84 車中にて(1)
84 車中にて(1)
「ところでそろそろマスクを外してもいいですか、ちょっと息苦しくて」
「悪いんだけど、目的地に着くまでは我慢して頂戴。あちこちにある監視カメラに車の中まで撮影されることがあると思うから、分かるでしょう?」
「はい、分かりました」
妖鬼は承知せざるを得なかった。
「ああ、そうそう、これはプライベートなことだから特に言うことも無いと思うのですけど、これから少し長いお付き合いになりそうだから、この際言っておくわね。あなたは私がどこの国の人か分かるかしら?」
全く予想外の質問に面食らった。
「そうですねえ、金髪に青い目、背も日本人離れして高いし、常識的に言えばアメリカ人ですよね。日本に長く滞在しているアメリカの人ですか?」
ごく普通の答えしか出来なかった。
「ブーッ、外れよ。私は国籍は日本人よ。ただし私の実の両親はアメリカ人。私が幼いころに両親が離婚して私は母親に育てられたんだけど、母は日本人の男性と再婚。
それ以来ずっと日本で暮らしていて、日本国籍を取得したのよ。という訳で私は体はアメリカ人、心はジャパニーズよ。あら、何となく誰かさんに似ているわね、体と心が違うなんて」
「はははは、俺の場合は、まあ、体は津下原源内の孫、心は平凡な家庭のちょっと出来の悪い息子って所かな」
「そうそう、そのことに関連してなんだけど、あなたが眠っている間に、私達はスイーツ研究所と、暁天家を徹底的に調べたのよ。あなたが言っていることはほぼ真実だということがはっきりして来たわ」
「俺が嘘を言っていないことが分かったでしょう?」
妖鬼はどうやらわかって貰えたと思ってほっとした。
「徹底的に調べたと言っても100パーセントという訳にはいかないけどね。先ずあなたの気になりそうな話題を一つ言っておきましょう。心が妖鬼で体が暁天ユキオの彼はどうしていると思いますか?」
「うーん、想像もつかないな。まさか家族に暴力を振るっているとか?」
「いいえ、その逆よ。彼は優等生に変身。暁天ユキオは成績は学年最下位クラスよね?」
「げっ、それを言わなくても………」
「ところが彼、つまり本物の妖鬼は実に品行方正な優等生に生まれ変わって成績は見違えるように良くなったし、家の中でも良い息子を演じているわよ。
理由ははっきり分からないけど、今のところ全く問題行動無しね。ひょっとすると何か企んでいるのかも知れないから、私達は彼の行動には常に目を光らせているわ。
ただ、これも予想通りなんですけど、ヤセールグループも彼の監視は怠っていないわね。その監視の目を意識して彼は行動出来ないだけなのかも知れないわね」
妖鬼はその辺も聞いて安心した。問題行動を起こしさえしなければ良しとしておくしかないのだ。
「さて、次はスイーツ研究所の方なんですけど、ええと、それに関しては目的地に着いてから言った方がいいわね。それよりもっと重大なことがあるのよ」
「重大なことですか? なんでしょうね」
妖鬼には見当もつかなかった。
「あなたが天国島にいないことは警察も承知しているわ。意識の無いあなたを警察は入念に調べて、妖鬼、公式には津下原陽気であることを確認しましたからね」
「その他に何かあるんですか」
「出て来たのよ。まあ、平たく言うと裏切り者ね。まあ、分からなくもないわね。あなたをVIPレストランの入り口付近で襲った男がいたでしょう?」
「ああ、確かに居ました」
「その他にも何人かが本土に強制送還された腹いせに、天国島の情報を流したのよ。数多くの犯罪者が匿われているってね。
本当のことを言うと警察もそのことはとっくに承知していることだったのよ。でも考えてもみて、天国島から出られないということは、実質、昔でいうところの島流しと同じでしょう?」
「ああ、成程、そういう考え方もありますね」
妖鬼はここでもまた新しい考え方を知った。
「だから、大目に見て来たのよ。実質刑務所の中に一生いるのと同じようなものなのですからね」
「はい。じゃあ、どうして問題になるんですか?」
「ところが何人もそういう主張をする人達が出て来ると、警察としても無視出来ないのよね。何もしなければ警察の怠慢だと言われる。仕方なしに年内にも強制捜査を入れることになったのよ」
「えっ、それは大変だ。俺の知り合いにも気の毒な人達がたくさんいる。彼らを普通の法律で裁くべきじゃないですよ!」
真っ先にユキノの事が思い浮かんだ。タンポポだって気の毒である。
「私達は警察の手から彼らを守ることは出来るのよ。全員を地下二階に隠して、出入り口を封鎖すれば、警察力では手に負えないのよ。
でもねえ、それじゃまずいのよ。何しろそこで暮らしていた連中の証言でしょう? 一人もいないなんてありえないでしょう? かえって疑われることになる訳よね」
「うーむ、ひょっとして、何人かには捕まって貰うとかですか?」
「そう。その犠牲者を誰にするかで大揉めなのよ。最低でも十人は捕まって貰わないとねえ、かっこつかないでしょう?」
「誰も捕まりたくはないですよね?」
「そうなんだけど、何人かは名乗り出たわよ。真っ先に名乗り出たのはユキノとかいう女性よ。勇気があるわよねえ。彼女の場合、過剰防衛の罪で懲役三十年くらいになるらしいわよ、私共の弁護士の話だとね」
「えっ! ユ、ユキノさんが名乗り出たんですか?」
激しい衝撃を受けた。
『彼女だけは助けなければ! 懲役三年くらいならいざ知らず、懲役三十年だって! 冗談じゃないぞ!』
妖鬼の、即ち暁天ユキオの次の目標がその時定まった。
『しかし、しかし、難しい。彼女を助け出すことは出来ても、一生逃げ続けることになるぞ。ううむ、これは困難な課題だぞ!』
すぐに難題であることに気が付いた。むしろ捕まって刑が軽く済んでくれればベストだろう。しかし、それもまたすこぶる困難である。裁判は裁判官がするのであって自分ではないのだ。
どんなに一生懸命弁護しても、裁判官がノーと言えばそれまでなのだ。ユキオはすっかり考え込んでしまった。ユキオの心情を察してしばらく会話は途絶えた。
「あなたはユキノさんのお知り合いなの?」
少し時間をおいてからキャロンは聞いたが、彼女は無論何も知らないのである。
「はい。ずいぶん世話になりました。俺の気持ちを理解してくれる貴重な人なんです。いずれ近いうちに何もかも彼女にだけは打ち明けようと思っていたんですが、うーむ、こんなことになろうとは………」
「そう、あなたにとって大切な人なのね」
「そうです。彼女が俺の心の支えだと言っても言い過ぎではありません」
「ユキノさんは幸せ者だわね、あなたにこんなに思われるなんて。私はてっきりウヅキさんといい仲なんだと思っていました」
「いや、その、そんなんじゃありません。ウヅキさんは良い友人ですし、ユキノさんは宝物なんですよ。それだけです。彼女を助けたいんですがねえ。何とかなりませんか?」
妖鬼は助けを求めた。自分一人の手には余ると判断したのだ。
「あちゃ、今度は宝物ですか、ちょっと焼けるわね。で、でも、他ならぬ妖鬼様のお頼みとあれば、助けない訳にはいかないわねえ。だけどその他の人の事はどうでもいい訳?」
キャロンは痛い所を突いて来た。
「はははは、意地が悪いですね。どうでもいいはずはないですよ。でも、そこを何とかお願いしたいのですよ。彼女を軽い刑に出来れば良いんですがねえ。
俺が裁判官だったら、当然執行猶予を付けるんですが、あいにくと俺は裁判官じゃないし、しかも三審制だから、最高裁で執行猶予が付かなくては意味がない」
「彼女が人助けをすれば宜しいんじゃないでしょうか。大勢の人を体を張って助ける。そうすれば世論も動きますし、そもそも彼女にはとても気の毒な一面がありますから、同情が政治家を動かし、政治家は裁判をひっくり返す力があります。
超法規的措置という奥の手もありますし、それに陪審員裁判になれば天下グループの人を送り込む手もあります。彼女が捕まる前に一芝居打ったらいかがですか?」
突然、運転手が言葉を挟んで来たのだった。




