていた万年床へと帰還するかどうか考えていると、あることに気づいた。
音がない。このアパートの部屋は入居住人の財布と比例する程度の厚みしかない壁で仕切られている。
普段通りの朝ならば、空腹やらなんやらが要因となって子供が発する甲高い叫び声にアルコールの抜けきらない脳をかき回された若者たちが怒号を上げているはずであり、静寂すら静まり返っているはずなのだ。
しかし今は、自分の心音が壁を震わせる音すらも聞こえそうだった。
「おはようございます。不思議ですか? ですよね? どうも神です」
一瞬壁が喋ったと思った。当然違う。聞き覚えがあった。これは隣の部屋の住人だ。夜中に一人で何かをブツブツ言っていたのをノイズ音として毎日寝入り際に聞かされるハメになっていたので間違いようはない。直接会話をしたことはなく普段聞く言葉も頭に入ってはいなかったが、なるほどこんな奴だったのか。
「閉じ込めたのではなく、ここしかないのです。世界はまた始まります」
電話で外と連絡を取ろうにも電池が切れている。ダメだな手の施しようがない。ドアのチェーンロックを確認する。よし。では万年床に還ろう。布団に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
翌朝。いつものような喧騒に叩き起こされる。チェーンロックを外し、ノブを押し込む。ドアは完全に機能を取り戻していた。