7.腐ラグは折りたいんですけど。
陶器のようにすべすべとした肌は、前世女だった俺からしてみれば羨ましい。
肌のケアとかしてるんだろうか。
どうせしてないんだろうけど、手入れをしなくても綺麗だなんて女の敵だな。
美形が多いこの世界、自分も含めてキラキラしい容姿ばかり見かけてきたけれど、さすが攻略対象だっただけあって、副会長は美しい。
書記が精悍な顔つきだとすれば、副会長は美人といったところか。
髪を伸ばして軽く化粧をしたら、女子と偽ることも可能だと思う。
理知的な印象を与える眼鏡をかけた副会長は、つかつかとこちらに近づいてくる。
そのせいで、地面に丸まっていたボルボックスーーもといミケが、逃走してしまった。
しょぼん。
「その犬が懐くなんて珍しいですね」
ナチュラルに人のことを犬呼ばわりした副会長の水原詩音は、胡散臭い笑顔でニコニコしながら言った。
人の愛想笑いが下手だからといって指摘する必要はないし、副会長に気に入られる最初のイベントが『その笑い方気持ち悪いからやめろよ。偽物の笑顔じゃなくて、本当に笑いたいときに笑え』みたいなことを面と向かって言う、だと瑠衣に教わったので余計やる気はない。
気持ち悪いって言われて喜ぶとかマゾなの?
ってか愛想笑いぐらいできなきゃ社会でやってけねーよ。
ゲームの設定としてなら、定番だと思うが。
副会長はアイスブルーの瞳を細めると、俺のことをじろじろと値踏みするように見た。
「外部生で生徒会親衛隊隊長補佐の、七罪嶺さんでしたか。いったいどうやって誘惑したんです?」
副会長、俺の名前知ってたのか。
目をつけられるようなことをした覚えはないので、大方ほとんどの生徒の名前を把握しているとかだろう。
その能力、人の名前と顔を覚えるのが苦手な俺にわけてほしい。
それにしても、誘惑…ねえ?
副会長の言葉を反芻しながら、これまでの経緯を思い浮かべる。
名前呼びしたら、襲われました。
回想が一行で終わった…。
うん、俺ワルクナイヨ。
「なにもしてないですけど…」
「嘘つかないでください」
ピシャリと言い切られた。
もうこの人の中では俺が悪いと決めつけられているようだ。
こういうタイプの誤解を解くのは、果てしなく面倒くさい。
そして、前世も今世も俺は、面倒なことが大嫌いである。
否定しないほうが楽かもしれねえな。
そう思って俺が言い淀んでいると、
「親衛隊に所属しているなんて碌な奴じゃないにきまっています。汚らわしいので近寄らないでください」
侮蔑も何も込められていない淡々とした台詞に、逆にカチンときた。
お前自身が親衛隊に何かされたわけじゃないんだろ?
確実に変化した親衛隊を、前と同じだと偏見を持って見てるんだろ?
まったく表情が変わらない外見と違い、俺のはらわたは煮えくりかえっていた。
前はここまで感情が強くなかったはずだが、周りに感化されているのかもしれない。
言い返そうと口を開く寸前、
「レイ…親衛隊?俺たち、に…ひどい…こと、する?」
悲しげな緑先輩の言葉で、頭が一気に冷えた。
だめだ。
怒ったら親衛隊全体の立場が悪くなる。
それに1番言い返したいのは、きっと俺じゃないから。
だからーー今から俺が言うのは、ただの意地の悪い皮肉だ。
「副会長は、今の親衛隊の人たちと話したことがありますか?」
「…事務的な内容しかありませんが」
「そうですか、副会長は噂だけで親衛隊を悪いと決めつけているんですね」
「なっ…!あなたはあの事件を知らないからそんなことが言えるんです!それに私たちは親衛隊のせいで友達も自由につくれない!!」
声を荒げる副会長を、緑先輩は珍しいものでも見たかのように眺めている。
腹黒い副会長は、静かに怒りはすれど激昂することはめったにないらしい。
「事件なら知ってますよ。…でも副会長に友達ができないのは貴方のせいですよね?現在の親衛隊は、貴方から他の生徒を無理やり引き剥がしたりしない。そんな過激なのは一部です。十把一絡げにして親衛隊と関わらないようにしているから、よけい不満が溜まるんです。昔は親衛隊と生徒会との交流があったそうですね、基本的には貴方に好意を持つ者しかいないんですから、積極的に関わって仲良くなれば友情も恋もこじらせないと思いますよ」
そこで俺は、一旦喋るのをやめた。
唖然としている緑先輩と副会長に視線をやると、最後に言った。
「今の親衛隊を、副会長自身の目で判断してあげてください」
辺りは静寂につつまれる。
言いたいことをかなりオブラートに包んで放ったのだが、普段そんなことを言われないであろう副会長は衝撃を受けているらしかった。
「私…私は」
戸惑いを隠さずに視線をうろうろさせている。
言いたいことを言ってスッキリしたので、副会長を放置して去ろうとした時だった。
「俺…は、親衛隊…苦手」
ぽつり、と緑先輩が呟いた。
さすがにそれを無視して帰るわけにもいかないので、俺は踏み出しかけた足を戻す。
「うるさい、の苦手…だから。それに、大切…人、つくる…制裁、される」
大切な人をつくると、親衛隊が制裁して酷い目にあわせる。
だから生徒会は、大事な人ほど自分から離さなければならなかった。
「でも…親衛隊、今は、あんまり…怖く、ない。かいちょ…ふくかいちょ…当時1年、だった。俺より、親衛隊…嫌い、わかる…けど…」
中等部にも親衛隊があるから、水原詩音や桜木緑は、親衛隊に良い印象を抱いていないんだろう。
その原因をつくったのは間違いなく昔の親衛隊だし、同じ組織を信用し直すのは難しいと、俺だってわかっているつもりだ。
だから俺は、先輩達が今の親衛隊の姿を見て、それでも嫌悪を抱くというなら仕方ないと思う。
それは個人の考えだしな。
ゲームのキャラとしては近寄りたくない攻略対象者だが、親衛隊が変われたように、彼らもきっと変化している。
何もかもがゲーム通りなら、俺は副会長や書記とこうやって会話する機会なんてなかっただろうし。
俺、渚、瑠衣がなによりのイレギュラーだ。
ありえないことなんて、ありえない。
現実の彼らがゲームと同じように主人公に毒されようが、親衛隊を嫌おうが、俺を巻き込まなければどうでもいいと思っていた。
そこそこ仲良くなった、クラスメイトの有馬櫻志と神谷亮は別として、特に関わりのない人を心配するような優しさは持ち合わせていないので。
親衛隊に友達がいる俺としては、ぜひ親衛隊の更生を認めてほしいものだが、無理だったとしても構わないさ。
そのときは、俺が親衛隊の敵から瑠衣や渚を護るだけの話。
「私は、親衛隊が嫌いです。いえ、嫌いでした。上辺だけを見て騒いで、勝手に幻滅する。思いを伝える勇気はないくせに、私たちに近づいてくる者を許さない。…私だって、親衛隊が変わろうとしてるのはわかっています。でも、親衛隊…いえ、それだけではなく、期待を押し付けてくる他の生徒や教師、家族でさえも、本当の私を認めてくれないんです」
理解していても、刷り込まれた思考はなかなか変えることができないようだ。
「作った私の姿を見て、好意を寄せてくる連中を、どう好きになればいいんです?どう信用しろと言うんですか?」
目を細めて、口元を苦々しく歪める副会長。
別に俺は、好きになれって言ったわけじゃないんだけどな…。
はぁ…、とため息をつき、答えた。
「ありのままの自分を嫌われるのが怖いからって、偽ることにしたのは副会長でしょう?」
「っ!」
図星か。
「個人的な意見ですが、俺からすれば…」
こちらの様子を窺い、ゆらゆらと頼りなさげに揺れる、青い双眸。
「作った態度でも本当の態度でも、それが副会長であることに変わりはありません。なんていうか、ーーどうでもいい」
ほんと、どうでもいい。
それは俺の本音だった。
本当の自分を認めてほしいだなんて、ただの子供のワガママだ。
そうしてほしいなら、全てさらけ出せばいい。
無理ならば、偽りごと認めてくれる奴を見つければいい。
というか、猫被りぐらいだれでもやってるだろ?
そんなことで嫌うかなぁ…?
「そう、ですか…」
毒気を抜かれたような表情をしている副会長は、呟いた。
「はい、少なくとも俺はそう思ってます。ではそろそろ帰りますので、…緑先輩、副会長、さよなら」
「ん、また…ね」
「あ…えっと、気をつけて帰ってくださいね」
気をつけて帰るもなにも、学園の敷地内…って迷子常連の俺が言えることじゃないか。
夕日もずいぶん傾いて、肌寒くなってきた。春とはいえ、まだ四月。冷たい風に身震いする。
ボルボックスもといミケもいなくなってしまい、さっさと帰りたかったので、挨拶だけして振り返らずに寮に向かった。
ーーだから気づかなかったんだ。
副会長が、微笑んでいたことに。
*
また迷いそうになったが、なんとか寮にたどりついた。
切実に地図が欲しい。学校案内のパンフレットに載っているだろうか?
もらえないかな。
「ただいま……っ?」
入った瞬間目に飛び込んできた光景は、床に散らばっている薄い本たち(目算20程度)。
別に購入してることとかは個人の自由だけれど、共用スペースにこの量を並べて置いているのは良くないだろ。
つーかまず片付けろよな。
表紙が肌色だらけだ。
捨てるぞ?
瑠衣は個人部屋に居たらしく、ドアが開いた。
俺を見ると、途端にパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
その様子に犬が連想された。
「ナナちゃんおかえりぃ」
ちゃん付けすんな。
「そうか蹴飛ばされたいか」
「ごめんなさい!って、あれ?なんか…」
すんすんと鼻をひくつかせている。
「ナナから他の男の匂いがするー」
「お前は浮気を疑う彼女かっ?」
ついツッコんでしまう。
…匂いとかわかるものなのか?
自分で嗅いでみても、もちろんのごとく無臭であった。
解せぬ。
「まあそれは置いといて、この散らばってる本、どうにかしろよ」
特に言わなくてもいいかな、と思っていたので、話題をすげ替えようとする。
「本は後で片付けるから、勉強がひと段落したらでいい?」
後で話してもらうからね、つけたされた言葉に、目論見が失敗したとわかった。
瑠衣の腐レーダーは侮れない。
「…は、勉強?」
「おう、中間テストが近いから。進学校だし、テスト勉強しないとAクラスでいれないからな」
それはそれは。
「気色悪いな」
主に瑠衣が勉強しているというのが。
だってこいつ、授業ほとんど寝てるし。
「なにさ、オレが勉強してちゃ悪いってのか?オレ、頭は悪いんだよねー。でも勉強すれば吸収は早いよ!抜けるのも早いけど!」
「…頭もだろ」
「辛辣っ!」
吸収が早くて抜けるのも早い。
つまりスポンジ頭…か。
Aクラスに入れたんだから、そんなに成績悪いってことはないんだろうけど。
自慢じゃないが、前世では早めのテスト勉強を心がけて…
いるわけがない。
普通に一夜漬けでした。
平均よりよければいいかな、と思っていた。
でも今のスペックならかなり上位を狙えるはずだ。
1位は無理でも、学年TOP10には入れると思う。
俺もそろそろ勉強しようかな。
「それにしても、ヒロイン(もちろん男)って頭いいんだよな?ゲーム内だとAクラスだったし」
「うん?いきなりどうした」
ヒロインーー転入生がくるのはゴールデンウィークが終わった次の日。
まだ四月なので、あと二週間ほどある。
「その転入生、戸塚愛斗って名前だった。間違いなくヒロインだ。しかもAクラスにくる」
まさしくゲーム通りの展開。
いくら俺でも、主人公の名前ぐらいは知っている。
ちなみに戸塚愛斗は、理想のヒロイン像ーーを残念にした存在である。
容姿は可愛い系。
しかし、人の話をまったく聞かない、自己中心的な主人公だ。
前世の妹が悪役をヒロインにしろというのも、まあ頷ける。
何故そんな性格で攻略できるのか、それはゲームだからだ。そうとしか言いようがない。
現実ではまともな性格であることを祈るばかりである。
「…で、なんで瑠衣がそれを知ってるんだ?」
「いや、あのさ…。生徒会から預かった書類の中に転入生に関する情報があって、見ちゃった☆」
見ちゃった☆、ってお前なぁ…。
生徒会も機密漏洩してるんじゃねーよ、管理しっかりしろ。
「つい、できごころだったんです!」
「と犯人は供述しており」
「捕まった!?」
安心しろ、教師にチクったりはしない。
「まあ、見た目はゲームと同じだったよ。写真は変装してた。あきらかに変装だってわかるような、カツラと瓶底眼鏡。Aクラスに編入できるなら勉強はできるんじゃないか?頭の良さは別として」
勉強ができるのと頭が良いのは別物だ。
俺は話が通じない人間を頭が良いと言わない。
「ゲーム通りじゃないほうが、俺的にはおもしろいけど」
無表情のまま声音だけで喜々とした感情を表す。
嫌いなのは面倒ごと、好きなのは面白いこと、だ。
そう言うと、瑠衣は少し考えるそぶりを見せた。
「んー…オレはゲーム通りの方が対策たてやすくていいと思う。生徒会が全員堕ちたらすごく面倒だから、ハーレムエンドだけはやめてほしいな。目の保養的には最高だが!なんならオレと関わらない位置でイチャコラしてほしいが!」
そこの変態、興奮するな。
*
明日までに出す課題を終え、風呂から上がる。
今日の夕食はハンバーグだったので、瑠衣の株が上昇した。
デザートは手作りプリンだった。
あいつ本当に男子高校生か…?
個人部屋に戻ったところで、机の上に置いてあった携帯がLIMEを受信した。
おー、ナイスタイミング。
送信相手はというと、やっぱり姉さんだった。基本友達が少ないので、夜中に電話やLIMEがきたら、高確率で姉さんである。
友達いないわけじゃないから。
少ないだけだから。
それで姉さんからのメッセージは、『今から電話してもいい?』『よね』というものだった。
疑問形なのにその後にすぐ断言されている。
どうやら弟に人権はないらしかった。
いや、俺が姉さんからの電話を断る理由がないんだけどさ。
シスコンだからね!
さっそく電話をかける。
「もしもし姉さn『嶺!【抱きたい抱かれたいランキング】はどうなったの!?』
大きな声に、耳がキーンとなる。
そもそも【抱きたい抱かれたいランキング】というのは、その名のとおり、抱きたい部門と抱かれたい部門の二つのランキングだ。
抱きたいーーつまり自分が攻めとして、相手を〈ピー〉したいと思う者に投票するものと、抱かれたいーー自分が受けとして相手と〈ピー〉したい者に投票するランキング。
ノーマルな生徒からしてみれば、うわぁ…、という感じだ。
健全な言い方をすれば、人気投票である。
月の始めに行われ、集計が終わったら上位10名が公表される。
「たしか抱きたいの方の1位は生徒会庶務の双子が同率票。抱かれたい1位は生徒会長、3位に書記で、4位は会計だったかな。副会長は両方2位だった」
『…よかった、嶺は入ってないわね。さっそく親衛隊が働いてくれたみたい』
「姉さん、何か言った?」
声が小さくて聞き取れない。
『な、なんでもないわ!それより、今日は何かあった?』
「特に何も…と言いたいところだけど、副会長と緑先輩…書記に会った」
『名前呼び…だと…?私の弟は腐ラグを立てる天才じゃなかろうか』
「フラグとか立ててないから。たぶん」
『鈍感キタコレ』
「姉さん落ち着いて」
ハアハアと荒い呼吸をする姉に深呼吸を促す。
あと俺は鈍感じゃない。
『送ってくれた写真だけど、アングルが最高よ。嶺の撮影技術が向上して嬉しいわ』
「…撮影技術ってか盗撮技術だよね」
姉さんとたわいのない会話をしていれば、あっという間に時間が過ぎていた。
適当なところで切り上げ、共用スペースで親衛隊隊長としての仕事をしている瑠衣に「おやすみ」と声をかける。
隊長は大変だな。お疲れ様。
明日なにかできることがあったら手伝おうと思いながら、すでに日課になっている日記への記入を済まし、布団に潜りこんだのだった。
「皮肉」と打とうとして、最初「ひき肉」と打ち間違えました。
【登場人物】
・水原詩音
生徒会副会長、三年生。
身長176cm。
笑顔の仮面を被った毒舌副会長様。
養子だったため両親に捨てられないようにしようとした結果、 作り笑いの上手な捻くれ者に育った。
常に敬語。腹黒い。
会長には特に容赦がない。
紅茶好き。
通称冷徹メガネだが、実は攻められると弱い。
・桜木緑
生徒会書記、二年生。
無口コミュ障大型ワンコ書記。
身長189cm。
単語で喋るが、がんばれば普通に喋れる。
有名な財閥の隠し子で、幼いころ
財産相続あらそいに巻き込まれたため、人間不信ぎみ。
甘いお菓子やケーキが好き。
抱きつき魔。
普通の人より嗅覚が鋭い。