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02 義息、ぶたれる

 騎士団の同僚にお悔やみを言われて、初めて父の死を知った。

 実家からの手紙は封を開けることすらしていなかったので、体を悪くしていることすら知らなかったのだ。

 当然死に目には会えなかったが、罪悪感はなかった。

 むしろ、いい気味だと思った。


 ―――あの男は、仕事にかまけて孤独に母を死なせたのだから。


 だからその死に目が孤独であればあるほど、自分にとっては喜びだった。

 しかし事情を知るために開いた乳兄弟からの手紙は、決して俺の溜飲を下げるものではなかった。

 俺に、義理の母がいるという。

 父が晩年に、五十歳も年下の娘を娶っていたという事実。

 慌てて役人をしている友人に確認してみれば、それは動かしようのない真実で。

 むしろ知らなかったのかと呆れられた。

 仕方ないだろう。故郷からの情報には極力触れないように生きてきたのだから。

 俺の前に提示された選択肢は、然程多くなかった。

 捨て置くか、後継者だと名乗りを上げるか。

 このままではその若い女が、待ってましたとばかりに遺産を食いつぶすだろう。

 新妻に誑かされて築き上げた財産を食いつぶされるのならいい気味だとも思ったが、母の遺品までその女に売り払われてはたまらないと、俺は慌てて帰路についた。

 決して遺産が欲しくてではない。

 あんな男の残したもの、本当は砂粒一つだってほしくないのだ。

 それにしても、二度と帰るかと思って故郷を出たというのに、帰ることになってみればその目的が女狐退治だなどとは笑わせる。

 実際、故郷に近づけば近づくほど母の後釜の話を耳にした。

 五十も年の離れた娘を娶った、業突く男爵。

 父の商会の経営にまで口を出し、珍しい舶来の品を自慢する若き未亡人。

 彼女は父が存命の間から、自宅に若い男を呼びつけては享楽に耽っていたという。

 その悪評は、耳を塞ぎたくなるようなものばかりだった。

 そんな女に、故郷を食い荒らされるのは業腹だ。

 俺はその女を追い払い、後のことは乳兄弟であるヴェルナーに任せようと決めた。


 (そもそもなんでヴェルナーは、そんな女を好きなようにさせているんだ)


 だから旅の間に蓄積された苛立ちが、玄関を開けた途端に爆発したことは否定しない。



  ***



「待て、ステフ!」


 追いかけてきたのは、乳兄弟のヴェルナーだった。

 懐かしい。彼はまだ俺を愛称で呼んでくれるらしい。

 俺の母は元々体が弱く、俺は彼の母親の母乳で育ったのだ。

 その頃父はまだ一介の商人だったし、彼の父もまたその部下に過ぎなかった。

 だから彼とは、ほとんど兄弟同然に育った。

 肩を掴まれ、強引に振り向かされる。

 その手には白い手袋がはめられていた。


「何をする!」


「お前こそ、いきなり帰ってきてあんなっ」


「あんなってなんだ? 本当のことだろう。それともお前まであの女に誑かされたのか?」


「お前……っ」


 ぎりりとヴェルナーが歯噛みをした。

 彼に会うのは楽しみにしていただけに、彼もあの女に毒されていると知って少しショックだ。

 多少は見られる顔だったが、茶色い目に茶色い髪という凡庸な娘に過ぎないのに。

 何か特別な手管でもあるのかと、つい勘ぐってしまう。

 正直、奥様として彼女が出てきた時は、拍子抜けして一瞬怒るのを忘れたほどだ。


「手紙を……読まなかったのか?」


 いっそ悲壮な顔をして、ヴェルナーは言った。

 俺はぎくりと身じろぎする。

 彼からの手紙も、その他故郷から送られてくる手紙は全て、封を切らずにクローゼットの奥に放り込んだ。里心が付くのが怖かったのだ。


「何を読めというんだ? 若い奥様がどれほど素晴らしいか俺にも知らせたかったか?」


 思わず、皮肉めいた口調になったのは否定しない。

 しっかりしていると思っていた彼さえ取り込まれていることに、俺は失望していた。


 ―――バチン


 一瞬、それが何の音か分からなかった。

 遅れてくる頬の痛み。

 完全に虚を突かれた。


「あの方は、お前が思っているような女性じゃない!」


 幼い頃から理知的な群青色の瞳が、今は怒りに燃えている。

 俺は湧き上がる怒りを抑えきれず、ヴェルナーを殴り返した。

 不意を突かれたのは屈辱だが、本気になればこちらは本職。俺はヴェルナーの鳩尾に拳を叩き込み、一撃で彼に膝をつかせた。


「失望したよ。ヴェルナー」


 唾液を吐いてうずくまる彼は、顔を上げることすらできないようだった。


「兎に角、俺はあの家を取り戻す。母の遺品まで好きにされてたまるか」


 そして予めとっておいた宿への道を、再び歩き出した。

 背中でヴェルナーが何か言ったような気もしたが、俺はとても振り返る気にはなれなかった。


 

 

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