45 リング(1)
45 リング(1)
「ああ、ちょっと待ってください!」
マスターらしい年配の男性が、何故だかマイクを持って現れた。
「リングを使う以上はここのルールを守っていただかないと。分かっていますよね、カイザーさん。ここはカジノだ。リングだってカジノの一つなんですからね」
「ああ、分かってるよ、俺とそこの小僧と試合をする為には、賭けをしなきゃならねえんだろう。分かってるから勝手にやってくれ。十分間だけ待つ。
その間そいつを捕まえておいてくれ。逃げないようにな。さあ、みんな賭けてくれ。さっさとやれ、俺は気が短いけえんだ!」
カイザーは、言いながら上着を脱ぎ捨てた。どうやら喧嘩慣れしている様である。
「ああ、あんたは、ええと、名前は何だっけ?」
マスターらしい男は妖鬼を知らないようである。
「妖鬼です」
「えっ、ヨーキ?」
「はい」
「あのカイザーって男は喧嘩がめっぽう強いことを承知しているんだよね」
「へえ、強いんですか。そいつは楽しみだな」
「おやまあ、自信満々で。まあ、万一怪我をしても何せすぐ隣が医務室だからねえ、大丈夫死にゃしませんよ。さあ、カイザーとここの若いヨーキ君との戦いだ。どっちに幾らかけるか、大穴狙いだったらヨーキ君、さあ、ヨーキ君に掛ける人はいないか」
マスターはしきりにマイクで呼びかけている。
「さあ、二十人を超えたから、賭けは成立だ。それじゃ、やってくれ!」
マスターの合図で試合開始になったのだが、妖鬼はまだリングに上がっていなかった。
「さあ、上がってこいよ、俺はいつでもいいぜ」
カイザーは妖鬼がリングの中へ入ろうとする瞬間を待っていた。
「もたもたするんじゃねえよ!」
怒鳴りながらリングの外側に立っていた妖鬼めがけて突進して来た。
「あ、危ねえな、かわすんじゃねえよ!」
妖鬼が素早く横に移動してかわしたので、カイザーは危うくリングから転落しそうになったが、かろうじて踏み止まった。その間に妖鬼はロープの隙間からリングの中へするりと入りこんだ。
二人は数メートルの間隔をあけて睨み合った。いや、正確に言えば睨んでいるのはカイザーだけで妖鬼は、
『さて、なるべく骨折しない様に、しかしそれなりのダメージを与えないと、このおじさんは目が覚めないかも知れないな』
そんな事をのんびり考えていたのである。
「うりゃーーーーっ!」
大きな叫び声とともに、なかなか攻めてこない相手にいら立って、カイザーは突進した。
「バシィッ!」
妖鬼は突進をかわしつつ、回し蹴りを軽くくらわした。いつもの様に低い位置の蹴りである。右足のすねの辺りに当たって、相当大きな音がした。
「うぐぐっ、うううっ」
カイザーは泣き出しそうになった。いまだかつて経験したことのない痛さだったのだ。それでも、ユキノの手前、必死に耐えて、足を引きずりながら妖鬼を追った。
「バッシィッ!」
さっきよりもう一回り大きな音がして、今度は左足のすねの辺りに当たった。
「ぐあっ、ち、畜生!」
余りの痛さに、多分涙が出ていただろう。両足が痛くてもう一歩も歩けないのだ。必死にこらえて、かろうじて立っていたが、まっすぐ立っていられなくて、かなり前傾姿勢だった。
「ドスンッ!」
半分前に倒れ掛かっていたカイザーの体は、妖鬼の下から突き上げるような腹部へのパンチで誰の目にも信じがたい事だったが、空中にふわっと浮き上がり、
「バーーーーーンッ!!」
リングのマット上にうつぶせ状態で落ちた。それきり動かなくなった。
「タ、タ、タ、タンカ! 医務室へ連れて行って!」
マスターは慌てて叫んだ。すぐに係員がやって来て、カイザーはタンカで医務室へ運ばれて行った。タンカで運び出した素早さは、リング上での失神者が結構多いことを物語っていた。
マスターが慌てたのは彼の予想に反して、カイザーが負けて失神してしまったからだろう。後で知ったところによると、カイザーは今まで数十回リング上で賭け試合をして無敗だったとのことだった。
カイザーは皇帝と訳せる。その強さをたたえての呼び名だったのだろうが、単に強い相手に当たらなかっただけの様である。
「あ、あんた、お強い。ヨーキさんでしたよね。いや、参りました。それでこれは、勝利者賞です。どうぞ遠慮なくお受け取りください」
「い、良いんですか?」
ユキオは戸惑ったが、
「受け取って下さい。そうしないと後で揉め事になりますわよ」
そばに来ていたユキノが耳打ちしてくれた。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく」
受け取った金額は二万イエンだった。




