30 夢の続きは、夢見れない
「何も言わなくていいから聞いてくれる?」
セルクはアイリアにそう前置きした。
「二度目、俺は魔獣の封印が綻んできた時代に生まれた」
「え」
別世界に生まれたからにはもはやアイリアには知ることの叶わないはずであった話をはじめたセルクには、先ほどまでは感じ取れた動揺のようなものは感じられない。
「今の、ここと同じような感じだったよ――綻んだ封印の狭間から、魔物がぴょこっと現れるとはいっても、人の力で十分対処ができるようになっていた。俺はそれを狩る冒険者だった」
「封印は、どうなったのですか?」
息を飲んで尋ねるアイリアの様子を、セルクはじいっと観察する。
「あれがそもそも永続するものではないと、俺と君だけは知っていたよね」
「やはり、破られたのですか。では、あの世界は」
滅びたのでしょうか――最悪の予測を口にすることが、アイリアにはできなかった。
お綺麗な言葉で綴られた子供向けの「世界と神話の話」を通読しても、「封印の戦士と巫女の物語」の世界のその後はどこにも記されていない。
ただ、物語の中でこの世界の創世に関わった神々が他にも様々な世界を創っていたことは気にかかっていた。果たして、有能なれども万能ではない神が数々の世界を同時に守ることができるのだろうか――。
かつて自らが救い、自身の幸せを諦めてまで守ったつもりの世界の行く末について考えた末に至った「もしかして」の先を、アイリアは信じたくはなかった。
知らず震えていたらしい指先に、そっと暖かな手が添えられた。
「俺の知る限りでは滅びてないよ」
向かい合った正面で、セルクはしっかりと請け合ってくれた。
「でも」
「詳しい経緯は言えないけど、戦士の生まれ変わりである俺もいたし――君もいたしね」
その言葉に息を飲むアイリアの目を見て、
「やっぱり、そのことは覚えてないか。だと思った」
セルクはため息を漏らした。
「……それは本当に私だったのですか?」
「俺は君を見間違えない自信がある――何度生まれ変わろうとも君はいつもティーファの面影を宿しているし、変わらずルファンナさまの加護を得ているからね。だけどいつも、君には前世の記憶がない」
アイリアの疑惑の眼差しに答える彼は胸を張り、それから一転して切なげに息を吐く。
「それでも次こそはと、俺はいつも期待してしまう」
いや、とセルクは首を振った。
「していた、かな――だって、君にはティーファの記憶がある」
とんでもない事実を聞かされてアイリアは唖然とするばかりだ。
「話はそれたけど、その二度目の人生で前世を思い出すまでに培った性格が今の俺を形作ってるんだよね」
そんなことお構いなしにセルクは話をそうまとめた。
「で、アイリアちゃん」
「はい」
「ティーファは、あれからフェストを恨んで過ごしていなかっただろうか」
問われたアイリアは、彼がそうしたように自分のことを語った。
前世のことは幼い頃から夢に見て思い出したこと、それはおそらく今セルクが語ったようには自らのこととして受け止め切れていないこと。
なぜならばそれが本当に前世の記憶だとしっかり認識したのはセルクと出会ってからのことで、それまでは夢の事柄を前世の記憶ではないかと疑いながらも自分がただ想像したことがらのようにも感じていたからであること。
そして。
「恨む、なんて考えたこともないと思います。居場所のわからない貴方を――フェストを思って、時に切なくなることはあったようですけど。寂しい生活はあまり思い出したいものでないらしくて、あまり夢に見なかったですから」
「そう」
アイリアが伝えると、セルクは短く呟いた。それは短いものながら、何か複雑な思いを内包しているように思えた。
記憶を留めながら幾度も転生を繰り返したという彼の心中を、そうではないアイリアがわかるはずなないのだと知らしめるかのようだ。
「……それなら、よかった」
何かをかみしめるようにうなずいたセルクは、掠れるような声音で言う。ぱっと視線をあげた彼は、いつもの調子を随分取り戻して見えた。
そのいつもは、セルクのそれではなくフェストのもの。
「だったら」
救世の旅路の末に落ち着いた物腰を得た彼のような様子で、未だアイリアの指先に添えられていたままだった手に力がこもる。
「俺は、あの頃の夢を形にしてもいいんだろうか」
「ゆ、ゆめ――? あの頃の夢とはなんですか」
そっと持ち上げられた右手が、熱かった。
アイリアはひっくり返った声を上げて身じろいだが、いつの間にか大事なもののように掲げられた手は解放される気配がない。
「あの時のフェストは――俺は、本当は君に愛を告げたかった。馬鹿な動きさえなければ、きっとそれは果たされていただろうに」
愛、と繰り返したアイリアだけど、ひゅうとのどが鳴るだけでそれはしっかりとした言葉にはならなかった。
「……それは、フェストの思いであって――貴方のものでは、ないでしょう!」
熱のこもったセルクの眼差しはこれまで見たことがないもので、よく知っているはずの人が別人に見える。
ああ――彼がかつて冗談めかして言っていた言葉が事実だと、アイリアは今になってはっきりと理解した。セルク・アートレスという男が本気を出すと、危険だ。
整った顔立ちながらふざけた言動で三枚目を演出していた男が、今その仮面を完全に脱ぎ捨てている。責任ある立場に引っ張り出されたのを機に少しずつ外されていったそれが今完全に取り払われ、隠されていた素顔が現れたようだ。
夢の中の彼に心を躍らせたことのある自分のどこかが歓喜の声を上げる。それはアイリアの記憶の奥に潜むティーファの声なのかもしれない。これこそが、自分の愛した人なのだと。
だけど何かが違うと、アイリアは必死になった。
「私はティーファの記憶はありますけど、彼女ではありません!」
アイリアはそう叫ぶと、どうにかこうにか彼の手を振り払う。
その手を呆然とした様子でセルクは見下ろした。
「貴方の思いは妄執というのではないでしょうか」
「……そう言われると、残念ながら否定はできないなあ」
アイリアが振り払った手をグーパーさせて、顔を上げた彼はアイリアのよく知るセルク・アートレスに戻っていた。
それを残念なようなそうでもないような気持ちでアイリアは受け止める。ティーファは――アイリアの前世は、フェストのことを好ましく思い、現在のアイリアは、フェストの生まれ変わりのセルクのことを苛立たしく思っていた。
だって、フェストはつらい旅の途中いつでもティーファのことを気遣う優しさを持っていた。
なのに、セルクときたらふざけてばかりでアイリアの神経を逆なでし、いつもアイリアの胸の内にいるフェストの印象を損ねてばかりだった。
(ああ――私は、とても混乱している)
短い時間にいろんなことを聞いて、あれこれ考えすぎている。
混乱の中で考えて得た答えが正しいこととは思えない。
セルクが前世の記憶を持っていると知ってから、アイリアは表面上は取り繕いながらもずっと戸惑い、そして考え続けていた。
あまりにも両者の印象が違いすぎて、真実を認めがたかったから――なのに否応なく彼は重くなった立場に見合う真面目さを纏って二人が同一の存在だと見せつけてきた。
長らく彼の軽薄な言動に苛立ちを覚えて仕方なかったというのに、求めていたはずの真面目さに物足りなさを覚えている自分をアイリアは認めざるを得なかった。
(彼はフェストの生まれ変わりで。きっと本質は変わってなくて――だけど)
セルクは、フェストではない。いつだかも悟ったつもりであったそれは、今考えても紛れもない現実だ。
アイリアがティーファと同一でないように。
なのに、妄執に捕らわれた彼の言葉に易々と乗って、その続きを夢見るなんて、できない。
アイリアだってもちろん、フェストに思いを寄せていたティーファの念願を叶えてあげたいようには思うけれど。
だけどアイリアは、堂々と胸を張って彼の言葉を否定する。
「前世は、前世です。今とは何ら関わりない思い出のようなものです。そんなものに捕らわれるなんて、今の人生を否定するようなものです」
眩しいものを見るようにセルクは目を細めた。
「君は潔いね、アイリア」
「そんなことは」
「そういう君だから、これまでティーファの記憶を持ってこなかったんだろう。なのに今、それを思い出してくれていた君に出会い、そのことを知れたのは奇跡的なことだと思うよ」
にっこり微笑むのはいつもの彼のようでいて、何かが違うようにアイリアは感じた。
そろそろと腰を上げて、「シーリィさまのところに戻らなくては」と撤退宣言をしようとする前に、セルクは素早くテーブルに身を乗り出してアイリアの手首を捕らえた。
「アイリア」
「な……なんでしょうか」
押さえた声音で呼び捨てられたアイリアは身を震わせた。
日頃ちゃん付けを欠かさない彼がそういう風に呼ぶ時は、真剣に話をする時なのだとおぼろげながら感じている。
「だから妄執だと言われようと、俺は君を諦めるわけにはいかない」
「どうして」
「俺は、そんな君がずっと好きだ」
「だから、それは」
尖った声を上げるアイリアの口をセルクは空いた手で封じてきた。非難の声は湿り気を帯びた手のひらに吸い取られ、濁った音だけ立てる。
「何度生まれ変わっても、そうだった。君に記憶があろうがなかろうが、それは変わらない」
真摯な告白は遠い昔望んだもののはずなのに、全く喜べない。
アイリアの不満な眼差しを感じ取って、セルクは口をふさぐ手だけは引いた。
「……つまり貴方は、記憶がなかったという以前の私にも常に愛をささやかれてきたのですね」
「俺の想いの根底にはティーファの存在があるというのに、そんなことができたと思う?」
「聞かれても、私にはわかりません」
「今まで俺が君に言い寄ったことはあった?」
「……ないように思います」
アイリアが答えると、セルクは「それが答えだよ」と自信満々に言い切った。




