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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
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回りくどい懐柔策


 人通りの多い往来を二人の人間が足早に歩いていた。一人は、まだ小柄な少年と思しき人物だ。黒っぽい深緑色の外套の背中には、鞄が張り付く様に付いている。立てた襟の傍を跳ねる癖の無い黒い髪は、小さな尻尾のように、その人物の歩みに合わせて小刻みに揺れていた。

 その隣には、もう一人の男が、ぴったりと寄り添うようにして付いていた。

 その姿は、一見、人混みの中を逸れないようにと相手を気遣っているようにも見える。だが、男の感情の乗らない澄ました表情は兎も角、その隣を足早に歩く人物の顔は、明らかに強張っていた。




 強い力で腕を掴まれたまま、黙々と道を歩いた。背中に張り付いた男の立ち位置は実に巧妙でさり気なく、傍目には二人が連れだって歩いている位にしか見えないだろう。

 リョウの顔は強張ったままだった。通りを曲がる度に掴まれた場所に力が入って痛みに顔を顰める。

 自分を拘束しているこの男は、一体、何者なのだろうか。

 体格は、この国の基準で言えば、中肉中背というところだろうか。ブコバルやユルスナールを始めとする北の砦の兵士たちといった自分が比較対象として知る男たちに比べれば、幾分小柄だ。それでも自分と比べれば、遥かに体格がいいことには違いなかった。

 男が身に着けている衣服とそこから発せられる空気は、往来を闊歩している無頼漢や荒くれ者の類とはかなり隔たりがあった。その事にまず、リョウは、何がしかの違和感を覚えた。

 きびきびとしたそつのない動きとそこから醸し出されている雰囲気は、どことなく品があり、洗練されている。なんというか、実に主観的で感覚的なものだが、その男からは都会的な匂いがした。


 拘束の後、相手の抵抗が無いことを踏んで、男が発した言葉は一言。

「主が呼んでいる」

 そして、付いて来いとばかりに顎をしゃくった。

 それから、有無を言わさずに強引に引っ立てられている。気分は罪人さながら、最終審判を待つ被疑者といったところだろうか。

 男は、道中、沈黙を貫いたままだった。

 行き先を尋ねてみても、ギロリと剣呑な目付きで睨まれるだけ。その度に煩いとばかりに掴まれている腕に力を入れられる為、リョウは早々に質問をすることを諦めた。

 このまま腕を折られては敵わなかった。そうでなくとも腕には痣が出来ていそうだ。


 それから、暫くして、男は身体を入れ替えるようにして前に出ると、とある豪奢な建物の中に入って行った。

 裏口だろうか、通用口のような簡素な木の扉から中に入る。

 扉を開ければ、途端に噎せかえるような甘い匂いが鼻に付いた。

 無意識に顔を顰める。ぼんやりとした室内は、辛うじて日の光が差し込むような薄暗さで、目が慣れるのに時間が掛かった。幾度か瞬きを繰り返す。そうして目に入ってきた光景に、リョウは暫し、呆気に取られた。

 廊下の向こうをあられもない格好をした女たちが、気だるげに通り過ぎて行く。

 大きく欠伸をする女、のんびりと長い髪を(くしけず)る女。密やかな笑い声。退廃的な淀んだ空気が、その一角には立ち込めていた。

 ――――――まさか。ここは………………。

 不意に頭に浮かんだ単語を確かめるように目を凝らそうとする。

 だが、

「ぼやぼやするな」

 ここに来て漸く口を開いた男の第一声に、それ以上の探索を阻まれてしまった。


 半ば、引きずられるようにして廊下を歩き、階段を上がった。

 内心、連れて行かれる場所が階段を下りた地下室のような所でないことを良かったと思った。

 相手が何者で、何を考えているのかは分からない手前、それは大した慰めにはならないのだろうが。それでも気休めぐらいにはなるだろう。

 湧き出て来る不安に押し潰されないようにと深呼吸を繰り返した。冷静になるようにと腹の中に力を込める。

 そして、とある部屋の扉の前で、男が足を止めた。

「連れてまいりました」

 小さなノックの後、男の事務的な報告が行われる。

 リョウの緊張は極限に達していた。

 これから何が待っているのか。この後の身の振り方を間違えないようにしなくてはと竦みそうになる足を叱咤する。

「入れ」

 扉越しにくぐもった男の声が了承の言葉を紡ぐ。

 そして、様々な感情でざわめく気持ちを静めるように顔を上げた。



 片腕を掴まれたまま中に入れば、二人の男が部屋の中に居た。

 全体的に華やかな印象を受ける室内。一目で高級そうだと思われる調度品に囲まれた長椅子に一人の男が寛いでいた。明るい灰色の上下に真っ白なシャツ。膝下には艶を放つ黒い革の長靴が続く。

 そして、その直ぐ後ろには、慎ましやかに控えるようにして立つ男が一人。こちらは自分を拘束している男と同じ黒に近い濃い灰色の簡素な上下に同じく白いシャツを身に着けていた。

「ご苦労」

 長椅子に座っていた男が、隣に立つ自分を連れて来た男にどこか尊大な声音で労いの言葉を掛ける。

 それに一つ頷きを返して、往来で掴まってから、ここに来るまで続いていた男の拘束がやっと解かれた。

 それまでぴったりと脇に張り付いていた男の気配が遠のく。そして、自分の後方、入って来た扉の脇に歩哨のように下がったのを視界の端に確認した。


「それでは、客人はこちらへ」

 優雅に男が座る対面にあるもう一つの長椅子を勧められて、リョウは、内心、腹を立てた。

 艶やかで品のある上等な衣服に身を包んだ男の口から出された【客人】という言葉。この男の中では、強引に攫うようにして連れて来た相手に対しても使うらしい。随分と広い定義ではないか。

 リョウは、その場から動かずに無表情のまま、その真意を測る為に男を見遣った。

「おや、随分と警戒されてしまっているな」

 何が楽しいのだかは知らないが、男の口が笑みを刷く。白々しい嘘臭い微笑みだ。

「警戒されない方がどうかとは思いますが」

 ここに連れて来られた経緯を思い、淡々と事実を指摘すれば、

「まぁ、硬いことは言わないに越したことはない」

 そう言って徐に足を組み替えた。

 男が履く長靴の爪先がやけに尖って見えた。

「座らないのか?」

「ええ。この場で結構です」

 最低限の礼は失しないように感情を削いで応対をすれば、男は小さく肩を竦めてみせた。

 だが、それ以上は気に止めないようだ。

「ワタシに、なにか、ご用がおありとか」

 慎重に言葉を選びながら、それでも早くこの場を辞したいという気持ちから、リョウは、単刀直入に口を開いた。

 男がじっとこちらを見る。綺麗に真中で分けられた明るい薄茶色の髪の間から覗く男の表情は、酷く作り物めいて見えた。口元は弧を描いているというのに、その瞳は全く感情が読めない。灰色の玉のような瞳だ。

「他でもない。キミにちょっとした頼み事がある」

 そう言うと、男はその口元に笑みを刷いた。

「キミが師事しているという西の鍛冶屋のカマールに、私は以前から依頼をしていたのだが、これまで中々、首を縦に振ってくれなくてね。どうだろう。キミの方から少し口添えを頼めないだろうか。聞く所によれば、キミは随分とカマールに可愛がられているようだ。キミの方から、私の依頼のことを告げてもらえれば、円滑に進むと思わないか?」


 リョウは、一瞬、何を言われたのか、分からなかった。

 だが、少し、心を落ち着かせて言葉を反芻してみれば、それはカマール関係の話であることが飲み込めた。

 過去、カマールに依頼を持ちかけたが、断られているから口添えを頼みたい。要するにそういうことだった。

 リョウは虚を突かれたような顔をして、男の顔をまじまじと見た。

 一体、巷ではどんな噂が立っていたのだろうか。この男は誰からそんな話を聞いたのだろうか。

 自分がカマールの弟子だなんてとんでもない。それにカマールの仕事に口を挟めるような影響力などこれっぽっちも無いのだ。曲解されて伝わっている事実に、どこから訂正を入れたものかと思う。

 だが、それと同時に、自分に接触をしてきた男の目的が分かって、少しだけ意味の分からない気持ち悪さからは逃れられた。状況が変わらないことには違いないが。

「どうだろう? 勿論、事が上手く運んだ際にはキミには相応の礼をする」

 ――――――悪い話ではないだろう?

 黙ったままのリョウに、男は畳みかけるように言葉を継いだ。

「こちらとしては、なるべく穏便に事を運びたいからな」

 そして、最後にぞっとするような冷たい響きを持った声がした。


「すみません。ちょっと待って下さい」

 リョウは、話を整理する為に左手を額際に当て、右手で軽く長椅子に寛ぐ男を制した。

 思っても見なかった展開に頭が痛くなりそうだった。状況を素早く整理し、打開策を探る。

 そして、小さく息を吐き出すと顔を上げた。

「どうやら誤解があるようです」

 静かに口を開けば、男の眉が訝しげに上がった。

「申し訳ございませんが、ワタシは貴方がたのご期待には添えないかと思います」

 まず、分かりやすく結論から自分の立場を明らかにすれば、無言のまま続きを促すように、男の目が細められた。

「まず始めに訂正をしておきたいのですが、ワタシはカマールさんの弟子でも、鍛冶職人を志す者でもございません。今、ある事情からカマールさんの下に厄介になってはいますが、それも一時的なものです」

 淡々とそれでも自分にとっての事実をありのままに告げれば、男は、ゆっくりと後ろに控える男を振り返った。

「パーヴェル」

そして、何がしかの遣り取りの後、再び正面を向いた男が問うた。

「それは本当か?」

「はい」

 嘘など吐く必要は無かった。

 狼狽えることなく堂々とした態度を崩さない相手に、男の眼差しが不満げに眇められる。

 急降下した主の機嫌を感じ取ってか、男の後ろに控えていたもう一人の男は、扉付近にいる男に目配せをした。

「ですが、その者があの鍛冶屋にとって大事であるのは変わりません」

「ふむ」

 その言葉にリョウは内心、ぎょっとした。

 この男を主とみなしているのだから、この男たちは従者と見ていいのだろうが、正確な情報を得られなかった失態を取り繕おうとして、こちらを巻き込まないで欲しかった。

「あの、誤解が無いようにお伝えしておきますが、ワタシはカマールさんの仕事のことには全く関知していません。ですから、ワタシが間に入ってどうこうするというのは、そもそも有り得ません」

 カマールの仕事の采配は、全てカマールのものだ。他人が口出し出来るものではない。カマールは強固な信念に基づいて仕事をしている。カマール自身が受けないと判断した決定をどうして他人が覆すことができようか。

 カマールの仕事は命を懸けたものだ。カマール自身がそれに値しないと判断したのだ。それは最終的な、そして、唯一の決定だ。

 それをこの男はどうしたいというのだろうか。

「カマールさんの下した決定はカマールさんのものです。他人が、ましてやワタシのような一時の居候が、どうこうできるものではありません」

 きっぱりとした口調で言い放てば、男は大業に息を吐き出した。

「困ったな」

 言葉とは裏腹に全く淡々とした表情で足を組み直す。

 ひじ掛けと背凭れに身体全体を預けるようにして頬杖を突いていた男が、ふと、こちらに視線を寄こした。

「カマールにはどうしても誂えて欲しいものがあるのだが。どうしたものか」

 そこに浮かぶ薄ら寒いような男の笑みに、背中に言い知れぬ悪寒のようなものが走った。

「……あの、ですから、もうお暇してもよろしいでしょうか。ワタシはお役に立ちそうもありませんし、用事がありますので」

 自分には男たちが考えているような都合のよい力などない。それが分かった時点で、もうここに止まる理由もないはずだ。

「もう余り時間がないからな。仕方がない。私としては、こんな手段は取りたくなかったんだが」

 主である男がリョウの後方に目配せをする。

 白々しい台詞と共に、再び、リョウの腕は扉の脇に控えていた男に掴まれていた。

「………なんの積りですか?」

 突然の拘束にリョウは後ろに控えた男と長椅子に優雅に寛ぐ男を交互に見遣った。

「大手が無理なら搦め手からと言うだろう? キミはあの男にとっては価値があるようだ。そんなキミが不用意に傷つくことになったらどうなるだろう」

 ―――――――――例えば、キミの将来()が懸かっているとしたら? 中々、いい条件だと思わないか?

 男は顔色を変えることなく事も無げに言ってのけた。


 薄らと微笑みすら浮かべた男の表情を見て、リョウはぞっとした。それと同時に頭の芯が、急速に冷えて行くのが分かった。

「ワタシを使ってカマールさんを脅すお積りですか?」

 思っていた以上に落ち着いた声が出ていた。腹の底に沸々と煮え切らない怒りのようなものが溜まって行くのが感じ取れた。

「もう一度、言いますが、ワタシには、そのような価値はありません」

「だが、こちらにはそうは見えない」

 尚も言い募る男にリョウはゆっくりと(かぶり)を振ると、真っ直ぐに目の前の男を見据えた。

「カマールさんは生粋の鍛冶職人です。誇り高く高潔な鍛冶屋です。自分の信念を曲げるようなことはなさらないでしょう」

「それは、あくまでもキミの主観的なものだろう?」

 この男は、鍛冶職人を愚弄する積りなのだろうか。

 喉まで出掛かった言葉を押し込むようにして飲み込む。

「こんなことをなさるよりも、カマールさんに直接話しをした方が余程建設的です」

「そうだな。キミのような未来ある若者の芽を摘み取ってしまうのは、非常に忍びない。私にもそれなりに良心というものはあるからな。だから、ふりだけでもいい。協力をしてはくれないだろうか?」

 噛み合わない言葉。急に有り得るはずのない妥協点を探るように引いて見せる。

 主の言葉に呼応して、拒否などするなというように腕を掴む男の手に力が込められた。

 リョウは、奥歯を噛みしめることでその痛みをやり過ごした。

「お断りいたします」

「どうしてもか?」

「はい」

 じっとこちらを見つめる冷たい瞳を、リョウは静かに見つめ返した。

「交渉決裂か」

 ――――――――残念だ。

 そう言って大げさに溜息を吐いた男にリョウは唖然とした。

 そもそも始めから交渉ですらなかった。この男の思考回路はどうなっているのか。

「こんなことをしても無駄です。カマールさん自身が下した決定は、外野が騒いだ所で覆らない。ワタシの身がどうなろうとも、それはカマールさんの仕事には関係がありません。影響など、これっぽっちもない」

「黙れ」

 男は不意に長椅子から立ち上がるとリョウの傍に歩み寄り、力任せに胸倉を掴んだ。

 外套の襟元が引き上げられ、首が締まった。

「お前の言い分は、この際どうでもいい。こちらで確かめてみるまでだ」

 表情を無くした男の顔が近づく。男は低い声を出すと鼻先で薄ら寒い笑みを浮かべた。


 先程までの空気からは一転。室内に突如として張りつめた緊張感に窓ガラスが震えた気がした。

「どうしてカマールさんなのですか?」

 この街には、鍛冶職人は大勢いる。何故、そうまでしてカマールに拘るのだろう。

 リョウの脳裏には、この街に来た当初、カマールの工房で目撃したとある光景が思い出されていた。  淡々としたカマールに対して激高する客だという訪問者たち。カマールに取り付く島も無くあしらわれて、肩を怒らせて工房を後にするのをこの短い間にも何度か見かけた。客だと名乗る訪問者は皆、身なりのいい金持ちだと思われる人々だった。

 この男もあのような客の一人であったのだろうか。

「こんなことをしてまでして誂えた剣に意味があるのですか?」

「愚問だな。私は腕利きの鍛冶屋が造るいい剣が欲しい」

 ――――――――そういうものだろう?

 そして、どこか自嘲気味な色をその瞳に乗せた。

「どうしても負けたくない相手がいる。それだけだ」

 小さな呟きは誰に向けられたものであったのか。


 リョウは、目を閉じるとゆっくりと息を吐いた。

 何故、カマールがこの男の依頼を受けなかったのか。その理由の一端が分かった気がした。

 男にとって剣は単なる道具にしか過ぎないのだ。だが、鍛冶職人にとっては違う。己が魂を込めて造り上げられた命の欠片で、自分の分身のようなものだ。そしてそれは、そのまま作り手が生きていたという証でもある。それを作り上げた職人がこの世を去っても、その魂が込められた刀剣は末代にまで残る。そのような鍛冶屋の魂の結晶を使い勝手の良い道具としか見做さないような相手に、鍛冶屋として命を懸けることなど出来はしまい。

 いきなり溜息を漏らしたリョウを男は至近距離から苛立たし気に睨みつけた。

「何がいいたい?」

 カマールがこの男の依頼を受けることはないだろう。

「カマールさんは簡単に自分の信念を曲げるような人ではありません。こんな見当違いな脅しなど歯牙にもかけないでしょう」

「お前に何が分かる?」

 淡々とした物言いに胸倉を掴む男の手に力が入った。

 リョウは、苦しさに顔を顰めるが、ここで屈する訳にはいかなかった。

「あなたは鍛冶職人の人たちを誤解している」

「何だと?」

 リョウの胸内には、言い知れぬ悲しみが込上げて来た。

 男は少なくともこの国の人間で、恐らく上流階級だ。そして、剣の使い手でもある。この国の行く末を担う立場にあるであろうこの男が、その剣が作りだされる過程とそこにある背景に無頓着であることが、残念であることを通り越して、自分には悔しかった。

 カマールを通して顔見知りになった鍛冶職人たち。ギルドの居住棟に住む引退した鍛冶屋たち。そして、ラリーサとコースチャ姉弟の父親である鍛冶師。皆、身体に爆弾となる肉体を蝕む痣を持ちながらも、その佇まいは凛として威厳と誇りに満ちていた。

 この男の行為は、彼らの生き様を愚弄するものだ。


「彼らは己が命を懸けるに相応しい相手を自らの判断で選んでいる」

 それは決定的な一言であった。

「ふざけるな!」

 突然、激高した男が鋭い声を上げ、後ろへ叩きつけるようにして掴んでいた襟首を放した。

 勢いのままにリョウの身体は壁に打ち付けられ、鈍い殴打に似た音がした。

「私の依頼が下らないと言いたいのか! あ? ガキが知った口を聞くな!」

「その『ガキ』にこんな話を持ちかけているのはどなたですか!」

 売り言葉に買い言葉。

 思わず出てしまった言葉に、部屋の中の空気が一段と冷え込んだ。


 ―――――――ダン!

 男が冷たい目をして湧き立つ怒りを堪えるように拳を壁に打ち付けていた。振動が壁を通して部屋全体に広がった。

「くだらないお喋りはここまでだ。私は自分のやりたいようにやる。お前など、捻り潰すのは容易い。痛い目に遭いたくなかったら、その生意気な口を慎む事だ」

 こちらに指を向けて、刃物のように鋭い男の視線がリョウを貫いていた。


 そして、不意に何かに気が付いた男は、嘲るように口角を上げた。

「おい、お前。それは【キコウ石】だな」

 男の視線は、リョウの胸元に向けられていた。そこには、胸倉を掴まれた時の衝撃で中から飛び出した青い石のペンダントが白いシャツの上に乗っていた。

 リョウは咄嗟にその石を片手で掴んだ。これは、みだりに人の目に触れていいものではないと以前、とある男から教わった。

「とんだ策士だ。そのようなご大層なものを首から下げているとはな。お前は、やはり、カマールの弟子だろう? 鍛冶屋の守りにはもってこいの石だ」

 兇悪な微笑みを浮かべた男は、従者である男に目で合図を送る。

「連れて行け」

「ちょっと待って下さい!」

 再びの拘束にリョウは暴れたが、体格の差と力の差は一目瞭然で、あっという間に動きを封じられてしまった。

「無駄な抵抗は止めることだな。腕を折ってやろうか? 鍛冶屋としての利き腕を失うのはどんな気分か」

 再び長椅子に腰を下ろした男が、せせら笑うように吐き捨てた。

 リョウは口惜しさとこれからカマールに掛けてしまうであろう迷惑を思い歯噛みした。そして、こちらを憎々しげに見る男の冷酷な瞳に慄いた。

 悔しいが、今、自分の状況は圧倒的に不利だった。力では敵わない。この男の意志一つで自分の生死が決定する。生殺与奪権は向こう側にあった。


 ――――――どうしたらいい。

 言葉にならない不安と焦燥が体中を駆け巡る。

「こんなの間違っています。人を脅迫してまでして作られた剣など使い物になる訳が無い」

 緊張とこれから自分を待ち受けるであろう事態に対する言い知れぬ恐怖から震えそうになる身体をなんとか誤魔化して、男を見据える。

「喧しい。お前の御託など、どうでもいい」

 興味が削がれたように男が片手を振った。

 それが合図なのだろう。

「来い」

 それまで静かに扉側に控えていた男が、再び引っ立てるようにリョウの手首を掴んだ。後ろ手に纏めて拘束をする。

「レオンチューク。言うまでも無いが、そいつの得物を避けておけ」

 男が外套の合間から覗く、二つの短剣を指差していた。

 指示された男は、当然とばかりに小さく頷いた。

 リョウは、どん底に突き落とされたような気分になった。

 その目裏には、カマールの男らしい笑みとユルスナールの優しい微笑みが浮かんでは消えた。


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