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 85 車中にて(2)


                   85 車中にて(2)


「あ、あのう、ちょっと待って下さい。やっぱり止めにします」

 妖鬼は突然言葉をひるがえした。

「どうして? 今の運転手さんのアイディアは、なかなかいいと思うけど?」

 逆にキャロンが疑問を呈した。


「今、俺の心の中にいるユキノさんに聞いてみたんですよ、こんな助け方があるってね。でも彼女は断りました。自分だけ助かる訳にはいかないって。そうなんです彼女はそういう人なんです」

 思い出したのだ彼女の善良な心を。三人の男性を殺した罪は重いが、しかし、恐らくはそれが最良の方法であったろう。警察に駆け込めばいいという人があるかも知れない。

 しかしそれでは彼女は救われない。三人の男達の罪は重いと言っても、人を殺している訳ではないから、大して重い罪にはならない。

 ずるがしこい連中なら、まさに彼らはそういう連中なのだが、反省の振りをすることぐらい朝飯前である。十分反省の態度が見られれば彼らは数年で釈放されるだろう。

 彼女にはその後、もっと恐ろしい地獄が待っていることは明白である。現在の刑法はその辺が全く不十分なのだが、人の心の深淵まで覗けない以上、その種の逆恨みによる報復は依然としてしばしば起こっているのだ。


 それでも彼女は重罪なのだという。奇妙な刑法の犠牲者になりそうな彼女を救う為には、ただ一つ全員を救わなければならないのだ。妖鬼の方針はユキノを救うことから全員を救うことに変貌した。

『しかし、どうやって?』

 その方法が全く見えないうちに車は目的地に近づいた。


「ああ、そろそろウェストサイドシティに着くわね。私達の目的地は、あそこのマンション、ブルースカイマンションと言うんだけど、そこの3055号室。

 一応天下グループ経営のマンションなんだけど、入っている人は一般の人達よ。と言ってもどちらかと言えばセレブ専用のマンションね。

 徹底した生体認証システムだからキーは原則として無いのよ。ただし一つだけ問題があるわね。妖鬼さんの場合、万一警察とかが調べに来たら、あなただと分かってまずいのよ。

 それで当座はこのカードを使って下さい。このカードは非常用なんだけど、生体認証はたまに認証の間違いを犯すことがあるから、もっぱらカードを使って出入りしている人も多いの。だから怪しまれることはないわ」

 妖鬼はカードを一枚受け取った。


「それから、天下グループのナンバー7は極秘扱いだから口外しないこと。それでナンバー7の特典として、住居費用は無料。つまりただ。

 でもね、これも警察対策なんだけど、マンションは別の人が購入したことになっているから宜しくね。あなたはその人の好意で無料で借りていることになっているのよ。

 ああ、それとあなたの名前ですけど、假屋崎かりやざき健太けんたですからね。その他詳しいことはマンションに着いてからにしましょう。

 一応、マニュアルの資料がありますからよく勉強しておいてね。ああ、見えて来たわね。あの青くライトアップされている32階建ての高層マンションですから。いつ見ても綺麗なマンションねえ………」

 キャロンはうっとりと見とれていた。


 それから数分の後、マンションの地下駐車場に車は止まった。駐車場に入る時、妖鬼、即ち、假屋崎健太は、そこで初めてカードを使った。カードを画面上にかざして簡単にOKが出て、すんなり入れた。


 車から降りると三人はほとんど無言でエレベーターに乗り30階で降りた。数人とすれ違ったが互いに何も言わなかった。その数人のうちの一人は恐らく有名女性タレントだったろう。

 勿論、名前を言ってはならないし、サインを求めたり写真を撮ったりも厳禁である。プライバシーは徹底的に守るのがここの流儀なのである。


「ここが3055号室か。それにしても大きなマンションだねえ」

 小声で言いながら、妖鬼はやはりカードをかざしてロックを解除し部屋の中に入った。後に二人の女性が続いた。運転手が中に入って来たのは、意外だった。

『キャロンさんを送って行くんじゃないのか?』

 そう思ったからである。


「ここはセレブの人達が使うマンションみたいなものだから、至れり尽くせりよ。電話一本で様々なサービスが受けられるし、専用のプールもあるし、専用のテニスコートもある。

 その他にいろんなお店も隣接していて、ショッピングも食事も遠方に行かなくても済むし、勿論配達だってしてくれるのよ。つまり隠れ家にはもってこいなのよ」

「成程。ところでもうじき午前零時ですけど、お帰りになるのではないのですか?」

 真っ先にマスクを外した妖鬼には、何故運転手まで一緒にいるのかちょっと不思議だったのだが、

「もう少しだけお話ししてから帰りますけど、宜しいかしら。お嫌でしたらすぐ帰りますけど」

 何か少し訳ありの様なので深く追及はしなかった。


「ああ、別に構いませんけど」

「じゃあ、私、コーヒーを入れましょう」

 運転手は、帽子を脱いで、キッチンに向かった。何か慣れた感じである。


「妖鬼さんは座って下さい。まあ、私も座りますけどね。それで彼女にはここに何回か来て貰っているから、どこに何があるのか後で聞いておけばいいわ」

「ああ、はい」

 さすがにセレブ用のマンション、部屋数もかなり多い。居間には豪華なソファがあって、キャロンとは向き合って座った。

「お待たせ、コーヒーはとても美味しくできました」

 確かにいい香りが漂ってくる。女性運転手も妖鬼と向き合ってキャロンの隣に座った。真正面に座った運転手の顔には見覚えがあった。


「あ、あんたは、キ、キミエさん! どうしてここに!」

 聞き覚えのある声だったのは間違いではなかったのだ。スイーツ研究所の女性研究員、二人いたうちの年上の方である。冷静ではいられなかった。妖鬼の顔に激しい怒りが見える。

「俺の前に良くのこのこと出て来れたもんだな。くっ!」

 キャロンがいなかったら手足の骨の二、三本くらいは折っていたかも知れない。辛うじてこらえた。


「殺されても文句は言えないわね。いつでもどうぞ殺して下さい」

「開き直るのか!」

「ちょ、ちょっと待って。妖鬼さんが怒るのも無理はありませんが、この人は私共天下グループにスイーツ研究所でのことをすっかり教えてくれたんです。ヤセールグループから脱出して来たんです」

「脱出して来た?」

「………、はい。言い訳にしかなりませんが、もし私が彼らの命令に従わなかったら、新薬開発の実験台にされそうだったんです。事実上命がありません。

 万一助かったとしても身体障害者になる可能性がとても高かった。でも、それでも、あんなことをしてはいけませんでした。本当に申し訳御座いません、うううっ」

 キミエは深々と頭を下げたし、目からは大粒の涙がこぼれた。


「ふうん、まあ、今となってはどうしようもないしね。しかし、どうしてこっち側についたんだ? 何か心境の変化でもあったのか?」

 謝られたからといって、許すつもりはさらさらなかったが、

『ひょっとして、スパイかも知れない』

 そう勘ぐった。話に少しでもおかしな点があったら、『心読み』をして正体を暴くつもりだった。


「アカリちゃんが、スイーツ研究所に居た私の助手だったんですけど、彼女が死にました。彼女はスイーツが好きで太って来たので、ヤセールを飲んだんです。

 そしたら骨と皮ばかりになってしまって、最後には気が狂ったようになって、ビルの屋上から転落して亡くなりました。可哀そうに………。噂は本当だと初めて知りました。

 私は天下グループの人達は自分達がヤセールグループより劣勢だから嘘を言って、私達をおとしめているのだと聞いておりました。その言葉を信じておりました。

 でもそれは全く逆だったんです。真実を語っているのは天下グループで、嘘を言っているのはヤセールグループなのだと確信しました。

 でも彼らから抜け出すのは容易ではありません。抜け出そうとすれば、先ほど言ったように人体実験されてしまいます。そんな折、私の所に天下グループの人が来て誘ってくれました。

 絶対にヤセールグループから守ってくれると言ってくれたので、こうして恥を忍んで天下グループの一員にして貰ったのです」

 妖鬼は真実だと感じた。怒りの感情は徐々に薄れ、もう少し話を詳しく聞きたくなった。

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