手探りの試み
それはいつも通り、レントを見舞った後の出来事だった。
その日、リョウは、カマールの家へ戻る途中、往来でラリーサとコースチャの姉弟を見かけた。
二人は、いつぞやの【ツェントル】へ行く切っ掛けになった子供たちだった。ブコバルが起こした騒ぎの所為で、結局、きちんとした挨拶をしないままに二人と別れる羽目になったことをリョウとしては少し気に掛けていた。
「コースチャ! ラリーサ!」
声を掛けて、手を一振りすれば、こちら側に気が付いた二人の姉弟は、途端に顔を輝かせた。
「お兄ちゃん!」
コースチャは駆け出すと、勢いよくリョウの身体に体当たりを食らわせた。元気なことこの上ない。リョウはその衝撃を、片足を後ろに引くことで、辛うじて持ち堪えた。
「………コースチャ」
弟の突飛な行動を窘めるようにその名を呼んで、姉のラリーサが足早にやってきた。
「こんにちは、ラリーサ」
大丈夫だと宥めるように背を撫でて、やってきた姉に微笑みかければ、ラリーサは、はにかむようにして小さく笑った。
「こんにちは」
「この間は大丈夫だった? ちゃんとお家に帰れたのかな?」
気になっていたことを訊けば、二人は大きく頷いた。
「うん。【ツェントル】のお兄ちゃんが送ってくれたんだ」
「そうか。それは良かったね」
「お兄ちゃんの方は大丈夫だった?」
反対にこちらのことを心配されて、
「ああ。大丈夫。問題ないよ。知り合いに会ったから、ちょっと吃驚したんだ」
半ば苦笑い気味に当時のことを思い出す。
ふと、二人を見下ろして、姉のラリーサがその胸に小さな包みを抱えているのに気が付いた。
「お薬を貰いに行って来たのかな?」
この間の往来で揉め事に巻き込まれた時も、確か、薬を貰いに出掛けた帰りのことだと聞いていた。
「うん」
ラリーサは小さく頷いた。
その顔は、心なしか、影が差しているように見えた。
「お父さんの具合は、………余り、良くないの?」
少し、踏み込んだことではあったが、つい気になって聞いてしまった。
「ここ一月ぐらいかな」
そして釣られるようにして、コースチャが一転、沈んだ声を出していた。
「二人のお父さんは鍛冶職人なのかな?」
「そうさ。この辺りじゃ結構名の知れた鍛冶屋なんだぜ!」
子供たちにとっては自慢の父親なのだろう。途端に嬉々として顔を上げたコースチャにリョウも微笑み返した。
そこで、少し考えるように首を傾げた後、リョウは、二人にある提案をした。
「あのね。もしよかったらなんだけど。お父さんに会わせてもらえないかな。オレ、今、薬師の勉強をしていてね。薬草の持ち合わせが、少しだけどあるんだ。効くか効かないかは試してみないと分からないけど、鍛冶屋のギルドに暮らしている人には割と評判がいいんだよ」
腰を屈めて二人と同じ目線にする。そう言えば、ラリーサが目を見開いて、縋るようにリョウの腕に手を掛けていた。
「本当?」
「ああ」
「あ、でも……………家にはもう、今月は薬代がないから」
途端に眉根を下げて俯いたラリーサに、リョウは心配いらないとそっと華奢な肩へと手を伸ばした。
「その心配はいらないよ。薬代は要らないから。効くか効かないかは試してみないと分からないからね。それに今のオレには沢山の症例を見ることが勉強になるから、寧ろ、こっちからお代を払って診せてくださいって言わないといけない位なんだ」
そう言って微笑めば、
「まぁ、お兄ちゃん。可笑しなことを言うのね。それじゃぁ、あべこべだわ」
余程、その例えが可笑しかったのか小さく声を立てて笑う。
ラリーサが笑顔を取り戻したことに、リョウは、内心、安堵の息を吐いていた。
「今からでも大丈夫かな?」
「なに? お兄ちゃん、家に来るの?」
上を向いた弟に、姉が顔を綻ばせる。
「ええ。そうよ。父さんを診てくれるって」
「よっし。ならこっちだよ」
俄然、勢いづいたコースチャに促されるようにして、リョウは混み合う往来を二人の家に向かって歩いた。
鍛冶職人たちが直面する過酷な現実に対して、リョウはこの街に滞在している間は、出来る限りのことをしたいと考え始めていた。
少なくとも自分には、ガルーシャやリューバ、そして森の獣たちから教わった薬草の知識があった。
何も知らなかった自分に知識を、この世界で生きてゆく上での導をくれた人たち。今度は、自分が何らかの形で彼らから受けた恩に報いることが出来たらと思った。
勿論、自分の得た知識など、専門の薬師や術師たちからみれば、素人はだしもいいところだろう。てんでお話にならないかもしれない。それでも、黙って通り過ぎることはしたくなかった。
自己満足と言えばそれまでだ。お節介と思われるかもしれない。だが、それが今のところ自分が見出したこの世界との関わり方だった。
――――――それに。
リョウはそっと肩に掛けた鞄に手を当てた。
今、リョウの鞄の中には、ガルーシャの書斎で見つけた小さな冊子が入っていた。
それは、出立の前に、何故か心惹かれて手に取り、中身をよく吟味しないままに鞄の中に入れて持ってきたものだった。
そして、漸く落ち着いてから蓋を開けてみれば、ガルーシャお手製の生活に根付いた小さな呪い集みたいなものだった。中には術師のことやガルーシャが最後まで研究していたであろう鍛冶職人の病の症例やその対処方法などが事細かにしたためられていた。
その箇所を偶然発見して、読み耽ったのは昨晩のことだった。
これも何かの巡り合わせなのかもしれない。この偶然をそう思わずにはいられなかった。
コースチャとラリーサの暮らす家は、街の中心からはやや東寄りの武具屋が多く軒を連ねる界隈にあった。表の通りにはひっそりとだが、カマールの家と同じような剣の形を模した意匠の小さな看板がぶら下がっていた。
「「ただいま~」」
二人の子供たちの後ろから、家の中に入ると、和やかな気分は一転、室内は、緊迫した空気に包まれていた。
「パーパシャ!」
「パーパチカ!」
小さな姉と弟の悲鳴のような高い声が上がる。
リョウも慌てて中に駆け着ければ、寝台の上で、背を丸めた一人の男が激しく咳き込んでいる所だった。二人の母だろう、まだ年若い女性が必死になって背中を摩っているが、男の顔は真っ赤になり、引きつけを起こしたように浅い呼吸を繰り返していた。
それを一目見て、リョウが取った行動は素早かった。
鞄の中から小振りの紙袋を取り出すと口を絞り、膨らませて男の口元に宛がった。
そして、ゆっくりと男の背中を撫で摩った。
「大丈夫です。落ち着いて。ゆっくり、息を吐き出して下さい。そう、ゆっくり。大丈夫。それから、ゆっくり……吸って。そう、大丈夫。ゆっくり。吸って、……吐いて。吸って、……吐いて」
そして、もう片方の手で男の瞼を覆った。
それから、もう一度、ゆっくり同じような調子で静かに声を掛けた。
ギュッと紙袋を抑えつけていたリョウの手を握っていた男の力が弱まってきた。頻繁に上下していた肩が治まりを見せてくる。少し、落ち着きを取り戻したようだった。
それを見て取るとリョウは男の視界を塞いでいた手をそっと離した。そして、鞄の中を漁り、中から小さな茶色の瓶を取り出すとその蓋を開け、男の鼻の辺りに近付けた。男がゆっくり息を吸い込んだのに合わせて、瓶を微かに揺らすと直ぐに蓋を閉じた。
男が起こしていたのは過呼吸だった。
落ち着きを取り戻した男を再び寝台の上に寝かしつければ、漸く、緊迫していた空気が緩みを見せた。
「もう大丈夫ですよ」
リョウは穏やかに微笑むと汗で張り付いていた男の髪を拭った。
静かに目を閉じて横になっていた男は、やがて瞼を上げると微かな囁きのような声を乗せた。
「ありがとう」
「いいえ」
それに微笑んで小さく首を振る。
そして寝台の傍で今にも泣き出しそうな顔をして立ち竦んでいた子供達とその母親の方を振り返った。
「もう大丈夫ですよ」
極度の緊張が緩んだのか、不意に込上げてきたものを堪えるように母親が片手で口元を覆う。もう片方の手はしっかりと弟の背中に回っていた。
その様子を見て、リョウは出来るだけ相手が安心するような穏やかな微笑みを乗せて小さく頷いて見せた。
「奥様は少し休んでいて下さい。大丈夫ですから。台所を少し、お借りしますね。あと旦那さんの汗を拭うものを用意して頂けますか。それから小さな盥も」
その言葉に姉のラリーサが弾かれたように我に返った。
そして、半ば茫然とする母親と弟のコースチャを別室に連れてゆくと、テキパキと動き始めた。
その気丈な背中を見て、この家庭に於けるラリーサの立ち位置が直ぐに見て取れた。ラリーサはまだ幼いが、随分としっかりしている。この家の中で、それなりに自分が果たすべき役割を良く分かっているようだった。
「ありがとう。ラリーサ。まずお湯を沸かして、温かいお湯でお父さんの汗を拭ってあげよう」
脂汗をかいて男の肌はびっしょりになっていた。これから気温が低くなるので、身に着けている物を替えなくてはならない。
「それから、お父さんの寝間着を替えてあげようか。こっちは薬蕩を煮出しているから。もう少し時間が掛かるかな」
手を翳し、少し強めに加減をした発熱石の上で、小さな鍋に入れた水に持ってきた薬草を入れた。
これは鎮静作用のあるものを中心にして混ぜたお茶だった。それを少し濃いめに煮出すことで薬蕩にもなった。
リョウはそっと手を伸ばすと、ラリーサの頬に掛かる髪を梳いて退けた。柔らかな亜麻色の髪は指通りが良かった。
「大丈夫だよ。大丈夫」
安心するように微笑んで見せる。
こういう時、周りの人間が不安そうな顔をしてはいけないのだ。その空気は瞬く間に近くの人に広がって、形にならない不安が負の空気になって淀み始める。停滞した空気は、その中にいる病人を余計に圧迫する。そんな負の連鎖を避けなければならなかった。
直ぐ傍にいる家族には辛いことだろう。でも、外の人間はせめても、中の鬱屈した空気を払ってあげないといけないとリョウは考えた。
ラリーサも不安で仕方がなかったのだろう。母親と弟の手前、気丈に振る舞ってはいたが、まだまだ幼い少女だ。その小さな身体に不安を抱え込むのは無理があった。
リョウはその捌け口になろうと手を伸ばした。そして、縋りついてきた小さな身体を片腕の中に閉じ込めた。
「ラリーサは頑張ってるよ。凄く、頑張ってる」
そして、自己肯定の言葉を掛けてやる。
出口の見えない病への看病は、大変なものだ。それは経験したものしか分からないだろう。自分が出来ることと言えば、その努力をきちんと認めてあげることぐらいだった。家族内では当たり前に思われがちな事柄も、端から見たら凄いことなのだと。視点が変わることで見えてくるものは沢山あるのだと。
母親のやつれた顔を見たとき、リョウの胸は鋭い痛みを覚えていた。病がちの夫と幼い子供たちを抱えるのは、自分には想像を絶することだった。今、この一時だけは、その負担が少しでも軽くなれば―――――そう願わずにはいられなかった。
もう一つの竃で沸かして温かくなったお湯を盥に入れて、父親が寝ている寝台の傍に持って行った。
部屋の中は、簡素だが整っていた。素朴な木の寝台に机と椅子。家具は必要最低限で多くはない。寝具のカバーには、温かみのある手縫いの刺繍が端に施されていた。寝台の傍の壁には、同じく母親のお手製だろうか、小さな花を描いたタペストリーが掛かっていた。
慎ましくも穏やかな日常がここにはある。この家族の日々が、それらからほんの少しだけ垣間見えた気がした。
ラリーサに替えの寝間着とタオルを持ってきてもらう様にお願いをして、リョウは手拭を濡らすと、寝台の中にいる男に声を掛けた。
未だ顔色は悪かったが、先程のような苦しさからは抜け出していた。
「少し、汗を拭わせて下さい。シャツを替えましょう。そのままでは風邪を引いてしまいますから」
失礼しますと声を掛けて、上掛けを捲り、シャツのボタンを外すと温かいお湯で濡らしたタオルで男の汗を拭った。
目を閉じたまま、男が緩く息を吐き出したのが分かった。
「お水をお飲みになりますか。今、お茶を煮出してはいますが」
「ああ。ではお茶をもらおう」
「はい」
ラリーサが父親の寝間着を持って戻って来た。
そして、男の身体をゆっくりと起こしてから、すっかり汗を吸って重くなったシャツを取り払った。剥き出しになった男の背中をタオルで拭う。男の背面、首から背骨の中心に掛けて細く薄らとだが紫紺の痣が出ていた。
「背中に痛みはありますか?」
痣の部分を確かめるようにそっと改めてゆく。
「いや。そこは大丈夫だ」
緩く息を吐いた男を見て取って、リョウは素早く男の上半身に新しい寝間着を着せた。同じようにして下のズボンも取り換える。
剥き出しになった男の足首部分を目にした時、リョウは息を飲んだ。
そこは右の踝部分が異様な程に腫れあがって熱を持っていた。皮膚も赤紫色に変色していた。
リョウは傷に触らないように慎重にズボンを穿かせると、煮出したお茶を男に飲ませた。
「鎮静作用のあるものを強く煮出しているので、少し苦味があります」
苦いですよと一応釘を出して。それでも予想通り、その苦みに顔を顰めた男の顔をそっと見遣った。
「ですが、これで少し呼吸が楽になると思います」
これまでレントを始めとする鍛冶職人のギルドでの症例を挙げれば、男はそっと自分の胸の辺りを手で摩った。
「ああ。この辺りがすっとする」
そう言って穏やかな表情をした男に、リョウは漸く安堵の息を漏らした。
「お前さんは?」
発作に似た症状が収まり、落ち着きを取り戻すと、突如として現れた見知らぬ人間の存在が気になったのだろう。
腫れあがった踝に塗る為の薬草を小さな乳鉢で潰していると、寝台の中の男が少し離れた床に座り込むリョウへ視線を投げていた。
そう言えば、まだきちんとした自己紹介をしていなかったと慌ててその場で姿勢を正した。
リョウは簡単に名乗ると、ここを訪れることになった経緯を手短に語った。
「………そうか。カマールの所か」
一通り、話を聞き終えた男は、カマールの名を耳にすると警戒を解いたようだった。
「カマールさんをご存じなんですか?」
「ああ。この街の鍛冶職人は、大抵が顔見知りだ」
その言葉に、鍛冶職人のギルドが、この街では想像以上に大きな影響力を持つ共同体で、鍛冶職人達はその中で強い繋がりを保持しているのだということを改めて認識した。
「リョウ。これでいい?」
姉のラリーサが少し長めの晒しを手に傍らにやってきた。
「ああ、十分だよ。ありがとう」
そして首を少し後ろにずらすと、
「すみません、タマーラさん、急にお邪魔した上に、色々と無理を言ってしまって」
娘の後ろに立つこの家の主婦である母親にも頭を下げた。
突然、部外者が部屋に上がり込んで、家の中を引っ掻き回し始めたのだ。緊急事態であったとは言え、この家を預かる主婦には余り気持ちのいいものではないだろう。
図々しいことをしている自覚はあった。それを申し訳ないと思っていることを仄めかせば、
「いいのよ。こちらこそ、ありがとう。あなたが来てくれて助かったわ」
一息ついて、普段の落ち着きを取り戻したのか、線の細い女性が緩く首を振った。その顔には、人の良さそうな優しい微笑みのようなものが浮かんでいた。
「なぁ、お兄ちゃん。それをどうすんのさ?」
コースチャも本来の子供らしい好奇心が疼くのか、興味深げに傍らにやってくるとリョウの手元を覗き込んだ。
乳鉢の中には、凝固処理を施した生の【ストレールカ】を解凍して、磨り潰していた。
【ストレールカ】は、以前、森に薬草採り入った時に狼のアラムとサハーたちと一緒に見つけたものだ。あの時、持ち帰った株を、似たような環境の少し湿り気を帯びた土に植え替えれば、思いの外、株が増えたのだ。茎系の植物であったとことも運が良かっただろう。その自家栽培したものを効力が高い生のまま凝固処理をし、保存したものを鞄の中に入れていたのだ。凝固処理を施された薬草は、ガラス細工のようにカチカチに固まっていたが、解除の呪いを唱えれば、再び、摘んだ時と同じ状態になった。それはその昔、ガルーシャから教わった呪いの中でも重宝する部類になっていた。
鞄の中に入れていた油紙に薄く軟膏を塗る。その上に磨り潰した【ストレールカ】を塗った。緑を焦がしたような深い色が薄茶色の紙の上に広がった。それを男の腫れ上がっている踝にそっと当てた。
男は、その踝の腫れから来る痛みの所為で、歩行がままならない状態であるらしい。踝の内側には濃い紫の痣が斑点のように出ていた。その部分は、触れるだけでもかなりの痛みが走るらしく、その上から包帯を巻き始めたリョウの視界の隅で、男の顔が痛みを堪えるように時折、歪んだ。深く皺の刻まれた男の目尻と眉間に一層の皺が寄る。
それを意識の隅に留めながら、通常より厚めに包帯を巻き終えたリョウは、ガルーシャが残した冊子にある文言を思い出していた。
胸内で反芻する。
意識を集中させて、呼吸を整える。
――――ゴォースパジィ、パミルーィ、ゴォースパジィーイーイーイーィ…………。
小さな囁きと共に抑揚のある独特な旋律が、リョウの口から紡がれ始めていた。
『聖なる大地に口付けを 跪き 頭を垂れ 乞い願う 古き頸木を解き放ち かの者の血を無に帰さんことを 瘴気として止まりし そが源を 再び 地へ還さんことを』
――――ラスターィ……イ……ウマリャァーユゥ………。
大地から得た力の対価を元の流れに戻すように。
少しでもこの男を蝕む障りが身体の外に溶け出すように。
思いを込めて祈りを捧げる。
掌の下がほんのりと熱を持ってくるのが分かった。呪いに呼応するように【ストレールカ】が反応を始めたのだろう。
自分が実際にガルーシャの真似をして、一体どれほどの効果が現れるのかは分からない。何の変化ももたらさない可能性は十分有り得た。それでも、【術師】としての在り方を探る為に、リョウは冊子に書いてあった通りに、呪いの言葉を口にしていた。
突然、小さな祈りに似た文言を口にし始めたリョウを寝台にいた男とその家族は、黙って見つめていた。
父親に不治の病の兆候が現れてから、家族は出来る限りのことをしてきた。それこそ藁にも縋る思いで、少しでも効きそうなものがあると耳にしては、苦しい家計を遣り繰りして、それを探し求める日々が続いていた。少しでも症状が緩和できたらとの一心で。
だが、これまで目に見える形での芳しい効果は得られなかった。一度発症してしまえば、治癒は難しい。この病に対処法がないのは、家族としても、十分理解している積りであったが、実際、症状に苦しむ父親の姿を見るのは辛かった。
今回も望みはないかもしれない。
ひょっこり現れたのは、まだ幼さを残した少年で。専門の【薬師】でも【術師】でもない。それでも、その少年から醸し出される厳かで真摯な空気を、気紛れでもいい、信じてみたかった。
「これで、少し、様子を見てください」
ゆっくり振り返ると、リョウは少し頼りなげに眉を寄せながら小さく笑った。
「効果の程は分かりません。全く、変わらないかもしれません」
そして、静かに言葉を継いだ。
「一晩は、薬草の効果が出るので患部が熱を持ちます。上手く行けば、腫れを起こしている患部から膿が外側に出てきます。包帯を替えるのは明日ですね。もし具合が悪くなったり、気分が悪くなったら、伝令を寄こしてください」
リョウは少し窓の外へ視線をやってから、母親を見た。
「タマーラさんには、伝令になってくれそうな鳥や獣に心当たりがありますか?」
【術師】である鍛冶職人には大抵、伝令などの役目を担ってくれる鳥や獣の類がいた。
「あたし、友達の雀と蝙蝠がいるわ」
そう言って手を挙げたラリーサにリョウは破顔した。
「そうか。それじゃぁ、そのお友達に頼んでもらってくれるかな。カマールの所にいるリョウだって言えば多分、分かると思うから」
その言葉にラリーサは大きく頷いて見せた。
そして、また明日の朝、様子を見る為に訪れると約束して、リョウはコースチャとラリーサの家を辞したのだった。






