転換の秘法
第一手、砂かけ。
「勇ましく声を上げた割には狡い真似をしますね……」
呆れたように言う少年は躱す素振りさえ無い。
よく見ると、砂は少年に到達せず、吹き散らされるように霧散していた。
(風の障壁か? 面倒な……)
恐らくは物理的な攻撃を防ぐようなレベルの障壁では無い。
そんなレベルの障壁を張ろうと思えば、魔力の消費は軽く50を超えるからである。
発言に偽りが無ければ、少年の魔力総量は50。
既に幾分か消費している以上、例え効率化により消費量を軽減していたとしても、使用は不可能な筈。
となると、催涙スプレーやガス対策だろうか?
何にしても周到なことである。
今度は石を投げつけてみる。
こちらは障壁に完全に遮られる事は無かったが、風の影響を受けないわけでは無いので命中率が悪い。
勢いも殺されている為、仮に当たったとしても身体強化を行っている相手には効果が薄いか……
「うっとおしいね……。近寄ってこないのは、コレを警戒しているのかな?」
そう言ってスタンガンを放電させる。
バチバチと大きな音がし、イオン臭が漂う。
スタンガンを放電させて見せたのは、恐らく威嚇目的だと思われる。
人は恐怖を感じた際、体が強張ったり、萎縮したりといった反応を示す。
本能的な反応であるが故に防ぎにくく、労せず隙を作る事が出来る為、戦術としては中々に効果的と言っていいだろう。
……しかし、生憎俺はこの程度の事には慣れており、身がすくむような事は無い。
「……警戒するのは当たり前だろ? 当たったらほぼ無力化されてしまうからな」
いや、無力化で済めばマシな方か。
恐らくだが、この少年が使うスタンガンは、なんらかの改造が施されているからである。
一重が気絶している事から考えれば、ほぼ間違いないだろう。
何故ならば、本来スタンガンは失神するような武器では無いからだ。
(直接的な改造か、魔力的な補助かは分からないが、最悪死ぬ可能性すらある、か……?)
俺が警戒を強めると、その反応が気に入ったのか少年は満面の笑顔を浮かべて見せた。
「ふふ……、どうやら、ちゃんとコレの危険性も理解しているみたいですね? いやぁ、しかし、それにしても凄いと思いません?」
「……?」
「これもそうですが、この世界では僕達が魔力で行っていた事の大半を、魔力無しで実現しているじゃないですか? 僕達が如何に魔力に頼り切っていたか痛感しますよね……。魔力が無いからこそ、これだけ技術が発展したんでしょうけど……。実に興味深いです」
それに関しては概ね同意できる。
この世界に転生してからというもの、カルチャー(?)ショックの連続だったからな……
俺達が魔力を使用してしか実現できなかった数々の技術を、魔力を全く使わず実現しているのだから、そりゃもう圧巻だったさ。
「全くもって同意見だ。俺は最初、何かの物語にでも入り込んでしまったのかと思ったよ」
科学、生物学……、恐らく『学』とつく分野のほとんどが、俺達のいた世界の遥かに先を行っている異世界。
この世界は、俺から見ればまさにファンタジーと言っていい世界だった。
「僕もです。こちらの世界から見れば、僕達のいた世界こそが異世界でありファンタジーなのでしょうけどね……」
流石に同じ境遇なだけあり、どうやら俺達の感覚は近しい所があるようだ。
しかし、だからと言って全てに共感出来るかと言われれば、答えは否である。
「……お前が前世でどういった存在だったかは知らないが、罪人や悪人には見えない。それが何故、洗脳なんて真似を?」
前世において、洗脳、魅了といった類の術を人間に使用する事は、法により禁じられていた。
魔術が生まれたとされる時代に真っ先に作られたルールであり、前世の世界で広く浸透していた数少ない法の一つである。
刑罰は極刑であり、善良な民であれば間違いなく抵抗のある行為の筈だ。
「決まっています。この世界の法には引っかからないからですよ」
そう言って少年は、ステップして俺から少し距離を取る。
「だから罪では無いと? それは少し強引過ぎやしないか?」
この世界の魔術が存在しない以上、法に引っかからないのは当たり前の事である。
魔術の存在を証明しなければ、今後もそれを裁く法律など生まれない筈だ。
「強引でしょうか? 僕はそうは思いませんよ。確かに、この世界にはしっかりとした魔術体系は存在しませんが、完全に無かったワケではありません。でなければ、魔術という言葉自体、そもそも存在しなかった筈なのですから」
確かに、その通りである。
実際の効力については不明だが、この世界にも魔術と呼ばれるものは存在していた。
魔術でなくとも、呪術や超能力といった類の中には、魔力を用いているものも存在する。
しかし、この世界において、そのほとんどの存在が架空のものとして扱われているのである。
理由は簡単だ……、
「……しかし、この世界は、魔術の存在を認めていない。何故ならば、証明できないからです」
「………………」
「僕はそれが別におかしな事だとは思いません。……こう見えて僕は、前世では研究者だったんです。研究者って、存在価値を示すには研究成果出すしか無いんですけど、過程がどうあっても証明できなければ無価値と判断されるんですよ。結果として現象を引き起こせたとしても、ね。だから、僕はこの世界の法、結構好きなんですよ……」
この世界の法は、確かにそういった融通の利かなさが存在する。
前世の法であれば、過程や手段が不明であっても、明らかに犯人が明確であった場合、裁きが下るのである。
しかし、それは過程をすっ飛ばして事実を知ることができる魔術があったからこそ成り立っていたものだ。
俺も研究者だった故に、この少年の言い分は理解できるが、納得は出来ない。
前世ではさぞ苦労したのだろうが、その考えはほとんど八つ当たりである。
内容だって、要するにバレなきゃ問題ないだろと言っているに等しいレベルだ。
駄々をこねる子供と変わらない。
しかし、であれば簡単だ。子供のあしらい方には慣れている。
「……そういう割には、目が笑ってないぞ? もしかしてアレか? 前世で研究が認められなくて凹んでた口か? だとしたらその幼稚な考え方も理解できる。逆の立場に立って、前世の憂さを晴らしたかったんだろ?」
俺の挑発に、それまで余裕ぶっていた少年の気配が変わる。
若いな。この程度の挑発に乗る辺り、学会の老獪なジジイ共にはさぞ踊らされたに違いない。
ちょっと才能のある若い研究者にありがちなタイプだ。
「頭に来る物言いですね……。大した魔術師でも無かったろうに、偉そうに……。いいでしょう、もう遊ぶのは止めにします」
そう言って少年は右手を掲げる。
釣られて見上げた俺は直後にそれを悔いる。
パチンと指を鳴らす音と共に、凄まじい閃光が辺りを照らす。
俺が使ったものよりも強い光……。自己顕示欲の強い奴だ。
「堕ちなさい」
その声は俺の背後から聞こえる。
同時に俺の頭に伸ばされる手。その手が触れる直前、俺は少年の手を掴むことに成功する。
バチッ!
「油断したな。わざわざ声なんて出すからそうなる」
俺が行ったのはスタンガンと同様の電圧による攻撃。
電圧自体は10万~20万程度であり、持続はその数値に比例して短くなるが、人体を麻痺させるには十分な数値である。
そもそも麻痺させるのに電圧自体はそこまで重要ではないのだが……
色々と危険なので、その辺の知識は俺の中に留めておこう。
ちなみに、某研究員に使い捨てライターと揶揄される俺ではあるが、電圧に限定すれば電子ライター以上の出力を出せる。
その事を主張したら、鼻で笑われたが……
「……中々の効果ですね。少ない魔力でここまでの威力を出すとは、もしかして意外と優秀な魔術師だったのですか?」
「っ!?」
下らない事を考えて過去に遡っていた俺の思考が、その声で一気に現実に引き戻される。
反応して振り返ろうとするが、腕を捻られ阻止されてしまった。
「別に驚くことはありませんよ。僕もスタンガンを武器にしているのですから、それに対する対策をしていても不思議では無いでしょう?」
……言われてみればその通りだ。俺でもそうする。
「まあ、流石に今ので魔力も打ち止めでしょう。諦めて下さい。あ、心配しなくとも命までは取りませんよ? まあ、今後は意識の無いお人形になってしまいますがね」
それのどこに安心できるのだろうか。
しかし、動きを封じられている俺に抵抗する術は……………………、いや、一つだけあるか。
意識が薄れかける中、俺は一つだけ解決策が残されている事を思い出す。
前世では理論まで完成しつつも、成功には至らなかった禁術……
しかし、今の俺はあの頃の俺とは違う……、この世界で得られた知識があるからだ。
……出来る。いや……、やるしかない!
「さて、折角ですので辞世の句でも………………、え……? な、なんです? これは! 魔力が、逆流して!?」
弾かれるように吹き飛ぶ少年。
どうやら成功はしたらしい。
しかし……
「ぐ……、これは、キツイ、な……。まさか、ここまで変換効率が悪いとは……。やはり、実践しなければわからん事も多いな……」
「うっ……ぐっ…………、これ、は、まさか、呪詛返し……? 馬鹿な……、魔力は枯渇していたはず……」
吹き飛んだ少年は立ち上がろうとするが、膝に力が入らないのか、片膝を付いた状態で立ち上がれないでいる。
無理も無い、なにせ俺にかけるはずだった術が逆流している状態なのだ。
相当な反動が体を襲っている筈。
「や、やはり……、残魔力はどう見ても0だ……。何故…………、いや、さっきお前は、変換と言ったな? まさか…………!?、転換の、秘法……!?」
「へぇ……? 知っているのか? 俺が生きていた頃には、完成していなかったんだがな……。でも、その驚き方からすると、実用レベルには至ってなさそうだが……」
「じ、実用どころか……、理論だけが残され、その研究者が亡くなってからは誰も……」
「はは、それは安心したよ……。俺が人生の大半を費やした研究だってのに、死んだ後にあっさり完成されてたりしたら、俺の人生寂し過ぎるしな……」
この『転換の秘法』は、俺が最後まで完成させられなかった、前世唯一の未練。
それが俺の死後にあっさり完成してたとしたら、はっきり言って複雑な気分だし、正直悔しい。
まあ、こっちの世界が刺激的過ぎて、さっきまで忘れていたんだけどな!
「俺の……!? ま、まさか……、貴方は……、マリアス、室長……!? マスターマリアスなのですか!?」
「マ、マスター!? マリアスは確かに俺だが、俺の事をマスターなんて呼ぶ研究員はいなかった筈だが……」
自慢ではないが、俺は研究一筋の偏屈者で、他者とはあまり関りを持っていなかった。
それこそ、弟子なんていないし、マスターなんて言われた覚えも……
「わ、私は、ラミア! 研究生です!」
研究生……? 確かに仕事で何回か講義を行ったことはあるが……、名前に記憶はないな。
そもそも講師自体嫌々引き受けた仕事だったし、その中の1研究生を覚えている事など……
「こ、これを見て下さい! マスターはこれを見て、私を褒めてくれました!」
そう言って少年は指先に火の玉を作り出す。
その火の玉が指を離れる際、もう一つの火の玉が現れ連結するように動き出す。
その光景は、確かに俺の記憶の中に刻まれていた。
「っ!? 連結魔術式!? まさか、君はあの、三つ編みの……!?」
「そうです! わた、しが……」
「ば、馬鹿! そんな状態で高度な術式を使うな!」
魔力が枯渇したのか、少年は倒れ伏す。
その際、被っていた帽子が脱げ、しまい込んでいたらしい長い髪が地面に広がる。
男にしては高い声、長い髪、そして前世の記憶に残る姿……
「まさか、少年ではなく、少女だったとはな……」
しかし、二人の少女が倒れ伏すこの状況に俺一人……、これ、絶対に不味いヤツだな……
術者である少女が気を失った以上、人払いの術も解ける。
この状況を目撃されるのは非常にヤバイ。
この場に留まるわけにもいかず、俺はなんとか二人を抱きかかえる。
「ぐ……、体力的にかなり厳しいと言うのに……」
思わず漏れた弱音がコンクリートの壁で反響し、空しく響き渡った。




