8.いろいろ考えてみましたが。
【前回までのあらすじ】
前世を思い出した七罪嶺は、腐女子の姉の計略により、山奥の閉鎖された男子校に通うことになる。
そこは前世にあったBLゲームの舞台となる場所で、この世界は日本であるが知っていた日本ではなかった。
自分と同じく前世の記憶がある転生者、『二胡川 渚』と『九重 瑠衣』と出会い、友達になった。
渚は悪役にならないため、瑠衣は親衛隊隊長として腐を満喫するため、嶺は二度目の平和な学園生活を楽しむために転生者どうし協力することに。
爽やか君や一匹狼(攻略対象)を含むクラスメイトとも徐々に打ち解けていくなか、ついにメイン攻略対象である生徒会の書記、副会長と邂逅を果たす。
瑠衣を通して親衛隊とも関わり、嶺は自分にできることを考え始める。
転校生がくるまで、あとわずかーーー
鏡には、自分が映っている。
両親ゆずりの銀髪は、くくれるぐらいの長さで切り揃えてあり、女にしては短く、男にしては少し長いショートカット。
前髪が目にかかるので、邪魔だからそろそろ切りたい。
透明感のある白い肌は、中性的な顔のつくりと相まって儚げだ。
鏡の中の自分が眠そうな目をこする。
前世を思いだした当初は少し違和感があったものの、今ではすっかり馴染んでいた。
客観的に見て整った顔つきだと思うが、それだけだ。
自分の容姿に見とれるような性癖は持ち合わせていないので。
それに、オッドアイは綺麗だけど、前世の黒歴史が蘇ってくるので身悶える。
ノートに書き殴った設定集は、俺が死んだあと誰かに見られたんだろうか。
《漆黒の黒炎》とか、どんだけ黒を強調してんだよ!っていうね。
こんなことばかり覚えていても、しかたないけれど。
前世だって俺の一部だから、忘れてしまったら哀しい。
もともと『七罪嶺』として過ごした記憶と、前世の記憶が混じり合ってできた現在の人格は、どちらでもあるしどちらでもないといえる。
16年間生きて、出会った人々。
名前さえ思い出せないけど、確かに愛していた家族。
全てが俺にとって大切なものだ。
あれ、もしかして精神年齢を合計すると……やめよう、深く考えたら心に深刻なダメージを負う気がする。
とりあえず、嶺という人物の人格を上書きして乗っ取った形で転生とかじゃなくてよかった。
もしそんなことが起こったら、罪悪感に苛まれるどころではないからな。
以上のことを踏まえた上で、あえて言おう。
俺は俺だと。
存在定義があやふやな俺たち『転生者』は、そうやって、
構築しながら生きていく。
「ナナー?ニコが迎えにきたから学校行くぞー」
「おう」
そしてなにより嬉しいのは、同じ境遇の友達ができたことだったりする。
***
「御影くん、この問題を…って寝てる?御影くん、起きてください…」
午後の授業は眠くなる。
それは学生なら誰もが経験するであろう、睡魔との戦いだ。
今は金曜日の6時間目。科目は世界史。
すでに一週間で蓄積された疲労はピークに達しており、体と精神ともに疲れている。
俺だって少しウトウトしているし、眠そうな生徒は多い。
夢の国に旅立っている奴も、ちらほらといる。
だが、それは後ろのほうの席だ。先生もわざわざ起こしたりせず、発見したら教卓の上に乗っている冊子に何やら書き込んでいるだけ。授業態度の評価は着々と行われていた。
しかし、ぼんやりとして常にけだるげな御影こと御影 冥。
彼奴は最前列のど真ん中という余程メンタルが強くなければ寝るのを躊躇する位置で、どうどうと寝ていた。
愛用の枕まで常備してやがる。
いったいどこに隠し持っていたんだ?
「御影くん……起きて……」
先ほどからまったく起きない御影を起こそうと奮闘している世界史の宇佐先生は、ちょっと頼りなさげに見える小柄な37歳。
そのオドオドとした雰囲気や、天然な発言、いちいち可愛らしい動作はとても37歳には見えない、癒し系な教師だ。…男だけどな。
それにしても、すごい速度で揺すられているというのに、よく気持ち悪くならないな…。
ちらりと御影の飼い主(本人は認めていない)に目を向けると、呆れたようにため息をついていた。
御影は後で油井の叱責をくらうことだろう。南無三。
「ナナ、オレたちは親衛隊の仕事があるからぁ先に帰ってて~」
「嶺、終わったらに部屋に行くから待っててね!」
本日の授業も終わり、明日からゴールデンウィークということで和気あいあいと教室を去るクラスメイト達を横目に、俺も帰り支度をしていた。
駆け寄ってきた渚の姿に子犬を連想しつつ、頷く。
「手伝わなくてもいいのか?」
「えーっと…今回はその、レイは来なくていいよ」
「…そうか」
やけに目線が慌ただしいのが気になる。俺には言えないことだろうか?
「嶺、迷子にならないように気をつけて帰るんだよ。ほんとに気をつけてね」
念を押す渚に苦笑する(実際には表情筋は仕事していない)。
「大丈夫だって。さすがに、もう教室から寮までぐらいで迷わねーよ」
そう思っていた時期が、俺にもありました。
「どこだ、ここ…」
完全に、迷っていた。
…ちょっと言い訳させてほしい。
途中で二年の先輩と思われる生徒に声をかけられ、そのままどこかの教室へ連れていかれたのだ。
そして、告白された。
人生で初めて男に告白された。
真剣な先輩の好意に、俺も真摯に向き合わなければならないと思い、丁重にお断りさせていただいた。
先輩は良い人で、残念そうながらも「ただの先輩としてなら、話しかけてもいい?」と言ってきた。
もちろんです、と返すと先輩は瞳を潤ませながら微笑み、教室を出て行った。
俺がこんなに冷静でいられるのは、先輩が可愛らしい容姿のチワワ先輩だからで、ガチムチの体格のいい生徒だったら精神的にきたかもしれない。
ん?ってことは俺は女性が好きなのかな?
でも告白されたときに嫌悪感はなかったし…。わからねぇ。
話は戻るが、ここがどこだかさっぱりわからない。
無闇に歩き回ったせいで、さらに迷ってしまった。もう俺の方向音痴は末期だと思う。
…夜までに帰れるのか。
人気のない校舎だが、偶然誰か通りかかってくれないだろうか。
不安にかられたそのとき、聞きなれた声の主がこちらにやってきた。
「れーいーっ!やっと見つけた。やっぱり迷ってるじゃないか」
頬を膨らませて怒っているが、まったく怖くなかった。
「渚、よくここがわかったな?」
「嶺の匂いがしたからね」
「お前は犬か」
俺の体臭がくさいとかじゃ…ないよな…?
「それにしても、なんで旧校舎なんかにいるのさ?普通だったらこんなとこ、たどり着かないと思うけど」
「あ、ここ旧校舎だったんだ。いや、実はさ…」
先輩の名は伏せて、ここに至った経緯を話す。ある程度省略したが。
「告白かぁ…。僕もされたことあるけど、付き合ったことはないや」
「渚と瑠衣はノーマルなんだっけ?」
「前世はノーマルだったんだけどな。今は男相手でもいいと思うよ。価値観が変わったのかも。まあ会長を好きにはならないと思う」
逆に聞くけど、と渚は続ける。
「嶺はノーマル?好きな人、いないの?」
「好きな人?いるよ」
渚、絶句。
「もちろん友達としてだけど」
「っああ、そうだよね」
何故か安心したように胸をなで下ろしている。
「ノーマルかどうなのかは、まだよくわからんな。恋愛感情自体がよくわかってないし」
俺は男が好きなのか女が好きなのか。
可愛いものが好きで、ふわふわした女子はつい可愛がりたくなる。
しかし恋愛対象なのかと言われると、とたんにわからなくなる。
男に告白されても嫌悪感はなかったが、かといって付き合えるのかと言われれば疑問に思う。
「今はそういうの考えるの、やめとこう。きっとそのうち答えが出るよ。…おっと、九重くんも探してるはずだから連絡しないと」
そう言って携帯を取り出した渚は、瑠衣に俺が見つかったと報告した。
「瑠衣、何言ってた?」
「『ナナが勝手にどこかに行かないように、首輪でもつけとくか』だって」
「・・・・・・」
「ちょ、嶺、冗談だから」
そ、そうか。冗談だよな…びっくりした。
ヤンデレにでもなってしまったかと焦ったじゃないか。
「まあ首輪は冗談だけど、嶺はふらふら何処かへ行っちゃいそうだなー」
「…否定できない」
「だから……はいっ」
ニコニコと右手を差し出された。
なんだろう?
「…わん」
渚の手の平に自分の手を重ねてみた。
きょとんとして、すぐに笑い出す渚。
「ふふっ、なんでお手したの?違うよ、こうするんだ」
重ねた手が、ぎゅっと握られた。
「手、繋いで帰ろ。これならさすがに迷子にならないよね?」
なるほど、これなら迷子になりようがない。
しかし高校生になって、まさか同級生に手を繋がれるとは思わなかったな。
少し恥ずかしいが、もうほとんどの人が寮に帰っているだろうし、まあいいか。
ご機嫌な渚の手を振りほどくのもやり難く、諦めが早いことには自負がある俺はあっさりと受け入れ(というか流され)、そのまま寮に向かうのだった。
途中からあまり違和感がなくなっていたので、部屋に戻った時に手を繋いだままだったのを忘れ、瑠衣に凝視されたりした。
これは渚がいなくなったら質問責めだろうなぁ。
「う…疲れた」
想像通りに質問責めを受け、精神的に疲労した。
瑠衣としては嶺×渚も渚×嶺もどちらも良いものだと語られたが、そういうのは姉さんだけでお腹いっぱいなので、申し訳ないが聞き流させてもらった。
湯上りで身体はリラックスしても、精神はなかなか安らげないものだな。
自室に入ると、いつもより物が散らかった床とご対面。
明日から1度学園を離れて帰省するので、荷造りをしていた弊害だ。
報告ついでに姉さんに連絡しようとしたとき、ちょうどいいタイミングで電話がかかってきた。
報告ならLIMEでもいいんじゃないかと言ったことがあるが、嶺の声が聴きたいからと却下された。
俺もシスコンだが、姉さんも大概ブラコンだ。
『嶺、いつもの報告よろしく』
「わかってるよ」
毎度のことで慣れてきた報告を行い、ずいぶんと盗撮技術の上がった写真を送っておく。
俺そのうち捕まるんじゃないの?
『うーん、油井×御影おいしいわね。仲はいいけど付き合ってないみたいで、残念。それにしても、嶺はついに告白されたのね』
「断ったけどな」
『…これは、早いとこ親衛隊を安定させないと危ないか(ボソッ)』
「姉さん?ゴメン、よく聞こえなかった」
『ナ、ナンデモナイヨー』
片言になってるんだが。
『ごめんなさい。勝手に進学先を変えたりした私に、こんなこと言う資格なんてないってわかってるけど』
「急にどうしたの、姉さん」
『嶺には高校生活を楽しんでもらいたいの』
俺には姉さんが何故いきなり謝ったのかわからなかったけど、たぶん俺の知らないところで何かあったのだろうと声の様子から感じた。
だけどね、姉さん。俺は
「じゅうぶん、楽しんでるよ」
だから謝らなくていい。
そう言うと、姉さんは息を呑んだ。
『…ありがとう』
俺は、本当に恵まれていると思っている。
たしかに進学先を変えられたことは驚いたけど、どうしても行きたい学校だったわけではないし、結果的に今の状況の方がよかったと考えている。
だから姉さんに怒る理由はない。
「そうそう、明日からゴールデンウィークだから、そっちに行くね」
この話はこれで終わりだと、切り替えるように言う。
空気の読める姉さんだから、すぐにいつもの調子を取り戻した。
『その間は寮を出て、家に泊まるってことでいいのよね?』
「うん。二泊三日する予定」
『葵たちも嶺に会いたいって言ってるんだけど、一緒に遊ばない?』
「特に用事はないし、いいよ」
向こうに住んでいる友達と会う予定もないし…というか友達と呼べる人がほとんどいないし…。
あれ、なんか涙が。
姉さんの友達となら何回も会ったことがあるし、コミュ障が発動されることもない。安心だ。
久しぶりだけど、元気かなーあの人たち。
『2日目には二胡川くんと九重くんも来るっていうし、楽しみねっ。じゃあ今日はこの辺で。おやすみ~』
プツリと切れた電話の最後の言葉に聞き捨てならないものがあった気がして、俺は姉の言葉を頭の中で反芻した。
二胡川くんと九重くんも来るっていうし。
二胡川くんと九重くん……
…は?