7 王女殿下の周囲の事情
アイリアは長く王妃の側に仕えている侍女であり、王女の乳母である母に連れられて、城の奥向きで育った。
だからといって、すべての王族とはっきりと面識があるかと言われればそうではない。
王妃と王女とは毎日顔を合わせるに近かったし王女の従妹姫とも時折顔を合わせたが、多忙な国王陛下や王弟殿下とはそうではなかった。
政務に携わる方々が朝早くに登城しても夕方には帰ってしまう侍女見習いと親しくなりようがないし、向こうも王女の侍女見習いなどにさほど興味はないだろう。それに国王陛下や王弟殿下がお越しになったときには、王女の乳姉妹兼見習い侍女など粗相を恐れて遠ざけられるのが常であった。
そんなわけでアイリアはレシィリアの父親である王弟殿下については噂に毛が生えた程度しか知らない。
その噂からアイリアが認識する王弟ルドック殿下は、真面目で融通が利かない国王の補佐役というものだ。
国王陛下と同腹で、ラストーズの魔法使いの中でも一、二を争う実力の持ち主。若い頃はやや短絡的なところもあったようだが、ともすれば兄をも上回るとされる魔法使いとしての実力に驕らず常に控えている方なのだそうだ。
歴史上ラストーズは王位を長子に相続してきたが、例外がないわけではない。あまり歴史に造詣が深くないアイリアでもかつてあったであろうお家騒動を想像できる描写はいくらか存在した。
下が上を追い落としたのか、あるいは魔法を使えぬものを闇に葬ったのか――勝者のまとめさせた書物には都合の悪いことは書かれていないのでわからない。
真面目で融通の利かない王弟殿下が、王位継承権の優先順位より、魔法を使える方を重視しはじめたというのは、王女のそばに侍るアイリアにとっては見過ごせない事態だった。
それは兄を立て、姪である王女を成長を見守っていたはずの王弟殿下が敵も同然になったということなのだから。
「いかに第一位の王位継承権を持っているとはいえ、魔法を使えぬ王女殿下に王位を継承するのはいかがなものだろうか」
それが周囲の要請を受けて王弟殿下が主張しはじめた言葉だという。
「我々は長く殿下の成長をお待ちした。しかし、魔法の発露は未だ見受けられず、それがいつ果たされるかもわからぬ。あるいは、永久に訪れないことをも覚悟せねばならない」
謁見の間にて、当事者であるシーリィの目の前で遠慮なくその演説は行われたのだそうだ。
アイリアはそれを直接は聞かず、シーリィにも聞けず、憤る母から知らされた。
「姫がこれまでどれほどの努力を重ねてこられたか、知らぬ訳でもないでしょうに!」
「そうですね」
アイリアはそれに苦々しくうなずいた。
シーリィが好んで利用する王家の図書室の管理者は他ならぬ王弟殿下だ。もちろん多忙な方が常駐するわけもないが、管理者としてシーリィが日々訪れていることは知っているはずだ。
魔法が使えないかもしれないと恐れながらもシーリィは諦めきれず、幼い時から魔法が必須の次期国王として見えぬ重圧と戦ってきていた。
その戦友とも言えるアイリアは、本格的にシーリィが諦めた様子を見てもういいのではないかと感じてきた。
「お父さま」
だから、アイリアは憤る母の目を避けてそれよりは冷静に見える父を密かに訪れた。
「どうした、アイリア」
かつては大きいばかりであった父も、成長したからか今ではそれほど大きいとは思えない。それでも鋭い視線を正面から受けることを避けて、アイリアは前に比べて白いものの増えた頭をなんとなく見上げる。
「お父さまは、シーリィさまが魔法を使えないのではないかと、もしかして以前から思っていらっしゃいましたか?」
不躾な問いかけに怒られるのではないかと思ったが、父はうむりとうなずき返した。
「ラストーズの武家の当主ともなれば、自家に魔法使いの血を一滴でも入れて夢を見たいと思うものだ。ファートレンの系図に幾人魔法使いがいると思う?」
「わかりません」
「俺も数えたことはないが、片手の指ほどはいるはずだ。片親が魔法使いであっても子にその才が必ず受け継がれるとは限らん。可能性はかなり低かろう。高いのなら、我が家にだって一人くらい魔法を扱えるものがいてもおかしくない」
視線を感じ、アイリアは仕方なしに父の鋭い眼差しと向き合った。
「俺が知る範囲内で、王家の方で魔法を使えなかった方などいない。魔法使いの間には片親がそうである場合より魔法を使えるものが出るのだから、うなずける話だ。王妃や王配になるような方は本来、特に秀でた力をお持ちの方が選ばれてきたのだから」
アイリアは唇を噛みしめたあとで、あえぐようになんとか口を開く。
「国王陛下は魔法使いではない王妃様をお立てになることによって、今のように王位継承争いが起こる危険性をお考えではなかったのでしょうか」
アイリアのような小娘でさえ思い当たる事実に、一国の主が気付かないはずがない。
「可能性が低いのなら、何故最初から魔法を教えないということにできなかったんですか。――シーリィさまは、いくら努力してもいつまでも魔法が使えないことにずっと悩んでいました」
「一番お近くに侍るお前が、それは一番よく知っていよう」
二人きりであるからか、父は陛下に対して不敬であると言わず娘の言い分を聞いてくれる。
「低くとも可能性が全くないわけではないからではないだろうか」
それから静かに考えを伝えてくる。
「王女殿下付きの私の耳にも、細々と噂は届きます。国王陛下は歴代の慣例に則ってシーリィさまの王位継承権を変更されないご様子だと言いますが」
「うむ」
「この上に実らない可能性の高い努力を重ねろとでもおっしゃりたいのでしょうか」
父が怒らないことをいいことにアイリアは不満げにぶちまける。日頃大人しい娘の怒気に父はつと視線を逸らした。
「俺は政治向きの話は詳しくないが、陛下には陛下のお考えがあるのではないかと思う」
「どういうことでしょう?」
「アイリア、お前が懸念するようなことなど、王妃殿下との婚姻の前にとうに議論されているはずだ――武家にはわざわざ詳細は知らされなかったがな」
「シーリィさまはずっと何とかしようと励んでいらっしゃいました。でも、近頃は以前ほどの熱は入れられない様子です」
「そうか」
「レシィリア姫に王位をお任せしてシーリィさまはどこかに嫁された方がお幸せではないかと、私はこのところ感じるのです」
父は難しい顔でうなった。
「殿下に近しいお前がそう感じるというのならばそうなのかもしれぬ。だが、そうは簡単にいくまいな。我が国の法は国王陛下の長子継承を基本にしているが、必ず魔法使いでなくてはならぬとは明文化されてはおらん」
「えっ?」
「未だ魔法使いではないというだけで、正当なる王位継承者を廃することは容易ではあるまいな。これから才能が芽吹かないとも限らないのだから」
驚くアイリアに父は冷静に告げる。
「仮に国内に降嫁されるにしても、上位の者はいい顔をすまい。自家の血筋に王家の血が混じるのは歓迎されても、産まれた子まで魔法が使えないのは困る。とはいえ、武家に王家が嫁すこともまた難しい」
「他国はどうなのですか」
「国王陛下の第一子である王女殿下は本来正当なる王位継承者だ。魔法を使えないという瑕疵も他国では重視されない。明文化されていない事柄にこだわって継承権の低い者が王位に就くようになれば、その国に付け入らせる隙になりかねん。正当なる王位継承者を旗印に戦いが起きる恐れがある。ゆえに、他国に行かれるのも難しかろうな」
父は神妙な顔つきになると、アイリアにそっと顔を寄せてきた。
「王弟殿下があのような意思表示をされた以上、王女殿下の身辺には気を使わねばならん」
「お父さま、それは……シーリィさまの身に危険があると?」
「そうとは言いきれないが、気の短い輩も中にはいる。陛下が譲らない構えを続けるなら、王女殿下を排除すればいいとその者たちが考えないとも限らない」
アイリアは胸元でぎゅっと手を握り込んだ。そんなバカなことがあるはずがないと、楽観的に信じることは出来なかった。
「このようなことになるのであれば、お前に護身術の一つや二つ学ばせるべきであった」
父の言葉を聞くと、実際あり得そうなのだと現実味が増してくる。
「護衛の数は増えませんか?」
「この状況下で王女殿下に何かあれば、王妃殿下の生国との関係も冷える。ゆえに現実に何かしでかす者がいるとは断言も出来ない以上、そう簡単に増やすことは出来ん」
「そうですか」
「今、王妃殿下王女殿下の周囲は気心が知れた者ばかりだ。下手に新参者を入れる方が危険とも考えられる」
アイリアは唇を噛んだ。
気持ちは父も同じなのであろう。アイリアの弟の名をあげて、「サミーがもう少し成長していればねじ込めたのだが」とぼやく。
アイリアの弟は未だ幼く、まだ遊びの延長で模造刀を振り回すことの多いおこさまである。長年武家としてラストーズに仕えた一族の次期頭領殿は今のところ海のものとも山のものともしれない。
立場としては乳兄弟の弟として王女の側に侍っても問題はないが、本人の年齢と技量がそれを許さないだろう。
「ただの侍女でしかないお前に出来ることは限られていようが、殿下のお側でお心を慰めて差し上げるといい」
結論としては、これまでより身辺に気を払わなければならないくらいには危険度が増したかもしれないが、せっぱ詰まってはいないようだからそれくらいしかできない。
まだ一人前になりかけの侍女にはその程度しか望まれないのだとアイリアは肩を落とした。
「それをいつまで続ければいいんでしょうか」
「殿下が魔法を使えるようになるまで、だろうか」
これまで努力を続けてもどうともならず、とうとう諦めている節のあるシーリィにそんな日が来ると、もはやアイリアには思えない。
だが父に訴えたところでどうにもなりそうにないことも、理解してしまう。
「わかり、ました」
主が王位継承争いから逃れられる気配もなく、すぐにそうとはいえないまでも危険度が増し、そのくせ易々と護衛の数を増やすわけにはいかないのならば。
アイリアは父の言葉に従う素振りを見せながら、内心で誓った。
(私は、私の出来る限りのことをシーリィのためにしよう)




