09.甘いだけじゃない
駄々をこねるレーリィンにクラメラは説得を繰り返す。それを見ているラユトとルミアは完全に他人のフリを決め込むことにしたようだ。
途中でスィークが水をなみなみと張った桶を抱えて戻ってきた。彼はすぐに言い合っているレーリィンとクラメラに気がついてどうしたのかとラユトに尋ねたが、ラユトが気にするなと言ったので本当に気にせずに馬に桶の水を飲ませ始める。
「スィーク、お前の分の飲み水は足りてるか? ラミレスまで三日かかるんだろう?」
「ん? ああ、大丈夫。さっき汲み直しましたから」
「そうか、ならいいわ」
ラミレスとは、エルド塔国の隣国であるラミレス帝国のことである。エルド塔国はほんの数十年前にラミレス帝国から独立したばかりで、その国境もわりかし近いのである。
「ねぇねぇ、ラミレスの小麦って今いくら?」
「そうですねぇ、一袋あたりラミレス銀貨五枚ですかね。ああ、でもこれは国内計算なのでエルド硬貨に変換すると、エルド銀貨六枚でしょうか」
「今、エルド硬貨の方が価値低いのか?」
「そだよー。二、三ヶ月くらい前からかな。王様がエルドの貿易の拡大を計っちゃって、エルド硬貨がラミレスに大量に流れ始めちゃったの」
「それにラミレスは今年、例年より少々不作だったようで。ただでさえ高い小麦が、エルドでより高くなってるんですよ」
「まじかー」
のほほんとした状態で会話を続ける三人。後ろではレーリィンとクラメラが決着をつけられないでいるようだが、全然関係ないようであった。
「さて、もう帰ろうかな」
スィークが言うと、ラユトは目を丸くする。
「早いな。泊まってけばいいのに」
「代金はもう受け取っていますからね。今行けば、今日はそこそこ野宿のしやすいところまで行けますし」
「まだ昼だからなあ」
スィークの言ったことに納得し、ラユトは馬の残した桶の水を適当に外で流した。地面が茶色くぬかるんでぐちゃぐちゃになる。
ラユトが水を捨てている間、スィークは荷馬車の御者台に座り、ルミアが馬の手綱を引いてゆっくりと外まで誘導した。
「んじゃ、またな」
「ええ。近いうちにでも」
お互い軽く挨拶をかわして、ラユトとスィークは別れた。ルミアも小さくスィークに手を振った。
さて、スィークを見送った二人が塔の中を覗けば、やはりレーリィンとクラメラの言い合いは続いている。
ラユトとルミアは顔を見合わせて溜息をついた。
「姫さん、そろそろ意地を張っていないで戻ったらどうです」
「メイド長も強行手段に出ればいいのにー」
とりあえず仲介に出てみる。
「黙れラユト。もとはといえばお前が悪いのだ」
「え」
「ルミア、強行手段が使えるのはラユトだけですよ。仕えるべき主君にどうして乱暴ができましょうか?」
「メイド長ならやりそう……ってあたたたた! ナイフ! ナイフで腕にぐりぐりしないでえええええ!」
クラメラが瞬時に移動すると懐から出したナイフの背を使って、ルミアの腕をぐりぐりしている。……ぐりぐり? ごりごりかもしれない。つまりは痛そうだということだが、ラユトは遠い目をしただけだった。とばっちりは受けたくない。
さてどうしようかとラユトが思案していると、
「何事か」
威厳のある声が、ホールに響く。
全員が注目する中、一人の中年がエレベーターから降りてくる。普段の見栄をはったような衣装とは違って、ごく庶民的な服装をしたウォータックだ。
ラユトはナイスタイミングと思いつつ、ウォータックへと告げ口をした。そこには慈悲も何もない。先程の腹いせも兼ねている。
「実は姫さんが同行するか否かでもめておりまして」
「何?」
ウォータックが眉をひそめた。そして、厳かな声音で、
「二人とも静まれ」
たった一言。
たった一言唱えただけで、
「「ひいいいいいっ!?」」
口論を再開していたレーリィンとクラメラがおっかなびっくりして叫び声をあげながら震え上がる。
予想以上の怯えように、ラユトとルミアもびっくりだ。二人はまだウォータックの説教の怖さを知らない。
「おいおいおい……」
一応相手はお偉いさんなんだからな?
ラユトは言おうと思ったがやめておいた。こころなしか、ウォータックの頬がひきつっている気がしたから。お化けでも見たかと思うほど思いっきり叫ばれたのでは、流石に彼もショックを受けたのかもしれない。
ウォータックは気を取り直すように咳払いをする。
「無用な争いは結構だ。レーリィン、クラメラ、それぞれ己の立場をわきまえよ」
レーリィンとクラメラは半眼のウォータックによっていさめられ、つい竦んでしまう。
「レーリィン、これは遊びではないのだぞ」
「う……。心得ております叔父様」
「クラメラもだ。レーリィンの考えに容易に賛同なぞするからこうなるのだ」
「申し訳ございません……」
レーリィンとクラメラがウォータックの溜め息混じりの説教を受けている姿は、ラユトとルミアの先ほどの姿と全く同じで、とりあえず二人ともクスクスと笑っておいた。
いつもすまし顔のクラメラや、年の割に達観した考えの持ち主であるレーリィンが説教されているのは相当珍しい。ラユトは勿論、ルミアも見たことがない。
「そこの使用人たちもだ。まず、罰を受けるような姿勢で主に仕えるとは何たる事か。誠実さが足りぬぞ」
火花がこちらへ飛んできた。
ラユトとルミアはぎくりと肩を震わせる。
これは説教体勢だ。
そう瞬間的に思ったラユトは、その飛び火が大きくなる前に先手を打つ。
「ウォータック卿、そうしている間にも盗賊被害は大きくなるでしょうからまた後ほど」
爽やかにかわしてみせると共に、レーリィンとクラメラからもさりげなく注意を逸らして盗賊の話へ誘導する。
あからさまな誘導ではあったが、ウォータックはそうだな、と最後に大きな溜息をついて、眉間に皺を寄せながらも頷いた。
ラユトはうまく話をそらせて内心ほっとし、長引く説教を覚悟していた女子三人は、尊敬の眼差しでラユトを見た。
そんな若者組のことなどつゆ知らず、ウォータックはラユトの持っている紙に記してある話を今一度する。
盗賊はラミレス帝国とエルド塔国の間の道で出る。どちらかというとエルドよりで多発し、昼夜関係なく襲ってくるので、行商たちは少しでも多くの人数で集まり、護衛を雇って行くそうだ。
しかし厄介なことに、盗賊はその護衛を事もなく倒してしまうらしい。トロルがいたと話す者もいるようだ。死にはしないものの、攻撃を受けた護衛は全治二ヶ月ほどの大怪我を負い、行商は品物を呆気なく盗られてしまう。
ただ不思議なことに、襲われた行商の殆どは品物をあまり乗せていないのだ。帰途で油断している護衛は盗賊の初撃で大半が怪我をし、品物と言うよりは質の悪く買い取ってもらえなかった物ばかりが奪われるので、今まで行商も困りはしたものの表沙汰にはしにくかった。
エルドもラミレスも怪我人が出ているならどうにかしないととは思ってはいたが、盗賊の根城がいまいち特定できなかったし、互いの国の経済には影響を及ぼしていないので後回しにしていた。
けれどラミレスの放った偵察の一人が首だけになって道に転がっているのを、たまたま通りがかったエルドの行商が発見したのをきっかけに、ラミレスがエルドへ難癖を付けてくる前に片を付けるべく、ウォータックが動くことになったのだ。
ラミレスは表面上は友好的だが、実際にはエルドの事を良くは思っていない。それはエルドの歴史においても明確だ。だからラミレスが「ラミレスによる軍事的偵察を危惧したエルドが、盗賊の仕業と見せかけラミレスの偵察を殺した」というような難癖をつけてくるのは想像に難くない。
そうなる前に先手を打ちたい。だが、事を大きくしないためにもエルドの民兵は使えない。
だからウォータックは自身を使い、レーリィンに雇われた武術に秀でているという使用人を借りることにした。
元々はウォータックに仕えていたクラメラを使おうとも思っていたが、彼女は今、レーリィンの護衛を兼ねてメイドをしている。どこの馬の骨だか分からない奴を護衛につけるよりは、彼女一人をレーリィンに付けたままの方がはるかに安心できるとウォータックは思っている。王位継承権第一位のレーリィンを僅かでも危険に晒せたくないのは、王族ならば当然の事だ。
なのに、
「さあ、早く行くぞ」
「姫様!」
どうしようもない跳ねっ返り娘にウォータックは呆れるしかない。
レーリィンはいそいそとフードを深く被り、ラユトとルミアのもとへちょこちょこと移動している。クラメラがそれを止めようとしたが、ウォータックは彼女を遮って、好きなようにさせておけと言う。
「社会見学として大目に見るしかあるまい」
「……ウォータック様がそう仰られるなら」
クラメラは少し不満そうに頷く。
「不満か?」
「いいえ。ただ、ウォータック様は姫様に甘すぎます」
クラメラの言葉にウォータックは苦笑する。彼女の言う通り、ウォータックは少々レーリィンに甘いが、ただ甘いだけではないのだ。
「クラメラ。私が本当にレーリィンに甘かったならば、レーリィンに民兵の護衛を後数十人はつけさせているだろうな。そうしないでお前だけに護衛を任せるのは、レーリィンが少しでも自由に動けるようにするためだ。自由とは苦難も含まれるぞ。この意味、お前なら分かるな?」
クラメラがウォータック付きの使用人だった頃のような、整然とした口調で彼は言う。
クラメラはウォータックの言いたいことを正確に把握した。
分かったからこそ、クラメラはもう何も言えなかった。
ウォータック「何故、このような跳ねっ返り娘になってしまったのだろうか……」
レーリィン「ふふふ、世界が私を待っているのですよ。なんなら世界征服でも目指しますか?」
ラユト「姫さん怖っ!」




