第一章 hermit 壱
もう随分歩いた。しかし、一向に霧は晴れない。
(まるで、夢の中みたいだ…)
奏は不意に、昼に見た夢を思い出した。薫も同じことを思い出したようだ。
「カナデ、この状況ってオレ達が見た夢と似てないか?」
「───あぁ」
「いきなりあの場所に着いたりしてな。ってそんなことあるわけ───」
薫が冗談めかして言った瞬間、霧が晴れてゆく。
「───あったな」
口をポカンと開けている薫とは対照的に、奏はいたって普通な声で呟いた。
先ず彼等の目に入ったのは、一面の水。そして、薄桃色に咲き誇る、蓮と睡蓮。
彼等は足許を見た。すると、物理的には不可能であろう光景が広がっていた。
なんと彼等は水面に立っていたのだ。
一歩ずつ足を踏み出すが、沈む気配は無い。しかし、地を踏みしめる感覚も無い。
「ここは何処なんだ?」
ポツリと薫が呟く。
『ここは睡蓮の小路』
「奏、何か言ったか?」
「───いや、俺の声じゃ無い」
二人は顔を見合わせる。
『ここは睡蓮の小路。天上人の通る路じゃ』
二人が驚いて振り向くと、其処には一際大きな蓮に坐った女が居た。 その女は二人のすぐ後ろで、二人を見つめていた。
───絹のようにきめ細かく、白く透き通るような肌。
夜闇を思わせる、艶やかな漆黒の髪。
血の紅色を湛えた、つり目がちなその瞳は、まるで猫の瞳。
きりりとつり上がった眉と、一文字に結ばれた桜色の唇───
それら全てが彼女の美しさを表していた。
「あなたは…?」
珍しく奏が先に口を開いた。
「私の名は香蓮。この、『睡蓮の小路』の守をしておる。おぬしらを待っておったのじゃ」
「香…蓮…?」
カナデは何かを思い出すように繰り返した。
「おぬしらは天上人じゃ。無論、我も天上人が一人である。我は水を司っておる」
二人は立ち尽くしていた。
「信じられぬ、といった顔じゃな。しかし、これは事実じゃ」
あからさまに、疑わしいという目線を送っていた薫に向かって、彼女は言った。
「オレ達は天上人なんかじゃねぇ!!今までだって───」
「普通に生活してきた、であろう?ならば聞くが…おぬしに血縁の者はおるかの?最近の記憶しか無いのではないか?」
叫ぶ薫の言葉を遮って、彼女は冷たく言い放った。
「───!!」
彼は彼女の言葉に戦慄を覚えた。今まで考えたことも無かった、己の過去。
彼女の言葉は全て事実を捉えていた。




