32 そして、婚約式で
無事に着飾ったアイリアちゃんを目にすることが出来た俺は、天にも昇る心地だった。
今から仕事を上がって果たして準備が間に合うのだろうかとやきもきしていたのに、扉を開けて現れた彼女がすでにめかし込んでいたんだから、何というかうれしい驚きで。
着慣れないドレス姿に緊張しているのか、心なしか頬が上気しているように見える。
「お待たせいたしました、セルクさま」
冷静を装って口にした言葉もうわずっている。
腰がきゅーっと絞られていて、裾がふわーっと広がる紺のドレス。腰が絞られている効果なのかいつもより胸元が大きいように見えるけど、大きく出た肩と一緒にそれを隠すようにストールで巻いてあった。
もっとじっくりみたいような、それをよその男に見られたくないような複雑な気分。
「いいえ、ちっとも」
いつも控えめなのに、今日ばかりはきっちりと化粧してある。
元から美人なのにそんなに塗っちゃってどうすんのと思わないでもないけど、よくやったとそれをした人を誉めてあげたいくらいいつも以上に綺麗になっていて、俺としたことが緊張してしまう。
誉め言葉の一つや二つや三つや四つ言いたいところだけどぐっと堪えたのは、アイリアちゃんがどことなく恥ずかしそうにしていることもあったし、他の目があったからだ。
本日の主役の最終確認でもあるのか、アイリアちゃんが一人出てきただけで他の侍女ちゃんは奥から出てこない。
この場は俺と彼女の他に、騎士しかいないからね。
これから長く時を過ごすことになる同僚がうっかりアイリアちゃんに惹かれたら困る。いつも隙のないお嬢さんなのになんで今日に限って隙だらけに見えるんですか。
着慣れない姿が恥ずかしいからですか?
それとも俺を意識してくれてるんですか?
あるいは何かの罠ですか!
俺は誘惑に負けないように自制心と自分に言い聞かせて、野郎どもの感心したような視線からアイリアちゃんを防御する。
「早めに行くに越したことないから、会場に向かおうか」
「ええ」
うなずくアイリアちゃんがちらりと奥の部屋をみたのはきっと、本当はシーリィちゃんの側についていてあげたかったからだろうなあ。
でも今更それはなしですよと、俺は彼女と腕を組んだ。
城の大広間が本日の会場だ。
末端貴族に至るまでが招待される夜会はそうそう開催されないので、城で一番大きな広間でも招待客の割には手狭なのだそうだ。
広場の半ばほどの自分の家格にふさわしいとされる扉から、俺たちは会場に足を踏み入れた。もう下座の方は人でずいぶんごった返しているが、開始まで時間がまだあるので俺たちの周りや上座の方はそうでもない。
「会の途中になればあっちの方までご挨拶に伺えるからね」
アイリアちゃんがシーリィちゃんが現れるであろう辺りを観察しているのを見て俺が言うと、彼女はこちらを恨みがましく見上げてきた。
「せっかく着飾ってるのにそんな顔しないの」
「お父さまもお仕事ですし、貴方さえエスコート役に名乗り出なければお側にいられたのに」
「それはどうかなあ」
ぼやく調子の彼女に俺は思わず口にした。
「どういう意味ですか」
「王女殿下の格別の配慮に、君のご両親も乗り気のご様子だったでしょう?」
「それは――ええ、そうですね。シーリィさまの大舞台にお側を離れることをあの母が認めるとは思いませんでした」
「大規模な催しに団長は陛下のお側を離れることは難しいし、弟君はさすがにまだ出席は出来ない。だから誰か信頼できるものをとお探しのようだったから、俺がね」
団長は自分の弟とかに目星をつけてたみたいだけど、名乗り出た俺に任せてくれたんだもんね。
「この大規模な催しの主役であるシーリィさまの筆頭騎士でもある騎士団副団長の貴方が堂々と半休を要請した、と」
「正当な手続きを踏んで届けは受理していただきました」
呆れた口振りのアイリアちゃんに、俺は努めて真面目に口にした。
彼女が目をそらすのはやっぱり、俺がそんな風にするとフェストを思い出して戸惑うからだろうか。意識してもらえているとうれしいんだけど、どうなんだろう。
彼女はいつシーリィちゃんが出てくるかばかり気にするように扉を見ている。
「……君のエスコート役を誰かに奪われるのはごめんだったからね」
だから俺はそうっと彼女にささやいた。
「は?」
「君はそもそも魅力的なのに、今日から表舞台に登場する王女殿下から信頼された一番の侍女だ。加えて、お父上は騎士団の長を勤めるファートレン家のご令嬢――主と同じように表に出てこなかった君を望む武家の者は多いはずだよ?
――その中に俺以上の好物件はいないけどね」
逸れていた視線が驚いたようにこちらに戻ってきたことに俺は満足した。戸惑ったような顔は、不満そうなものよりもずっといい。
「団長には万事つつがなく整えたとはいえよからぬ企みをもつ者があるかもしれないから離れた位置からそれとなく会場の様子に目を配ると言い訳したし、殿下には――この機会に女性にもきちんと目を向けるように厳命されてる」
きょとんとする彼女に俺は顔を近づけた。
「俺とレイドルの仲を勘ぐってるんだよね、殿下」
秘密を明かすように潜めた声で俺は口にした。
アイリアちゃんが目を見開いてきょろきょろしたのは、内容がないようだからだろうか。
「何をおっしゃっているのですか?」
「思いこんだらなかなか認識を改めない方だよね。それはないと言うんだけど」
思い出すと、ため息の一つや二つでそうな気がする。
「それはその、お疲れさまです」
俺の気持ちを想像したらしく、彼女は心のこもったねぎらいの言葉をくれた。
「うん。殿下のご成婚がなるまでは俺が先に身を固めるわけに参りませんと申し上げておいたけど、あれはまだ誤解してるね」
どうやったら思いこみを取り払えるのか、その答えはきっと一つだ。
「というわけで、殿下がご結婚なさったら正式に求婚するからね?」
「……え?」
それまでに俺が心底アイリアちゃんを愛しているのだと納得してもらえれば、これまで散々相談に乗ったんだからシーリィちゃんも俺の恋を応援してくれるよね、きっと。
「本当は気持ち悪い誤解は早めにどうにかしたいけど、今君に求婚しても殿下に近場で誤魔化そうとしていると思われちゃいそうだし。それが原因で彼女に反対されて君に逃げられては困るから」
焦った結果仕損じて、シーリィちゃんに反対されたらたまったもんじゃない。
近頃はそれなりに好意的に思ってもらっている――と、希望的観測を込めて信じているけど、べったり仲の良いシーリィちゃんに対する好意と比べたらまだ自信がない。
ただ、彼女に近い男の中では一番意識してもらっているはずだ。
「俺は生まれる前から君一筋なのにねえ」
だからここぞという時にこうやって伝えていけば、そのうちうなずいてもらえると信じていた。
ただ、そんなやりとりの間もちらほらと彼女に向けられる周囲の視線を感じることが気がかりではあった。
あれは誰だ、ファートレンの令嬢だ、あれが王女殿下の侍女――ささやきあう声は聞こえないけど、口の動きで何となく内容は推測できる。
今まで低遇されていた王女殿下を長く支えた忠臣であるとされる彼女や俺は格好の噂の的だ。いずれ王となるレイドルの数少ない同僚として親しくしていたのだから、いかに武家といえどもきっとこれから重用されていくはずだと考えて近づきたい人間はきっと多い。
俺なんかは前の評判が評判だから自ら好んで近づくお嬢さんはまれだろうけど、彼女は家柄といい評判といいけちのつけようがない人だ。
それがこれだけ綺麗な人なんだから、手っ取り早く娶ればいいじゃねーのと野郎どもは目を変えますよね。
どことなく好色じみた視線を向けてきた者を鋭く牽制し、俺はこれから先も彼女に誰も近づけさせないと自分に誓う。
今更横から出てきたぽっと出で欲得ずくの誰かに彼女をかっさらわれるなんてごめんだ。
「君も殿下のことが落ち着くまでは自分のことを考えられないだろうから、それまでに周りのことは算段つけておくからね」
囲い込むと暗に宣言する俺を見てアイリアちゃんは何か考えて込んでいる。彼女の未来の可能性をつぶすようで申し訳なくもあるけど、今世の彼女を逃してしまってはきっと次はない。
だから、後のなさを感じて余裕なんて全くもてそうになかった。
しばらくして、そんな俺に向けて彼女はふっと微笑んだ。
「頼りにしてますわ、未来の旦那さま」
仕方ないなという感情を隠し切れていない口振りであってもはっきりと彼女がそういってくれた、その内容が。
あまりにも自分に都合がいいものに聞こえて、俺はすぐに認識できなかった。
じわじわと意味が理解できると同時に、えとかあとか、ただ間の抜けた声が口から漏れる。
それって堂々と囲い込んじゃっていいの?
つまり並みいる男を遠ざけて君を俺のものだとはっきり行動で示してもいいの?
生涯、共に過ごしてくれるの?
聞きたいことさえきちんと言葉にできずに、まじまじと彼女を見返す。願望が聞かせた幻聴ではないだろうかなんて自分を疑いながら、こみ上げる笑みはごまかせない。
「そう言ってくれて、うれしいよ」
ただこれだけは言っておかねばとささやくと、彼女は応えるように小さく頷いてくれる。
それだけで胸に暖かいものが満ちてくる気がした。
かつて見失ったはずの未来をこれから築くことが出来る――その言質をもらえるなんて、なんて幸せなことだろう。
俺はかつてない幸せを胸に、その夜を過ごした。
これから先は、ずっと前にフェストが見ていた夢――ティーファとの幸せな未来とは同じとはならないだろう。
だけど一番大事なことだけは叶うはずだ。
どんな時代でも俺の心を捕らえて離さない彼女と生涯共にいる、ということだけは。
ある騎士の独白、これで完結です。
長いおつきあいありがとうございました!




