生贄の器
明良の突然の呼び出しに応じて因幡は薄暗い空き教室へと姿を現した。
因幡は血を流し壁に背中を預けて目を閉じ、青白い顔をしてぐったりとした様子で脂汗を流す明良の姿を見付けて、駆け寄ると直ぐに治癒を開始する。
「ウッ……」
「神威様、一体これはどうなされたのですか?」
小さな呻き声を上げ、視線を彷徨わせる明良に気が付いた因幡が問う。
「い、なば……はっ! 因幡っ、風花が月詠様に攫われた、直ぐに須佐之男命様にお目通り願いたい!」
必死に訴える明良の様子から、尋常ならざる事態に成っていると判断し、高天原へと戻った二人は、直ぐさま輝夜神の元へと急いだ。
「須佐之男命様っ月讀命様が見つかりました」
ヨーロッパ風のお洒落なカフェテラスに作り変えられた一画で須佐之男命は輝夜神とケーキを食べながら談笑しているようだった。
須佐之男命は前回明良に会いに来た時よりもまた少し若返ってしまっている。
「本当か!?」
勢い良く猫脚テーブルに手を着いて立ち上がったせいか、ガチャンと食器を鳴った。
「はい、ゆっ、友人がひとり……攫われました、月讀命様は姉上を復活させるのだと言っておられましたが……」
明良の言葉に須佐之男命は目を見開くと、苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「あのバカ……」
早足でその場を離れようとする須佐之男命に駆け寄り後ろに付いてテラスを出る。
「月讀命様の行かれそうな場所に心当たりが有るんですね!?」
須佐之男命の険しい顔を覗き込むように話しかける。
「……あぁ、たぶん黄泉比良坂だろう、生者の住む現世と死者の住む黄泉との境目にある坂だ」
「えっ、しかしあそこは既に閉められている筈です」
その昔オノゴロ島におりたち、伊邪那岐命との間に日本国土を形づくる多数の子である神々をもうけた。
伊邪那美命が死後、伊邪那岐命に腐敗した身体を見られて本気で逃げられ、離縁した後に黄泉の国を統治するようになる。
そのきっかけとなったのが、黄泉比良坂……島根県にある出雲町にあるとされている場所。
「そうだ……母様、伊邪那美命は天照大御神よりもかなり前に神としての寿命が尽きて輪廻へと還られた……今あそこは統治する者がおらず魑魅魍魎が跋扈している筈だ」
「えぇ、だから千引の岩を黄泉比良坂に置いて魑魅魍魎が愛する現世へと溢れないように天照大御神様が道を塞いだはずじゃ……」
魑魅魍魎が溢れれば現世はまたたく間に混沌と化す。
だから動かすのに千人力を必要とするような巨石でガッチリと封印したのだ。
「そうだ……既に太陽系の輪廻転生は姉様が輝夜神にこの星を引き継いだ時点で、黄泉ではなく死者の魂は全て本来あるべき場所へ行くように修正されている」
「なら!」
「だがあのシスコンバカは黄泉が機能していない事を認めていない。 いや認めたくないんだろうな」
自分の愛する者と離れ離れにならなければならない辛さ、明良は今までここにいない風花の笑顔を思い出す。
「姉様は、天照大御神は黄泉に行ったと考えているはずだ、黄泉比良坂から黄泉へ行けば父様が母様に会いに行ったように」
「仮に会えたとしても復活させるなんてできる訳が……」
「その為に生け贄の器を欲したんだろうな、たとえそれが気休め程度のものだとしても」
生け贄の器の言葉に明良は下唇を血が滲むほどに噛みしめる。
「なんにせよ時間がない、あのバカ止めないと」
「私も一緒にお連れください!」
須佐之男命は歩みを止めると大声で願いを口にした明良の姿を仰ぎ見る。
「神の力を封じられたお前にできる事など無い、足手まといだ」
そうだ……人の姿に封ぜられた明良にできる事などないに等しい。
「貴方様の邪魔になるなら捨て置いていただいて構いません……」
(それでも……!)
「自分の好いた女を生け贄なんかにさせてたまるか」
決意を込めた瞳で須佐之男命を見れば、ニイッと口角を引き上げて明良に無邪気に笑う。
「ほう? 随分とこの短時間で男になったじゃねぇか、黄泉比良坂まで神力で飛ぶからな、振り落とされんじゃねぇぞ!」
「はい!」
子供姿の須佐之男命の腕に振り落とされまいと、必死にしがみつく高校生の姿は滑稽だろう。
(風花……必ず助けて見せる)
嵐のような須佐之男命の神力に曝されながら明良は心に誓った。
あと数話!




