如月家の事情
――――都内某所。
「ここがその男のハウスね!」
「いや麗美、それ言いたかっただけだろ」
「あ、わかりますか?」
「お前ら、少し静かにしてくれないか…」
ここは都内某所、如月兄弟の住まうマンションである。
「ちなみに、住所は個人情報なので記載しません」
「…誰に言っているの? 良助?」
誰にでしょうか。俺にも分からないよ、ひーちゃん。
まあ、個人情報なんて言っても同じ学校の生徒であれば、住所くらいは容易に調べることが出来るんだけどな。
その辺は静子の得意スキルであり、麗美も色々と精通しているようであった為、如月兄弟の住所はあっさりと判明した。
個人情報の保護って難しいよね。
さて、何故俺達がわざわざそんな事までして如月兄弟の住所を調べたかというと、クラスメートであり心の友である尾田君にお願いされたからである。
尾田君曰く、こっちにも落ち度はあったんだからケジメとして謝っておきたい、との事だった。
彼なりに如月シンヤの不登校については、少し責任を感じていたらしい。
しかし、話を聞く限りでは、ほとんど如月シンヤの自爆であり、尾田君が責任を感じるのはどうかと思うのだがね…
まあ、詳細は聞いていなかったので一応尋ねてみると、尾田君は複雑な顔をしつつも答えてくれた。
ある日の放課後、尾田君は如月シンヤから校舎裏に来るように呼び出されたらしい。
尾田君はその見た目が災いしてかこの様な事には慣れており、うんざりしながらも行く事に決めたそうだ。
経験上、その方が無難なんだとか。
指定通り校舎裏に向かった尾田君はまず、自分に争う意思が無いことを伝えた。
しかし、如月シンヤは聞く耳を持たず、尾田君の胸倉を掴んでくる。
入学してそんなに経っていない真新しい制服…
それに皺が付くのを嫌った尾田君は、放せと彼を小突いた。
すると、そこまで強く握っていなかったのか、はたまた握力が無かったせいなのかは分からないが、思いのほか大きく如月シンヤは後退した。
運が悪かったのがそこからで、たまたま進路に有った小石に躓いた彼は、更にバランスを崩して花壇に突っ込んだのだ。
しかも植えられていたのは薔薇だったらしい。
…うん、悲惨ですね。
…まあ、一応尾田君が小突いた事は事実なのだが、見かたによってはほとんど当たり屋のように思える。
しかも、尾田君は胸倉を掴まれたというじゃないか。
胸倉を掴むという行為は立派な『暴行罪』であり、むしろ先に被害にあったのは尾田君の方だ。
はっきり言って、尾田君の方が被害者と言っても良い状況である。
だと言うのに本人は罪悪感を感じていると言うのだから、なんとももどかしい…
全くもって、尾田君はお人好しである。
……だがそれがいい。
そんな尾田君のお願いを聞かないワケにはいかない。
野外活動を自粛していた『正義部』であるが、一時的にその禁を解いて活動を開始したのであった。
「それで、如月の奴はどの部屋に住んでいるんだ?」
「305、と書いてありましたが…。あ、ポストにも如月って書いてありますね。間違いないでしょう」
マンションの一階に取り付けられた郵便ポストには、しっかりと如月の名前があった。
オートロックのかかるようなお高いマンションでは無いので、こういった情報はダダ漏れである。
早速俺達はエレベーターに乗り込み、3Fへと向かう。
「ここ、で間違いないか」
「表札が有るし間違えようも無いだろう? …ひょっとして尾田君、緊張してるのかな?」
「ば、馬鹿! んなワケねぇだろ!」
「ハイハイ、こんな所で漫才してたら迷惑ですよ~。ポチっとな」
ピンポーン♪
心の準備が整わずに緊張している尾田君を無視して、麗美がインターフォンを押した。
「おまっ、はやっ」
取り乱す尾田君を見て一重がほくそ笑む。
同様に、静子も頬をピクピクとさせて笑いを堪えていた。
俺はというと、普通に噴き出してしまった。
だって、おまっ、はやってさ…
そんな俺達に気付いて赤面する尾田君。
しかし、それに文句を言う間もなくインターフォンから女性の声が返ってくる。
『はい、どちら様でしょうか?』
「あ、どうも初めまして、私達、如月シンヤ君の学友なんですけど、シンヤ君はご在宅でしょうか?」
『まあ! 待ってて! すぐ開けるわ!』
すぐさま鍵が開けられ姿を現した女性。
かなり若く見えるが、流石に姉という事は無いように思える。
恐らくは…、母親か?
「いらっしゃい! まさかシンヤのお友達が来てくれるなんて思わなかったわ!」
満面の笑顔で迎えてくれる彼女だが、俺はやや目のやり場に困ってしまった。
彼女の恰好、胸元の開いた扇情的な服装は、思春期の少年には少々目の毒と言える。
尾田君も俺と同様に、目線を上の方に外しているようであった。
「あらやだ、ごめんなさいねこんな格好で。ちょっと仕事の準備をしていたから」
「あ、いえいえ、こちらこそ慌ただしい時に押しかけてしまい申し訳ありません」
「いーのいーの、とりあえず上がって頂戴。大したもてなしは出来ないけど、お茶くらい出すわ」
俺達は顔を見合わせるが、本来の目的である如月シンヤに会う為にその誘いに乗る事にした。
「「「「「お邪魔します」」」」」
◇
招かれたリビングルームは、俺達5人と如月シンヤの母親がギリギリ入れる程度の広さしかなかった。
「ごめんなさいね、狭いマンションで。しかも、あまり掃除も出来ていなくて…、ちょっと汚いでしょ?」
「あ、いえ、すんませんこちらこそ、図体でかくって…」
「気にしない、気にしない! 体が大きい事は良い事よ? ウチのバカ息子達もそれくらい育って欲しかったくらいよ? まあ、旦那が小さかったから期待はしてなかったけどねぇ~」
カーディガンを羽織って露出を減らした如月母は、そう言いながらせっせと茶の準備を始める。
しかし、慣れていないのか動きがぎこちなく、見ているとどうにも歯がゆい…。
「手伝いますよ」
「あ、あら、ありがとう…」
危なっかしい手つきで食器棚からコップを取り出そうとする手を制して、代わりにコップを取り出す。
茶缶は…、これか。後は湯を沸かしてっと。
「…手際が良いわね? 貴方…」
「まあ、家でも良くやっていますので」
実際の所、我が家の家事は半分近く俺が担当していた。
我が家の場合、母親が家事を苦手としているワケでは無く(料理は除くが)、単純に俺が興味本位で覚えただけだったりするのだがな。
何しろ、俺にとって台所はアイデアの宝庫だったのだ。
まさか台所でカルチャーショックを受ける事になるとは思わなかったが…
「…貴方、イイ男ね。そういえば連れてきた娘達も半端じゃなく可愛いし…。どの娘が本命かしら?」
「ノ、ノーコメントで…」
この三人が揃っている状況でその質問はやめて欲しい。
なんと答えても良い未来が見えないぞ…
「…ふむ、まあいいわ。ありがとう、後は私でも出来るから、貴方も座りなさい」
「…はい」
なにか含みを感じたが、俺は何も突っ込まない事にする。
前世では女性とほとんど関りが無かった故に知り得なかった事だが、女性は俺の想像以上に強かである。
藪はつつかない方が賢明だろう。
「さて、ほとんどやって貰っちゃったけど、どうぞ」
俺達の前にお茶が配られ、如月母も席に着く。
「自己紹介がまだだったわね。私はシンヤの母で、名前はアキコっていうの。結晶の晶に子供で晶子。よろしくね?」
「「「「「よろしくお願いします」」」」」
「それで、みんな揃ってここに来たのは、やっぱりシンヤの不登校の件かしら?」
「は、はい、その、多分ですが、シンヤ君の不登校の原因は俺にありまして…」
申し訳なさそうに言う尾田君。
本当にお人好しだなぁ…
まあ、アンタの息子に喧嘩吹っ掛けられたんだよ、なんて言えないだろうけどさ。
「あら? もしかしてあの怪我の事? ……プッ、アッハッハッハッハッ! おかしー、やだわぁー! えーっと、誰君だったかしら?」
「あ、すみません、俺は尾田って言います」
ついでに俺達も自己紹介を済ませ、今日尋ねた理由を説明する。
「フフ…、成程ねぇ。でも、それって絶対尾田君のせいじゃないでしょ? だって、あの子ったら体中に薔薇巻きつけた状態で帰って来たのよ? どんな喧嘩すればそんな風になるっていうのよ! オスカル様でもそんな薔薇散りばめてないわよ~」
オスカル様って…、随分お若く見えるんですが、貴方はおいくつでしょうか?
思わずそう質問しかけたが、ギリギリの所で踏みとどまる。
女性に年齢を聞くのは失礼と言うからな…
「ま、そういうワケだから、尾田君が責任を感じる必要なんて無いわよ! あの子が引き籠ってるのは、あの子が駄目人間ってだけ。…まあ、そう育てた私に責任があるんだけどね…」
そう言って、少し愁いを帯びた表情を見える晶子さん。
その表情に妙な色気を感じて少しドキリとするが、三人娘の目線が鋭くなった為、慌てて表情を引き締める。
これだから女性は怖いのだ…
「これは言い訳になるんだけどさ、あの子達が小さい頃に、借金抱えた旦那が夜逃げしてね…。なんとか借金は返したんだけど、女手一つで養育と教育を両立させるのは流石に無理だったのよ…。愛情だけは注いだつもりなんだけど、御覧の通りひん曲がって育っちゃってさぁ…」
…成程。そう言う事か。
如月兄弟はどうやら彼女、晶子さんが女手一つで育てたらしい。
女手一つ、しかも借金を背負った状態で男二人を育てるなんて、相当苦労したに違いない。
先程の仕事の準備という言葉と、今の恰好から察すれば、これから向かう仕事先も水商売絡みなのだろう。
しかし、二人を育てる為の努力は、皮肉にも家族としての距離を引き離していったのかもしれないな…
「晶子さん…」
「っと、ごめんなさい、辛気臭くなっちゃったわね。やめやめ! さて、あの子の部屋に行きましょうか!」
そう言って、そそくさと席を立つ晶子さん。
俺も後を追おうと席を立つと、他の4人の様子がおかしい事に気付く。
「……あの、皆さん?」
「「「「ええ(ああ)」」」」
こ、怖いんですけど…




