16 王女さまも納得がいかない
王女殿下の専属侍女が新たにつけられた同僚の騎士を受け入れられないのと同様に、王女であるシーリィ自身は新しい教育係を受け入れがたいと思っている様子なのが、アイリアには気がかりであった。
その教育係――レイドルという青年は、当初のアイリアの予想に反して好青年であった。
そもそも、最初の想像が悪すぎたのだとも言えるが。
落ち目の実家の復権を成すために王女に――アイリアの大事なシーリィに近づき誑し込もうとしている、噂に起因する母の発言で誤解した結果、シーリィにそのことを話してしまったことをアイリアはすでに後悔していた。
まだ付き合いが浅いが、レイドルはセルクなどに比べてはるかに真面目で、そして親身にシーリィのことを思ってくれているはずだとアイリアは信じていた。
同時に知り合った人が人なので、過剰に高評価になっている可能性もあり得るとは思うのだが。
ただ、レイドルが王女のためを真面目に考えて執り行う教育の成果はあまり芳しくなかった。
その原因はアイリアには明らかであった。彼は国王陛下から直接任命を受けたというのに、王女が魔法を使えることについて陛下がそこまでこだわっていないということを理解していないようなのだ。その結果、教育内容が魔法に偏っているのがシーリィには気にくわないのだろう。
いつものように部屋から飛び出てきたシーリィを見て、アイリアはセルクと視線を交わした。
「はーい、シーリィさまはこっちにお任せー」
気の抜けた態度でひらりと手を振って、セルクは音もなく動き始めた。ドレス姿の王女殿下は走ってもそう早くない。歩幅がシーリィより広いセルクが追いつくのは簡単なことなので、切迫した様子はない。
「片づけとレイちゃんは任せたよー」
「わかりました」
うなずいて滑り込むように室内に入り込みながら、問題は、レイドルの教育方針だけではなくシーリィのやる気のなさにもあるとアイリアは考えていた。
元々勤勉なシーリィではあるが、周囲にまったく期待されないと理解して彼女はその勤勉さを封印している。反動でやってきた怠惰で反抗的な態度にレイドルは手を焼いている。
レイドル・ホネストは真面目な青年でその態度が認めがたいらしく、口うるさくすることになりシーリィがさらに反抗するということがずっと続いていた。
「お疲れさまです、レイドルさま」
かつてシーリィのお気に入りであった図書室にほど近い一室を勉強のために利用しているのだが、彼の配属以後彼女がまともに最後まで学んでいたことはあまりない。
苦言を呈するレイドルに怒りを感じたシーリィが部屋を飛び出して終わるのがいつものパターンだった。
最初は護衛のセルクと一緒に彼女を追っていたアイリアであったが、ここのところはそれを護衛に任せて使った部屋の片づけをすることにしている。
理由はわざわざアイリア自身が追わなくても問題ないくらい些細な原因でシーリィが飛び出したので別段フォローが必要でないことが一つ、部屋の片づけをしなければならないことが一つ。
そして、言い過ぎたかと落ち込むレイドルのフォローの方が必要そうだと感じたことが最後の一つ、だ。
フォローとは言っても気の利いたことは言えないが、授業中は冷静そのものである顔に「しまった!」とでも言いたそうな内心を浮かべて落ち込むのを見てしまうと、何かしなければという義務感に駆られてしまったのだ。
――そのために、シーリィのことをセルクに任せることになるのは不安ではあったが。
アイリアは飲まれないまま今日も冷えてしまったお茶をいれなおし、彼の側を避けて本を片づけ、シーリィの残していった荷物をまとめ、机を拭く。
「シーリィさまはとても真面目な方とお聞きしていたのですが……」
幾度も聞いた言葉を、レイドルは今日も口にする。
「ええ、シーリィさまは本来とても真面目な方なのですけれど」
様々な方面から、彼は何故自分がこうも受け入れられないのか考えを巡らせている。その中で、
「やはり、年齢も三つしか違わない人間に教えられるということが受け入れがたいのでしょうか?」
というのが、彼が有力だと考えている理由であるようだった。
「レイドルさまは、とても勤勉で優秀な方と私もお聞きしております。そのようなことは、ええ、ないと思いますわ!」
まさか自分が初めての対面の前に余計なことを言ったからだという真の理由を話す勇気をアイリアは持ち合わせていなかったが、誤解だけはなんとしても解かねばならぬと今では思い定めていた。
どうすればシーリィに受け入れてもらえるのだろうかと真剣に思い悩むレイドルを前に、良心の呵責を覚えて仕方がない。
「でしたら」
レイドルは気持ちを落ち着けるかのように手に取ったカップのお茶を飲み、伏し目がちに呟いた。
「――何かとうるさい周囲の声に負け、やる気を失っておいでなのでしょうか」
ちらりとレイドルの視線がアイリアに向けられる。
アイリアは問いかけるような眼差しを受けても何とも言えなかったというのに、レイドルは沈黙の中から求める答えを見つけだしたらしい。
「きっと、そうなのでしょうね。魔法を使える可能性がそう高くない中、どうにかして使えるようになろうと殿下は努力を続けてこられようですが――その努力をあざ笑うかのように、従妹姫の即位を望む声が日増しに高まってくる有様なのですから」
レイドルは深々と息を吐いた。
「聞く話によれば魔法の目覚めが遅い魔法使いも、それなりにいるようなのですけどね。姫さまの魔力量は、魔法使いになれる可能性を十分にもっていらっしゃいますから、可能性はまだ潰えていないと思うのですが……」
彼の言葉は返事を求めていないかのように独白じみていた。
アイリアは反論したいような心地になったが、ただの侍女の分際で格上のレイドルに口にするのはためらわれる内容しか思い浮かばなかったので空いたカップをトレイに乗せながら気を落ち着けた。
「アイリア殿」
「え――はい?」
不意に呼びかけられて、アイリアはつい裏返った声を出した。
「なんでしょう、レイドルさま」
「シーリィさまのお近くで育った君は、姫さまのことをよく理解しているのではないかと私は思うのだけど」
「そうですね、レイドルさまよりはよく存じていると思います」
アイリアがうなずくと、レイドルはそれに意味もなくうなずきを返しながら次の言葉を探しているようだった。
「――国王陛下が私に王女殿下の教育係を打診された際、おっしゃいました。酷なことかもしれないが、シーリィさまが生涯魔法を使えないのであろうと必ず王位に据えるのだと」
「私も、シーリィさまのお側にいた際に、似たようなことは耳にいたしました」
「魔法国家を自称するこのラストーズで、魔法を使えぬままの即位を目指すだなんて――私は耳を疑いました。陛下に正面から意見するなどもってのほかでしたが、体面上魔法の講義をなくすことは認められないが出来る限り他を重視しろというご命令に、これまで密かに背いてきました」
どこか物騒に聞こえる言葉に、アイリアは目を見張った。
「そ、背いて、ですか?」
「私はまだ若輩ですが、それでも国王という地位の重圧は見ていて理解できます。か弱い女性の身で魔法もなく王となることをシーリィさまに求めるなど……きっと、私にはわからない陛下のお考えがあるのでしょうけれど、そのような事態は避けたいと思ってのことだったのですが……」
レイドルは自嘲するように唇を歪めた。
「シーリィさまご自身がそれを望まないとされるなら、私は考えを改めるべきなのでしょうか?」
問われて、アイリアはしばし迷った。
何をどう話していいのか、どこまで明かしていいのか瞬時に判断が難しい。
だが少しして、意を決した。
「シーリィさまは幼くして、自らが魔法を使えない可能性への恐れを抱いていらっしゃいました」
そう口火を切って、ある程度まで詳しく報われることの無かった王女の努力についてアイリアは語る。
「ですが近頃になって、ようやくご自分が魔法を使えないことについて受け入れられたようなのです。今更蒸し返すように魔法を重視されても、シーリィさまには受け入れがたいと思います」
「そうですか……」
自分で問いかけただけあって、レイドルは侍女のアイリアの言葉に納得したように素直にうなずいた。
「でしたら、魔法以外の事柄でシーリィさまが苦労されることのないよう、私は職務を果たしましょう」
そして意を決したように力強く宣言する。
アイリアは「シーリィさまは王位継承権を返上したいとお考えなのです」という事実までは言うことが出来ずに、決意に燃えている様子の真面目な青年に向けて、綺麗に一礼した。




