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月みればかこち顔

作者: 風雨

  月みればかこち顔


 女の武器は涙。ならばおのが刃につらぬかれ死ぬがよい。死を見つめる瞳。果たしてその先にあるのは冥土であるか。

「じゃあ、君は死にたいっていうのかい」

「うん、ずっとね。でも周りに迷惑がかかるから、死ねない」

「そう」

 それは、死を見つめているのか。粉飾された終わり、貪婪な口。彼女は常に死を尊んだ。ニュースで知らされる死をうらやみ、身体に残る傷跡を愛し、彼女をさす生命をうとむ。

「いろいろ考えてはみたんだけどね。百合の花とか」

「百合」

「そう。百合の花を布団に敷き詰めて眠ると、百合に含まれてる成分で眠ったまま死ねるんだって」

 それは、葬式の手間が省けていいじゃないか。死について語る彼女は、なぜかこれまでよりずっと生きている感じがした。生きている? 地に出た蝉が喚き散らすがごとく?

「首吊りとか、投身はダメなの?」

「うん。首吊りはいろいろ漏れ出しちゃうし、身投げすると処理がたいへんなんだって」

 死にたい。と、彼女はため息といっしょくたに吐き出した。

「私が死んだら、悲しい?」

「そりゃね。ここを過ぎて、なんとやらって感じ」

 中天の月が、回る。影さす月が。直視に耐えぬ月が。

 さよならと、帰路に就く彼女を見つめる。死路へ旅立つには、あまりに散漫な足取りの彼女を。


「彼女は死にたいらしい」

「そりゃいい。さっさと死ねっていったかい?」

 僕は黙って肩をすくめる。甘いなあと、彼は甘い笑みを浮かべる。

「だって、死にたいなら、なぜ死なない?」

「周りに迷惑をかけるからってさ」

「嘘つけ」

 彼は笑みを酷薄なものに変えた。彼はしばしばこんな笑い方をする。

「彼女は眠りたいだけさ。いつか目が覚めたとき、幸せな笑みをたたえているのを夢見てね」

「夢?」

「そうさ。彼女にいってみたらいい。僕が君を殺してあげるって」

「それで?」

「そうしたら、彼女が本当に求めてるものがわかるさ」

 わからないよ。

 そういった僕の口を、彼は武骨な手でふさぐ。彼の肢体が僕に絡みつく。

 彼の生を、僕はすする。泥濘のごとき生を。


「おいしいの? それ」

「希望の味がする」

「HOPEだから?」

 彼女は僕の吸いかけの煙草をくわえて、せき込む。

「どうした? 希望の味がしたろ」

 人の生を食い尽くす希望の味が。ときに、夜空のような絶望が、星明りを際立たせる。霧散してしまいそうな浮遊感が、僕にへばりついた生をこそぎ落す。

「まずい」

 街灯に照らされた彼女は、昼間よりもずっと生きているような気がした。なぜだか死について語る彼女の口は、それまでよりずっと生命に満ちている。

「死ぬようなものだって、看護師にいわれた」

 新しい一本に火をつけて煙を吐き出す。

「しにたい」

 彼女はいう。死ね。と僕の中の彼が彼女にいう。

 彼の声が、僕の腕を操って、彼女の首に手を添える。とくりと、脈が鳴る。唐突に彼女が僕に覆いかぶさって背に腕をまわす。死が、僕から彼女に流れ出した気がした。

「僕も死のうとしたことがあるんだ」

 16のときだった。しかと死に目を合わせ、両手を広げ迎え入れた死は、なぜかするり抜けあとには異常な寝汗と緩慢な生のみが残っていた。

 僕の告白に、ぴくりと彼女が震えた。青空の青さに倦んだ。たなびく雲のような死を望んだ。首に回る絹に、道標をみた。

 いま、僕は彼女の光明になりたいとおもっている。しかし、彼女はなぜか首に添える手からのがれるように僕の腕の中でのたうった。彼女の口に唇を押し付け、希望のなれの果てを吹き込む。彼女はふたたびせき込む。煙霧が彼女の顔を飾り、彼女の瞳がうるむ。

 彼女の瞳からひとつぶ、涙が流れ落ち、そして彼女の手が僕を払いのけた。

 僕の手が再び彼女の首に伸び、そして、いや、ただまた希望へと火をつけた。それだけのことだ。

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