9 嵐の前の静けさ
その事件の発端を何とするのかは、人によって違うと思う。
ラストーズ中枢の静かな王位継承争いが、まさかそんな事件に発展するなんてその時まで俺は考えてもいなかった。
シーリィちゃんの護衛になって二年強、その間暗殺者が来るでもなく、食事に毒を混ぜられるような企みがされることもなく、ただただ平穏に時が過ぎていたから……きっと、何も起こるはずがないと高をくくっていた。
表立って王女派を名乗る家が増えるではなかったけど見込みのありそうな武家各所への根回しも進んでいたし、一部はそこまで力のない上位貴族にも話は持っていっている。
さすがにあれこれ黙っていられなくなってこっそり協力を要請した相手であるレイちゃんは「果たしてそううまくいくんでしょうか」と懐疑的に考えていたようだったけど。
だけど俺はのんきにそれだけで盤面をひっくり返せるとは思えないけど、王弟派の推す当人が変わりなく王女びいきであると知っているから「まあいざとなれば何とでもなるよねー」なんて考えていた。
何がどう悪いか端的に言うと、やっぱりそもそもは王位継承権争いが勃発したのが悪いんだろう。
時間をかけて妥協点を見いだそうとした国王陛下と王弟殿下は共に大きな争いを避けることを考えていて、それはそれで民のことを思えばよかったんだけど――長引くにつれて余計な事を考える輩が出てしまった。
そして、そういう奴らにチャンスを与えてしまう外遊が決定したのは、シーリィちゃんが十七歳の冬。
王妃さまの母国での式典に国王陛下ご夫妻が参加することは早々と決まった。そして王妃さまの血を引く年頃の王女であるシーリィちゃんにもお声掛かりはあったけど、魔法が使えないから自国での社交デビューが認められていないシーリィちゃんはそれを固辞した。
後々の事件を考えれば、きっとそれは正解だった。自国での立場がしっかりしない王女殿下までが外遊に出るとなっていたら、もっと大それた事を考える人間が出て、騒動が大きくなっていたかもしれないから。
だけどそんなこと予想だにしていなかった俺は、居残ることを少し不満に思っていた。
社交デビューままならない主に従って自分もそれをしないアイリアちゃんでも、他国の式典ならラストーズの侯爵家の娘らしく着飾る姿を見せてくれるんじゃないかなーと想像しちゃったんだよね。
国外でっていうのが、俺にとっては重要だった。
ラストーズで着飾った姿を見せちゃったら気が気じゃなかっただろうから。だって、アイリアちゃんはきれいな女の子だ。
出会った頃は少女らしいかわいらしさが目立っていたけど、彼女はこの数年で大人の落ち着きを持ち始めている。そう、少女らしさから脱却した彼女は大人らしい丸みを帯び始めていて――まあ、多大な欲目を差し引いても美人さんであるといっても過言ではないと俺は確信している。
侍女の制服ばかりに身を包んでいるなんてもったいない、そういう人なんですとも!
是非とも一度くらいしっかり化粧をして髪を結い上げた姿を拝んでみたいと前々から考えつつも、だけどそれは難しいとも悟っていました。
王女派が勝利しない限り表に出ないであろうシーリィちゃんにアイリアちゃんはずっと付き合い続けることに確信を持っていたことひとつ。
それを煙に巻くようにうまいこと言い含めて夜会か舞踏会に彼女を連れ出すことはやろうと思えば出来るだろうけど、そんなことをしてアイリアちゃんが綺麗で良くできた令嬢だと周囲に知られることが我慢できないと思ったことが、もうひとつ。
美人であるという事実が俺の大いなる欲目による勘違いだと仮定してそれを取り除いたって、アイリアちゃんは武家の中では高嶺の花だってことはわかっていた――シーリィちゃんと同じように表に出ることはなくても王女殿下の優秀なる侍女と名高い人だから。
それが武家二位のファートレン家という出自を持っているなら、そりゃーもう野郎どもは目を変えるに違いないですよ。
彼女は俺のものだと堂々と言える権利を持っているわけでない俺には、彼女の着飾った姿に多大な興味を抱きつつも野獣の群に彼女を放り出すような算段をつけるわけにいかなかったというわけで。
お母上の母国だといっても、しがらみの薄い国でなら余裕を持って彼女を愛でることが出来ると思ったんだけど――だって、仮にたくさんの男に囲まれたとしてもシーリィちゃんが大好きな彼女がラストーズを離れる選択なんてしないと思うよね――、まあ、人生って奴は常にままならないもんです。
おかげで居残りの決まった俺は、国王陛下の筆頭騎士である騎士団長の父上と、王妃殿下の筆頭騎士である副団長であるアイリアちゃんの父上が揃って不在の間、王女殿下の騎士としてまるっと騎士団のあれやこれやを任されることになりました。
確かに立場としては任されてもおかしくないところにいるけど、よりによって俺かよって思いながら。
王女殿下付きに着任したときの最初の約束通り公的な場ではちゃんとしていたから、底辺に近かった二年たって評判は少しは向上していた。だけど、訓練中はそうでもなかったんで団内の評価はそこまで変わらない俺にすごい責任を押しつけなくてもいいと思わない?
苦労するのは最初から分かっていて、実際すごく大変だった。
することが多すぎて、本来の職務である王女殿下の護衛がおろそかになるって何なのって思いません?
忙しい上にアイリアちゃんをろくに見ることが出来ないとか、何の楽しみがないじゃないですか。何が楽しくて仕事に励めばいいのか分かったもんじゃありませんよねー。
俺みたいな若造に任せるよりも、王女殿下のために残される王妃殿下の騎士――長らくアイリアちゃんの父上の副官を務めるスコット卿にお任せすれば、心穏やかに過ごせる騎士は俺だけじゃないと思うんだけどなーぁ。
なんて心の中で不満を並べ立てても、上役に命じられたら従わないわけにはいかないわけであります。
将来的なこともそろそろ考えないといけないなーと、俺はごく真面目に与えられた任務を遂行していた。




