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83話 グレイスの名

 俺とユリアナが乗った自転車は、2人乗りで登りなのに軽やかに山道を駆けていた。昨夜はウチの大きさにビビッてこちらまで気にしてなかったのだが、八百屋でウワサを聞いたように、確かにウチの家の下の辺りにビニールシートで囲まれたエリアがあって、そこには多くの工事車両が入っているようだ。

これも兄貴の仕込みなんだろうか? 工事現場の入り口の表示には宿泊施設てあるんだけど、まさかあっちの人をゲートで招いて泊めるとかじゃないよなあ? 有名な温泉地には遠いし、効能も特に強くないから客なんて来ないと思うんだけどなあ。


 工事現場の横を通り過ぎ、俺達はニュー高坂邸に戻った。引越しの方は、もう荷物の運び込みは終わってシロネコ組は壁や床を傷つけない為に張られた養生シートを取るタイミングみたい。そろそろ終わりって感じかな。しかし作業をしてる元同じ会社の作業員たちがなんかソワソワしてるのはなんなのだろうか、ちらちら回りを気にしながら作業しているが。まさか、俺達が帰ってくるのを待っているのか?

 

「あ、お疲れさまです。お茶ここに置いておきますので、飲んでくださいね」

由香里ねーさん戻ってきてたのか。作業員の近くにお盆に置いたお茶とオヤツを差し入れているようだ。って着ている服を見て、俺はユリアナごと危うく自転車でこける所だった。そわそわしてるのは由香里ねーさんの所為だったのね……


『あれ、ここの奥さんらしいぞ』

『マジか。超年下妻とか…… あの旦那もイケメンだが、犯罪臭しかしないな』

『山奥の一軒家に、あの美人妻と……ってじゃああの可愛い子たちは誰なんだよ?』

連れ子か、海外から買ってきたんじゃって、それはニアピン賞だな。いろいろ酷いこと言われてるが、いいぞ!! もっと言ってやれ。

何しろ、兄貴ときたらその由香里ねーさんを見て、目じりが明らかに下がってるからな。口元がニヤけるのを必死に抑えてる顔で、口元に手を置いてマジメそうな顔を作るのに苦労している兄貴の元に、俺達は近づいていった。


「ただいま。あの服装は兄貴の趣味?」

「そんな訳あるか、あれは由香里がいたと思ったらあの服装だったんだ」

「驚いたでしょ?」

と聞くと、にやけていた顔を少しマジメに寄せて兄貴が声を潜める。

「……あの程度は予想の範囲内だ。あの格好は想定外だったけどな」

と、セーラー服を嬉しそうに着ていらっしゃる由香里ねーさんを見て2人で苦笑する。マジで由香里ねーさんじゅうななさいになってしまったからな。ちょっと制服のデザインがひと昔前の物なのが惜しいけど。


「兄貴もあっちに行ったらすぐああなっちゃうと思うよ?」

「ああ、その前にこっちの準備を完璧とまでは行かないが、なんとでもなる体制を作っていくつもりだ。なんで由香里の事はしばらく頼むぞ、あの通りアレはもう糸の切れた風船みたいになってるからな」

ああ、もう昨日から浮かれまくってふわふわしてるもんな。そのふわついた雰囲気にあてられて、作業員の人もそわそわしてたって訳だ。


 俺は山の下で事故ってるバンに、俺誘拐未遂犯が4匹転がっていると言うと即座に警察に連絡してくれた。俺の事は隠して、前からうろうろしてた不審な車だと、警察に疑うように仕向けてくれている。あの車の男達から俺達の話が出る事はそうそうないと思うしこれでひと段落かな?

「ところで、あの下の温泉施設ってのは?」

「ああ、仕込みの一つだな。こっちで痛くない腹を探られない為には、ある程度繋がりを持ってないといけないからな。本当は新興宗教でもでっち上げようかと思ったんだが……」

宗教とかいきなり胡散臭いな、と一瞬こっちの感覚で思いかけたが、よく考えたら俺が神様の手下でした。って事はこの世界にも神はいまし? とこれは怖いので考えないようにしよう。


 と、話していると、一台の車が俺のウチの広い駐車スペースに入ってきた。黒づくめのお高い車だ。ついにヤクザのカチコミか。ってあんなグレード高そうなのには乗らないか。

「待ってろ」

と言われて、兄貴がそちらに向かっていくのを見守る。そのスモーク掛かりまくったウィンドウが下がったのを見て、俺は息を呑む。そこに居たのは俺も知っている有名人だ。

数年前まで精力的に政治活動していたが、身体を壊して退陣した人だったような……新聞なんて読まないがあの顔は知っている。えらく老け込んでいるが、間違いないだろう。離れて立っている俺達に視線をちらっと向けたその眼差しはただの爺さんじゃないのを感じさせるものだったし。


 兄貴と一言二言言葉を交わすと、ウィンドウがまた締まって、その超高級車はなぜかうちの下の工事現場へ入っていった。

「あの人が下の施設のオーナーだ。俺も出資してるがな」

と、その発言に俺は猛烈に突っ込みたかったが、ここには余人が多過ぎだ。しかもそろそろあちらに戻りたいタイミングでもある。

「後で教えてくれるんだよね?」

兄貴が無言で頷くのを見て、俺とユリアナは家の中に入った。


 目の前でセーラー服を着てくるくる回っているねーさんの横をすり抜けて、部屋に戻ろうとしたら2人ごと由香里ねーさんの両腕に抱きつかれて捕まった。ユリアナはなすがままに目を細めているが、俺はもがいて無言で抵抗する。つか力強いなねーさん。

「もー冷たいゆっくん。昨日涙の再会したばかりだっていうのに、今日になったら放置しまくりとかちょっと酷い」

と寝ているのを置いてこっちに来たのを怒っている。一応声掛けたけど起きなかったってのは理由にならないらしい。

正直、ちょっとふわふわし過ぎてて面倒なんだよね、今日の由香里ねーさん。早く落ち着いてくれ、とはさんざん待たせた身としては言えないんだけどさ。



 由香里ねーさんは、引越しが終わって兄貴と話してから来るそうなので、DVDのトールケースを持ってうろうろ飛んでいたフローリアを捕まえてあちらの世界に戻る。まだ引越し組撤収してないんだから、居間のプロジェクターは諦めてポータブルでガマンしなさい。


「あ、ユキさん。すいませんお邪魔しております」

 ゲートを潜ってシロネコ亭の2階に戻ると、そこには先ほど別れたジュリエッタとクミさんが居た。

「お店の前を通ったら、店を閉められていたのでお伺いしたんですが、一応ユキさまが戻れられるまで待たせていただいたのですが、まだご迷惑みたいですね」

ジュリエッタの前にはお茶が出されているが、他には誰もいなかった。ルエラと子供たちはもう下で仕込みを始めていたし、リスティも姿が見えないようだ。ユリアナも、ルエラたちが作業していることに気付いて、俺に断わって1階に降りて行った。


「リスティさんは、先ほど出て行かれまして、ちょっとだけ里に戻ってくるそうです。あのお忙しそうなので、私達もこれで失礼を……」

と、席を立とうとするジュリエッタの手を俺はぱっと掴んだ。それだけでジュリエッタの白磁のような頬が赤く染まった。

「あ、私は席をはずしますので」

とクミさんがそそくさと退室しようとしてるけど、ちがうんよ。

「あ、あのジュリエッタに頼みたい事があるんだ」

「はい、なんなりと」

と、ちょっと頬を染めて俺の次の言葉を待っている。なんか期待させちゃってるみたいだけど……


「あの、店に張る注意書きを書いて欲しいんだ。ジュリエッタ、字上手いんだよね?」

「へ、……はい、任せてください」

俺も書けるけど、どうせなら綺麗な字の方がいいよなとジュリエッタにお願いしようと思っただけなんだが、ちょっと妙な雰囲気になりかけてしまった。


 俺はバックから先ほどの商店街の寂れた文房具屋で仕入れてきたチョークボードを取り出した。後からまともな物も用意するつもりなんだが、文房具やでコレを見つけて、これがあると、なんかルエラのかわいいお店屋さんな感じが出せるかも? と買ったのだが。今も店の外に並んでいる、すわ戦だみたいな雰囲気のドワーフ軍団を考えたらちょっと合わないかもと後悔しかけた。


「これ……便利ですね」

と、試しにとチョークで書いた文字を消したり書いたりしながらジュリエッタは関心している。これくらいならこっちの工業力でも作れるだろうから、あとで製法を調べてあげるよと言ったら大いに喜ばれた。


 今あの並んでいる彼らの姿を見て、まずルールとして書いておかなきゃいけないのはビールの販売についてだ。お好み焼きとセットでしか販売しない。販売はお好み焼き1枚に対して3杯まで。

ビールもジョッキも小売はしない事や、容器に入れての持ち帰りは禁止などという旨をジュリエッタに書き込んでもらう。


 こまごまとルールを書き込んで貰っていると、その綺麗な文字を書いてくれているジュリエッタが難しそうな顔をしているのに気付いた。

「私はこのビールとやらは飲んでおりません。ですが、ユキさんの世界の物と考えると、料理といいかなり話題になると思ってます」

ん、俺もちょっと用意を忘れてたからとは言え、あっちの酒を売るのは早計だったとちょっと反省してるんだが。外の並んでいる彼らに、もう売りませんと言える勇気が正直なかった。

「もし、そのあたりで問題になるような事がありましたら、どうかグレイスの名をお使いください。ある程度のトラブルはそれで排除できると思います」

「それは、なんかグレイスの威を借るキツネみたいで、申し訳ないような……」

確かにクラウセンでも一番の武力というストレートな力を持っているグレイスの名は印籠として十分なんだろうけど、こんな店に掲げていいものなんだろうか。


「私、そしてグレイス家はユキさんへの恩義を返しきれておりません。ですので、ユキさんの守りたい場所のひとつを守るお手伝いくらいはさせてください」

と、ジュリエッタに頭を下げられた。そんな恩義を売ったつもりはないんだが、確かに後ろ盾があった方が、ルエラを守る意味でもいいかもしれない。


「ありがとう、ジュリエッタ」

と、その話を受ける旨を伝えると、ジュリエッタは下げていた頭を上げ、顔をほころばせた。

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