ある新婚夫婦の休日
突発的に思いついたので。
結婚後しばらく経った休日のひとこまですー。
「精が出るねえ」
不意に声をかけられたアイリアは、びくりと肩を震わせた。
「セッ、セルクさま!」
手を止めて咎めるように声を上げるアイリアの唇に、そっとセルクの指が添えられる。
「セルクでしょ。気を抜くとさまを付けるんだから」
こちらが咎める気で名を呼んだというのに、セルクの方が先に不満の声を上げる。
シーリィの結婚式が終わり、かねてからの宣言通りセルクに求婚されたアイリアが彼と結ばれて早三ヶ月が経つ。
婚約者となって早々に彼は「さま付けは止めて欲しい」と要求してきた。
出会った当初を思い出して「では、セルクちゃんとお呼びすれば?」と真顔で問いかけたアイリアに、絶句した彼はまだ記憶に新しい。
「それは忘れて、呼び捨てて。二人きりの時なら、フェストでもいいけど」
言われたアイリアは前世の名で呼ぶのも抵抗があったので以後彼のことを呼び捨てるように心がけている。だが、まだ慣れきってはおらずふとした瞬間に元の呼び方が口をついてしまう。
「――気を付けます。それより、入る前にノックくらいして下さい」
「扉をいくら叩いても返事をしなかったのは君の方。てっきり寝ているのかと思った」
アイリアは非を認めた上でセルクにようやく文句を付けるが、対する彼は飄々とそれに応じる。
作業に集中して気付かなかったのは自分だと指摘されたアイリアは、そうかもしれないとそこで自覚した。
「今は何を編んでるの?」
「ストールです」
ふぅんと相づちを打ちながら隣で腰掛けるセルクを横目に、アイリアはきりのいいところまで作業を続けることにする。
「お休みの日くらいゆっくりすればいいのに、いつも君は忙しくしているね」
「貴方ほどではありませんよ、セルク」
「そぅお?」
自覚がなさそうにセルクが不思議そうに声を上げる。それにアイリアは「ええ」とうなずいた。
アイリアの夫は、ともに暮らすまでは想像もしていなかったくらいに勤勉だ。騎士団副団長となってから「将来団長にお嬢さんを僕に下さいと言って断られない程度にしっかりやらないと!」と時々口にし、実際人が変わったようにと噂されるほど真面目に勤めている様子であったが、シーリィの側――気安い間柄のアイリア達の前では以前の通りちゃらちゃらしていたから、騎士団の仕事に関しては特に真面目にするということなのだろうなと判断していた。
実際は、自邸でもしっかりとやっている。
軽薄な騎士を装っていた時だって護衛任務明けの夕刻より訓練していたことは知っていたが自邸でも朝から体を鍛えており、さらに当主となった今は領地の管理のための仕事にも精を出しているのだそうだ。
彼が幼い頃からアートレスに仕えているという執事から「すべては若奥様のおかげです」と感極まった様子で告げられた時のことをアイリアは忘れられそうにない。
それは結婚してすぐのある休日のことだ。朝、ゆっくりと目覚めたアイリアが夫の姿を見ないことに軽い気持ちで執事に問うたのが話の発端だった。
朝の訓練の後に領地管理の書類を処理しているのだと執事はにこやかに告げ、それがアイリアのおかげなのだと続けた。
優秀で将来ある若さまが騎士になるという大きな目標を果たした直後からそれまでの勤勉さをかなぐり捨てて外でちゃらちゃら振る舞っていたことに、初老の執事は頭を痛めていたのだという。
「それでも、若さまは訓練だけは欠かされませんでしたから」
亡き先代当主が責任感はあるからいずれ落ち着くだろうと鷹揚に構えていたから見守るしかなかったのだと、そう彼は続けた。
さらに。
「若奥様を生涯の伴侶になさると思い定めてから、若さまは元の勤勉な方に戻りました」
などと続いた。
「それは――あの、先代さまがお亡くなりになったことで責任感に目覚められたからでは?」
当たり障りなく口にしたのだが、執事は「それもございましょうが、私ども使用人は若奥様のお力が大きいと思うのです」と譲らない。
アイリアはちくちくと良心が痛むのを感じながら、曖昧に笑みを返すことしかできなかった。
それは確かに……セルクが真面目にやり出した理由の一端はアイリアにもあるのだろうが。
同時に、彼が責任を放り出してもいいやとやけになった理由のほとんどがアイリアに――正確にはその前世に――あるということがわかるからだ。
ようやく身を固める気になった若き主の妻を、執事を初めとした家人は丁重に扱ってくれる。その原因が感謝の念なのだとしたら、違うのだと言いたい。
言いたいが、説明しても理解してもらえないと思うので言えないのだが。
「ちょっと大丈夫、アイリア? 根を詰めすぎじゃない? 休みなんだからゆっくりすればいいのに」
手だけ動かしながらぼうっと考え込んでいたアイリアは、夫の呼びかけに我に返った。
「貴方に言われたくはないです。セルクこそ休みだというのに何かと忙しくしているじゃないですか」
バツの悪さを誤魔化すようにアイリアは反論する。
セルクはちょっと困った顔をして、視線を逸らした。
「休みじゃないとやれないことあるからさ。やることやっとかないと溜まる気がして落ち着いて休めないから」
数年前の彼なら「溜まっても後で片づければいーよね!」と平然と遊びそうな印象だったのに、変われば変わるものだ――あるいは、かつてはフェストだった彼はそれこそが本質なのか。
相変わらずシーリィの前では気の抜けた姿も垣間見せる彼に問えば「どっちも俺だよ」と言いそうな気はした。
「私もただぼうっと過ごすのは落ち着きません」
「勤勉だなあ」
「好きでやってますから」
「それで疲れをためちゃわないならいいんだけど。でも、少し早いけどそろそろお昼を食べない?」
言われたアイリアが手を止めると、セルクは満足そうに笑う。
「お手をどうぞ、奥様」
「ありがとう旦那様」
素直に導きに従うアイリアを横目に、彼は上機嫌だ。
「午前中に煩わしいことはぜーんぶ終わらせたからね! 午後はどうする? お茶でも飲んでゆっくりする? それともいちゃいちゃする? たまにはデートとかもいいよねえ!」
うきうきと口にする様子を見ていると愛されているのだとはっきりわかる。そのことは嬉しいが、さらっと混じった二番目の選択肢に暗に含まれる意味はいただけない。
まだまだ新婚のアイリアには恥じらいというものが大きいのだ。
まあ、どれを選ぼうと長年の念願が叶ったばかりで浮かれている男はべたべたと妻を甘やかそうとしてくるので結局は程度こそ違ってもどれも「いちゃいちゃする」には違いないのだが。
「デートが、いいです」
アイリアの手を優しく包んでいるところから、すでにいちゃいちゃの片鱗は現れていた。
するべき義務を果たした後で半日ほどはアイリアから離れず過ごすというのが、彼が結婚してからの休日の過ごし方だ。
特に何も言わずアイリアのすることを飽きずに眺める日もあれば、膝枕を借りて昼寝する日もあった。まだそれほど共に休日を過ごしたことはないが、甘味を買ってきたりコックに作らせたりしてからゆっくり話しながらお茶をすることが一番多かった。
「いいね!」
自分の発案なのにセルクは喜びの声を上げた。
「デートはしたことないですものね」
「えっ」
「夜会を共にしたことはありますけど」
「それはデートに含めてもいいんじゃないかと俺は思いますー」
「でも――あの、私はああいうところに慣れなくて、そわそわしている間に終わってしまいます」
いじけてみせるセルクにアイリアは慌てて言い訳すると、彼は目をまあるくした。
「ですからその、普通に街を歩きたいです。フェストとティーファがしていたように。あの頃よりもっとこう、親密に」
「……どうしよう、うちの奥さんが可愛すぎて困る」
セルクがアイリアの手を握る力がぐっと強まり、つと視線が逸らされる。
「何をおっしゃってるんですか?」
「俺今なら幸せで死ねるかもしれない。でも今死ぬのはもったいないので耐える」
「だから何を……」
「愛しい奥様の可愛い要望には誠心誠意お応えいたします」
アイリアの疑問を解消しないまま、視線を彼女に戻したセルクは明快に言ってのけた。
「そうだね、じゃあコックには悪いけどお昼は外に出ようか。帰りが遅くなると明日に響くし、用意してある昼食は夜に回してもらおう。着替えて出て、どこかで食事して。それから、そうだな――せっかくだからヴァンレイクさまとルファンナさまの神殿にご挨拶して、それからお茶するとかどう?」
セルクは少し待っていてと言い残して部屋を飛び出していく。
アイリアは幸せな気持ちでそれを見送った。
前世は今と関わりない思い出のようなものだと、それにとらわれるのは今の人生を否定するようなものだと、アイリアはかつてセルクに言った。
なのに今ではアイリア自身もそれに捕らわれてしまっていると感じている。
だけど、それが正しいかどうかはさておき、今アイリアは――そしてきっとセルクも――幸せだ。誰にも迷惑をかけず、周囲にも祝福されていれば、正しくはなくとも間違いではない、アイリアはそう信じることにした。
そしてせっかく記憶があるのだから、少しはかつてを懐かしんでよいはずだ。
夫婦で街を歩くくらい、誰でもすることだろうから……貴族でそれをする者は滅多にいないだろうけれど。
「でもセルクは、街でも遊んでいたような人ですからね」
妻が夫の趣味につきあう体を装えば、誰も二人が前世を懐かしんでそぞろ歩いているとは思うまい――もっとも、誰かに素性を知られるつもりもないから、心配の必要もない。
「食事より先に、君の服を見繕わなきゃ!」
慣れた人らしく服を替えて現れたセルクが今更のことを言うのにアイリアはおっとり頷いて、そっと彼に近づいた。




