31 だけど新たな未来を夢見よう
「答え?」
「そう。俺は君という魂を愛しているけど、だからってこれまで君を手に入れようなんて思ってなかった」
その言葉にアイリアは確かにとうなずいた。
きっと彼がその気になればそれはすでに簡単に果たされていたはずだ。
彼のアートレス家はアイリアのファートレン家よりも格上だ。恋愛結婚の両親の反応はわからないけれど、その気になれば政略結婚を持ちかけてアイリアの父母を説得することは容易に可能だっただろう。
そしてどれだけセルクのことが気に入らないと思っていても、両親が許諾した縁談はアイリアに断れなかったはずだ。
あるいはその前に、やろうと思えば世慣れぬアイリアをたぶらかすことだってできたかもしれない――出会いが出会いだったので努力は要しただろうが、彼がすぐにふざけた態度を改めて真面目にやっていたらいくらでも挽回の機会はあったのではないかと思う。
翻って過去を考えると、彼はあえてアイリアの神経を逆撫で続けていたのではないかと思える。時々見直す機会はあったものの、すぐに評価を落とすことばかりをしていた。
世慣れぬ小娘をたぶらかすつもりならば、何よりも彼は自らの評判を気にかけるべきであった。手に入れられない女性ばかりを追いかける救いようがない女好きという評判を。
その裏の意図を――情報収集のためにあえてそうしているのだと――自らの口で説明してもよさそうなものなのに、別にそうすることもなく「わかるひとにわかってもらえたらいいよ」とでも言わんばかりに特に言い訳をするわけでもなかった。
そういえば、と。
アイリアは不意にセルクのかつての言葉を思い出した。
「以前、続くかどうか分からない家の後継の心配をすることはないとかおっしゃってましたか」
「そんなこと言ったっけ?」
問われたセルクは首を傾げたが、アイリアは「おっしゃいました」と断言し、
「それは……、つまり」
自意識過剰ではないかと思いながら、ぼそぼそと話を続ける。
「ん?」
「身近にティーファの生まれ変わりがいるのに手を出すわけにいかないので、結婚自体を諦めてらっしゃった、とか、なのでしょうか?」
セルクは目を丸くした。
「あー、そうねえ、そういう感じかなあ。えー、俺そんなこと悟らせるようなこと、言ったことあったっけー?」
いつの間にか、セルクはよく知っている軽い口振りになっている。
そのことにアイリアはどこかほっとした。
「一生を殿下に捧げても良いというようにおっしゃってましたよね?」
あったかもねえとセルクは微笑した。
「王位継承争いに勝ったら女王陛下に忠誠を捧げる感じで跡継ぎは親戚から養子を取ればいいし、破れたらさすがに新王がアートレスを重用するとも思えないからアートレスは俺の代でつぶれても構わないんじゃないかなー的な」
「どうしてです?」
アイリアは首を傾げた。
「セルクさまはどんな私でも好きだと先ほどおっしゃいました。そうであれば格下であるファートレンの娘を望むことになんの無理もないと思いますが」
一度言葉を区切り、どんな変化をも見過ごさない意志を固めていアイリアはセルクを見据えた。
「そうはおっしゃいつつも、ティーファの記憶のない私にはなんの価値もないから無視することに決めたのでは?」
だとすれば、それはとても悲しいことのように思えた。自然と落ちそうになる目線をアイリアは必死に維持しようとする。
見据える先のセルクは、大げさなくらい首を横に振った。
「まさか!」
「でもそういうことでしょう」
「違う」
セルクは突然立ち上がるとアイリアに駆け寄り、重ねて「それは違う」と言い放つ。
「そんなことはない。記憶のあるなしなんて関係ない」
「でも」
「俺は――シーリィちゃんのために必死に働く君のこと、ずっと好ましく思ってた」
やろうと思えば女性をうっとりさせるような美辞麗句を――ただしこれ以上なく軽い口振りで――いくらでも口にできる人なのに、今アイリアを見下ろすその人の語り口はなぜかたどたどしい。
あまり見上げるのも首が痛いので立ち上がろうとしたアイリアを制して、セルクは何と思ったのかひざまづいた。
「本当だよ。君の全力の好意を受けているシーリィちゃんがうらやましかった。正直、ちょっと彼女に嫉妬するくらい」
見上げる視線にたじろいで、アイリアは椅子をガタリと揺らした。
「彼女はいつでもほんのすこーし、君の魔力を漂わせているからさあ。ああ、君は本当にシーリィちゃんが好きで、無意識に守りの力を発動させてるんだと思ってた。
あるかどうかくらいの守りの力だけど――無意識にも大事な人を守る力を振るうんだって。いかにもそれはティーファらしいなって感じて……でもまさか、君が彼女の記憶を持っていたなんてあの時は驚いたよ」
それは私もですと応じるアイリアに、セルクは「意図的にあれだけで力を押さえてたんだね」と笑みを見せる。
「だけど、それは俺にとっては朗報だった。何度生まれ変わろうとも、俺はずっと君のことを愛している。だからこそ、易々と愛をささやくなんてことができなかったから」
儀式のようにアイリアの手を取ったセルクが、神妙な顔つきで甲に口づけを捧げた。動きを固めたアイリアは、呆然とそれを見下ろした。
「お互い前世を思い出さないうちに、近しい立場の武家同士交流をもてていたら良かったのに。それでもきっと、俺は君に心引かれたと思うよ」
「……なにを……ばかなことを」
あり得なかった過去を想像することは、叶わなかった未来を嘆くことと同じくらい空しい。
アイリアは捕らえられた手を引くことさえ忘れて呟いた。
「だとすれば難しいことなんて考えずに純粋な好意を伝えられたのに――そうでないから、俺は自分の気持ちが後ろめたかった。心の奥底にどうしたって、ティーファへの気持ちがあることを否定できないから」
ティーファなんてもはや存在しない。たとえ生まれ変わりであっても、アイリアは彼女と自分に大きな違いがあると思っている。
なのに彼がティーファに未だ捕らわれているなんて不毛だとアイリアは感じた。
それをすぐに口に出せないのは、アイリア自身もその不毛さに覚えがあるからだ。
自分が夢に何度も現れた凛々しく優しいフェストにあこがれを抱いていた事実は否定できない。
その生まれ変わりであるのに、それらしくないセルクに必要以上に厳しく当たって彼が気に入らないと自分に言い聞かせていたのに――今となっては真面目に振る舞う彼に違和感を覚えて、物足りなさを覚えているのだから。
「いもしない過去の幻影を追っているようなものだって、わかってるよ。そんなことを簡単に悟らせるつもりはないけど、君に知られることを考えると迂闊に手を出せなかった」
セルクは「前世の君の面影を見て懐かしんでいるとか、言えないでしょ?」と自嘲気味に続けた。
「そうですね」
アイリアは素直に同意した。
「本当のことを言うと、二度目にそれで失敗したんだ」
「失敗、ですか?」
そうとうなずくセルクの様子に、アイリアは深く聞くのをためらった。胸の内のもっとも奥深い傷が無防備に目の前でさらされているような気がして、見ていられない。
宥めるようにそっと意図を持って彼の手を握り返すと、セルクは驚いたように目をぱちくりさせた。
「わかりました」
「え?」
「私も貴方も、お互い救いようがないのでしょうね」
ため息を漏らしながら、アイリアはセルクに立つように促した。
細身ながら騎士として鍛えられた身体見上げれば、青い瞳はきょとんとアイリアを見下ろしてくる。
「それって」
降ってくる声にいつもの余裕がないように思えたことで、アイリアは勇気を得た。
「私――いえ、ティーファも……フェストに思いを寄せていました。だからといって、その思いをそのままセルクさまに抱いているとは今は言えませんが」
一度言葉を切って、アイリアはなんと言うべきものか迷った。
「日頃の言動はさておき、貴方がいざとなればきちんとなさる方だとは知っています」
「そこはもー少し話を盛って、リップサービスしてくれてもいいとこじゃない?」
迷ったあげくにアイリアの口から飛び出た言葉に、セルクは苦笑する。
「そんなことをすればセルクさまを調子に乗らせるだけじゃないですか」
「えー」
不満そうに唇を尖らせる様子はアイリアが全てを知る前の彼が戻ってきたようでなんだか懐かしいような微笑ましさを感じた。
――以前は、ただただ苛立たしいだけだったというのに。
「私はあの真面目で凛々しくて素敵なフェストが、好きだったんですけど」
アイリアはため息混じりにぼやいた。
「残念ながら今の貴方の不真面目さも嫌いにはなりきれないようです」
「ホント?」
セルクはきらきらと目映い笑顔を見せた。
「だからといって調子に乗って、せっかく挽回した評判を損ねることはなさらないで下さいね!」
やはり調子に乗りそうだと感じたアイリアは慌てて彼に釘を差した。




