28 落ち着いた、その後で
セルクが落ち着かず、アイリアが説得を試みる隙もない間に結局は騎士団長の後任はアイリアの父と定められた。
「解せぬ」
母と離れたくがない故に抵抗していた様子の父はぼやいていたが、最後はこうまで陛下に信頼していただいたのだから光栄なことだと受け入れたようだ。
慣例に従い国王陛下の筆頭騎士となることになった新騎士団長は、後任を有事に王女殿下を守りきったスコットに任せ王妃付きを離れることになった。
元々副団長として人望のあったアイリアの父の就任は、全ての騎士にすんなりと受け入れられたらしい。それでも新体制への移行にはしばらくごたついた様子はあったが、いつの間にやら騎士たちの様子はすっかりと以前のように落ち着いたものとなった。
晴れやかな顔で王女の側に戻ってきたセルクは、それでも副団長の肩書きからは逃れきれなかったようである。
「長くお側を離れることが続きましたが、これより通常の任務に戻れます」
見慣れぬ役職者専用の騎士服を身につけ、彼は見慣れたへらっとした表情にまだ抜け切らぬらしい真面目な口振りでそう言った。
「ですが、少々アイリアちゃんをお借りしてもよろしいですか?」
シーリィは変に真面目な彼の様子に目を白黒させながら、それにうなずいた。
「今でなくてはならないのですか?」
では早速と引っ張られそうになって慌ててアイリアは抵抗したが、「今でないと後でものすごく困ることになります」真面目ぶって言い切る男の言葉に従うことにした。
どんなよからぬことが起きそうなのだと彼に尋ねてみたくても、廊下で不用意に尋ねるわけにはいかない。
黙りこんで足早にどこかに先導するセルクの背中をアイリアは必死で追った。よほど急いでいるのか、女の足に配慮のない速度で彼は進んでいくのだ。
廊下を幾度も曲がり、屋外へ出たことでアイリアはようやく行き先の予想がついた。
ここ最近、彼が長い時を過ごしていたと伝え聞く兵舎。その中の、一番高い三階の奥まった一室が彼の目的地であった。
「こんなところまで私が入ってもよろしいのですか?」
一侍女の入っていい場所に思えない重厚な扉を見てアイリアが問いかけると、セルクは一つうなずいてから扉をノックする。
「俺だよ。入るね」
言うやいなや返事も聞かぬまま扉を開けるセルクに驚かない程度には彼の行動に慣れているつもりだったアイリアだが、室内にいた人物が予想外すぎて言葉を失った。
「待っていたわ」
さほど広くはない応接間らしき室内で二人を待ちかまえていたのは、なんとレシィリアであった。
王弟殿下の姫君が身に着けるものとはとても思えぬ服に身を包んで窓を背に座り、彼女は堂々とした姿でそこにいる。
「レシィさま?」
アイリアは目を疑いながら彼女をまじまじと観察する。庶民が身につけるような単純な作りの服は、一体どこで手に入れたものなのだろう。
「そのお姿は――まさかお忍びで城下にでも行かれるのでしょうか」
ドレスでないレシィリアなんてアイリアははじめて見たが、その姿はずいぶんこなれているように見受けられた。
時々取り巻きから逃げ出すことのうちに、お忍びでの城下探索が含まれていてもおかしくないのかもとアイリアは思った。方向音痴だと噂される彼女が一人でそうできるとは思いがたいのだが。
いや、あるいは。
「まさかセルクさま、レシィさまのお忍びに私を巻き込むおつもりなのですか?」
思い立ったアイリアがばっと振り返ったら、扉近くにたたずんでいたセルクは首を横に振る。
「それならまだよかったよね」
「その段階は過ぎたものね」
苦笑がちに呟くセルクの発言の意図を考える前に、レシィリアの笑いの含まれた声が聞こえた。
「家出するのよ」
淡々と続いた言葉をアイリアはすぐに理解できず、ぽかんと口を開ける羽目になった。
「――いえで、家出って……そんな」
動揺のあまりぼそぼそ呟いたアイリアは、異論は聞かないとでも言いたげなレシィリアの表情にどうしていいものか戸惑った。
「新たな犠牲をうまないためには、早めに次期国王の立太子が必要だと思うわ」
アイリアが説得の体制を整える前に、レシィリアは静かに語り始めた。
「未だに立太子がなされないのは、第一王位継承者であるシーリィ姉さまが魔法が使えない上、あまり年の離れていない第三位の私が魔法を使えるからでしょう。私がいなければ、話は簡単なのよ」
「そう簡単な話ではないものと、私には思えますけれど」
アイリアはさらりと言い放つ姫君に向けて、何とか口を挟んだ。
「そうでもないわよ。お父さまも私がいなくなれば、しぶしぶであっても姉さまを認めると思うわ。先に娘を王に推しながら、今更自分がなんて言い難いでしょう。それに、今回の事件でずいぶん遠縁まで継承権が行き渡る羽目になったのだもの――私に弟妹が生まれない限り自分が王になっても次代が王家の本流から離れることになると考えれば、そうせざるを得ないと思うわ」
「継承権の与えられるほどの王族の方は、魔法がお使いになれるのではないですか? 魔法使いこそ王であるべきと主張されておられる王弟殿下でしたら、傍流であっても魔法使いを王になさる方をお選びになりそうですけれど」
「いざととなったらそうするかもしれないけど、可能性は低いと思うわ。だって正当な王位継承者である姉さまを押しのけて王位を求めるのに娘である私の名をあげたのは、お父さまなりの正義を貫こうとした結果ですもの。その正義では、自分の後継者が他にいないのに候補に挙げた娘がいなくなったからやはり第二位の自分が立太子するなんて言えないと思うの。
だからといって、中央から遠かった方を次期王に推されるとはとても思えないわ。事件を起こした大公殿下のような方ばかりとは思えないけれど、お父さまなら警戒なさるわ」
娘がそう考えているのだから間違いないとごり押しするレシィリアに困り果て、アイリアは口を引き結ぶ。
いつの間にか背後まで来ていたセルクがそんなアイリアの肩を叩いて視線を自分に向けさせた。
「レシィちゃんは最悪、家出が有効なんじゃないかって前々から考えてたんだよ」
「よくご存じですね」
「方向音痴な娘さんが家出と称して旅立つのは無謀だと思うとは前から言ってたんだよ?」
アイリアの口振りに何かを感じたのかセルクは慌てて言い募った。
「そのくせ、お忍びに協力してくれたよね」
「なんの知識もなく城下で王族のお姫さまが過ごせると思えないし、抜け出しそうなところを発見しちゃったら協力せざるを得なかったよね!」
言い訳するような言葉をさらりとレシィリアが無駄にしてしまったので、セルクはやけになったように言い訳を重ねる。
アイリアは自分の眉間にしわが寄るのをまざまざと感じた。しらっとした眼差しを向けられたセルクはつと視線を逸らす――どうやら、この流れに罪悪感のようなものは感じているらしい。
「つまり、以前にレシィさまのお忍びを発見されたセルクさまが外での振る舞いをレシィさまに教えた結果、レシィさまが自信を持って家出を決行しようという決断に至ってしまったと」
「いや……まさかレシィちゃんがそこまで思い詰めちゃうとか考えもしなくって」
「貴方がですか?」
心底疑わしそうに響いたアイリアの声に、セルクは深々とうなずく。
「よく考えもせず、不用意にレシィさまをよからぬ考えに染めた、と?」
アイリアは冷え冷えとした声で彼を非難してから、レシィリアに向き直った。
「アイリア? 別に私はセルクにそそのかされたわけじゃないわよ?」
「いいですか、レシィさま」
目を据わらせてそう口にするアイリアの本気を悟ったのか、レシィリアは真顔で一つうなずいた。
「私の口から申し上げる事柄ではありませんが、この男は貴方の政敵にあたる王女殿下の騎士です」
何をそんな当たり前のことを言うのとでも言いたげな顔でレシィリアは「ええ」と首肯する。
「言葉巧みに主に都合のいいよう、レシィさまのご意志を誘導しているとは思われませんか?」
レシィさまがいなくなられて利があるのは王女派の人間なのですよ――と、王女唯一の侍女が口にすることではなさそうなことを口にしたアイリアを見て、レシィリアは目をぱちくりとさせた。
「アイリアの立場で言うことじゃないよね、それ」
「あらかじめそう申し上げました」
レシィリアはあははと快活な笑い声を上げた。
「そりゃあ私もセルクは案外策士じゃないかと思うけど、踊らされてるつもりはないよ」
当人はあっけらかんと言い放つが、果たしてそうだろうかとアイリアは疑問に思う。
「私がいない方がうまくいくわ」
年下の従妹がそう思い詰めたと知ったらシーリィがふさぎ込みそうだと思ったが、レシィリアは前向きな明るい表情だ。
「といっても、いつまでも戻らないつもりはないのよ。私は姉さまをお側で支えたいんだもの。市井で経験を積んで、見聞を広げてみるつもり」
からりと彼女は言い切った。
「是非魔法使いより力があるという精霊使いを目撃してみたいし」
レシィリアの瞳は希望でキラキラと輝いているように見える。
アイリアは何とも言えなくなってセルクを見た。――視線を交わすだけで、意志が通じた気がした。
(何を言っても聞きそうにない感じがするでしょ?)
(そのようですね)
無言で会話をした気分になってから、アイリアは説得は無駄ではないかと諦めかけた。
「レシィさまのお考えはわかりますが、お一人で旅に出るのはやはり危険だと思います。シーリィさまも悲しまれますわ」
それでも、彼女が姉のように慕うシーリィの名を出せば何とかなるのではとアイリアは諦めきれない。
それを聞いてレシィリアはふふっと笑うと「姉さまはそうだろうね」とうなずいてみせた。
「だからアイリアを呼んでもらったの」
「え?」
「私が自分の意志で、考えに考えた末に旅に出たとアイリアから伝えておいて」
そう告げられて、アイリアは言葉を失った。
「できればこれから、私と別れて姉さまのところに戻ってすぐに。私はこれから出るけれど、きっとお父さまはすぐに娘の家出を公表はしないと思うわ」
「まあ、娘が家出したなんて醜聞だし、あの方は堂々と言い出しはしないだろうね。だから大々的に動くわけにはいかないだろうけど、それでも追っ手はかかると思うよ?」
呆然とするアイリアを置いて、セルクは忠告を口に乗せる。
「でしょうね」
レシィリアは顔をしかめながら重々しくうなずいた。
「時間をかけて出来るだけの手は打ってあるから、大丈夫だと信じるしかないわ」
「――いっそ、ことが公にならないうちにレシィさまが連れ戻された方が安全ではないかと感じますけど」
「そんなことになったら、きっと監視がついてこんな風に抜け出せなくなるから困るわ」
「やはり止めておかれた方が」
アイリアが言い切る前に、レシィリアはいいえと首を横に振った。
「それは問題を先延ばしにするだけよ。いずれまた馬鹿を考えるものが現れて、今度こそ伯父さまや姉さままで犠牲になるかもしれないわ。あるいは――お父さまと伯父さまが完全に仲違いをして、私たちが国王陛下に断罪される未来だって考えられるかもしれない。それくらいならまだいいけれど、最悪内乱にまで発展する可能性もある。そうなれば誰一人幸せになれないわ」
断言されたアイリアは、彼女の言葉を否定することは出来なかった。可能性を論じられたらどれだってないとは言えない。
思わず助けを求めるようにセルクへと視線を向けたが、彼もまた渋い顔をしてはっきりとは否定は出来ないようだった。
「……レシィちゃんの言葉には、残念ながら一理あるんだよねえ」
ため息混じりに彼は言った。
「いちおー年長者として忠告させていただくとすると、いくら魔法の腕に覚えがあるからって君みたいなかわいー娘さんの一人旅は危険だと思うけど」
いくら護身術を習っていても男の力にはかなわないでしょ、と続けるセルクの言葉はいまいち軽さを装い切れていない。
「アイリアちゃんが言うとおりシーリィちゃんは君がいなくなれば悲しむだろうし、旅先で万一のことがあればもっと悲しむよ」
「そんなこと、わかってるわよ」
でしたらお考え直しをとアイリアが口を挟みかけるのを、セルクは手で制してきた。
「俺もアイリアちゃんも君を引き留めたい気持ちなのもわかってるよね? 知れば、シーリィちゃんだって――それに、レイドルだってきっと同じことを言うはずだ」
「わかるわ」
自分の言葉にうなずくきっぱりうなずくレシィリアを見て、セルクは苦笑する。
「それでもなお家出が最善手だとレシィちゃんが信じてるなら、引き留めるのは無駄だよね」
そうねと同意するのはもちろんレシィリアで、ようやく本気で説得する気になったのかとセルクを見直しかけていたアイリアはただ唖然とするだけだった。
「交渉を決裂させるより、俺としては出奔するレシィちゃんと良好な関係を保って連絡手段を講じておく方が利があると思うなー」
なんと言って良いのかわからないアイリアを放っておいて、セルクはあらかじめ用意していたらしい封筒をいくつも取り出した。それをレシィリアに渡すと、王弟殿下の目を避けてどうにか自分たちに連絡できるであろう方法についていくつも彼女に伝えていく。
説得すると見せかけつつ最初からレシィリアの行動を後押しするつもりであったらしいセルクにアイリアは開いた口がふさがらない思いだった。
「そんな無責任なことを!」
「だって家出する気満々のレシィちゃんは俺たちと別れた瞬間にきっと飛び出すと思うよ? それなら説得する時間は無駄だし、出先でどうなったかやきもきするよりもどこかから便りの一つでも出してくれるようにお願いしておいた方が有益だよ」
どうにか文句を口に乗せても、アイリアを軽くあしらうような発言が返ってくるだけだ。
「そういう問題ですか?」
「だって、シーリィちゃんはレシィちゃんの安否を気にすると思うし」
それはそうかもしれないと思ってしまったアイリアの負けだった。
仮に説得の結果諦めた振りをしても、思いこんだら一直線なところがあるレシィリアがセルクの言うように飛び出してしまうことは十分考えられた。
幼くして周囲から持ち上げられ次期王となることを望まれたのに、ぶれずに正当なる王位継承者である従姉を慕い続けるように、彼女にはどこか強情なところがある。
それならば確かにセルクの言うとおり、従妹の行方を気にかけるであろうシーリィが安心できるように連絡手段を確保しておいた方がいい。
アイリアは仕方なしにセルクに同意して、レシィリアに向き直る。
「レシィさま、旅のご無事をお祈りします」
「ありがとうアイリア」
二人のやりとりを見守っていたレシィリアはにっこりと微笑んだ。
「シーリィ姉さまがアイリアのお祈りは効果抜群だって言ってたから、よろしくね! 折を見てこっそり連絡するわ」
そして彼女は「伝言をよろしくね」と念押しすると立ち上がり、晴れやかな表情と王族の姫らしからぬ物腰で自らが背にしていた窓から出て行った。




