32 そして、それから
それからのことを順に語るとすれば。
思ったよりも長く二人で語らっていたことに気付いたアイリアとセルクは、慌てて王女の私室に駆け戻ることになった。
主たるシーリィは特に何を感じた様子もなかったが、その側に控えていたレイドルは大層おかんむりだった。
お説教がはじまる前に、アイリアはレシィリアの伝言を慌ててシーリィに伝えたが――その結果、彼女が驚き嘆くのは予想通りだった。
そして、薄々二人とも予想していたが、レイドルの怒りは倍増した。
「アイリアちゃんと二人、時間をかけて説得しようとしたんだけどねえ」
セルクが調子よく言い訳するのに、アイリアは開いた口がふさがらない心地だった。しかし、まさか自分の口から「実はレシィ様と別れた後、セルクさまと二人で前世の話をしていたために、よけいに戻るのが遅くなりました」なんて真実は言えない。
「説得も無駄かなーと思ったから、時々連絡してくれるように言っておいたよ!」
きっぱりと言い放つセルクからアイリアへと視線を移動させたレイドルの目が貴方がいてその行動を許したんですかと尋ねてきている気がして、アイリアは身を縮める。
「えーと、そのー。レシィさまは断固として意志を曲げる気配を見せず、まだ見ぬ世界への希望でうきうきしていてらっしゃるように見受けられまして、制止も無駄かと」
「あの子が家出まですること、ないのに」
居心地悪く言い訳を重ねていたアイリアは、寂しげに漏らしたシーリィに慌てて駆け寄った。
「レシィさまは考えに考えた末、ご自分の意志で決めたのだとおっしゃっていました。ですから、そのことをシーリィさまに気に病んでほしくないご様子でした」
「レシィは私のことを買ってくれているけど――自分が王の器じゃないって私は知ってるわ。あの子の方が向いていると思うのに」
シーリィの言葉に、怒りに満ち満ちていたレイドルさえ微妙な顔をする。
「だってそうでしょう? 魔法を使えないってことで私は色々なことから遠ざけられているもの。継承権の順位なんて関係ない。私よりあの子の方が色々なことを知っているし、王位に近いと思うわ」
「知識を得るのに遅い早いは関係ありません」
とりあえずのところ説教をしている場合ではないと思ったらしきレイドルが、生真面目な顔で言い切る。それにセルクがうんうんと同意した。
「部下としては、シーリィちゃんのように意見を聞き入れてくれる上司の方がありがたいよー。レシィちゃんは悪い子じゃないけど、思い立ったら周りの意見を聞かないところがあると思うんだよね」
ともかく三人がかりでシーリィを慰めてから、晩に彼女が床についた後、アイリアとセルクは改めてそろってレイドルにこってり絞られることになった。
そして王弟殿下は、レシィリアの予想通りに娘の家出を公にすることを避けたようだった。
しばらくは箝口令でもしいていたのか全く動向はわからなかったが、そのうちに王女派の耳にも王弟殿下の姫君の体調不良の噂が届くことになった。
レシィリアが出奔前にセルクやアイリアに言付けを残していたのが明らかになるとまずいのではとレイドルがやきもきし、つられてシーリィもアイリアまで緊張してしまったのだが、セルクは一人のほほんとしていた。
「それが公になるってのなら、とっくの昔に王弟殿下から呼び出されてるってば」
それが彼の弁で、実際に呼び出しを受けることのないままさらに時は過ぎた。そのうちに、密かにレシィリアからの便りが届いた。
無事にラストーズを出国し、しばらく近隣国を旅して回ろうと思っていること。
平穏無事な旅路と言い切れはしないが、おおむね問題ない日々を送っていること。
次期王位が確定し世情が安定した頃には戻ろうと考えていることなどが簡潔に記された短い文だった。
シーリィは従妹の無事に胸をなで下ろし、アイリアも同じくほっとした心地だった。
「一応無事なのは良かったけど、旅がおおむね問題がないといううちに戻ってきてくれたらよいのに」
「そうですね」
独白じみたシーリィの呟きに同意しつつも、それは難しいことだろうなとアイリアは思った。出奔前のレシィリアの未知の世界への希望に燃えた瞳を直接見たアイリアには、少なくとも本人が満足する前に戻ってきそうにないと思えるのだ。
手紙に記されたように「ラストーズの次期王位が確定するまで」彼女は戻らないだろう。
下手な時に戻ればまた争いを生むことが想像できるから――それはどれくらい先のことだろうか。次代である王女は魔法が使えないため立太子さえままならない。
王弟殿下がレシィリアの言うとおりにこれから自らが王位を望まないとしても、国王陛下はまだ四十代と若い。下手をすれば今からでも側室を娶って魔法使いの跡継ぎをと望む声を上げてもおかしくないのではないかとも考えられるのだ。
王妃殿下の祖国に恩を感じ、魔法国家を自称するラストーズの今後の変容を望む陛下がそれに易々とうなずくとも思えないが。
黙って視線を交わすレイドルやセルクも同じような心境なのだろうか、どこかしんみりとしたようなやや重い空気が室内を満たした。
先を憂いながらも何が出来るわけでもないアイリアがようやく取り戻した日常を過ごしている間に、しかし事態は大きく動いた。
どういうことですかとみっともなく叫びたい気持ちをこらえにこらえて、こらえきった後で、アイリアがとうとう爆発したのは気心が知れたセルクの前だった。
「何がどうなって、シーリィさまとレイドルさまが婚約するという運びになったのですか!」
そんなことを突然国王陛下から内々にそんなことを言い渡されて驚いた様子のシーリィに言えるわけもなく、また日頃は愚痴を言い交わすレイドルにももちろん言えるはずがない。
両親に言おうものなら陛下のお考えに異を唱えるなど恐れ多いときっと諭されるだろう。アイリアだって理屈ではわかっているのだ――人の上に立つものにはそれなりの責任がある。第一王位継承者ながら魔法が使えないという点で政治から遠ざけられている王女に政略結婚は不可欠であろうと。
これが、レイドルに出会ったばかりの頃であれば、おそらくは驚きとともに激高したであろうシーリィを宥めながら愚痴りあっただろう。
しかし今は、驚きつつも抵抗することなく素直に受け入れたシーリィの心情を思うと下手なことを言えない。
レイドルは……王女殿下の教育係は、口うるさいところもあるが真面目で真っ直ぐで、悪い男ではない。シーリィのことを思いやって動く点も、彼女の報われなかった努力を生かしてくれた点も、アイリアにとっては好ましい。
しかしそれはそれ、これはこれだ。
突然のことにシーリィとレイドルはどこかぎくしゃくしている。彼らが現実を受け入れられない様子を見せているうちに、素早く密やかに整った婚約にアイリアも戸惑いを隠せない。
こういう時にこそ役立つはずのセルクの明るさも何故か一向に発揮されないので、アイリアはどうすることも出来ずにやきもきしてきた。
そんな二人が、今は再び国王陛下に呼び出されていった。今度は何を告げられて戻ってくるのだろうと、アイリアは密かに恐れている。
なにせ、重要な案件につき侍女は不要と置いていかれたのだ。それをアイリアに告げた父は、セルクにも自分が護衛をするからと言い置いて彼にも残るように言った。
だからこそ、誰に遠慮することなく鬱屈をぶつけられたセルクは困った顔でアイリアを見下ろした。
「なにがどうなって、って」
「何かご存じなのですか?」
「いやー、なんと言いますか。全てはレシィちゃんの差し金的な」
「は?」
「あの子は怖いよねぇ」
しみじみ漏らすセルクの言葉の意味を、アイリアは掴みかねた。
「どういうこと、なのでしょう?」
首を傾げて見上げるアイリアから、セルクはつと顔を逸らした。
「いや、俺個人あてに手紙が届きましてね?」
「はあ」
「王弟殿下をどうにか説得するようにと」
「貴方にですか?」
「いやあ、俺あの子に兄のように慕われてるからー」
胡散臭い物言いをするセルクは相変わらず視線を合わせない。
「頼ってもらうのはいいけど、下手をすると俺の無きに等しい政治生命終わっちゃうんだよ? なんで王女派の人間が出奔した王弟の姫君からの便りを受け取るんだって話になりかねないのに、無茶振りするよねぇ」
「その無茶を現実にこなしたというわけですか?」
「警備厳重な王弟殿下に王女派の騎士が近づくのは生半可なことじゃなかったね」
そんな感想を落として、セルクはやれやれと頭を振った。
「レシィちゃんがお父上の心えぐる伝言を伝えてくれてなかったら、居室に忍び込んだ時点で首と胴体が離れてたかもね!」
「しの……えっ? 忍び込んだ?」
目を見開いたアイリアは彼がそんなことをするに至った経緯が非常に気になったが、話が逸れるだけだろうと問いたい気持ちにふたをする。
「その説得とやらはうまくいったのですか?」
「八割方はね」
とりあえず結論だけを問いかけると、うなずいたセルクは「主義を曲げて譲歩してくれただけでも上出来でしょ」と感想を落とした。
「要約すると、自分の幼い頃は王族としてシーリィちゃんを支えるべしと教えていたはずの王弟殿下に幻滅したってところから、どうあっても自分はシーリィちゃんを立てるから彼女が王位につかない限り国には戻らないと主張する明らかに他国から送られた娘の手紙に、国をまたいでまで追っ手を出したところで恐らくは捜しきれないと判断した王弟殿下が渋々折れたってところかなー」
「なるほど」
「落としどころを見つけるのは大変だったけど、まあまあうまくやったと思うよ」
「――それが、なぜシーリィさまの婚約に結びつくのかが理解できかねますけど」
つい低くなったアイリアの声に、セルクはびくっとする。
「うーん、もう少し猶予期間があっても良かったと思うんだけどねえ」
「猶予期間?」
「いきなり婚約とか言われたらうまくいくものもいかなくなると思わない?」
「は?」
「えっ?」
間の抜けた声を上げたアイリアを、セルクはびっくり眼で見下ろした。
「えええ、えーと、アイリアちゃん、君って……」
おそるおそるといった調子で続く言葉に首を傾げていると、セルクはうろうろと視線をさまよわせた。
「もしかして君、シーリィちゃんとレイちゃんがお互い意識しあってたの気付いてない? ――みたいだね」
アイリアが返事もしないうちに表情でセルクはそれを悟ったらしい。
「……おたがい、いしきって……まさか」
呟くアイリアは、セルクの言葉をすぐに信じることが出来ない。
「私は、ずっと二人の側にいましたよ」
特にシーリィの側からはあまり離れたことがない。
ずっと側にいたのはセルクも同様だが、間違いなくアイリアの方が二人との時間が長かったはずだ。
「なのになぜ私にわからないものがセルクさまにわかると言うんです」
「人生経験の差かなあ。これでも、人を見る目はあるつもりだからね」
自称何度も生まれ変わっているというセルクの言葉を、アイリアはまだ全て飲み込めていない。自分の記憶にはないいくつもの人生とやらがどうにも信じがたいのだ――詳しく聞く機会があったわけでもないが、あっても聞きたくない。
彼と何度も出会ったらしい、ティーファを覚えていなかった自分の前世たちのことなんか。
そう感じる思いの原因を考えないことにして、アイリアはフェストの顔を思い出す。
「セルクさまに言われると納得しがたいですけど、フェストのことを思い出すとあり得る気がしますね」
「中身はどっちも俺だけどねー」
私の方がシーちゃんに近しいのに……そう思わないでもなかったが、けらりと笑うセルクの中には確かにフェストらしさが潜んでいると今ではアイリアも認めざるを得ない。
元から察しのよかったフェストの生まれ変わりのセルクも、同じくらいには察しがよいのだろうと。
「でもセルクさまの勘違いでは?」
なのに往生際悪く問いかけるアイリアに、セルクは懇々と説明をしてくれた。
それは――かなりの脚色に満ちた、魔法国家の後継者であるのにその才に恵まれなかった王女が絶望の縁から心を救われる物語だった。要するに、シーリィが恋したきっかけは騎士服の解析や腕輪の制作に対して、レイドルから自分の知識を期待されたことらしい。
「それって、出会ってすぐからと言っていいくらいの時期じゃないですか」
「そうだねー」
「私だって、シーリィさまがレイドルさまにずいぶんお慣れになったなあとは感じてましたよ?」
「あの頃かなり劇的に態度が変わったよね」
「それが恋に落ちてた、ですって?」
「お互い意識してるのは割とわかりやすかったと思うけど……レシィちゃんも気付いてたよ?」
セルクよりもシーリィやレイドルと関わりが薄いはずのレシィリアまで気付いていたと聞くと遠回しに鈍いと言われたような気がしたが、全く気付いていなかったのだから文句は言えない。
つまり人生経験なんて関係なかったってことじゃないかとアイリアはむっと口を引き結んだ。
さっき思わず納得してしまった自分が情けなく思えた。
「……それならそれでいいとして、私にくらい秘密を明かしてくれても良かったのに」
「君にだけは言いにくかっただろうねえ」
ため息とともにアイリアが気持ちを切り替えて尋ねると、セルクは苦笑した。
「どうして」
「だって、君とレイちゃんは仲良しじゃない。アイリアはレイドルが好きなんじゃないかしら、だったら恋敵なのかしら、と彼女ずいぶんやきもきしてたよ」
「は?」
「なにか相通じ合ってるよね?」
アイリアは目をぱちくりとさせて、
「それで、貴方がシーリィさまから恋の相談を受けていた、と?」
「唯一の侍女が恋敵かもしれないんじゃ、シーリィちゃんに残った選択肢はほぼ俺だけだよね」
固い声で問いかけると、真顔でセルクは言い切った。
「相通じ合っていたのは主にセルクさまの言動が不満だという点ですけど」
「あー、君も彼も真面目だもんねえ」
のんきな感想を呟くセルクに気が抜けて、アイリアは「ではレイドルさまの方は?」と先を促した。
レイちゃんはねえと口火を切って、セルクはやはり脚色に満ちた物語をアイリアに語った。それは幼い頃に弟と生き別れた青年の葛藤の物語だ。
まるで当人からそれを聞かされたのだと言わんばかりの内容だったが、アイリアはとてもそうは思えない。
「レイドルさまが貴方にそんなことをお話しになるとは思えませんけど」
「大方俺の推測だけど、大きくは外してないと思うよ。特に王家に精霊使いの素養を混ぜるわけにいかないという葛藤は大きかったと見るね」
「そうでしょうね」
けろっと推測だと白状するセルクには呆れたが、アイリアはレイドルがそのために家の存続さえ危ぶんでいたことを――むしろ断絶もやむなしと心得ていたことは知っている。
「……仮に本当にシーリィさまたちが相思相愛だとして、そのご婚約を王弟殿下が受け入れられたことが不思議です。内々に成ったとはいえ先ほど殿下のお話をされたからには、王弟殿下にもお話を通しておいでなのでしょう?」
「王女殿下の婚姻を許可する権利があるのは国王陛下だよ。だからそのことに本来、王弟殿下が口を挟む筋ではないよね」
こくとうなずいたセルクは、あっけらかんと言い放った。
「それはそうですが――王弟殿下のことを蔑ろに出来るわけではありませんよね? そうであれば、とうの昔にシーリィさまが王位を継げるよう動かれているはずです」
「そうだねぇ。シーリィちゃんが魔法を使えないんだって判断したなら、早いうちに見切りをつけて帝王学を学ばせるべきだったんじゃないかなって俺も思う」
「魔法を使えない王女にそれはならないと主張なさった王弟殿下のご意見を陛下が容れられたことには理由があるのではと、私であっても思えます」
「一国の主でも、周囲に支えられなければ王として立てないからねえ。王弟殿下は陛下の同腹の弟であるわけだし、次期王について意見は相容れないもののその他に関しては味方だから、無碍にはしにくかったんだろうね。元々仲は悪くないらしいから、そのうちわかりあえると思ってたんじゃないの?」
平和な話だよねーと続ける皮肉げな調子にアイリアは息を飲み、だけど否定もせずにそうですねとうなずいた。
強大な魔の存在もなく、人同士が争うわけでもなく、確かに今は平和な時代だ。建国の初代王から数代の落ち着かない時代であったなら使えぬ王女はすでに表舞台から消えていたであろうから、平和なことはアイリアにとって歓迎すべきことだ。
「シーリィさまにとっては、一応はよいことのはずです」
力強く言い放つアイリアに、セルクはだねぇとうなずいた。
「ま、王弟殿下はねえ……幼い頃は王族として王を支えるべしと娘に教えていたのに成長して王女が魔法を使えないと見るや態度を翻したのが敗因だよね」
「敗因ですか」
「その辺の矛盾をレシィちゃんの伝言でばっさり切られた隙に、こう、うまーいこと、ね?」
「何をやったんですか?」
「自分が王と望んだレシィちゃんがどう考えていたか殿下にそっとささやいてみたり、陛下にシーリィちゃんの想い人のことを教えて差し上げたり、根回ししただけだよー」
「根回ししただけって……」
セルクはにこにこしているが、言っていることは空恐ろしいことなのではないかとアイリアは危ぶんだ。
それに気付いたらしい彼がふっと表情を改めたのでアイリアは思わず身を引いた。
「結ばれる道が見えてるのに、目を背けるのは愚かなことだと思わない? うまいことやれば幸せになりそうな人が身近にいるのに、ただ手をこまねいているだけなのは嫌だったし」
言外に前世のことを匂わせるセルクに、アイリアはうなずかざるを得ない。
「そっとささやいただけで王弟殿下にシーリィさまの婚約を了承させた貴方の手腕が、私はとても恐ろしいです」
心の底から呟くと、セルクは心底意外そうに目をむいて「えー!」と不満の声を上げた。
それを聞きながらアイリアは胸の内でできるだけ早急にシーリィの誤解を解こうと考えた。




