2.その家系、エーゼル公国の誇りにつき
アプガノール家当主クロークハーツ公爵。
自らの領地であるラ・クロークハーツの名を称号として王家より頂戴した、エーゼル公国を代表する大貴族の1人である。
歴史浅いアプガノール家を、たった一代で大貴族に仕立てあげ、周辺諸国に「クロークハーツいる限り、どの様な武も、どの様な智も、エーゼル公国王家に届きはしない」とまで言わしめた稀代の天才。
若かりし頃は前線で軍を率い、数々の武勲を立て戦王の名を欲しいままにした戦上手。
また、武勇だけではなく知略にも精通しており、40年ほど前に起こったガイト帝国による、「公国侵攻戦」
では、重要拠点を手勢僅か数百の兵だけで敵軍を撃退したりと輝かしい経歴をもつ。
年老いた今では昔ほどの活躍は見せられず、ほぼ隠居生活と化しているが、今なお鋭い戦術眼でエーゼル公国を支え、周辺諸国に恐れられている。
「むっ?もうこんな時間か。歳をとると時間の感覚が狂って狂って。ワシにもお迎えの時間が近いかもしれんのう」
「クロークハーツ様ご冗談を。こんなにも元気なのですから天使様のお迎えはまだ先かと」
指で口髭を撫でながら、クロークハーツが冗談混じりに放った言葉を侍女は優しく、それでいて直ぐさまに否定した。
その言葉に満足したのか隣に立つ侍女に優しげな眼差しを送る。
「ふふっ、お主は優しいのぅエタ。お主がワシの娘ならと何度思った事か」
クロークハーツには娘が3人いるが、いずれも家を出ており、ここ数年は手紙の一つも届きはしてない。
そんな愛おしくも哀しい娘の事を思い出しながら、エタと呼ばれた侍女の頭をポンポンと撫で、心から嬉しそうな声をあげる。
「……それに」
頭を撫でていた手は、ゆっくりとエタの細身の背中を、美しく引き締まったくびれを、小ぶりながらもしっかりと実った二つの桃を摘み取るかの様に優しく触れていく。
「ぐふふふふ。あの時スラム街で拾った小娘が、こんなにも立派な女になるとはなぁ……ふふふっワシの眼もまだまだ衰え知らず───いだだだだ!や、やめっ!て、手首が明後日の方向を!あ、そっちには曲がらな、ああああああああ!!らめえええええ!!」
「耄碌爺様、ご冗談を。こんなにもふてぶてしいのですから悪魔様のお迎えはまだかと」
クロークハーツの手を捻り上げ、軽蔑の眼差しと嘲笑の言葉をかけるエタは、鋭い瞳を細める。
相手が主でなければ「ゴミが」と侮辱したいところだったが、僅かに残っている忠誠心がそれを止めさせた。
それでも捻り上げる手の力は緩めるどころか更に角度を険しくしていく。
「ちょ、ちょ、ちょ、ホントに折れる!あ、ほら!カニバルちゃん来た!もう来たから辞めて!や、やめっ!……た、助けてぇぇぇ!!カニバルちゃんワシをこの魔王の手から救いだしてぇぇぇ!!」
クロークハーツが嬲られていたバルコニーから、丁度屋敷の門を開いたカニバルが見え、60を越える男は威厳のいの字もない情けない声で来訪者に助けを求める。
だがカニバルは、そちらをチラリと見ると何事も無かったかの様にゆっくりと屋敷へ向かっていく。
途中、敷地内を見回りしていた衛兵などと、にこやかに談笑しながら。
「カ、カニバルゥゥゥゥゥッ!!貴様ぁぁぁぁぁぁ!!」
屋敷に来たのは、自らを魔王の手から救い出してくれる勇者なのではなく、魔王の手先の悪魔であったと痛感しながらクロークハーツは涙声を上げる。
数秒後、鈍い音と共に己の腕がだらんと垂れ、メトロノームの様に規則的に揺れる様を青白い顔で見つめていた───