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九日目

何もかもを奪われ第二階層で眠ってしまった日向陽介の前に飛行マシンが現れ、乗っていたのは、なんと人間の女性であった!

遠い宇宙で出会った二人目の人間。日向陽介は無我夢中でその女性に助けを求めるのだが……。

 九日目


 エンジン音で目が覚めた。


 ここがどこで、今まで何をしていたか気づくのに……1秒とかからなかった。

 このまま起きずに裸で眠っていれば、一生目が覚めなかっただろう。体の芯まで冷え、ガクガク身震いがした。


 耳に突き刺さるようなエンジン音は車やバイクの音ではない。高音で回転速度の早いもの……戦闘機のような音だ。

 目を開けてもそのエンジン音がどこから聞こえてくるのか分からない。

 目の前の景色は暗闇の第二階層広場のままだ。――しかし、確実に音は近づいている。耳を押さえないと鼓膜がどうにかなりそうだ。

「どこだ? 一体何なんだよ。俺はもう何も持っていないぞ」

 風が正面から吹き付ける。寒くて仕方がない。

 ひょっとして、――上か?


 見上げると銀色の大型バイクのような物が空中に浮かんでいた――。

 エンジン音は間違いなくそれから聞こえる。


 しばらく空中に漂っていたマシンは少しずつ高度を下げる。無意識のうちに立ち上がり、きつい風から顔を隠した。

 目を凝らすと人間のような姿の宇宙人――? が乗っている。

 全身に黒いウエットスーツを着込んでおり、顔にはフルフェイスのヘルメットを被って、こちらの様子をじっとうかがっている。

「――誰だ。もしかして、地球から来た人間か?」

 その宇宙人は答える代わりにヘルメットのシールド部分を上げた。


 ――そこからのぞくその宇宙人の瞳は、まさしく人間の女性の目!


 刺すような冷たい目線から――とっさに股間を手で隠した。


 冷えた身体中の血管が急いで血を循環させたようで、体が熱くなる。

 女はマシンにまたがったまま、何かを俺の方へ放り投げた。それは、先ほどまで俺が着けていた翻訳機だ。

 女は何も言わずにこちらを見続けている。いい加減に目くらい逸らして欲しいものだ。これから何をされるか分からないが、とりあえず、その翻訳機を拾い上げ耳にセットすると、ようやく女が口を開いた。

「お前のだろ。取り返してやった。マネー全額と引き換えで返してやる」

 低いが若い女の声であった。

 女の手には俺の所持品――服やIDカードが握られている。


「――結局、お前も金目当てか!」

「勘違いするな。こんなはした金に興味ない。お前のような平和ボケした宇宙人に、それなりのリスクというのを教えてやるだけだ。ありがたく思え」

 平和ボケした宇宙人と言われると――心底腹が立ったが――、

「返してくれ……。あんたがどうやってそれを手に入れたか知らないが。今は全財産より服とカードが欲しい」

 もちろんこの翻訳機もだ。生きていけない――。

 女はIDカードをもう一枚のカードに一度重ねてから服などと一緒にこちらへ投げ捨てた。

 携帯電話が地面に落ちたショックでバッテリーが外れ、液晶が割れた――。

「もっと丁寧に扱ってくれないか」

 精密機械だぞ――。恐らくは壊れた。

「勘違いするな。金もロクに持っていない輩のくせに」

 拾い上げたカードには数字らしい物が映っていない。残金0なのだろう。

「じゃあな。第二階層でも夜はおかしな奴がウロついている。死にたくなければ出歩かないことだ」

 ヘルメットのシールドを下げると、エンジンを一度吹かして去ろうとした。

「ま、待ってくれ!」

 服を着るのも忘れ、両手を開き女のマシンの前へ走り込んだ。


「なんだ?」

 この女に何を求めたかったのだろう。人恋しさなのであろうか。

「……頼む、これからあんたが行くところへ、その……連れていって欲しい。お願いだ」

 ――ここにいても仕方がない。

 ――第一階層へ戻っても、地球には帰れないんだ。

「……」

 少し黙った。

 違う種族の宇宙人であれば……決して了承してはくれなかったと思う。

「ここで死ぬよりマシなら……乗るがいい」

 どういう意味だ? 死んでもいいならの翻訳ミスだろうか。しかし、今はっきり思うこと、――こんなところでは死にたくない。

 地球人が俺以外にもこの星に来ているのかも知れないのだ。

 まだ分からないことが多くある。可能性は残っているのだ!


 この女についていってやる。どんな目に合っても構わない。自分が決めたことなのだ。

 ……前にもこんなことを……誰かに言った気がする。


 マシンの後ろの席に座った。当然だが服を着たあとだ。

「しっかり掴まっておかないと、落ちても拾わないぞ」

「え、ああ」

 そうは言うが……どこに掴まればいい? 後の席にハンドルのような握る物がない。

 掴まる物と言えば、前の席に座るこの女だけだ。

 ――まさか出会って数分しか経っていない女性に……掴まるわけにはいかない。マシンは地上からゆっくり浮かび上がる。

「それと、粒子アナッサには触れるな」

「ちょ、ちょっと待ってくれないか。どこを掴めばいい? 粒子アナッサって何だ?」

 声は徐々に高鳴るエンジン音でかき消される。

 女の肩越しに前を見ると、マシン前方から銀色の液状の物が吹き出し、マシン後方で吸い込まれている。マシン全体をコーティングする装置のようだ。

 これが粒子アナッサなのだろうか?


 ――ドウゥン!

 マシンを急発進させた。


 慌てて女の体にしがみ付いた。

 急に抱きしめて良い悪いなんて聞いている余裕はない。掴まなければ粒子アナッサを貫いて後ろに振り落とされるだろう。

「――ちょっ、ちょっと待ってくれれれのれー!」

 以前、バイクで時速百キロ出したことがあるが、そんな速度の比ではない。女の背中に顔までもピタリとくっ付けてその加速に耐えた。

 腕に全力をかけてしがみ付かなければ、――振り落とされる!

 わざと振り落とそうとしているのかも知れない!


 マシンの周りを覆っている粒子アナッサには、全方位に景色が映し出され、遠くの街が高速で動いている。このマシンの早さは、地球上のどの乗り物よりも早いだろう。

 空気抵抗は無く息苦しいこともない。

 一旦加速が終わると掴まる手の力は必要なくなっていたのだが、そんなことに気付きもせず、見ず知らずの女の背に、力一杯すがっていた。

 ウエットスーツ越しにその女の体温を感じる。

 温度、感触共に人間と変わらない。この星で出会った二人目の人間だ――。

「そろそろ放したらどうだ。熱くてかなわない」

「え、あああ! ――すまない」

 声がよく聞こえる。逆に周りの音は何一つ聞こえなかった。

 風景は同じように高速で過ぎて行くのだが、エンジン音すら今は聞こえない。

「これから何処に行くんだ。言っておくが、俺には特技も無ければ金もない。働けと言われても役に立てるか分からないのだが」

「別にそんなことを求めてはいない。連れていけといったから連れて行くだけだ」

振り向きもせずそう答える。

 今はただ……殺されなければ……いいとするか。


 マシンはその後、急減速と急降下とを繰り返し、建物の隙間スレスレを高速で走り抜けたかと思うと、狭い着陸用の開所……車庫のようなところへ入って止まった。

「着いた。放せ。降りろ」

 またしても女にしがみ付いていた。


 その女性は秘密組織の重要人物であり、その組織は現在の体制への制裁を行うために結成されている……。地球から俺と同じように連れ去られて来た……のかも知れない。

 SF的妄想をしながら建物の扉を開ける女性に続いて部屋に入ると、驚きを隠しえなかった。


 青く広いリビング。

 地球の高級マンションの一室のような造りだった――。


「あ、あんたはどうやって地球からこの星に来たんだ。俺と同じように連れてこられたのか? それと、他にも人間はいるのか?」

 女はヘルメットを脱ぐと、玄関横の台の上に置いた。

「地球って何。お前の元いた星の名前か?」

 クシャクシャになった長い髪を手グシで整える。

 その髪の色はダークグリーンとエメラルドグリーンのツートンカラーだった。ツヤがある長髪は深い光沢を帯びている。

 地球上ではあまり見慣れない色だが、――染めているのだろう。

「ああ。俺も地球から来た。というより連れてこられた。だから、あんたも同じように連れてこられたのか?」

「私は連れられてここへ来た訳ではない。詳しい話をする筋合いはない。それに、私はお前と同じ種族なんかではない」

 ――それは嘘だ。

 宇宙中のどこを探しても、ここまで人間に酷似している種族なんか存在するはずがない。

 ウエットスーツは女性特有の曲線美をさらけ出している。体温も俺とほぼ同温だった。

 見とれているので気が付いたのだろう。

「容姿が似ているからといって同じ星の同じ種とは限らない。この星に同一種族が来る確率は極めて少ない」

 女は冷蔵庫のような箱から二つ果物を取り出し、その一つを俺の方へ放り投げた。

 何も気にせずにそれをかじる。少し躊躇したが、女が食べているのだから前に食べたミナポックリのような毒性はないのだろう。同じようにかじりついた。

「――うっ、く、臭っい。これは食えない――」

 毒の様な刺激は無かった。嘔吐などもしなかったが、この果物特有のガス匂が鼻をついた。

 甘い口当たりと同時に硫化水素を思わせるような強烈な異臭が口と鼻を突き抜けるのだ。

 ――人間の食べられる代物ではない。

「返せ――!」

 少し怒っていた。表情で分かる。

 この女にとっては美味しい果実なのかもしれない。それを臭いだの文句を言えば……誰だって不愉快になるだろう。

 ――軽率だった。

「私はこれから寝る。お前は勝手にすればいいが、ここからこちらへは絶対に入ってくるな」

「あ、ああ。分かった」

 女は部屋の奥へ歩いて行った。


 この部屋は俺の安アパートの、ゆうに……五倍くらいの広さはある。

 全ての壁が青で統一されている。しかし、その壁は半透明で入ってすぐのソファーのところから、外までもが丸見えだ。

 外からはコンクリート壁のようにしか見えなかった。何か特殊な仕掛けがしてあるのだろう。


 女はウエットスーツを脱ごうとして、ピタリと止まった。

 俺という男の存在を忘れていたのだろう。風呂場へとそのまま歩いて行った。

 しかし……しかしだ!

 その風呂場もこちらから丸見えだ! だからそこが風呂場だと分かったのだ!


 高鳴る鼓動でウエットスーツを脱ぐ姿を想像していたのだが、風呂場の壁の裏へ女が歩いて行くと、女だけ姿が見えなくなった。

「な、ど、どうなっている。どこへ行った? 消えた?」

 映画の一番いいシーンを――泣き出す子供に邪魔された気分だ。


 水の流れる音だけが聞こえる――。

 姿形だけが見えない。

 風呂場の湯が波立つ様子などもここからは見えない。

 壁に巧妙に風呂場の写真が張ってあるのか? それ以上の仕組みが分からなかった。


 当然だが、……どうなっているか覗き見などしなかった……。

 なぜなら、女はヘルメット以外に得体の知れない銃器と刃物を持ち歩いていたからだ。

 覗き見をして悲劇にあう物語を幾つも知っている。

 ――今、命がけで物語に従い悲劇に遭う必要はない――。


 部屋の中を見渡すと、人間の生活に欠かせないものは一通り揃っている。

 キッチンには食器。トイレに風呂。これだけの物を部屋に揃え、自分が地球人ではないと言い張るあの女には、何か裏があると考えずにいられない。

 蛇口から四角いコップに水を注ぐと、一口飲んだ。

「――不味い」

 ため息が出た。

 第一階層で飲んだ水と何も変わらなかった。色も緑色だ。

 こんな水を飲み続けているせいで、あの女は髪や目の色が緑色になったのだろうか……。


 喉の渇きだけは癒され、さっきまで座っていたソファーに寝転がった。

 玄関で俺だけが靴を脱いだのは習慣の違いだろう。

 極度に疲労していた俺は……女が風呂場から出てくる前に眠っていた……。


 この星に来て……この部屋が一番安心できる場所だった……。

 地球と違い、泣きじゃくる子もいない。周りの騒音も全く聞こえない……。

 ソファーの分際でここまで熟睡を与えることができるとは……。

 夢を見ることなく、気が付けば外は明るかった。


 女の姿が見当たらない。

 風呂と同様で、こちらからだけ見えない仕組みになっているのだろう。……と言うことは、逆に向こうからこちらは全て見えていても不思議ではない。

 俺にプライバシーは無いのか……だが、全裸を見られ、あとはどこが隠さねばならないプライバシーなのやら。


 やらないといけないこともない。周囲には雑誌のようにフィルムやノーパソのような端末機が無造作に放置されているが、文字が読めないので見ても意味が分からなかった。


 ……気になったのはフィルムに書かれた字が、地球上の文字ではなかったところだ。

 俺が知らない言語なのかも知れないが、……地球には多分ない書体だった。


 ……彼女は一体何者だ……。

 なぜ俺から金銭を奪い、そのくせ助ける?


 物音は聞こえない。

 眠っているか外出しているのだろう。俺も腹が減って仕方がなかった。昨日から何も食べていない。水を口にしただけだった。

「どうやって外へ出ればいいんだ?」

 玄関の扉には鍵穴のような物がない。顔やIDカードで認証をしているのかも知れないが、どこでそれを検知しているかすら分からない。

 扉を前にうろうろしていると、後ろから声がした。

「IDカードを持っていれば出れる。入って来る時も同じだ」


 振り向くと、息を飲む――!

 魅力的な寝具を身につけた女性が、眠そうな目で俺を見つめて立っているのだ!


 ――そう、確か、ネグリジェだ!

 実際にネグリジェを着ている女性を、――生で見るのは初めてだ!

 春先のパステルカラーのネグリジェは――うっすら透けている! 

 目を逸らすしかなかった! 見たいのに目を逸らすしかなかった!


 髪の色からして、別人ではない。

 昨日のようなトゲトゲしさが全くなく、無防備そのものだ!

 片手で目を擦りながら話すところなど、可愛らしくて仕方がない――。


「トイレの邪魔だ。どけ!」


 その一言が現実に引き戻す!


 さっと玄関先廊下の端に寄った。

「お、おはよう。昨日はどうも、その……ありがとう」

 挨拶に応えることなく、女はトイレへ入った。

「私は昼眠り夜は仕事に出る。睡眠の邪魔をするのなら昼間は出て行け。この辺りは昼も夜も安全だ」

「あ、ああ」

 女の口調はやはり昨日と同様で偉そうである。俺は女がトイレから出る前に、カードを手にすると玄関から逃げるように外へ出た。


 ハア、ハア、なぜか、

 ――息切れしていた。



 階段は全宇宙共通の上下移動設備なのだろう。

 俺がいた部屋はビル型の建物の5階に位置した。


 以前にドラムカンからもらった地図フィルムを見ながら階段を降りる。現在地と目的地の矢印が今でも変化しつつ映し出されている。

「これの電源は何なんだ。いつまで表示し続けるんだろう」

 方向音痴ではないのだが、便利なものに頼りすぎるとそれが無くなったときに対応できない。この歳になって迷子なんて御免だ。

 この地域は第二階層の住宅街のようだ。

 昨日、女に連れられて数分間飛んだだけと思っていたが、階層エレベータがある中央都市からは百キロ以上も離れていた。

 都市部のような高層ビルは見当たらず、数階建てくらいの低いビルが立ち並んでいる。

 エネルギービームも数本しか見当たらないし、フィルムを見ながら歩いていると、街の端まですぐに着いてしまった。


 吹き抜ける風に目を凝らしながら階層の下を覗く。

 ここから見える第一階層はエメラルドグリーンの海岸線だけであった。雲の向こうに小さく第三階層と第二階層都心部が2つの円盤のように浮かんでいる。


 街の地面はコンクリートに似ていて、昼の光を浴び暖かい。

 しばらく景色を眺めていたが、当初の目的である、食べ物を探すために立ち上がり、また歩き出した。

果実を実らせた木々があるはずもない。第二階層には並木すら植えてない。


 都市部に緑を求めるのは、――地球人だけなのかも知れないな。


 まずは食料品店を探した。

 ……あの女が果物を食べていたということは、近くに食料品店があるはずだ。

 地図フィルムには雑貨屋や食料品店の記載がある。

 第一階層で食べたあの果実以上に美味い物を探したい。……マネーのことはそれから考えるとするか。

――なんせ一円もないのだ。


 食料品店はすぐ近くにあった。

 地球のそれと同様に、果実などが山積みにされて沢山置いてある。その中に、ナガイモドキを見つけたのだが、値札や名前が読めない。店員らしい宇宙人に直接聞いた。

「ナガイモドキ? それなら一個五円だよ」

「え! 五円だって?」

 う――嬉しい!

「ああ。あんたそれが食べられるのかい。見かけによらないねえ」

 その宇宙人は食べられないのだろうか。大きな体格で突起物がやたらついている。年をとった女性の声だった。

 いやそんなことより、一個五円なら買い占められるじゃないか。俺はIDカードを取り出してその突起物宇宙人に尋ねた。

「ここに書かれている額では、やはり買えないのだろうか……」

 突起物の一つに目が付いているようだ。それをカードに近づける。

「うわ、これは珍しい! あんた、残金0円じゃないかい。初めて見たわ」

「は、は、は……はあ~」

 喜んで頂けて光栄ですとは恥ずかしくて言えない。しかし、0円のカードは意外にも価値があった。

「あんたも苦労しているんだねえ。ほら、これだけ持って行きなさい。またいつでも来るんだよ」

 そう言って、両手に持てるだけ、その果実を手渡そうとする。

「え、いいんですか?」

 周りを見渡すと他の客や店員が数人こちらを見ている。

「構わしないよ。こんなもの安いもんだから。もし怒られたら私が立て替えといてあげる」

「あ、ありがとうございます」

 両手に果実を持ったまま礼を言った。

「ああ、ただ今度はお金を持っていらっしゃい。……まあ、もし無くてもお腹が空いたら来なさい」

 第二階層に来て初めて優しくされた。

 第二階層の宇宙人が、全員冷たい分けではないようだ。何度も礼を言ってその店を後にした。


 宇宙人も色々いる。

 第一階層の奴らも優しかったし……トカゲみたいなやつらは好き勝手言いやがった。

 住んでいる階層や種族で簡単に良い悪いの区別なんかできないのかも知れないな。


 呟きながら早速果実を一つ頬張る。決して美味しくもないネバネバした果汁が口の中を一杯にすると、腹の虫はキュルキュルと喜びの音を立てるのであった。

 気が付くと歩きながら全て食べ終えていた。



 だが、やはりここでも仕事は見つけることができなかった――。

 たかが五円でも今は稼ぐことが出来ない。能力も体力も他の宇宙人より劣っているのがハッキリ分かり、また落胆した。

 地球にいた頃、一円玉なんかに目もくれず、拾わずに歩いたことを思い出して後悔した。


 ……ここでも一人では、生活することすらできない。


 仕方なく女の部屋へと戻った。

 空は昼間より赤く暗くなっている。もうすぐ夜が来るのだ。

「ただいま」

 疲れて帰宅するのは地球の時と変わらない気がした。ただし、ここでも「お帰り」の返事を期待することは――到底できない!

 ――両手を上げて、硬直した!

 女がこちらに銃を向け、眉間の間を確実に狙っている!

 冷や汗が顔じゅうから吹き出る!

「どういう意味だそれは! 意味の分からないことを言って入って来るな!」

 銃を構える女に――朝のような隙はない。

「……いや、これは地球での習慣です。ただいまと言ったら、おかえりと答える。他にもおはようやおやすみとか……いただきます、ごちそうさま……撃たないで下さい……」

 女は銃を下げた。


 今朝の薄いネグリジェのような姿ではなく、今は部屋着だった。その部屋着も、地球の物に見える。

「あの、……俺の食糧が見つかったんだが、一つ五円もするんだ。出来ればお金を返して欲しいのだが……」

 フィルムに落としていた目をこちらへ向けた。

「では一日五円だけカードに入れてやる。昨日の契約では金を返すなど言ってない」

 女はまた自分のIDカードを俺の持っていたカードに合せた。これでお金のやり取りが成立するようだ。

「あ、できれば……十円にしてちょうだい」

「……がめつい奴め」

 女は冷たい視線でカードをもう一度重ね合わせた。


 夕焼けが窓からパノラマで見える。俺は自分の所有物のように使っているソファーに座り、女と話した。

 まず初めにどうしても決めておきたいことがあったのだ。

「君の名前はなんて言うんだ? ここでも番号が名前なのか」

「名前? コード番号なら88603421だ。そう呼べばいい」

「な、長すぎる。いちいち8860……って呼んでいられない」

 携帯電話の十一桁の番号ですら最近は覚えられないんだ。

「どうしろと言うのだ。8860では違う宇宙人だ。私じゃない」

 こちらを向いて答えてくれるのは嬉しいのだが、煩わしいと顔に書いてある。

「だから、簡単な名前を付けて、それで呼んでもいいかなあ」

「勝手にしろ」

 了承を得たと受けていいのだろう。

「じゃあ、ナポリってどうだろう」

「……それは、どういう意味だ」

「意味なんてないさ。俺はこれから君のことをナポリと呼ぶってことさ」

「……勝手にしろ」

 了承された。

 ナポリ、ナポリ、ナポリ。我ながらいい響きだ。

 夜働くし、秘めごとも多そうだから、苗字は……月影にしよう。月影ナポリ。いい名前じゃないか。

 そんな自画自賛をしていると、ナポリも訪ねてきた。

「そんなくだらない習慣があるのなら、お前にも名があるのだろ。言ってみろ」

「え、俺は日向陽介だ。太陽が輝いているような意味なのかも知れない。だから君の苗字はあえて月影にしたいんだが……」

「長い! 発音し難い! 太陽とはなんだ。お前の星の恒星のことか? もっと短いのにしてくれ」

 長い? コード番号の方がよっぽど長かったぞ――。

 ナポリはどこからどこまでの部分を名前と認識したのだろう。俺の説明がゴチャゴチャしていたのかも知れない。

「他には何と呼ばれていたんだ」

 昔から俺にはニックネームなどなかった。しいて言えば……第一階層にいた頃、ワニヤロウに付けられたあだ名があるくらいだ。

「……ここに来た当初は……アッパと呼ばれていた」

 あまり言いたくなかった。

「じゃあそれでいい。これからお前をアッパと呼ぶ。いい名前じゃないか。プッ!」

 ? 気のせいか、ナポリが噴き出して笑ったような気がした。

 なぜ笑う。アッパって何だ。聞きたいけど聞けない。俺も愛想笑いをした。


 ナポリは自分からは話しかけてこない。俺の問いかけに必要最小限答えるだけだ。仕事の内容や、ナポリの星のことなんかを聞くと、

「お前が知る必要はない」

 ――の一点張りで片付けられる。

 確かに知って何かの特になることはないのだろうが、秘密にされると逆に知りたくなるのが人間って種族なのだ。


 夜が来ると、ナポリは出掛けた。昨日と同じようにウエットスーツを着込み、銃やナイフを持っている。

「出掛ける。あまり部屋の中をゴソゴソするな。大人しくしていろ。それと……」

 ナポリは俺の方へタオルを投げた。

「風呂に入っておけ。臭い。お前らの習慣にないのであれば教えてやる」

 開いた口が塞がらない。

 是非教えて下さいと言ってしまおうかとも思ったが、……それはそれで恥ずかしい。

「いや、俺達の習慣にも風呂はある。ここに来るまで入れなかっただけだ。毎日入る。いや冬は二日に一回」

「じゃあバスルームを使え」

「ああ。それと、あのパソコンのようなものを触ってみてもいいか?」

 ノーパソくらいの大きさの端末機を指差して問いかけた。ナポリが調べ物をする時に使っているのをたびたび見ていた。

「構わない」

 ナポリはヘルメットを被り、部屋を出て行った。


 俺は端末を自分のソファーに置き、横になった。


 エンジン音が遠ざかったのを確認してから端末機の電源を入れる。簡単な操作方法は見ていて分かった。タッチパネルのパソコンと基本的には変わらない。

 調べたかったのは、宇宙儀についてだ。


 端末機の文字はいつの間にか日本語に設定されていた。

 ……? どういう仕組みかはわからない。この端末自身に使用者の言語を認識するような高度なシステムが入っているのかも知れないが……、それほど進化した物でもなさそうだ。

 ――なんせ、立ち上がるのに数十分を要したのだ!

 風呂に入っておけば良かったと後悔さえした――!

 

 ピロッと短い音を立てて端末機が完全に立ち上がると、画面には検索枠が表示されていた。

 細い棒で「宇宙儀」と入力して検索をすると、そこには球が表示され、細かい模様や記号、名前などが表示された。

 学生時代に教えられた宇宙とは大きく異なる。何故なら宇宙儀は、地球儀と同じように表面しか描かれておらず、内部や外部といった概念がないのだ。

「何だこれは」

 手で画面を触り、クルクル回したり位置を変えたりすると、表示されている文字も全て変化する。……最初の状態に戻せなくなってしまった。


 結局、何度も検索を繰り返したが、地球がある銀河系を見つけることはできなかった。

 銀河系で検索しても、画面一杯に○○銀河と表示されるばかりで、どれが俺の住んでいた銀河なのか分からない。

 分かったことと言えば、このトータル星系には百万もの惑星が均等に並んでいるのと、星間貿易などで他の星の物どころか、宇宙中の銀河から物を輸入出来ることだ。

 いや、輸入なんて大げさな規模ではない。通信販売だ。この部屋まで持ってきてくれると書かれている。

 しかし、送料が桁違いに高過ぎる。

 一律一千万円が――相場のようだ。


 思った以上の情報が得られないまま端末を閉じた。

 バスルームへ行くと、そこはまたしても地球の安アパートを思い出すような、レトロな風呂が姿を現した。

「うちのよりは……マシか。バスルームというより、風呂場だなこりゃ」

 玄関側から見た時はもう少し豪華に見えたのだが、実際の浴槽は小さく、シャワーの蛇口も安っぽい。

 お湯は出るのかと蛇口をひねると、予想通り水しか出なかった。

「ヘックシュン。どうやってお湯を出すんだ。水しか出ないのかよ、コンチクショウめ」

 贅沢を言っているつもりはないのだが、衣食住が確保出来ると人間はどんどん貪欲になる生き物なのだ。


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