前世の影響
使い古され、くたびれた感のあるソファに、俺と麗美は寄り添い合うように座った。
向かいには未だ気絶したままの田中純也を、座らせた状態で固定してある。
「落ち着いたか? 麗美…」
「はい…、マスターのお陰で、大分楽になりました」
麗美は俯いたまま答える。
先程は平気そうに振舞っていたが、やはり精神的ダメージは大きいのだろう。
完全に俺の失態だ…
麗美は元々前世でも女性であり、年齢も今とあまり変わらないくらいの年頃だった。
この世界に転生し、周囲の人間達よりは多くの経験を積んでいるかもしれないが、女性であることには変わりがない。
だというのに、魔術師同士という気心の知れた間柄から、本来配慮すべき事を欠いていた。
彼女は魔術師である以前に、一人の少女なのである。
軽々しくこんな任務を任せるべきでは無かった…
「本当に済まなかった。俺は間違いなく冷静さを欠いていた。言い訳になるが、ここの所のストレスで少し考え方が前世寄りになっていたんだと思う…。本来であれば、同い年の女子に強いるような任務内容では無いというのにな…」
全く、今日の俺は少しどうかしていた…
何が信頼している、だ。
信頼という言葉にかこつけて、体よく利用しようとしたに過ぎないではないか…
麗美は、怖いものは怖い、と言っていた。
俺はそれを真面目に受け取ったか? 否だ。
せいぜい、軽い冗談程度にしか受け取っていなかった。
「そんな! マスターは私を信頼して任せてくれたのでしょう!? 責められるのはむしろ、使命を果たせなかった私の方です!」
「いや、そうじゃない。確かに俺は魔術師として信頼し、麗美に任務を命じた。しかし、この世界は俺達の居た世界じゃないんだ。その常識、モラルから考えれば、俺のした事は最低の部類だ」
そう、前世の世界であれば俺の考え方こそが主流であり、常識となるが、この世界はそうではない。
俺は間違いなく、前世の思考パターンに引っ張られていたのである。
(これは、あまり良くない兆候だな…)
同じ境遇である麗美と居たからこそ、そんな思考に陥ったのかもしれないが、楽観はできない。
これからは少し意識した方が良さそうだ。
「しかし…」
「麗美、君は元魔術師だが、今は少し魔術が扱えるだけのただの女子高生なんだよ。そこを履き違えてはいけない。さもないと、身を亡ぼす事になるぞ?」
「マス、ター…」
「…すまん。説教するわけじゃないんだ。今回の件は間違いなく俺の判断ミスだし、麗美に非は無いよ。…ただ、覚えておいて欲しい」
「わ、わかりました…」
思えば麗美も、出会った時はかなり過激な考え方をしていた。
もし、あのまま俺達が出会っていなければ、彼女は確実にこの世界の異端者、異物になっていただろう。
そして俺も、同じ境遇の人間と出会わなければ、かつての考え方に呑まれていたかもしれない…
当然と言えば当然かもしれないが、俺達は、確実に前世の影響を受けている。
しかし、その影響に染まれば、俺達はこの世界で生きる資格を失ってしまうだろう。
そうならない為にも、俺達は自分達の立場をしっかり理解していく必要がある。
「…まあ、その辺の事はまた今度話そうか。同じ境遇を持つ仲間同士、色々と話し合う機会を作っても良いだろう」
「は、はい! マスター!」
麗美が目を潤ませながら返事をする。
薄暗い為、あまり見えないがやや頬も赤い気がするな…
いかんいかん、歳を取るとどうも無意識に説教臭くなりがちだ…
「さて、では目的である田中君への尋問に取り掛かろうか」
俺は誤魔化すように視線を逸らし、話を切り上げる。
「どうするんですか?」
「…ふむ。本当は、ただこちらの質問に答えて貰うだけのつもりだったんだがね…。彼は色々とやり過ぎた。それ相応の対応を取らせて貰うとしよう」
「で、ではその役目は私に!」
「ああ、俺も別に善人というワケでは無い。この世界の常識やモラルは大いに尊重するが、全てに従うつもりも無いしな。麗美が受けた屈辱分くらいは返してやればいいさ」
誰しもが全く悪い事をしない、考えないワケでは無い。
俺が危惧しているのは、それを無自覚、無節操に行う人間になる事なのだ。
そういった線引きこそが、魔術を扱う者の最低限の嗜みである。
「ありがとうございます!」
嬉しそうに返事をし、ワキワキと手を動かす麗美。
「…言っておくが、身体的危害を加えるのは無しだからな?」
「もちろんです! 気持ち悪くて触りたくありませんしね!」
そうかです…
――――約1時間後。
「聞きたい事は、概ね聞き出せましたかねぇ?」
「俺達の質問内容に漏れが無ければ、恐らくはな」
田中純也からは、それなりに有用な情報を得られた。
中々にに交友範囲も広かったらしく、速水 桐花の同人誌のモデルとなっていた二人、谷中 浩史と沢井 和也の進路についてもある程度把握する事が出来た。
他にも、速水桐花がどんな娘だったかだとか、彼のプライベート情報なども一緒に聞き出している。
「それにしても、こちらの世界では今と同じような事を、薬や催眠術で行っているのですよね? むしろ我々の魔術の方が余程安全でクリーンなやり方では無いですか?」
「まあ、やっている事自体クリーンとは言えないがな…。それに、俺達も魔術がどのように作用して対象の自意識を操作しているか、完全に把握しているわけでは無いだろう?」
「ああ、それもそうですね…」
魔術は色々な工程を取っ払って、結果をもたらす事の出来る技術である。
その省略された行程について、前世の人間は誰も疑問に思っていなかった。
恐らくは、生まれた時から当たり前に存在していた技術であったからだろうが、最大の違いは好奇心の旺盛さだろう。
この世界の人間は、前世の人間に比べて非常に勤勉で、好奇心が旺盛だと思う。
例えば、物が何故下に向かって落ちるか? などにも言える事だが、前世ではそれを疑問に思うような人間はほとんど存在しなかった。
それに対し、この世界の人間はそんな事にすら疑問を持ち、そしてその答えに辿り着いている。
この事をかつての同士達に伝えられたら、彼らはひっくり返って驚くかもしれない。
…まあ、それでもほとんどの者達は、その事に疑問を持ったりはしていないと思うがね…
そもそも重力によるものなのか引力によるものなのか、重い物と軽い物のどちらが速く地面に落ちるのか、その正確な結果や仕組みをしっかりと説明できる者は、この世界でも少数派だろう。
「…あ、もしかして、私がさっき解毒出来なかったのも?」
「ああ、睡眠薬と一口に言っても色々種類があるからな。俺達の使う一般的な解毒術は、薬効を消す類の術だ、つまり、即効性のある睡眠薬には効果が薄いんだよ。この場合、既に働きかけている中枢神経や脳への働きを直接弄らなきゃ防げない。麗美も、薬学知識は非常に有用だから覚えておくといいぞ?」
「成程…。精進いたします」
この男が使ったのは合成麻薬の類だ。
恐らく、この情報が出回ればこの周辺の学生達や売人は一網打尽となるだろう。
レイプ事件も少なからず起こしているようだし、情状酌量の余地は無い。
「…この男の悪行については、後で静子に拡散してもらう」
「わかりま…、って、もう時間ですか…」
麗美が返事を返そうとした時、備え付けの電話機が鳴り出す。
時間的には、入店してから約一時間五十分が過ぎている。
この部屋は恐らく二時間で取ってあり、その十分前のコールという事だろう。
「…あの、マスター。その、延長しても、良いですか? 初めてのカラオケがコレじゃ、嫌な印象しか残らないので…」
上目遣いに頼んでくるその仕草は、中々にあざとい。
しかしまあ、麗美のメンタルケアの事を考えれば、今回ばかりは乗ってやるべきだろうな…
俺は受話器を取り、一時間延長をお願いした。
◇
麗美と別れ、地元に戻った俺に静子から連絡が入る。
「もしもし、師匠。その、大丈夫でしたか…?」
「ああ、助かったよ静子。ギリギリだったが、間に合った」
「良かった…」
あの時、俺が麗美の救出に間に合ったのは静子のお陰だ。
実の所、俺はあの時、麗美の消息を見失っていたのである。
まあ、理由は麗美の強力な人払いのせいなのだが(恐らくは、俺の魔力が少ない事を失念していたのだろう)…
しかし、俺はその状況でも焦ってはいなかった。
麗美は優秀な魔術師だし、どうにかしているだろうと楽観的に考えていたのだ。
その目を覚ましてくれたのが、静子である。
静子は、俺と麗美の反応が少し離れている事に気付き、俺に連絡をしてきた。
ありのままに現在の状況を伝えると、静子にしては珍しく、俺に非難を示した。
静子は、麗美がまだ少女である事、俺の考えが彼女に対する配慮に欠けている事などを指摘してきた。
今思うと、全くもってその通りであある。
静子の指摘のお陰で、俺は冷静さを取り戻すことが出来たと言っていいだろう。
「静子には感謝している。あそこでああ言ってくれなければ、俺は取り返しのつかない過ちを犯していた…」
「感謝なんていりませんよ、師匠。私は貴方の弟子であると同時に、友達でもあるのですから」
「………」
静子は何げなく言ったつもりかもしれないが、俺はその言葉に少し胸が熱くなってしまった。
(前世には友人などほとんどいなかったが、友か…。いいものだな…)
「…所で師匠、麗美さんのアフターケアはちゃんとしてあげましたか?」
「ん、ああ、あの後は二人で少しカラオケを楽しんで、ちょっと良い食事をして帰ったよ。また行きましょうって言ってたし、少なくともカラオケ自体がトラウマになったりはしていないと思う」
あの後麗美は、終始笑顔を浮かべていた。
あの笑顔に偽りは無かった…、と思う。
「そうですか……………。あの、師匠…、今度私も、カラオケに連れてってください」
「…ああ、もちろんだ」
静子の控えめなお願いに、俺は苦笑しつつも快諾するのであった。




