23 襲撃は突然に
王女殿下の護衛の体勢が通常とは異なっている状況下、さらにそれに混乱を招いたのは魔法によって伝えられた驚くべき報告であった――と、アイリアが聞くことになったのは事件が起こった後であった。
それは王妃の母国での式典を終え、旧交を暖めなおしている王妃を残し、先に国王が帰国の途についたと知らされて一週間ほどした頃だ。
城内に混乱を招いた衝撃的な内容の報告をそのまま知らされたのは、シーリィへの講義を執り行っていたレイドルだ。
幼い頃から見知っている父の部下である王妃の騎士はいかにも騎士らしい無骨な男が多く、扉の外で当番の騎士と二人立っていても会話が盛り上がるわけでもないと最近のアイリアは志願して机の端に座り、レイドルの講義を聴いていた。
「申し訳ない」
ゴンゴンと強く扉を叩いて返事も待たず飛び込んできたのは、老練な騎士だった。スコットという退役間近の騎士はいつも以上に渋い顔で、あまりのことに沈黙が落ちた室内を横断しレイドルの耳に何事かささやいた。
「そんな!」
いぶかしげに顔をしかめていたレイドルが、さっと顔色を変えて立ち上がる。ちらりと彼はシーリィを見て何か言おうとしたが、結局は口をつぐんだ。
「……承知しました。スコット殿はシーリィさまをお部屋までお願いします」
「承知」
難しい顔で黙り込んでいたレイドルはしばしして騎士に告げ、彼は短く応じた。
「申し訳ありませんが、本日はここまでにしましょう」
「どういうこと?」
「まだ情報がそろっていませんので、詳しくわかり次第お伝えに参ります」
「そう」
詳しく聞きたそうな顔をしてはいたが、シーリィも分別ある王女である。何かに気が逸っていそうな教育係をしっしと手で追い払った。
「こんなことって今までにないけど、一体何があったのかしら?」
だが、レイドルが出て行った途端に不思議そうに呟いてちらりとレイドルが去る原因となった騎士を見たが、守秘義務により沈黙を守ると主張するように彼は口をつぐんでいる。
シーリィと騎士の無言のやりとりを横目にアイリアは手早く室内を片づけた。
やはり一名は王女のそばに専属の者が控えているべきだということで皆の意見は一致し、勉強のあとはレイドルに片付けを任せて近頃は常駐しないセルクの代わりにアイリアが王妃の騎士と共に部屋までシーリィに付き添っている。
だが、すでにいない人間に片付けを押しつけるわけにもいかないとアイリアは久々に自らの仕事をした。
「お待たせしました!」
「構わないわ」
あとで戻って片づけるのも手間だものねと微笑んで、シーリィは騎士との無言の攻防を終えた。
「あとでレイドルを問いつめた方が詳しくわかるものね」
結果として負けたが、勝っていたところで口数の少ない騎士がレイドルほど詳しく解説してくれるとも思えない。
そううそぶく主に微笑みながら、アイリアはいつもの道を先導した。真ん中に王女を挟み、一番後ろにつくのは騎士だ。
日頃から見知ってはいる男だが、無口なために会話が盛り上がるわけがない。そもそも、よく口が回る王女の専属騎士が騎士として規格外なのだ。
この数年でセルクの口の軽さにずいぶん慣らされてしまったアイリアもシーリィも、何となく居心地が悪い時間を短くしようと心持ち早足になった。
早足であることと、時間が早いということ以外、常と変わらぬ行動のはずではあったのだが。
ある角を曲がった直後に、それは突然起きた。いきなり突風がアイリアを吹き飛ばしたのだ。
「アイリアっ?」
突然のことに驚いたらしいシーリィの悲鳴が耳を打ったが、それよりも物理的に壁に叩きつけられた背中の痛みの方が強烈だ。
「……来ないで、下さい! いいえ、逃げて!」
それは猛烈な勢いで打ち出された空気の弾丸のようなものだったのだろう。アイリアは体をくの字に折り曲げ腹を押さえ、膝をつきそうになりながら主へと忠告を飛ばす。
「でも!」
「結界を」
ためらうシーリィにアイリアは言葉を続ける。前方から何か近づきつつあるのが、なんとなく気配で分かった。アイリアに膝を折らせた原因を作ったであろう魔力の主と――他の誰か。
「殿下、こちらに」
素早くシーリィの前へ躍り出た無骨な騎士がアイリアの意を汲み、嫌がる彼女を促して後退するのがわかった。彼女の衣擦れの音が遠ざかり、襲撃者のそれが近づいてくる。
アイリアは腹を押さえながら、ようやく顔を上げた。
目前まで迫ってきたのは、顔を隠した襲撃者だ。なんとか少しでも足止めしようと起きあがった小娘を、接近してきた一人が無造作に蹴り飛ばす。
付け焼き刃程度の護身術しか習っていないアイリアは、あっけなく足を払われて床に転がった。
「捨て置け。何も出来ん小娘だ」
他の誰かが覆面の下からくぐもった声で言う。抜き身の剣を下げている者もいたが、幸いにも役立たずと見た侍女を放置することにしたようだ。
襲撃者たちはそろって目標の――シーリィの立ち去った方に向かう。アイリアのところからは彼女の姿は見えないが、扉が閉まる音が聞こえた。
「籠城するつもりか?」
「蹴破れ」
それを知ってか知らずか――アイリアの忠告に従って、ようやく自分の身を守る方法に思い至ったらしいシーリィが結界を発動させたようだ。
アイリアはあまり遠くないところで膨れ上がった親しい人の魔力に安堵し、男たちの一人は怪訝そうに「どういうことだ?」とぼそりと漏らしている。
レイドルが装身具に――シーリィの腕輪に刻み込んだ魔法陣は物理と魔法双方の攻撃から彼女を守るためのものだ。膨れ上がった気配は大きくて目立つためむしろ敵を呼ぶかもしれないが、彼女は逃げ込んだ部屋の奥に進んでいるのか少しずつ遠ざかっていくような気がする。
アイリアはシーリィについている騎士を信じ、そしてシーリィの結界の発動を感じてレイドルがこの場に駆けつけることも信じることにした。レイドルが万一の際にそうできるよう、腕輪には発動後それを彼に知らせる魔法が仕込んであると言っていたからだ。
前世由来の力を使えても本職の魔法使いでないアイリアでさえ目立つ魔力を感じ取れるのだから、レイドルはしっかりとそれを把握したはずだ。
彼は何らかの理由で急に呼び出されたようだけど、それ以上に主の危機は彼には見過ごせまい。
そう信じはしたけれど、だけど。
襲撃者が遠ざかったので、痛む身をかばいながらゆっくりと身を起こしたアイリアは、何も出来ない小娘と捨て置かれた汚名の返上を心に誓う。
「ええ……有事に遠慮をしている場合じゃありませんよね?」
アイリアには、シーリィと同じような装身具による身を守るすべはない。父から教わった護身術も身につくと言えるほど体に教え込まれてはいない、襲撃者の言うとおり何も出来ないはずの小娘だ。
ただ、前世に魔獣と相対し、封じた記憶があることを除いては。
アイリアは薄く笑い、自信を持って静かに歌う。ありもしない杖を抱いて、大事な人を守る力を願うために。
一番問題なのは、襲撃者の内で特に魔力の大きい男だ。シーリィについては結界が身を守るとして、先ほどアイリアに突風を食らわせたように騎士にそうされては困る。いくら今は身を守るすべがあるとしてもそれは長続きしないと言われているし、護衛が倒れてはシーリィが恐怖を覚えるに違いない。
そう――レイドルが作り上げた腕輪による結界は強固だけど、けして永久に続くものではない。なので効果が終わる前に、襲撃者を騎士やいずれ駆けつけるはずのレイドルに何とかしてもらわないと困るのだ。
どこかにアザが出来たかもしれないが、痛みは徐々に引いてきた。
アイリアは、襲撃者の後を追うべく歌いながら足を進めた。先ほど宣言通りに大きな音と共に蹴破られた扉の残骸に気をつけながら先に進み、そこで窓から身を乗り出す男たちの後ろ姿を発見する。
慌ててアイリアは窓に走った。
ここは二階だというのに、どうしたものか荒事に縁がないはずの王女と老齢にさしかかった騎士は部屋から抜け出し、今は下の庭にいるのが見えた。
派手に目立った魔力を放つ結界を纏った王女を追うことは襲撃者にとっては簡単なことだったろう。アイリアが目撃した最後に窓から飛び降りた男でさえ、わずかの間にシーリィの間近に迫っているように見えた。
アイリアはきゅっと一度口をつぐんで、杖を持っているつもりで手を前に突きだした。
狙うのは、魔法使いの男だ。
「かつて得た信により――」
意を決し、唇を湿して呟いたアイリアは、不意に後ろから回ってきた手に強制的にそれを阻まれた。
襲撃者の残りがいたのだろうか――しっかりと人数を確認していたわけではないアイリアは慌ててもがきながら首を振った。
先ほどは放置されたが、何かしそうだった自分に今度こそ刃が突き立てられるかもしれない。
アイリアは反射的に突きだしていた手を引いて背後の人間に肘打ちをしようとしたが、
「うっわ、意外とお転婆だねえ、アイリアちゃーん」
有事だとも思えぬのんびりとした明るい声の主にあっさりと受け止められて、あらゆる意味で愕然とした。
「セルクさま?」
アイリアの敵意がなくなった途端に手を引いた相手は、場違いににっこりと微笑んだ。
「いやあ、間に合って良かったぁ」
「間に合ってないです!」
のほほんとした顔に苛立って窓の外を指さすアイリアに、セルクは「だいじょーぶ」と笑顔を崩さない。
「お姫さまのヒーローはもう到着済みだもんね」
「――え?」
「あの程度の相手に、魔法でレイちゃんが競り負けるはずないでしょ。ちょっとやんちゃをやらかした若造なんて、スコット卿の敵でもないだろうし」
慌てて窓の外を見下ろすと確かにセルクの言うとおりいつの間にやらレイドルが現れ、手の先に火を纏わせて襲撃者たちと対峙していた。
そして少し距離をあけて横に並ぶ騎士も、剣を油断なく構えている。
「門外漢の俺でも、シーリィちゃんの結界の強固さはわかるからね。彼女の魔力が続く限りは怪我はしないでしょ」
数の上では劣勢としか見えないが、セルクは落ち着いた様子だ。
「加勢に行かないのですか?」
「いやー、ここはレイちゃんに花を持たせる場面かなと思って。それに、兵士をあそこに差し向けてるからそのうち到着するよ」
彼があまりに落ち着いているものだからアイリアの毒気もすっかり抜けてしまった。練り上げたはずの魔力も霧散して、今更襲撃者に何かしようとも思えない。
むしろ、このやたら目端の利く人に何をしようとしていたのか問われると困ると気付いてしまった。
急激に居心地が悪くなって身じろぎするアイリアの頭の上に、後ろからセルクの手がぽんと乗ってきた。
「それに――さすがに人間相手に全力で封印の術を使うと、ルファンナさまもお怒りだと思うよ?」
その上でさらっと降ってきた言葉に、アイリアは息を飲んで動きを固める羽目になった。




