73話 もうひとつの帰る場所
昼をちょっと過ぎた頃の大通りは、行きかう旅の商人たちやその護衛たちが昼食を求めて屋台や料理屋などを覗いて歩いていてなかなか人通りが多かった。
俺はほぼ完成に近いと言われてユリアナとジュリエッタに引かれてやってきたルエラの店はまだ開いていないが、その軒先にはルエラが焼いているらしい習作の香りに足を止める人たちが多く立ち止まっていた。そして店先に下げられた近日開店という文字をみて、がっかりと肩を落として歩き去っていく。人々の中には店の中を覗き込んでいる人たちもいるな、嗅いだことのない香りに興味がつきないようだ。うん、開店に向けた手ごたえを感じるね。
そして俺は、アジト2号兼ルエラの店の前で呆然とそれを見上げた。店の入り口の上に掲げられた看板を見て呆然とする。いやあ、これ商標権の侵害なんじゃ……。
そこには俺のジャンバーと同じ丸地の中にいるネコのマークが描かれていた。木彫りで作られたそれはちょっとした工芸品のようで、それもまた人目を引いているようだが。
「え、なにこれ」
「エルフの人たちからの贈り物だそうです。エルフの里からタイセツに流れて、今トレドでも流行してるんですよ? このユキさんのマーク」
とジュリエッタがそういって一枚の染物のハンカチを見せてくれた。うんこれはシロネコホールディングスに怒られそうだ、しかし俺の懐には一銅貨も入ってないから無罪を主張しよう。
しかしエルフの里で何かあったら困るからと娼館の部屋の戸棚にゲート開きっぱなしにしておいたが、リスティこんな物を運び込んだのか。と上を見上げると柵の上からイタズラっぽい笑みを見せているリスティが居た。トラブルで心配を掛けて怒らせたかと心配してたが、それはなさそうなのでちょっと安心。
裏口から店内に入ると、キッチンから小走りでルエラが向ってきて俺に抱きついた。
「お帰りなさい、ユキさん……あのこちらは?」
えっと、周囲を確認してから抱きついて欲しいのだが、彼女の角度からは俺の腕に縋り付いているユリアナしか見えなかったため、逆側にいたジュリエッタに気付いて少し途惑っている。
「私、ジュリエッタ・グレイスと申します。ユキさまの許婚ですわ」
とジュリエッタは俺の腕から離れて、超よそ向きの笑顔をルエラに向ける。この世界では姓が付くのは貴族かそれなりの立場の者たちだけなので、ルエラは俺から離れて少し頭を下げる。許婚ってなんとなく口約束をしただけなんだけど、まあいいか。
「奥様でしたか失礼いたしました。私はユキさまの端女になりましたルエラといい」
と言いかけたのでルエラの頭をぽこんと叩く。痛くはしてないけど、俺にはたかれたというのでルエラはちょっと涙目になっている。
「そういう自分を下にみるようなのは禁止。この店はルエラの城なんだからそこの城主がそんなんじゃダメでしょ」
ルエラの後ろには娼館にいた子供達の一部がルエラの方を見つめている、これはマリアさんの所にいた子達の中で、興味を持ってくれた子を店員として雇うことにしたからだ。
あの環境で育って、娼婦になりたいという子を止める気はないが、他の選択肢があってもいいだろうとこの店を建てる相談をしたときにマリアさんに俺がもちかけた。
もちろんこちらにも利があり、ルエラをキッチンに押し込めて、すべて接客を子供達に任せることで外の視線からルエラを隠せるという。まだルエラの家族を襲ったトラブルは糸口が見えていないから自衛をするに越したことは無い。と、話が逸れた。
まだ恐縮しているルエラに、ジュリエッタが表情を柔らげて頭を下げる。後ろに控えていたクミさんが何かを言いかけたが、諦めたように佇まいを直した。
「ごめんなさい、ルエラさん、ちょっと戯れが過ぎました。そんな風に自分を下に見るのは良くないですわ、何よりそういうのをユキさんは嫌いますから。私もあなたと同じようにユキさんに助けてもらったただの一人の女です」
そういってルエラの胸元で握られていた手をジュリエッタは取って微笑んだ。
「そうじゃぞ、第一婦人はわらわじゃからな、崇めるならわらわの方を」
とリスティが屋上から、音も無く飛び降りてきた。風で減速してふわっと降り立つのはちょっとエルフっぽくてかっこいい。が、その頭に軽くチョップを入れる。
「あいたっ、留守を守っていた妻になんという仕打ちをするのじゃ、この主さまは」
とイタズラっぽく笑う。この場を笑いで終わらすために自分をオチにしてくれたリスティはありがたくて仕方ないな。
ルエラとジュリエッタもなんとか軟着陸できたみたいだし。とは言っても最初のジュリエッタの口撃はどちらかと言うと俺に対してスネてただけなんだが。あ、悪いのは俺か。
店の中はテーブルやイス。そしてカウンターなどが用意され、内装も綺麗に仕上げられていた。先にこの店部分の仕上げを優先してもらった甲斐があったな。階段を上がると、棟梁たちがまだ作業していた。
俺に気付いた棟梁が、手を止めてこちらに向ってきた。
「棟梁、ありがとうございます」
「気にするな、仕事だ。それよりこれでどうだ?」
と、壁向こうにある部屋に案内される。と、そこには木で作られた浴槽と浴室があった。割とゆったり作ってもらえたようで俺が想定してたより広い。
「そのエルフの嬢ちゃんに出来る限り広くしろとか言われてな、まあこっちも運ぶ木材軽くしてもらったり助かったんだけどな」
「だって広いほうがキモチいいじゃろ」
スリアの街に居たころに雪で作った適当な露天風呂で、リスティもすっかりお風呂スキーになっているので仕方ないんだが、棟梁、顔赤くしてるけど違うからね!!
「で、こっちが便所だ」
と、こちらはもうドアが出来ていて、小部屋の中につい先日舐めるように磨いた木製の便座が鎮座していた。んーこれ匂いつくのが嫌なんだよなあ、まだ未使用なのかなと覗き込もうと思ったらリスティが顔を赤くしていたのでドアを閉めておく。うん、デリカシー大事。
しかし、日本からT○T○の便座を持ち込みたい所だが、ゲートの大きさが……ってあれ、もしかして行けるんじゃ。
夜はまだここでは寝れないので、ルエラと子供たちは娼館の方に帰した。ルエラの店の2階に今いるのは、俺が異世界から来たと知っているメンツだけだ。クミさんは階段の前でその場を守って貰っている。
「じゃあ、ちょっとやってみるから」
本来ならラットでも移動させてテストするつもりだったのに、もうフローリアが行ったり来たりしてるから大丈夫だろう。俺はダイニングに設置した戸棚の扉を開け、そこにゲートを開く。やっぱり距離が遠い所に開くゲートは消費がきつい。右ポケットのゲートや今まで道具運搬に使っていたゲートなどを閉じてキャパシティをこちらに振り分ける。
そこで今まで使ってなかったゲートの存在を思い出した、ジャンパーの左ポケットから繋がるエリア神の家のトイレゲート。あれ、俺いままでなんでこれの存在を忘れてたんだろう。
が、そのゲートはパスは通っているがそれ以上開くことも、閉じて消すこともできなかった。これは何が起こっているのか。まあ、これに関しては大して力使ってないし、解明は後回しにしよう。
なんとか現状の能力で開けたのは、縦横80cmくらいのゲートだ。ゲートは開くだけ開いたら維持に力を使わないので、身体にまた膨大なマナが戻ってくるのが判る。最初はポケット通るくらいだったのに、結構力が使えるようになったもんだ。
俺は恐る恐るゲートを頭から潜っていく。リスティとかフローリアを通してるのに自分が通るのは初めてだというね、このマナがあれば前試してだめそうで諦めた術も使えるかもしれない。リックに持っていかれたかなりの量のマナがちょっと惜しく感じたが、あれは未来への先行投資だ。次に期待しよう。
「やっと帰ってきた、か」
自分の机の下に作り上げたゲートから這い出して俺は大きく息を吸った。もう忘れかけてしまっていた自分の部屋の匂い。自分の体臭って判らないものだというけど、俺は別の肉体を受肉しているためか、それを強く感じた。ゲート越しに見てたとはいえ、約1年ぶりに帰ってきた部屋を感慨深く見つめていると、ドアが勢いよく開いて飛び込んできた影に抱きすくめられた。早いし、結構力こもってて痛いんですが。
「うう、ゆっくん……ゆっくん」
そう涙して抱きついてくる由香里ねーさんに、俺はその文句は言えなかった。
「ただいま、由香里ねーさん」
「遅いよ……遅かったよ、ゆっくん」
ドアのところには兄貴もこっちを見て静かに立っていた。そちらに向けて軽く頭を下げると、兄貴は片手を上げる。今はこの由香里ねーさんが落ち着くまではこうしてるしか無いようだ。フローリアもいつの間にか肩に乗って微笑んでいる。
……ああ、帰ってきたんだなあと一気に感情が昂ぶってきて、ちょっとガマンしきれずに俺も涙が零れだしてしまう。フローリアは俺の頬に優しく頬ずりしながらぽむぽむしてくれるのだった。
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