七日目
惑星オートゥエンティー第一階層での生活にようやく慣れてきたころ、農園監視マシーンが「お使い」を頼んできた。
それを受けて第二階層へと上がった日向陽介は、第二階層に興味をもってしまう。
七日目
『おいアッパ。モヤシヤロウの具合が良くなさそうだぞ。ちょっと看病してやれ』
その日、円柱型マシンが俺に命令した。
モヤシヤロウとは、ひ弱そうな宇宙人につけたあだ名で、本当に弱っていたなんて……分かるはずがない。
「……ええっと? 看病ってどうやるんだ。俺の星では濡れた雑巾を頭に置いてやるとか、薬を与えるとか、手を握って励ますとかだが、そんなことをして本当に効果があるのか?」
『ある分けないだろ! 薬を発注しておいてやった。第二階層へ行って、最初の薬局へ入って受け取って来い』
「ちょっと待ってくれ。俺にはそんなに金がないし、薬局だって分からない。ドラムカンが行った方が早いだろ」
ドラムカンとはこの円柱型マシンに付けてやったあだ名だ。ドラム缶よりひとまわり小さいのだが、凄く分かりやすく自画自賛できる。
『馬鹿野郎! 俺の仕事は農園の管理であって、本来はゴロツキ共の世話役じゃないのだ』
――偉そうだ。
しかし、……仲間の心配までするところは見習わなくてはならないかも知れない。
『この地図通り行けば馬鹿でも分かる』
ドラムカンは体の細い隙間から地図の描かれたフィルムをプリントし排出した。便利な奴だ。何でもできる。
「これを見れば馬鹿でも行けるんだな」
フィルムを受け取り、念をおす。
『ああそうだ。アッパのような馬鹿でも行ける。つまり、これを見て行けなければ、お前は馬鹿以下だ。アッパだ』
ここに来た当初であれば――このドラムカンを達人が叩く太鼓のように滅多打ちにしていただろう。しかし、数日間一緒にいるだけで妙にこのマシンとは気が合った。
何故かは分からない。もしかすると、高知能生物が作り出したマシンの対宇宙人コンタクト能力は、俺や他の宇宙人以上なのかもしれない。誰とでも仲良くなれる術を知っているかのようだ。
『ボヤボヤするな。さっさと行け』
――やっぱりムカつく!
地図フィルムを持って階層エレベータへと向かった。
緑のベトベトした宇宙人があれからどうなっているのか考えると、階層エレベータ前にはあまり近づきたくはなかった。しかし、そこを通らないと階層エレベータには乗れない。今度は踏みつぶさないように下を向いてあるいていると、あの時と全く同じ場所にベトベトはまだいた。
「や、やあ。久しぶり。体調はどうだい」
「おや。誰かと思ったら、日向陽介じゃないか。体調はだいぶ良くなったよ。まだ動けないけどね」
よく見ると、黒い粒が増えている。細胞分裂でもしたのか?
「今は用事があるけれど、どこかへ移動したいなら連れて行ってやるぞ」
「それは無用。私は他の宇宙人の助けを得てこの星の見物をしようとは思っていない。低知能生物の助けなんか借りたら恥ずかしい」
こいつも――口が悪い。
高知能生物は低知能生物を動物か何かのようにしか考えていないのだ。
「猫の手も借りたいと言って、君は借りたことはないだろ」
「ああ、分かった。じゃあ急いでいるから、またな」
ずっと同じ場所でベトベトも暇を持て余しているのだろう。話を聞き流し、階層エレベータへ駆け込んだ。
第二階層には土がない。
小川や海、緑の植物など、第一階層にあった物は全てないのかもしれない。
コンクリート状の建造物が縦横に建ち並び、都心部を思い起こす。
階層エレベータ前は、沢山の宇宙人でにぎわっていた。ミドリやワニヤロウのような大きな宇宙人はあまり見当たらないが、サイズは人並の様々な宇宙人がいる。
地球よりも進んでいるところといえば……移動手段だろうか。
青色のレーザーに沿って高速で大型バスのような箱型の物が移動している。その青い線は地上以外にも上下左右に引かれている。そもそも、この階層自体が高度三千メートル位にあるようで、先ほどいた農園など航空写真並みに小さく見える。
立ち並ぶ高層ビルの中から薬局が見つかるのだろうか……。少し不安になりながらも地図フィルムを覗くと、地図に自分の位置が矢印で表示されていた。
薄さ一ミリ以下のナビゲーションシステムだ。しかも文字は大きく日本語で書かれている……。これなら薬局以外の建物が何なのかも分かる。
「これさえあれば、第二階層で生活出来るんじゃないだろうか……」
そう呟いたのは、地図に「職業案内所」「賃貸不動産」「食料品店」などが記されていたからだ。
しかし――、今はとりあえず薬が先決だ。
またドラムカンに馬鹿にされるのも面白くない。第二階層にはいつだって来ることができるのだ。
薬局はすぐに見つかった。
入ると宇宙人が立っていて、地球の薬局と似ている。
「いらっしゃいませ。要件をどうぞ」
衣服のような物をまとった宇宙人が、丁寧に挨拶をしてくれる。
ふと気が付いたのだが、これまでに見てきた宇宙人に、同じ種族は全くいなかった。
全てが色も形も大きさもバラバラだ。恋人同士や、集団行動をしている同じ種類の宇宙人を見ていない。この宇宙人も初めて見る種族だ。
「えーっと……薬を受け取って来いと言われたんだが。どうすればいいんだろう」
「IDカードを提示下さい」
そう聞くとポケットからIDカードを出した。初めて使うのだが、薬代がいくらかかるのか不安で仕方ない。
バーコードを読み取るような装置をピッとカードにあてると、店の宇宙人はIDカードを返してくれた。書かれた文字が変化したようには見えない。
「第一階層の農園監視マシンからの発注ですね。承っております」
店員の一人が奥から針状の物を持って来た。
「これを患者に刺してください。他の方には感染の恐れはないそうです」
「こ、これは注射ですか? 何かのウイルスに感染しているんでしょうか?」
店員の宇宙人は気色悪いぐらい首を横に倒す。
「私はただの薬局店員なので病状は分かりません。他の銀河より取り寄せた品物を指示通り渡すだけです。農園監視マシンが診察したのでしょう」
「あのドラムカンが?」
コクリと頷く。
まあ……あのマシンがネットワークに繋がっていれば、病人の診察ができても不思議ではないか……。俺は袋にも入っていないその注射針を受け取った。
「いくらですか」
「一千万7百円です」
……おいおい。
桁が違うじゃないのか?
それに『円』ってなんだ。ここは地球の……日本じゃないぞ。
「お支払いはすでに受け取っていますので、ご心配なく」
「はあ……」
曖昧な返事をして店を出た。
まさか宇宙人が一千万円だなんて冗談を言うとは……。このオートゥエンティーでも地球のような流行りの冗談があるのかも知れない。
……ツッコミを入れた方が良かったのかだろうか? ドラムカンにでも聞いてみたい。
階層を降りベトベトを適当にやり過ごし、小屋へと急いだ。
『遅いぞ。モヤシヤロウが死んだらアッパのせいだからな』
「おいおい、それが初めてのお使いで帰って来た子供に言う言葉か?」
子供とは俺のことであろう。ドラムカンにワニヤロウが言い返している。モヤシヤロウは――まだまだ大丈夫なのであろう。
「これを受け取って来たが、どうやって使うんだ」
『ああ、尻にでも何処でもいいから刺せ』
ドラムカンは体から細いアームを出して手振りでそう指示をする。
どうせならそのアームでお前がやれと言いたかったが、どこでもいいなら別に難しくもない。言われた通りモヤシヤロウの尻に注射器を刺した。
「ウグ!」
……変な感触が手に伝わる。
刺した注射器は一瞬で軽くなったと思うと、まるで紙のおもちゃのようにクシャクシャになったのだが――、誰もそのことについて驚いていない。
驚いたのは、モヤシヤロウの体が見る見るうちに桃色に染まっていく。元々はこんな色をしていたのだろうか。
「あ、ああ。助かった」
モヤシヤロウの顔や体は、もうモヤシヤロウではなかった!
「モモヤロウだ!」
血色のいい大きな顔は果物のようにパンパンで、手足もムチムチに膨れ上がっている。なんて即効性のある薬だ! 副作用が――心配だ!
『危なかったな。アッパに礼を言うんだぞ』
ドラムカンが、モヤシヤロウに言った。
「いやいや、礼を言うならドラムカンだろう。俺はただ薬を受け取って来ただけなんだから」
「ありがとう。二人ともありがとう!」
モヤシヤロウは俺とドラムカンの手を取ってそう言った。
宇宙人に感謝されるのも――悪い気はしなかった。
その日の夜。横になって考えていた。
この小屋の住人とは仲良くやっている。しかし、第二階層へ上がった時の胸の高鳴りは一体何だったのだろう。
第二階層が呼んでいるように感じたのだ。だとすると、ここに長くいてはならない。ここに慣れ過ぎてはいけないのだと浮足立つのだ。
――第二階層には一体何があるというのだろう。
起き上がり小川へと小便をしに行った。
目の前に浮かぶ大きな惑星を見上げる。ミドリに聞いたその惑星はオーテンと呼ばれているそうだ。配列順の名前が付けてあるのだろう。
小屋へ戻るとワニヤロウがドラムカンの充電を行っていた。こんな小屋にどこから電気を引き込んでいるのかが不思議でならない。
「御苦労さん」
「おお、アッパか」
長過ぎる夜は俺にとって退屈だ。暇つぶしといえば、夜行性であるワニヤロウか、ドラムカンと話をするくらいだ。
「なあワニヤロウ。あんたは第二階層に行きたいと思ったことはなかったのか」
「なんだいきなり。さては今日、階層を上がって第二階層の虜になったんだな」
黙って頷いた。その通りなのだ。
都会を夢見る田舎育ちの若者の気持ちが今はよく分かる。それに、ここにいても一生地球に帰ることは出来ないだろう。
「だったら、行けばいいさ。俺のことなんて関係ない。そうだろ」
「……ああ。そうだな」
「俺に相談する前に、お前はもう心の中で決めている。背中を一押しして欲しいならいくらでも押してやるがな。第二階層はなあ、便利な生活を送ろうとする者が集まるところだ。当然だがここ以上に働かないと食っていけない。俺も以前はそこにいた」
「そうなのか。何をやっていたのか聞いていいか」
「ああもちろん。俺はこのトータル星系内での星間貿易会社で働いていたんだ。だが、儲けることに愛想を尽かしてしまってねえ……。どうせこの地で俺だけが生きて死んでいくのなら、無理して裕福な生活をしても仕方ねえ。自慢しようにも違う種類の宇宙人は価値観が違う。一緒にいたい宇宙人なんて見つからねえ。そしてだらだらこの第一階層へ降りて来たって訳だ。そしたら、同じ考えのやつらがいて、傷を舐め合って生活しているってわけだ」
「傷を舐め合う?」
「ああ。社会から取り残された者達が集っていた訳だ。昔も今も」
俺もその中に入っているのだ。黙ってそう考えていた。
「だから、お前はそうならないように行ってこい。行って稼いで、その時にまだ自分の星に帰りたければそうすればいいさ。こんなところにいたってどうにもならない。そうだろ」
「ああ。そうだ。ここにいても何にもならない」
たった今、第二階層へ行くことを決心した。
何があるのか分からないが、だからこそ行かなくてはならない。
「よし。そうと決まれば早速出発しろ」
「ええ? まだ夜だろ。俺は夜行性じゃないんだから」
「ハハハ。そうか。そうだった。じゃあ早く寝て明日に備えろ。それと」
ワニヤロウは俺の耳に口を寄せて来た。キスでもするつもりじゃないだろうなと内心恐怖した。
「いつでも戻って来て果実を食って行け。持てるだけ持っていってもいい。俺が許す」
「あ、ありがとう」
その時、突然警報音が鳴り響き。赤いパトライトが点滅する。ドラムカンが浮かび上がったのであった。
『ワニヤロウが勝手に決めることではない! 私の権限が必要だ! 私たちを見捨てて第二階層へ行く奴なんかにそんなことをする必要なし! 絶対駄目!』
気のせいか――怒っている。
「そんなこと言うなよ。ケチマシン」
ドラムカンに言ってやった。
「何だかんだ言って、帰って来ないとドラムカンも寂しいのさ」
『寂しいもんか。勝手に行ってしまえ。フン』
ドラムカンはそう言うと、いつもの農園監視に行ってしまった。暗闇の中を寂しそうに飛んで行く姿は哀愁漂う。
こうして俺はその日を境に、第二階層へと上がった。