9 国王陛下の思惑は
アイリアは母が話すこと以上に他国のことは知らないが、この国――ラストーズ王家の子は魔法の才能が芽吹くまで母親の近くで育てられる。それまでは基本的に本人専属の使用人はつけられず、母親の侍女に身の回りの世話を任せ、護衛も同様に任せることになっている。
唯一の例外が乳兄弟で、アイリアだけは未だシーリィが魔法を使えずとも真実彼女の側付きと胸を張って言える立場になる。
そのはずだったのだが――慣例を曲げて、王女に新たな側付きが付けられることに決まったのは、アイリアが毎朝のようにシーリィと共に神に祈りを捧げるようになってしばらくしてからのことだった。
シーリィは憑き物でも落ちたかのようにすっきりとした顔をするようになっていた。
「魔法を使うことにこだわらないだけで、こんなに気持ちが変わるものなのね」
なんて口にしてにこにこしている。
周囲の状況がだんだん変わっていくことに頓着せずに相も変わらず訪れるレシィリアに「長い間がんばってもどうにもならなかったんだから、いくら魔力があっても私は魔法が使えないんだわ」とあっけらかんと言ってのけたくらいだ。
王位継承争いが徐々に盛り上がりつつある最中、持ち上げられかけている当人が「シーリィ姉さまがいるのにあたしなんて」と憮然としている。
アイリアと同様に「神官とか精霊使いとかだったらなれるんじゃないかしら」ともごもご言っていたが、シーリィは容赦なく一刀両断していた。
「ラストーズが求めているのは魔法使いの王様なのよ。神官になって神聖魔法が使えるようになっても認められるわけがないし、精霊使いなんて――たぶん一番嫌がられるわ」
シーリィは父親である国王陛下から直接新たに付けられる側仕えの話を聞いた。アイリアも王女と同行していたために否応なくそれを知ることになった。
「新しい教育係と、新たに付けられる護衛、ですか?」
「そうだ」
場所は謁見の間ではなく、執務室。あらかじめ人払いされた室内を確認したアイリアは扉の外で待とうとしたのだが、他ならぬ国王自身に入るように命じられて静かに扉の側に控えていた。
日増しにレシィリア姫の立太子を望む声は高まり城内では王女派と王弟派という派閥が出来つつある状況下で、どうやら王弟に汲みすることに決めたらしい前の教育係がつい先日辞めたところだった。
幾人も変わっていったシーリィの魔法の教育係は代を重ねるごとに質が落ちていったようにアイリアは感じていた。
魔法が使えないものと信じられているアイリアが公に一緒に魔法を学ぶことはなくても、勉強に使っている部屋と私室との行き帰りに送り迎えすることを仕事の一つとするアイリアにはいくらでもシーリィの学びの場を見学する機会があったのだ。
「今更、新しい教育係が必要でしょうか」
国王の言葉にシーリィは静かに応じる。
やる気のなくなったシーリィに前以上にやる気のない教育係がついたところで、成果が見えないのはアイリアでも予想できた。
「そのようなことを言うでない」
「でも」
「学ぶのは何も魔法だけではない。他の様々なことを身につけるのも、お前には必要なことだ」
「はい。ですが、お父さま。新たに私専属の護衛を付けるなんて、許されますの?」
一理あると思ったのか素直に一つうなずいたあとで、シーリィは疑問を口にする。
「慣例から考えると、許されぬとルドックあたりなら言うであろうな」
「でしたら」
「ふん。あちらが馬鹿げたことを言い出して、城内に不安をまき散らそうとしておるのだ。魔法国家の面目を守るためなんぞとお題目を唱えて暴走するものがでないとも限らぬ」
アイリアはごくりと息を飲み、それは王女の暗殺に乗り出そうとする者がでかねないと言うことなのだろうかと密かに拳を握りしめる。
「私が危険にさらされそうだとお父さまはお考えですか?」
「御輿に担ぎ上げられたレシィリアはその気もない様子だし、物理的に排除するなどルドックがもっとも厭うことだ。あやつなら正面から余を論破するべく事を運ぶだろうが、手勢すべての手綱を握っていられるとも思えぬ。だから用心に越したことはない」
「……用心するより、私が今すぐに継承権を放棄した方がよほど安全なのではないですか?」
ためらったあとで主張した娘を見て、国王は片眉を持ち上げた。
「それは断じてならぬ」
「どうして?」
首を傾げるシーリィに、国王は難しい顔を崩さない。
「確かに我がラストーズは建国以来長く魔法国家と名乗ってきた。だが、いつまでもそれではいけない」
「どういうことですか?」
「魔法使いにこだわるだけでなく、将来的には我が国も幅広い人材が必要だ。遠い先になるやもしれぬが――いずれ、一人くらい精霊使いを召し抱えたい」
「えっ?」
驚きの声を上げたのはシーリィだけではなく、アイリアもほぼ同時につい口を開いていた。
娘の乳兄弟にちらりと視線をやったあと、国王は元のように娘を見つめた。
そして、国王は娘たちの知らなかった昔話をはじめた。
それは魔法使いが精霊使いより上の存在であることを証明しようとして、暴走の果てにラストーズに飢饉を招きかけたある男の話だった。
何らかの方法――怪しげな儀式でもって、魔法使いが本来できる以上の干渉を精霊に対して行った結果、自然の均衡が崩れたという趣旨の内容だ。
短い期間であったものの局所的に長雨や日照りが起こり、原因を見つけだして儀式に使用された魔法陣を消したものの一度崩れた均衡はすぐには戻らなかったという。
「精霊は、どこにでも偏りなく存在すべきものだ。もちろん水場には水の、火の気のある場では火の精霊が多いといった偏りはあるが、局所的に大きく増減する事態などあってはならない」
「そう、ですねえ」
魔法使いでもわずかながら精霊の力を借りることはある。魔法使いになる修行を長年続けていたシーリィは、当然多少ながら精霊についての知識はあったので戸惑いながらうなずく。
「でも精霊は気まぐれで、魔法使いが呪文で助力を願っても叶えてくれるかは気分次第なのではなかったですか? それが魔法で干渉したなんて、そんなことって」
「暴走せず制御できれば、さぞもてはやされたのだろうな」
ためらいながら言葉を続けるシーリィに国王はにべもなく言い放つ。
「資料も残されておらず、当人は失敗と見るや逃亡してしまった。関わった者の中にはその完成に欲を出すものがいないわけではなかったのだろうが、後処理に時間がかかっているうちにいなくなったと見える。詳細の知れぬ術はのちに禁術に指定され、研究することが禁じられた」
「はあ、そうでしたの」
「問題は、その後処理であった。首謀者はおらず、事件が起こされたのは我が国でも指折りの穀倉地帯。起こったのは小規模な異変でもすぐさま影響を取り除かねば食糧難になると当時皆が頭を抱えていた」
あの頃余は今のお前と同じ頃であったかとシーリィを見た国王は思い起こすように目を細める。
「魔法使いでも、精霊の気配はまあまあ読める。群を成すように貴族たちは問題の地へ赴き、よそとは違い精霊の気配の薄い様子になんとかしようと知恵を練った。得体の知れん術を警戒したのか、問題の魔法陣を除去してのちもそこに元のように精霊が戻ることがなかったのだ」
「それで、どうなさったのです?」
「魔法使いが精霊に多大な干渉を与えることは本来出来ぬ。呪文に精霊の助力を願う文言を加えて陣を組んで唱えてみたりと、当時は様々な方策を練ったらしいが――怪しげな魔法で遠ざかった精霊を、種別は違っても魔法によって遠くから呼び戻すなど出来なかった」
「ど――どうにもならなかったのでしょうか?」
「いいや」
国王はゆっくりと首を横に振る。
「最後に我が父、つまりは先代の国王陛下が決断を下された。魔法によっていかんともしがたいのであれば、精霊使いの力を借りるしかなかろうと」
「えっ」
予想もしなかった言葉にシーリィは驚きの声を上げる。アイリアも密かに息をのんだ。
「精霊使いを軽んじているのは我が国くらいだ。よそでは希少な精霊使いは国の中枢で厚遇されている。自国の精霊使いをラストーズに派遣するなんてと渋る国の方が多かったが――最終的に、おまえの母の国が力を貸してくださった」
国王は少し間をおいた。
「――我らが先祖が驚異に感じて厭ったのも当然なのかもしれぬ。精霊使いは魔法使いに出来ぬことを可能とする。あんなに魔力の少ない者が、魔法使いに出来なかったことを可能としたのだから」
「だから、お父さまはいずれ精霊使いを召し抱えたいと?」
「貴重な機会であるからと余はその精霊使いと面識を得たのだ。仲介役に自国の魔法使いを連れていた精霊使いだが、別にその魔法使いを軽んじているわけではなかった」
国王は娘の質問をそのようにして肯定する。
「我が国は長く内に籠もり、少しばかり他国から距離置いてきた。しかし、そろそろ変わらねばならない時がきていると余と父は考えた。魔法ばかり重視しているが、それだけでは立ちゆかなくなる日が来ると」
「だから、魔法が使えなくても私を王に据えようと?」
「――か弱い女の身に、それは酷ではなかろうかと思うが、使えなければこそ出来ることがお前にはあるだろう」
国王はすっと立ち上がり、執務机の脇を通り抜けて娘の前に立つ。
「お父さま?」
不思議そうなシーリィの頭を、国王は不意に撫でた。
「お前が魔法を使える可能性が低いことは、生まれる前からわかっていた。使えればそれはそれで別の手を考えたが――やはり使えぬとなれば、変化は上から劇的に起こすに限る。今を逃せば、ラストーズに魔法を使えぬ王を樹立することはできん」
黙って聞いていたアイリアは、なにか憤りのようなものが胸の内にわき上がるのを感じた。
大事な乳兄弟の細い肩にその父親自らが重い責任を乗せようとしているなんて。
わなわなと震えそうになる拳を押さえるのに成功したのは、同じように小さい身で責任を背負った夢の記憶が脳裏をよぎったからだ。
上に立つ存在には私情を押し殺してもせねばならぬことがあるのだろう。娘を撫でる手は物慣れぬ様子だが優しげなのに、言葉だけが重々しいのが、きっとその証拠。
神が人に魔獣の封印を任せざるをえなかったように、自らが魔法使いである国王は使えないシーリィしか出来ないことがあると判断したのだろう。
立場上非難の声を上げられるわけでないアイリアは、息を殺して感情を制する。
「でも! だって」
アイリアと同様の不満を持ったであろうシーリィはなにやら言い掛けたが、国王は「だから王位継承権の返上は認めん」と決然と言い切って娘の反論を封じた。
「よって、新たな教育係と護衛との顔合わせは三日後に行うので心しておくように」
国王が娘に伝えたかったのはこのことであったらしく、アイリアの同席を許したのも娘に近しい侍女にも同様に心構えしてもらいたいたかったからではないかと、アイリアは何か言いたげな国王の一瞥で感じ取る。
「心して、なんて」
異議を唱えようとする娘の言葉を封じるように去るように告げる国王の言葉に、父が多忙とわかっている王女があらがえるわけがない。
「失礼いたします!」
肩を怒らせて言い放つとシーリィが逃げるように執務室を出て行ったので、アイリアも慌てて失礼がないように国王に向けて頭を下げると彼女の背を追った。




