96 再び車中にて(1)
96 再び車中にて(1)
「皆さん申し訳ないが、私は彼には勝てない。皆さんの中に彼に挑戦する者はおりますかな」
マイクでそう呼びかけた途端、会場はしゅんとなってしまった。だが、一人だけ彼に挑戦しようという者が現れた。どこかで見たような中年男性だった。
「あんたは強いんだからハンディをくれ。これでどうだ!」
男は上着のポケットから拳銃を取り出した。
「バキィッ!」
その瞬間、彼の手の骨は砕かれていた。
「ウグアッ!!」
男は劇痛にのた打ち回ったが、厄介なことになった。複数の者達が、
「警察だ! 救急車だ!」
と騒ぎ出したのである。救急車は良いとしても警察は困るのだ。健太は素早く逃げだしていた。怖がって彼には誰も寄って来なかった。
「道場着を着たまま逃げるぞ。服を持って来て!」
キミエに逃げながら呼びかけた。
「はい!」
キミエもまず更衣室に向かって自分の服を持ち出し、道場着姿のまま健太の後を追った。幸いにも二人の後を追いかける者はいなかった。やはりあの試合の状況を見て怖かったのだろう。
「キミエさん、キャロンさんに連絡してくれないか」
二人がマンションに到着したのは午後5時過ぎである。
「はい。………あ、あのう、キミエです。ちょっと困ったことになりました。健太さんが警察に追われる羽目になったんです」
キミエはかいつまんで今日の出来事をキャロンに話した。
「じゃあ、詳細は後で、出来るだけ早く来て下さいね、お願いします」
「キャロンさんはこっちに向かっているのか?」
「ええ、今、車の中だったんだけど、急いでもここに着くのは午後5時45分頃だそうよ。その前に警察が来ちゃったらまずいわね」
「道場の連中がペラペラしゃべったらヤバイかもね。しかし遅かれ早かれ来ると思うよ、警察がね」
「でもここにいることがすぐ分かるかしら。どの部屋に誰が住んでいるかはプライバシーだから、殺人事件くらいじゃないとそうそう簡単には教えないはずよ。あの三人組はペラペラしゃべらないような気がしますけどね」
「そうしてくれることを祈るのみだな。ふう、取り敢えず風呂に入っておくよ。もうメーキャップの事なんか構っていられない。どうせ、遅くても明日中にはここを離れることになりそうだからね」
健太は立ち上がって風呂に入ろうとしたが、キミエは我慢出来ないといった感じで話し掛けた。
「それにしても健太さんやり過ぎよ。あれって手加減したの?」
「うん、今回は相当に手加減したよ。三人組は一人も骨折していないはずだ。ただ拳銃を出したら、骨折ぐらいは覚悟して貰わないと。完全な正当防衛だと思うけどね」
「そうねえ、まさか拳銃を出すなんて。あの人何を考えているのかしらね」
「よく分からないな。どっかで見たような気がするけど思い出せないし」
「見覚えのある人なの?」
「うん、しかし思い出せないから、先ず風呂に入るよ。キミエさんも風呂に入っておけばいいんじゃないのか? 今夜、ここを出発することになるかも知れないからね」
「分かったわ。一緒に、あ、いいえ、何でもない」
キミエは一瞬、健太と一緒に風呂に入ろうかと思ったのだが、もうじきキャロンがやって来るのである。自重した。
「今晩は、大丈夫ですかみなさん………」
慎重な言葉使いでキャロンがやって来た。到着したのは6時少し前。結局、本来の時間通りだった。
「ああ、いらっしゃい。いや、まずいことをしてしまいました」
「でも、健太君のせいじゃないわ。まさか拳銃を持ち出すなんて。あの場面だったら誰でもそうすると思う」
キミエは一生懸命健太をかばった。
「議論をしている暇はないわよ。キミエさん早速だけど、車を運転して貰うわよ。10分以内に支度して」
「ああ、そう言うだろうと思ってね、準備万端にしてあるよ。忘れものはないよね、キミエさん」
「はい、一応、バッグに証拠になりそうなものは全部入れてあります」
「それじゃ、早速出かけましょう。ふうん、健太君のメークはほぼ完璧ね。これだったら帽子を被るだけでいいわね、銀髪は目立過ぎるから、それさえ隠してしまえばごく普通の青年ね」
キャロンは用意して来た深めの帽子をそれこそ深く健太の頭に被せた。
「あら、帽子を被った方が男前ね、ふふふ」
キャロンは持って来た帽子のサイズがぴったりだったことに満足している。その後、三人は地下の駐車場に向かった。
「ちょっと、ここで待っていて下さい」
キミエが二人を制して、少し離れた位置にある車まで走って行った。何やら自分のバッグから器具を取り出して15分ほども時間をかけて念入りに調べてから、
「ああ、大丈夫です。細工した形跡は一切ありません。どうぞ乗って下さい」
そう言って、二人を呼んだ。健太とキャロンはチラッと顔を見合わせてから車に乗った。正直言って少し待ちくたびれたのである。
「随分念入りに調べるんだね」
「はい。万一爆弾が仕掛けられていたら大変ですし、盗聴器なんかがあっても大変ですから、徹底的に調べました」
「お仕事ご苦労様だけど、私は警察が来るんじゃないかと冷や冷やしたわ」
「済みませんが、警察よりも爆弾の方が怖いですから」
キミエは任務に徹していたのである。
「お説ごもっとも。それじゃ、早速ですがサウスビッグシティへ行って下さい。スーパー高速道路を使ってね」
「分かりました。しかし、かなりの距離がありますね」
「はい。スーパー高速道路を使っても目的地までは5時間はかかるわね。休憩や一般道も走ることを考えればね」
「俺はスーパー高速道路は走ったことがないな。料金が高いから、家じゃもっぱら通常の高速道路しか走ったことがない」
「そうねえ、私達だって仕事に必要な時以外は使わないものね。でも、運転の方、大丈夫? かなりハードよ、平均時速は250キロくらいだと聞いてますけど」
「ふふふふ、大丈夫、こういう時の為に私は訓練を受けて来たんですからね。約一か月みっちりとね」
「それは頼もしいわね。おっと、シートベルトをお忘れなく」
「ああ、ふう、何だか怖いですね。俺はスピードのある乗り物は新幹線以外は苦手なんですよ」
健太は本音を吐いた。
「まあ、あんなに強いのに?」
運転をしながらキミエは驚いて言った。
「そんなに強かったの?」
キャロンは今日の試合を見ていなかったので、キミエからざっとの話は聞いていたが実感がないのだ。
「人間が風車みたいに空中でくるくると回転したんですよ。あんなの見たことがないですわ」
キミエは自慢げに話した。
「へえ、風車みたいにくるくるとねえ。でも、その人、大怪我をしなかったんですか?」
「その件に関しては俺が説明をしましょう。キミエさんはしばらく運転に集中してた方が良いよ」
時折話しながら運転することが不安だったのだ。
「それじゃ、しばらく話しませんから、今日の解説は健太さん全面的にお話しして下さい。もうじきスーパー高速道路に入りますから、その後はパーキングエリアまで一切話しませんからね」
「了解。空中に飛ばされてくるくる回ったのは、神岡田マロンさんていう女性だったんですが、彼女は空中で5回転しました」
「まあ、5回転も! オリンピックの体操選手だったら優勝間違いなしだわ」
キャロンは大げさに驚いて見せたが少し納得していないところがあった。
「5回転には実は意味があるんですよ」
「な、何の意味ですか。偶然5回転したんじゃないんですか?」
「いいえ、最初から5回転させるつもりだったんですよ。彼女は極めて運動能力が高い人です。3回転までだったら彼女は床の上に立つことが出来たと思います。
私との試合の前に彼女は模範演武をして見せました。その素早い動きから私は3回転ではびくともしない、4回転ではぐらつくかも知れないが気絶まではしないと確信したのです。
そこで5回転にしようと考えていました。そこまで行くといかに彼女でも怪我をしない様に落ちるのが精一杯。案の定、床に落ちた時にうつ伏せになってギリギリですが前受け身を取ったのです。
しかしダメージが大きく気絶してしまいました。あれが6回転以上だと大怪我をしたかも知れません。これが5回転の意味です」
「へえーっ。じゃあ、他の二人は?」
キャロンはまだ納得しきっていなかった。何かと問題を起こす健太に不満があったのだ。
「次に早馬良助君の場合ですが、彼はまっすぐ突進して来ました。その割に前面のガードが甘く俺は手の平で押し返してやりました。
10メートルくらい後ろに飛んで行って、壁に激突して気絶しましたが、拳で気絶させるよりは怪我の程度は軽いと考えています。
最後に大河内キラ星君ですが彼の蹴りは鋭かった。かわすのが難しかったので拳で対抗したのです。勿論手加減しました。彼の怪我は強い打撲傷だけだったと思います。
もし手加減しなければ彼の足の骨は砕けてしまって、恐らく車いすの生活をする羽目になると思いますが、そうならない様に細心の注意を払ったつもりです」
「何が細心の注意よ!」
キャロンは怒りだした。
「はい?」
「例えばマロンさんよ。どうして4回転にしてあげなかったの。それで十分じゃないの? それから良助君。壁に激突させる必要はないでしょう! 更に言えばキラ星君。拳で受け止めるんじゃなくて、手の平で受け止めれば良かったじゃない!」
キャロンは結局、激怒したのだった。




