10 駆けめぐる噂が不安をあおる
指定された三日後まで時はほとんどなかったというのに、噂というものはまたたくうちに城内に広がったらしい。
いよいよ新たな側仕えたちと顔を合わせる当日、登城前に顔を合わせたアイリアの母は口さがのないものの言うことなど耳に入れる価値もないと憤っていた。
魔法を使えぬ王女に例外的に付けられることになる側仕えの噂話は、王女の失脚をもくろんでいるのであろう王弟派の息でもかかっているのか悪意に満ち満ちていた。
「恐れ多くも妃殿下の悪意まで垂れ流すとは! 出所を突き止めて口を縫いつけてしまいたい」
糸のように目を細めてつぶやく母の目は狂気じみていて怖かったが、不敬と断罪されてもおかしくないような内容だったというのがアイリアの感想だ。
なんでも、王妃殿下は他にもらい手が見つからなかったため、かつての恩を逆手にとって魔法を使えぬ身で魔法国家たるラストーズに嫁いできたのだという。
「国王陛下ご自身が、王妃殿下を見初められたというのに!」
母は魔法を使えぬ身で魔法国家の王に嫁ぐことになった王妃の苦悩についてぶつぶつ言っていたが、娘の前であることに気付いたのか様子を取り繕った。
「馬鹿げた噂に踊らされる者の発言を真に受けるのもばからしい。ですが、王女殿下の新たな教育係と護衛についてもあまりよい噂を聞かないのが気がかりです」
「ええ」
アイリアも目を伏せてうなずいた。
「教育係のホネスト家の方は、弟君が精霊使いということですね。本当なのかどうなのか、何年も前に当主さま自らが放逐なさったとか」
「以前の噂を聞いた限りですとそのご子息は精霊使いというよりは、ただ精霊を見ることが出来ただけのようですけれどね」
「精霊使いでなく、精霊を見ることが出来ただけ?」
「魔法使いを偏重し、精霊使いを嫌うラストーズの貴族に生まれなければ、もっと丁重に遇され後に本当に精霊使いになれたかもしれませんが、ただ精霊を見ることができる程度では精霊使いとは言えないそうです」
「なるほど」
アイリアも魔法使い偏重のラストーズで生まれ育った身であるから、さほど精霊使いには詳しくない。精霊使いがいた国で育った母の言葉に納得して一つうなずいた。
「ホネスト家は、王弟殿下妃のご出身のエレフ家と競い合うほどの名公爵家だったと聞きます。精霊使いであったかもしれない子一人の存在で、今では見る影がないようですが。
――ご子息を王女殿下の教育係に推したのは、王女派につくことで巻き返しをはかる心づもりかもしれません」
「それは――ええと、魔法使いの名家とされるご一族でもそうでもしなければ立場を回復されるのが難しいということでしょうか」
「立場を悪くする以前から、ホネスト家は王配の立場を狙っているご様子でしたけれどね」
アイリアはどういうことだと目を見張った。
「王配というと、つまり将来シーリィさまの夫になろうということでしょうか?」
「精霊使いの問題がなければ、すでに兄弟のどちらかとご婚約なさっていたかもしれませんね」
「えええ」
思わずはしたない声を上げたアイリアを母は鋭く一瞥した。
「将来的に魔法を使えないかもしれない王女殿下の立場を強固にするために、名家との繋がりがほしいとかねてより陛下はお考えだったのでしょう」
「そんな」
アイリアは想像もしていなかった話に続ける言葉がない。
「一族に精霊使いが出たことで落ち目にあい、子が跡継ぎの長男一人になった時点で話は立ち消えたようですが――ここにきて陛下は話を復活されるおつもりかしら」
答えを求めていない母の独白めいたつぶやきに、アイリアは当然答えを持たない。
ただやはりつい先日と同じように苦いものが胸の内にこみ上げた。
母の言葉が真実をとらえていて、それを狙って新たな教育係が付けられたとするなら、その先にシーリィの幸せはあるのだろうか?
王位継承権の返上が国王に認められない魔法を使えない将来の女王陛下に、精霊使いの弟がいるとされる王配殿下が政略で縁付いてもその間に愛情が芽生えるのだろうか。
(お守りくださいではなく、やはり幸せにしてくださいと祈るべきだったのかしら)
シーリィの新たな教育係は落ち目の名家の人間で、護衛になるといわれているのはこちらは武家の頭領と呼ばれる武門唯一の公爵家の人間だという。
落ち目の魔法使いの公爵家と武家の筆頭公爵家のどちらが上なのかは、判断が難しくてアイリアにはわかりかねる。
ただ耳にした噂だけで判断すると、家柄はともかく本人の資質は教育係の方が上であるようだ。
教育係となるのは、品行方正で名家の跡継ぎにたる実力を持つ有能な魔法使い。護衛となるのは、優秀なれど軽薄な騎士なのだという。
共に同年代の中では突出した実力を得ているものらしい。
その点ではアイリアの「シーリィを守ってほしい」という願いは叶えられているのかもしれないと感じるが、地位の回復を狙って王女との婚約をもくろむ魔法使いと、軽薄な騎士が近くにいるのはシーリィにとって好ましくないのではないだろうか。
考えれば考えるだけ憂鬱な気持ちがわき上がるのをこらえながら、アイリアは母と共に登城した。
アイリアと母の朝も早いが、いつも父はそれに輪をかけて早い。王妃殿下の筆頭騎士である父は、休日を除いて朝一番に不寝の番からの報告を受けるのを日課としているのだ。
この数日はそれに加えて、王女殿下の護衛体制の変更についても検討しているのではないだろうか。国王陛下直々の命による王女殿下の側仕えの就任はあまりに急すぎて体制の変更には混乱が多そうだ。
教育係はこれまでにもいたが、王女専属の護衛要員は初めての配属だ。これまで王妃の命のもと王妃配属の騎士たちが護衛を担っていたが、これからは王女の自身の命令によりその騎士が護衛を担うことになる。
ただ、慣例によって魔法を使えない限り自身の騎士を持てないシーリィに例外的に付けられた騎士がただ一人であるということは大きな問題だ。
当人がいくら優秀でも、たった一人で完全な護衛体制が構築できるわけがない。変わらず父をはじめとした王妃の騎士たちが協力しなければ何ともならないのではないかと、素人のアイリアでも想像ができるのだ。
下手に新参者を入れることも危険ではないかと危惧していた父が今どのように感じているのだろうかとアイリアは聞いてみたかった。
職場では顔を見ることがあっても、この数日は私的に顔を合わせることがなかったのでそれは叶わなかったのだ。
内心穏やかではないのかもしれないなと、いつもにまして険しい顔でいるのをみて感じ取れることがアイリアの不安をあおる。
(軽薄な騎士なんて、お父さまのもっとも嫌われる存在だもの)
父が不機嫌そうなのは騎士が噂に違わぬような人なのだろうなとアイリアは予想していた。




