その幼児、名を須佐之男命(スサノオノミコト)
人の肉体では大き過ぎる神力を無理矢理引き出して、風花の怪我を治したことに明良はひどく満足していた。
無理をした代償に体調を崩して、保健室まで明良の保護者として登録してある叔父の九重智輝が迎えに来たのは予定外だったけれど。
九重智輝は人の姿をとる際の仮の名前、その正体は神としての寿命を終えて輪廻転生の輪に還っていった古き神天照大御神に仕えていた因幡の白兎だ。
天照大御神が居なくなった後は主の遺言を忠実に守り、今は明良の母である輝夜神に仕えている。
保健室のベッド上で、迎えに来た智輝を出迎えると、盛大な溜め息を吐き出した智輝は、明良を自宅へと連れ帰る際に自家用車の車内で、無理をした明良の行いに対していつまでも説教をたれていたが、半分も耳に届いてはいなかった。
自宅で就寝の準備を済ませ、殺風景としか言いようがない寝室のベッドへ横になれば、思い出すのは風花の唇の柔らかさ。
半ば不意打ち気味に奪った口づけは甘く、思い出すだけでほんわりとした充足感と、もっと触れたいと言う渇望に苛まれる。
「恋か……これはミナの事を攻められないな」
妹神であるミナが人と恋に落ち、子を孕んだ時は怒りのままに相手の住む世界を壊そうとしたが、自分が同じ立場になった事でそれが、どんなに愚かな行いだったかがわかる。
「な~にひとりでニヤついてんだ?」
「うわっ!?」
明良以外は誰も居ないはずの部屋に聞こえた高い声に、飛び起きてベッドから床に落ちると、子供がニヤニヤとした笑顔で立っていた。
水色の半袖のTシャツと濃紺の膝丈のハーフパンツを纏った男児は、短く刈り上げた赤い髪をしており、印象的な緑色の瞳が喜色を浮かべて明良を覗き込んでいる。
「なっ、驚かさないでくださいよ須佐之男命様!」
驚いた明良の反応を楽しむように須佐之男命はニヒヒと笑う。
「わりーわりー、輝夜神の小童が珍しい反応をしていたからついからかってみたくなったんだ」
言葉では謝っているものの、全く悪びれた様子ないスサノウに明良は溜息をつくと、ベッドへ座るように促して自分は床に正座した。
いくら全盛期よりもその強大な力が衰えていようと、須佐之男命は古より存在する神なのだ。
「それで、その小童になんの御用でございましょうか?」
反抗した所で余計にからかわれるのは目に見えているため、さっさと話を本題へ進めることにした。
「そうだった。 月讀命お前を見てないか?」
「月讀命様ですか? 暫くお姿を拝見しておりませんが……」
月讀命は須佐之男命の兄神だ。
天照大御神と須佐之男命とともに、三柱の貴子と呼ばれる重大な三神の一柱、月の神としても有名な月讀命を須佐之男命は探しに来たらしい。
「そっかぁ、あのシスコンいったいどこに行きやがったんだ。 姉上が死んでから暫く月に引き篭もっていた筈なんだが……」
バリバリと頭を掻きながら困ったなぁと呟く。
月讀命も須佐之男命と同じく、神としての寿命が近いために、幼児化がすすんでいるはずだ。
「はぁ……もし見つけたら知らせてくれや。 因幡に伝言を頼んでくれれば連絡がつくようにしとくわ」
「たまわりました」
そう返事をすると、須佐之男命は明良の部屋からまるで空気に溶けるように姿を消した。




