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プロローグ

 百万円で宇宙旅行へ行く権利が与えられた時、現実がくだらないと思っていれば、誰でも行きたくなるのではないだろうか。

 たとえそれが、どういう結末を招くとしても……。



   五連銀河のナポリとプティリ


 

 プロローグ


『おめでとうございます! 日向陽介さんに、なんと! 宇宙旅行が当たりました~!』


 カーステレオのラジオが、確かに俺の名を告げた……ように聞こえた。


 ラジオの懸賞なんかに応募した覚えはない。

 妻が勝手に名前を使ったのかもしれないが、何も聞かされていない。

 無意識のうちに車の窓を全て閉め、ボリュームを上げた。風の流れる音が遮閉され、車内は息苦しい空間へと変わる。

 ラジオなら、もう一度言うかもしれない。

 ただの聞き間違いなのか――、同姓同名のラッキーな奴なのか――、そう思いながらも意識はラジオに集中していた。


『宇宙旅行をしてみたい思いや、現実逃避力が強い方を厳選し、審査した結果、日向陽介さんに宇宙旅行をする権利が当たりました。おめでとうございます!』


 宇宙旅行と言ったように聞こえた。

 名前も間違いなく俺の名だ。唇の渇きを舌で潤わす。


『権利を獲得された日向陽介さんには、宇宙船に乗り遠く宇宙の彼方まで旅行していただき、現実を大きく逃避できる権利が与えられます。本来であれば百万年以上かかるところを、今回に限り、なんと!』


『――百万円でご提供いたします!』


 パチパチと録音された拍手や、パフパフと言った効果音が聞こえ、思わず微笑んでしまった。

「フッハハ……。百万年が百万円とは傑作だ。単位が全然違うじゃないか」

 それに百万円って何だ。悪徳商法のような金額だ。


『百万年以上かかるのは距離的な単位ではございません。陽介さんを含む地球の生物が絶滅せずに進化を続けたと仮定しても、百万年では到達出来ないほど遠い宇宙まで逃避出来るということことです。百万円でも決して高いわけではございません。ですから悪徳商法などとは遠く無縁です。ご安心ください』


「ちょっと待てよ!」


 思わず大きな声でそう言ってハンドルを叩いた。

 曲がりくねった道の両端には青々とした木々が広がっている。人なんてどこにも見当たらない。山道なのだ。

「なぜ俺の問い掛けに答える。どこから話している」

 車内に盗聴器が仕掛けてないか確認しようとした。

 運転中に車内を見渡すのは危険なのだが、一度気になると確認せずにいられない。

 スマホなんて持っていない。

 俺のガラケーに音声支援設定など搭載すらされていない。


『百万円はカードでの分割払いでも可能です。ただし、帰りの料金は地球上のお金では支払うことが出来ません。他の星で地球のお金が役に立たないことは簡単に想像していただけますよね』


 声がする方を探す。カーステレオではないようだ。

 片方の耳を手で押さえてもその声が聞こえる。直接耳元に語りかけてくるのだ。

 額を汗が流れた。


『今契約されればなんと、宇宙で大っ変っ役に立つ翻訳器がついてくるんです。このサービスは今だけですよ』


 その声の元や盗聴器を探すのを止めた――。


『あれっ? ……日向陽介さんには大変興味がおありかと存じますが……』

 どことなく不安感のある声に変った。


 あまりのバカバカしさに笑いすら込み上げてきた。

 運転中なのに夢でも見ているのだろうか。視線を前方のトンネルに切り替え、ハンドルを両手でしっかりと握る。

「ハハハ、いいぞ。できるもんならやってみろ。百万円でも何でも払ってやろうじゃないか」

 どうせ嘘か冗談だ。

 休憩せずに運転をしていたから疲れているのだろう。わざと声を張り上げそう言ってやる。……そう言ってやりたかった。

 クレジットカードは家に置いてきた。

 銀行に預けてあるなけなしの金も、俺のものじゃない。妻の物だ。

 俺の金といったら、財布に入っている小遣いだけなのだ。その額も長引く不況での給与カットによって大幅に削減された。今では月に五千円――。高校生の平均よりも少ないんじゃないだろうか。


『ご利用ありがとうございます』


 嬉しそうな声が聞こえた直後に、目の前のトンネルが――消えた!


 思い切りブレーキを踏んだはずの右足が床を蹴って前のめりに倒れた。


 車を運転していたはずが――、床に両手両足を着け四つん這いになっている?


 息がつまる。

 わけが分からない。

 握っていたハンドルも……無くなっていたのだが、両拳は力強く握り締めていた。

「何だ! 何がどうなって……」

 声があまりにもよく響いて聞こえるため、次第と小さくなり黙ってしまった。


 床は見慣れない光沢をしていて全体が穏やかな白い光を発している。蛍光灯の様な床だ。

 触り心地も暖かく、明らかに金属ではない。

 辺りを見渡して、ここがどこなんだか……ますます分からなくなった。

 目の前には長い通路が続く。天井や壁も白く薄明るい。

 後ろを振り返っても通路が続いているが、奥の方では黒い壁に変わっている。


 ……こ、ここはどこだ。

 今の瞬間まで車に乗っていたのに――!


 背中に貼りついたシャツの汗が冷やりと感じた。肌寒いのか寒気なのか判断がつかない。まだ夢でも見ているのだろうか。両手足の硬直を解きほぐしゆっくり立ち上がった。

 頬っぺたでも抓ろうとした時、通路の奥からヒール特有のコツコツという足音が聞こえてきた。

 白く続く通路に現れた女性は、色彩豊かなミニスカートのスーツを着こなし。軽く微笑んで近づいてくる。その表情は俺の緊張をさらに別の緊張へと導く。

「ようこそ。日向陽介さん」

 先程のカーステレオの声と全く同じだ。するとこの女性が俺に問いかけていたのか。

 ――しかし、どこから? どうやって? 何のために?

 数えきれないくらいの疑問が浮かんだのだが、問い掛けたのは一つだった。

「名前を聞いてもいいですか?」

 なぜそんなことを最初に聞いたのか……。それは今の状況以上にその女性のことが知りたかったからだ。優先順位ってやつだ。

 ニッコリ微笑むと、手を後ろで軽く組みながら、唐突な問い掛けに答えてくれた。

「私はプティリと申します」

 軽く会釈すると、短めの髪がふわりと揺れ甘い香りが漂った。

「一番初めの質問で私の名前を聞いた方はあなたが初めてですよ」

 そう言われると、少し気恥ずかしくなった。

 大きめの奇麗な瞳で見つめられると本当に夢を見ていると思ってしまう。

 夢ならもう少し覚めないでくれ!

「あ、あの。プティリさん。ここは一体どこなんですか」

 夢の中なのかとは聞かない。そんなことを聞いて現実に引き戻されるのは懲り懲りだ。

「ここは宇宙船の中です。陽介さんは先ほど入金が完了しましたので、これから738億光年離れた五連銀河内にある星系へと移動します」

「738億光年?」

「はい。光速では738億年かかりますが、この宇宙船であれば本日中に到着致します」

 宇宙船? 現実離れしたことばかりが起こると冷静な判断や考えが鈍る。プティリの言っている距離の単位があまり良く分らない。遠くへ行くとのことだろう。


 夢であれば自分の知識以上の夢を見るはずがない。

自分の手の感覚、重力を感じる足の感覚を確かめる。温度、匂いなど嗅覚までもが現実であると訴え続けた。

 確認出来たのだ――プティリからは香水の淡い甘い香りがするのだ。夢などではない。そう信じたい!

プティリは胸ポケットから単三乾電池くらいの物を取り出すと、俺に手渡した。

 ミュージックプレイヤーみたいで、イヤホンついていた。

「翻訳器です。コミュニケーションをする場合、これを耳につけて下さい。私は日本語で話せますが、船内の他のお客様は全て他の言葉で話します」

 ――他にも乗客がいるのか!

 どんな奴らか全く予想すら出来ないが興味はある。俺と同じように宇宙に興味があったり、地球の生活に満足していなかったり――、そんなくだらない奴らばかりなのだろう。

 早速イヤホン部分を耳に差し込むと小さなディスプレイ部分に日本語翻訳中と表示された。ボタン等もないし、タッチパネルのような操作も出来そうにない。

「他の人の言葉が聞きとれても、俺の言葉は通じないんですよね」

 イヤホンの着け心地を確認しながらそう言うと、プティリはまた手を後ろで組む。

「大丈夫です。伝わりますよ。だって他のお客さんも全員同じ物を身につけていますから」

 プティリは振り返って歩きだした。

「では席へ案内しますので着いて来てもらえますか」

 接客のような堅苦しさがないので高感度がさらに上昇する。スタイルのいい後姿を見ながら今更になって考える。


 プティリは一体何者なんだ?


 本当にここが宇宙船内なら客室乗務員なのだろうか……? 翻訳器なしで日本語を話していたので日本人と思いたいが、眼の色はやや青く髪の色は奇麗な金髪だ。

 手には温もりを感じた。手が触れるだけで興奮してしまったのかと気付き、少し恥かしい。

プティリか……可愛い名前だ。英語のプリティのようだ。


 通路にはまだまだ先があるのだが、数メートル先を歩くプティリが廊下の角で急に立ち止まった。まだ見えないのだが誰かが話しかけたようだ。

「大丈夫ですよ。心配なさらないで下さい。目的地までは席に着いてゆっくりしていて下さい」

 プティリがそう告げている。

 会話から察するに、宇宙船に乗って心細くなった奴がいるのだろう。

 俺は全く心細くなどなかった。全てのことに期待が持てる。たとえ着いた星が地獄のようなところだって何も怖くはない。

 その情けない奴の顔を見てやろうと廊下を曲がると、そこには緑色の巨大な塊があり、眼の様な突起物が数十個一斉にこちらを向いた!

 その大きさは通路を埋め尽くすくらいあり、大きな声を上げたのは……情けないことに俺の方だった。

「うっ、うわあー!」

 大声が通路に響き渡る。緑の怪物も俺の声にさらに驚いたようで、体と呼べるであろう緑の壁が波打った。

「こ、怖いよお。変な奴らばかりで、帰りたいよう」

 プティリは緑の塊に手を添えると優しく撫でた。

「大丈夫よ。乗客全員が高い知能を持った方ばかりです。傷つけられたりしませんわ。それにあと数時間で到着します。さあ、席に着いて」

 その化け物は目の様な突起物を俺からプティリに向け、通路奥の広大な広間へと向かって歩いて行った。

歩くというよりは巨大なナメクジの様な物が地を滑るような動きであった。

「驚きましたか? 初めて他の宇宙人を見ると、どんな種族でも大体同じような感想を持たれるんですよ。うわ、化け物。うわ、怪物。って感じです。でも先程の方が今回のこの宇宙船内では一番大きい種族なんです。それ以上大きい方は乗っていませんから安心して下さい」

 プティリはジェスチャーをしながら笑顔でそう説明をしてくれる。俺は平静をかろうじて取り戻していた。

「な、なるほど。分かりました。つまり、逆に……」

 声を落ち着かせて動揺を隠す。

「この宇宙船には人間のような宇宙人はそれほど乗っていないってことですね」

「そうなんです。皆さん初めての経験なので驚かれてばかりなんです。お互いをもっと知りあって理解し合うことが大切なんですけど、むずかしいんですよね」

 軽くそう言う。

 宇宙慣れをしていると認めざるを得ず、自分のいかなる経験もが通じない気がして少し歯痒かった。


 通路から大きな広間に出ると、目の前には映画館の大スクリーンのように宇宙空間が広がっていた。

 月や太陽、そして地球を探すのだが、この方向からはどうやら見えないようだ。

 広間には色々な生物が均等な間隔で大人しくしている。自分の席に着いているのだろう。

「あちらが宇宙船進行方向です」

 そう言いながらプティリは俺の席へ向かっているのだろう。その席に辿りつけばプティリはまた違う仕事へ戻ってしまう。――話せる機会はもうないのかも知れない。

「ここが日向陽介さんの席です。到着まであと二時間程度です。もし何かありましたら私の名をお呼び下さい」

「……わかりました」

「それではしばらく宇宙飛行をお楽しみください」

もう一度にっこりと微笑むと、席の隙間を歩いて去っていってしまった。


 宇宙船と言うよりは、……超巨大スクリーンの映画館だ。

 席には「日向陽介」と名札があり、一メートル位の低い壁で隣の席と区切られている。

 俺の席にはソファーが置いてあるのだが、隣の席には椅子すらない。床にベトベトした物が塗ってあり、黒いカエルの卵の様な物が落ちていた。あまり他の席をジロジロ見るのも良くない気がする。

 隣の隣、そのまた隣、気味の悪い生き物ばかりだ。

 ――それは当然だ。

 今までの人生で見たことがない奴ばかりなのだから。

 しかし、全体を見渡すと二本足、二本の手、頭の大きさが人間程度の怪物が割と多い。中でも、立ち上がったトカゲのような奴をよく目にする。顔まで緑色の姿は、B級映画などで見たことがあるかもしれない。


 俺の席を囲んでいる低い壁に一枚のフィルムのような物が張り付けてあった。

 日本語で何やら細かに書かれている。


『本日は当宇宙船に御搭乗ありがとうございます。この宇宙船は五連銀河ビックリ・マックル行き超高速機でございます。あと「二時間〇二分」で到着いたします』


 到着予定時刻の箇所を見ていると数字が変わっていく。液晶ディスプレイのような技術なのだろう。

 俺が必死に壁を覗き込んでいたのだが、他のトカゲ野郎を見ると、フィルムを手に取って見ていた。

 咳払いを一つすると、その壁のフィルムを剥がし、ソファーに座って読み直した。


『他のお客様に迷惑を掛ける排泄物をされる種族の方は、申し訳ございませんが機内後方の個室をご利用ください。「日向陽介」さんはそれに該当いたします』


 トイレのことらしい。確かに俺に限らず、人間の排泄物は臭い。隣の席のベトベトした物が排泄物だと考えると汚い気がするが、人間のそれと違って匂いは全くしない。

 ……そんなことを考えていると、急にトイレに行きたくなってきた。

 車の中でもトイレに行きたいと思っていたのだ。席を立ち、席と席の間を後ろへ向かって歩いた。


 ウロウロしている奴は俺以外にも大勢いる。その姿形は気持ち悪いのだが、仮装パーティーだと思えば居心地が悪くもない。

 なんせ話が通じるのがいい。新婚旅行で行ったシンガポールでは、英語が全く分からず、楽しくもなんともなかったのだ。

「ちょっと御免よ」

「ああ失礼」

 見たこともない化け物達が、俺の日本語に丁寧に答えて通路を開けてくれる。地球に帰ったら誰かにこの光景を教えてやりたくてウズウズする。いや待て、俺は地球で暮らす現実が嫌でここにいるんじゃなかったのか。それがもう帰ることを考えているとは……。

「フン。今のは嘘さ。誰があんな星に帰るものか」

 誰に言うでもなくそう口にしてトイレへ向かった。


 トイレの仕方が全く分からなかった――。


 黒い宇宙の壁が目の前に広がっている四角い個室だったのだ。

 まさかそこへ向けて何も考えずに用を足すなど、誰か教えてくれないと分かるはずがない。

 プティリにこんなことを聞くわけにもいかず、俺はその個室で一人悶えたのだ。

 フィルムが張り付けてあり、ご丁寧に用のたし方が絵で書いてあるのに気付くまで、二〇分を要した。


 なんとか……間に合った。

 俺の放尿が、宇宙空間に吸い込まれていく。


 黒い宇宙空間と船内とが何で仕切られているのか分からない。

 触ったりしてもしも火傷や凍結なんかしたら大変だ。

 自分が情けない。俺が高校までで学んだ知識では、「宇宙空間では息が出来ない」程度なのだ。危ないものには触らないのに限る。


 自分の座席に戻り、フカフカのソファーに腰掛け、目の前の巨大スクリーンをながめる。するとスクリーンの星々が一瞬消え、次にそこに現れたのは五連に連なる大銀河であった。

「おおおお!」

 歓声の声があちこちから上がる。


 ――この光輝く五連銀河を見て感動をしない者はいないのではないだろうか!

 人間以外の宇宙人も感動しているのだ。間違いない!


 何とか五連銀河を記録に残そうとしてズボンのポケットから携帯を取り出し、その姿を静止画に収めた。

静止画を保存しながら時間を確認すると、車の中で最後に確認した時間から三〇分しか経っていなかった。日付も同じである。

 映画などで宇宙旅行をするとタイムスリップする話なんかがよくあったが、実際にはそんなこともないようだ。

「俺はアインシュタインを超えるのかもしれない」

 一人でニヤリと微笑み携帯をポケットに戻した。

 これは宇宙旅行をした決定的な証拠になる。大切にしなくてはならない。携帯の時計は正常に機能しているが、電波はやはり圏外であった。バッテリー残量も半分を切っていた。


『皆さまの目の前にご覧頂いている銀河が五連銀河、通称『ビックリ・マックル』です。横幅二十万光年、縦幅十万光年、銀河間がこれより接近し合っている銀河はこの大宇宙には存在しません』

 プティリの声で船内放送が入る。


 目の前の五連銀河を見ながらプティリの声を聞いていると、ふと疑問が湧いた。

 本来、銀河の渦の中心には大型ブラックホールか重力の塊があると聞いたことがある。あんなに接近して存在しているのはおかしいのではないだろうか。

 そもそも『ビックリ・マックル』って名は一体誰が付けたのだ。これはハンバーガーの名前だ。パン、肉、パン、肉、パン。だからビックリ・マックルなのだとすれば、地球語? いやいや日本語から名付けたことになる。

 プティリの放送が一体何語で話しているのかが気になり、そっと耳に差し込んでいた翻訳器のイヤホンを抜いてみる。


『これより五連銀河内にあるトータル星系へ向かい、星系内オートゥエンティー惑星の宇宙港へ着船します。途中、銀河内で小規模な紛争が発生しています。当宇宙船にはシールドがありますが、念のために護衛艦二隻を同行させます』


 イヤホンを外してもプティリの声は日本語で聞こえる。実際にこの翻訳器は意味をなしているのだろうか?

 またしてもこれは夢なのだろうかと思った次の瞬間、目の前の大スクリーンに巨大な宇宙戦が上方と下方から出現し、船内では大きなどよめきが起こった。

 目の前のスクリーン内に小さな光の集団が見えてきたかと思うと、瞬時にそれが巨大化して閃光と爆発へと変わっていった。夏の花火大会のフィーナーレを間近で見るかのようだ。

それに対して上下の宇宙船は砲撃など全く行わない。船内にも爆発音が響き渡る。

「おいおい、大丈夫なのか」

 この宇宙船の外観を見ていない俺は不安になった。

 他の宇宙人も立ち上がったり、目を覆い隠したりしている。


『御安心下さい。間もなく紛争宙域を抜けます』


 眩い光や爆音は後方へと通り過ぎ、何事もなかったように治まった。

 席に座りなおす。思わず立ち上がっていた。

 突然、隣のベタベタした席の黒いカエルの卵のようなところから音が聞こえ始めた。高音や低温の金属音のような音だ。

「なんだ? 何かいるのか。」

 声に反応するかのように音を発している。

 何かを話しているのかもしれない。そこには透明人間でもいるのだろうか。恐る恐る覗きこむと、そのベトベトしたところに翻訳器が落ちている。もうベトベトになって使えないだろうと思ったのだが、――もしかしてこのドロドロが宇宙人なのだろうか?

 スライムのような宇宙人もいるかもしれないのだ。そっと自分のイヤホンを再び耳にセットすると、その物体の声が聞こえてきた。

「ビックリしたねえ。何とか無事だったみたい」

「あ、ああ。そうだなあ」

 ベトベトした物体と黒い卵のような物は身動き一つせずにそう言う。ずっとこの姿なのかもしれない。

「変った姿ですね」

「そうでしょ。君達こそ変わっていると言いたいところだが、宇宙では私のような生物の方が数が少ないようです。私の母星は私の塊なんです。ハッハッハ」

 ――ベトベトが笑ってやがる。

 笑い声まで忠実に翻訳されている。

「ど、どちらまで行くんですか」

 何で俺はこんな奴に敬語を使っているんだろう。

「何処って、君達と同じオートゥエンティーじゃないか。この船はそこへしか行かないんだから。それに私は星系内の百万ある惑星のうち、そこでしか生きられませんから」

「百万も惑星があるのか?」

 太陽系ですら、水金地火……八個だったかな? それに比べて――百万だと!

「有名なんだよ。何も知らないんだねえ。どこから来たの」

「ええっと、銀河にある太陽系の地球から……かな」

「どこの銀河?」

「う」

 銀河は銀河だろ――。

 何銀河なんて考えたこともない。

「宇宙旅行は初めてなので。分かりません」

 迷子の子猫のようで、……恥ずかしかった。

「そうなんだ。じゃあ宇宙儀ではどのあたりになるの?」

 だから、分からないっつーの!

 軽く両拳を握り締めていた。

 地球すら出たことがないのに……。大体、地球儀ならともかく宇宙儀って何だ?

 ……しかし、俺は迷子の可愛い子猫ちゃんではない。分からないことは分からないと、ハッキリ言わなくてはいけない。

「宇宙船に乗るのは俺の星では俺が初めてなんです。だから宇宙で俺の銀河系が何て呼ばれているか分かりません。場所も分からないんです」

「へえ、初めてなんだ。じゃあ楽しまないとね。もうすぐ到着するよ」

 初めて飛行機に乗った時の様な――敗北感を味わった――。


 五連銀河へ急接近していくと、眩い星々は上下左右に高速で流れて行く。

 こんな光景が実在するのだろうか? SF映画を見ている錯覚に陥る。

 いくつもの恒星で出来た光の雲を何度も突き破り、その星の耀きに混じり、光を発していない星が過ぎ去るのを見ていた。


 急に目の前に縦横奥に均等に配列された惑星群が現れ、宇宙船が急停止した。

 思わず衝撃に備えて、前に両手を突き出し足を踏ん張ったが、船内には慣性などという運動エネルギーは全くないようで、コップ一つ倒れない。――微動すらしていない。

 宇宙船はゆっくりと、均等に並んだ惑星の間を進行していく。

 この星のどれかに着陸するのだろう……。

 先ほどの星の群れに比べると、耀いていないが、それぞれの星が青や赤など様々な色をしており、その模様も全てが違う。

 まるで宇宙人が築いた芸術品のようだ。


『宇宙船での旅はいかがでしたでしょうか。本船は間もなく惑星オートゥエンティーに到着致します。皆さまお忘れ物のないようお気をつけ下さいませ。またのご利用、お待ちしております』


 そうプティリの放送が聞こえている間に、宇宙船は鍾乳石のような緑色をした美しい星の大気圏内に飛び込み、雲を抜けると、ガラスを散りばめたような大都市の一番高い位置にある、宇宙港へ着陸した。

数秒での接近と着陸に、息を飲む暇もなかった――。

 体にかかる重力は地球で車を運転していた時から今まで、全く変わっていない。

 今まで高速で飛んでいたのが嘘のようだ。

 目の前のスクリーンは、未来的なターミナルを映し出している。

「着いたのか。ここはどこだ」

「惑星オートゥエンティーだよ」

 見ると他の客は次々と座席後方へ歩いて行く。俺一人では心細いので隣のベトベトが降りるのを待つことにしたのだが……、

「私は他の宇宙人達と違って動くのが遅いから先に行って構わないよ」

 ドロドロと流れるように進んでいるのだが、その早さは、地球上生物であるマイマイに匹敵する。

「そ、そうか。じゃあ先に行くよ。機会があればまた」

 手を振っていた。

「バイバイ」

 ベトベトした奴を踏まないように通路の端を通って宇宙船後方出口へと向かった。

 最初に乗ったときの通路が今は外へと繋がっていた。


 宇宙船外の空気はうまかった――!


 大きな背伸びをしてから気がついた。

「――! なぜ空気があるんだ! それに、この感覚は何なんだ!」

 まるで地球だ!


 呼吸をするのに全く異変を感じさせない。それどころか重力も地球と同じだ。

 宇宙港窓より見える海の色はエメラルドグリーンだが、空は淡い夕焼け色。雲も浮かんでいる。

 これは色違いの地球ではないか?

「どうですか、初めて降り立つ他の惑星は?」

 宇宙港の窓から見える風景を、子供のように眺めている俺に、後ろから聞き覚えのある声がした。

「プティリさん。こ、これはどういうことですか。空気もあるし、水もある。重力だってほら、俺たちの住んでる地球とほとんど変わらない」

 両足でジャンプした。地球より高く飛べないか確認しているのだ。

「はい。変わりませんよ。だから陽介さんをこちらへお連れしたんです。変わるのは惑星を構成している物質と、惑星の直径くらいです」

 ちょっとプティリは難しい顔をする。

「ううん、えっと、厳密には他にもかなり違うところがあるんですけど、生活していく上では特に問題ないんです。気にいっていただけましたか?」

「ええ、もちろん」

 見たこともない建物や景色。他の宇宙人。心は踊っていた。

 プティリもニッコリ微笑む。

「そういえば、この翻訳機は返さないといけないんでしょうか?」

 不安と言えばそれくらいであった、

「いいえ、どうぞお持ちください。それがないと会話が出来ないでしょ」

「そうこなくっちゃ」

 軽い返答をしてしまう。

 俺にはプティリが夢や希望を運んでくれる天使のように見えた。この先、もし何か悪いことや困ったことがあっても、この人さえいれば何とかなりそうだ。そういった安心感を与えてくれる。

「それと、これも渡しておきますね」

 胸ポケットから一枚の厚目のカードを取り出すと、手渡してくれた。

 またしても手が触れるだけで俺はときめくのだが、それを悟られないようにカードに目を向けた。

「何ですか? このカードは」

 プラスチックかセラミックのような暖かい感触の白いカードだった。

「陽介さんのIDカードです。この星ではこれが身分証明書や財布の代わりになります。他の人に盗まれても本人以外には使用できませんが、無くさないように大切にしてください」

「宇宙人は全員これを持ち歩いてるんですか……」

 カードを光にかざして眺める。

「全員ではないんですけど、使える方はほぼ全員持ってます。この星系内でしか使えないんですけど、一枚のカードが百万もの星で使えるっていうのは、広い宇宙でもここトータル星系だけなんですよ!」

 プティリは目をキラキラ輝かせ、まるで自分の作ったカードを自慢するかのように嬉しそうに話す。

「へえ。でも、どうして俺にだけプティリさん自らくれるんですか? 同じ人間のよしみ?」

 プティリはまた手を後ろで組んで笑顔で答える。

「そういうことにしておいてください」

 何かわけがあるかもしれない。


 ……もしかして、もしかしてだけど……、

 俺に少しでも気がある? 


 そう思わずにいられなかった。

 頬が少し浮きあがる。

「初めての方は宇宙港での手続きに時間がかかりますから私が代行しておいただけです。ついでに今お持ちの現金もここのマネーにしてカードに入金しましょうか? すぐにできますよ」

「え、そうか、札や小銭なんて持っていても意味が無さそうだしなあ」

 宇宙港内を見渡すと、地球のようにあちこちで列が出来ている。どうみても時間がかかりそうだ。

「混んでいるようなので、お願い出来ますか?」

 カードとお金をプティリに渡すと、プティリは背を向けた。

「ちょっと待ってね」

 お金とカードを重ねて両手で握っているのが後ろから垣間見えたのだが。

「はい終わりました」

「え?」

 そう言ってカードを手渡されると、お金だけがどこかに消えていた。

 カードを見ると、先程まで真っ白いカードに数字の様な文字がいくつか浮かんで見える。

「12120円は全てここのマネーにしました。驚きましたか?」

 初歩的な手品を見せられたようだ。

「――一体どうやって!」

 カードに数字が出たのはともかく、現金が消えたのは……原理が分からない!

「説明すると明日になっても理解出来ないと思いますので今は内緒です。マジックです」

 両手を広げ、手には何もありませんと見せながらそう言う。

 俺の笑顔は引きつっていたかも知れない。

 プティリの言う通り全額がカードに入っているのだろうが、札はともかく小銭までカードに吸い込まれたのだろうか?

 見えないように……手の平の裏側にくっ付けているのかも知れない。 


「やっと出られた。どうもお待たせしました」

 宇宙船の方から微かにそう聞こえた。

 見るとベトベトした宇宙人がドロドロと船外に垂れて流れ出ている。

「ようやく全員が降りたみたいですね」

 その言葉は別れを告げる言葉だと分かった。

「プティリさん、もう行ってしまうんですか? もう会えないんですか?」

「いいえ、いつでもとは言えませんが、私も大体、週に一度はここに来ます。宇宙船がここに到着しているときは、私が来ていると思って下さい」

 その言葉は俺を安心させてくれた。

 ほっと息を吐く。

 プティリは小さく手を胸の前で振ると、宇宙船の方へ歩いていった。


「とりあえず一週間か」


 カードをズボンのポケットに仕舞うと、改札口の様なところへと向かった。


 宇宙人の長い列は、もう無かった。


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