閑話 キラキラ石
枕の下で震えるブーブーという低音のバイブレーションが、槙原の眠りを覚ましていった。東応大学の材料工学部のキャンパスにある研究室の横に用意した仮眠室の布団で寝ていた彼は、少し目を開けて周囲を確認するが、カーテンを掛けられたままの部屋では時間がわからなかった。だが寝入ってからまだそんなに時間が経っていないような事は、頭に感じる重い鈍さでなんとなく判った。
って事はこの振動を続けているスマホは、目覚ましではなく誰かからの連絡か。
「くっ、誰だよ。くだらねえ用事だったら着拒に突っ込んでやる……」
学生だったら不可くれてやるとスマホ画面に映っていた相手の名前を見て、その考えを廃した。ここ最近、研究が楽しくて仕方ない彼にその研究ソースを与えてくれた人物であり、旧来の友であるその名前は彼の脳を覚醒に促していった。唸り続けるスマホの画面を操作し、通話を始めるのだった。
電話の要件は簡単で、大学の外でメシを食おうという内容だった。行く店は、友人から指定されており、味よりも量という学生時代の旺盛な食欲を助けてくれた彩安という中華料理店だった。ここ数年、足を向けることのなかったその店に、時間に間に合うように身だしなみを整えてやってきた。
しかし約束の時間の前だというのに、既に待ち人は店の前に立っていた。
「相変わらず、お前と待ち合わせると時間前に来ている俺が遅刻したような気分にさせられるな、雄介」
「そんなことはない。普通の会社勤めをしていたらこれくらいは当たり前になる。お前がいつまでも学生気分なだけだろう」
と学生時代からの気の置けない親友、高坂雄介はそう言って笑った。
もう彼とこの暖簾をくぐったのも10何年ぶりの店内に槙原たちは入った。タイムスリップしたかのように変わらない店内にちょっと安堵する。訪れたのは昼のランチタイムが終わるか終わらないかの時間だったので、すでに店の中は人が疎らで、誰も見ていなそうなTVの音だけが響いていた。
昔よく座っていたカウンターの端に座ると、ちょっと太めの店員さんにおしぼりとお冷を出される。あの頃、同期の奴等に人気で、誰が口説き落とすか競争していたあの彼女なのだろうか、面影はあるように思えるが、さすがに時間の流れを感じた。
まだ冷えているおしぼりをまだ疲れているまぶたに乗せながら注文を取って貰う。槙原はラーメンセットの半チャーハン付き。高坂は大盛りのスタミナ丼を頼む。
「お前、そんなのこの歳で食えるのか? 昔だって並盛り喰い終ったらぶっ倒れてたろうに」
というが、雄介は意に介さず。
「ああ、最近やたらと食欲があるんだ」
「それにしても、珍しい格好だな」
「ああ、最近ちょっと走るのも楽しくてな」
とジョギングをするかのような上下のジャージを着ている雄介。駅辺りから走ってきたのだろうか少し汗ばんだ肌を、お冷と一緒に渡されたおしぼりで拭いている。
「昼間っからここに来たってのは前に聞いたのは本気だったってことなのか?」
「ああ、もう引継ぎも終わったしな。どうせだからと有給消化中だ」
と何事もなかったかのように語っている。数ヶ月前にふらりと大学の研究室の槙原を訪れた雄介は、近く仕事をやめるといって彼を驚かせた。日本の理系の学生なら一度は夢見る大企業、そこの研究職でいい給料を貰いながら好きに研究できるという夢のようなポストを捨てたのだ。
「学生課の連中がぼやいてたぞ、うちでも有数の就職先のアテが無くなったって」
「迷惑かけてすまないな、だが優秀なヤツなら取るだろ?」
「……本当のとこ言うとな、うちの教授の方にもお前の会社から連絡が来てた。なんとか引き止められないか、今後の関係も考えてくれとな。まあ結果がお前が言うとおりだとすれば、お前のおかげで来年押し込もうと思ってたヤツがアウトだろうな」
「おまちどうさま、半チャーハンセットにスタ丼大盛りね」
とカウンターに料理が置かれ、とりあえず食事を進めることにした。学生の頃うまいうまいと食べていた筈のそのラーメンは、今の槙原にはちょっと重かった。いつまでも若いつもりでいたのだが、いつの間にか胃の方はそうではないと抗議をあげているようだ。
そんな槙原とはうらはらに、バクバクと音を立てるようにスタミナ丼をかきこんでいく雄介。甘辛いにんにく醤油のタレで味付けされたから揚げが、ネギやキャベツの千切りとともにご飯の上にてんこ盛りに盛られ、半熟たまごが上からかけられた超カロリーともいえるその食べ物たちが、どんどん雄介の口に運ばれていく。その姿をみるだけで槙原はちょっとお腹一杯になってしまいそうだった。
「本当にすげえな、学生時代より喰ってるんじゃないか?」
「ああ、俺もちょっと驚いてる」
とちっとも驚いてなさそうな雄介にすこし嘆息し、槙原は本題であろう話を切り出した。
「ところで、すごい話と、やばい話があるんだが」
「好きなほうから言ってくれ」
ってそりゃねーだろと思いながら槙原は語りだす。
「あの預かった石な、X線検査やら核磁気共鳴のスペクトルやら調べたけどな。ご推察の通り、新発見の物質だろう。分子構造が似たようなスペクトル波形すら見つからん」
あの日、ふらりと久々に現れた雄介が、大学で材料工学を教えている槙原に調べてくれと預けていった、あの水晶にも似た七色に光る不思議な石。あれは見て一目でいままでさわってきたモノとは違うというのを槙原は感じていたが、間違いではなかった。
雄介は食べ終わった丼を見つめながら頷く、話を続けろということだろう。
「で、こっちはちょっとアレな話なんだが、出所を秘密に協力させといた材料のヤツラがダイアモンドカッターでもカケラも試料が取れないもんで発狂してな、そのまま電極つけて負荷かけて変化させようとした」
ちょっと表情が変わる雄介。まあ出所を隠す、他に流さないという条件で渡されていた石だ。その扱いより結果の方が気になったんだろう。
「まあ、ぶん殴っておいたけどな。ちなみに熱も光も発しなかった、通電してるのにだ」
さすがに雄介の目が見開いた。
「ああ、まったくの無抵抗だよ。あの物質がなんなのか判っていれば世界に大声で発信したいところだ。完全な常温超電導体を見つけましたってな」
「そうか」
「そうか、ってお前あれだけのモノどこから……っとそうだったな出所については伏せると。で、あれどうするんだ? お前が研究したいから会社やめたんじゃないのか?」
「あの石は信頼できる筋で売って欲しい」
2杯目を注いで貰っていたお冷を噴き出すところだった。研究バカだった雄介からでる言葉とは思えなかった。
「まあ、できたら国内。隕石から出てきたとか適当に売り払ってくれ。お前が買ってくれてもいい」
槙原は長年の友人だった彼の言葉が冗談ではないとわかってしまった。
「わかった……、心あたりをあたってみるが、モノがモノだし、そんなに簡単には行かないぞ? 動く金だってかなりの額になるだろう」
「そこまで急いでないから、年内目処くらいで頼む」
「しかし、なんでそんな金が必要なんだ?」
「フィールドワークの準備だな。余裕はあればあるだけいい」
そんな金のかかるフィールドワークとか個人で月面でも行く気なんだろうか。カマをかけようにも雄介はそれに関して一切口を割らなかった。
「それじゃ、また連絡する」
と彩安を出て、屈伸を始める雄介。
「また走って帰るのか?」
「……ちなみにさっき電話をかけたのは家だ。そこから走ってきた。って言ったら信じるか?」
「んな訳ないだろ、お前の家って今はなき多摩ランドの近くだろ? 20分くらいしかなかったのにあそこから都内のここまで何駅あると思って……」
「冗談だ、じゃあ」
と手を上げて軽快に走り去っていく。振り返りもしない雄介に相変わらずだなあ、とちょっと笑う。
槙原は、食べ過ぎてちょっと重い腹を触りながら、自分も走ろうかと考えながら研究室に戻るのだった。




