72 トレーニング(3)
72 トレーニング(3)
「別にブザーは鳴りませんね。本当にこういう走り方だったんですか?」
係員は首を傾げながら言った。
「いや、徐々にスピードを上げている最中に鳴ったんですけどね」
「分かりました。じゃあ、その時と同様にスピードを徐々に上げてみて下さい」
妖鬼は先ほどと同様のスピードアップを試みた。
「ブーッ! ブーッ! ブーッ! ………」
再びブザーが鳴りだした。
「わ、分かりました。ええと、何キロ出てますか?」
係員はちょっと青い顔でメーター類を覗き込んだ。
「えええっ! じ、時速60キロ!! あ、あの、スピードが速過ぎたんですよ。このマシンの通常の上限速度は40キロです。それでも余裕を持たせて50キロまでは対応出来るようにしてあります。
しかし60キロは完全に想定外。このままだと機械が壊れてしまいます。お、お客さんもう少し控えめに走って貰えないでしょうか?」
「分かりました。50キロを超えないように走ればいいわけですね」
「は、はい。お願いします」
係員は青い顔をしたまま部屋から出て行った。
『ううむ、それじゃ時速40キロで40キロ走ってみるか。丁度一時間だから区切りがいいからな』
それから一時間走り続け、
「さて、次は何にしようか。いや、まてよ、水分の補給も大事だよな。自販機はどこだっけ」
一旦廊下に出て自販機を探しだし、ミネラルウォーターを買い求めて部屋に戻った。
『待てよ、俺は逆立ちが出来るのか?』
ユキオ時代には一度もやれなかった。腕立て伏せは比較的得意で100回くらいやったことはあったが、それでも逆立ちはうまくやれなかった記憶がある。
「それっ!」
気合を入れてやってみると、実に簡単にやれた。そのままランニングマシンで逆立ちで走り続けた。当然ながら脚で走るような訳にはいかない。
『そうか、最初からこれをすれば良かったんだ。これだったら全力を挙げても時速10キロも出ないかも知れない』
今度は全力で走れた。予想通り時速10キロがなかなか出せなかった。約一時間逆立ち走りをし続けて終了したが、さすがにへとへとだった。
「へーっ、こりゃきつい。うわー参った!」
しばらく休養してから、今度は後ろ向きに走ってみた。これもかなり難しかったがやはり一時間続け、しばらく休養を取ると時刻は12時。
「さてぼちぼち昼食にしようか」
部屋を出てレストランに向かった。
「あんたが妖鬼かい?」
昼食をとっていると、突然男の二人組がやって来て呼び捨てにした。自分と同様の筋肉のお化けみたいな連中だった。
「俺達と勝負しろ!」
食事中にもかわらず、しかも場所柄もわきまえていない。
「ガンッ!ガンッ!」
二人の男の顎の骨を砕いて、レストランからつまみだし廊下に放り投げた。
「痛てえ、痛てえ、……」
「ち、畜生! 痛てえ、痛てえよう、………」
「もう少し場所柄と時間をわきまえろ!」
一言怒鳴ってから、昼食を再開した。その様子を見ていた連中はこそこそと退散した。妖鬼は別に何もしないのだが恐怖心にかられたのだろう。
二十数人いた客は誰もいなくなって、妖鬼は一人で食事をとることになった。顎を骨折した二人は、係員が近くの外科医院に連れて行った。そこは貸ジムと提携している所らしい。
「ああ、えっと、チョコレートパフェ追加」
妖鬼即ちユキオはチョコレートパフェが好きだった。
「ど、ど、どうぞ」
ウエートレスが震えながらやって来て、パフェを置いて、慌てて去って行った。それを食べていると、
「お、お客様。あの、申し訳ございませんが、お代は結構ですので、こ、これからはデリバリーサービスの方お願いしたいのですが」
料理長らしい男がやって来て、真っ青な顔でそう言った。
「デリバリーサービスというと、自分の部屋の中で食えということか?」
「は、はい。お客様が余りにお強いので、その、他のお客様方が、ここに入って来れないのです」
「うーん、俺は別に何もしないんだけどねえ。さっきみたいに無礼な連中は別だけど」
「はい、確かにその通りで御座いますが、実際、誰も入って来て頂けません。あなた様はあの有名な妖鬼様で御座いましょう?」
料理長は決死の覚悟で言っている様だった。
「はははは、分かった。確かに俺はお尋ね者の妖鬼だ。じゃあ、チョコレートパフェを食ったら退散するよ」
少し急いでパフェを食い終わり、レジに行った。
「幾らだ?」
「いえ、お金は結構ですから」
「はははは、こう見えても俺は金持ちだからお金ぐらいは払うよ」
「じゃ、じゃあ、1000イエンいただきます」
レジの女子はやはり顔面蒼白でやっと言った。妖鬼は言われた通りに1000イエン払ってレストランを出た。本当は1800イエンだったのだが、余りくどくど言うと泣き出しそうだったので言えなかった。
『ふう、やれやれ、すっかり恐れられてしまったな。あの無礼者の二人に、もう少し手加減すれば良かったか? いやいや、そんな事をしたら図に乗る。あれで良かったのさ』
間違ったことはしていないつもりだったが後味が悪かった。




