悪魔の招待状
「ブコバル。明後日の晩。【エリセーエフスカヤ】だ」
「はぁあ?」
食事の最中、ユルスナールから簡潔に告げられた言葉に、ブコバルはあからさまに顔を顰めた。
「勿論。お前持ちだぞ」
「げ」
追い打ちを掛けるように放たれた条件を聞き、途端に苦々しい顔をしたブコバルの隣で、一人食事を終えたドーリンは、優雅な仕草で【サルフェートカ】を手に口元を拭うと、それまでの澄ました無表情からは想像が付かない程の『いい笑み』を浮かべた。それは、見る人によっては寒気をもたらしそうな悪どい類の微笑みに見えた。
その豹変振りを目の端に捉えて、リョウは一人、合点した。
要するに【類は友を呼ぶ】。この男もユルスナールとブコバルの友人であると言うことだ。澄ました仮面の下には、とんだ本性が隠されていた。
「面白そうなことを企んでいるな」
ドーリンがそう言えば、
「ああ。どの道、一度は顔を出さねばならないからな」
斜交いに座っていたユルスナールは口角を上げた。
意味深に目配せをし合った二人の男たちは、そのまま密やかに囁きを交わす。
まるで、飴色をした高級な調度品が並ぶ中で、高い酒の入ったグラスを傾けながら交わされそうな場の空気をリョウは不思議な面持ちで眺めていた。
しかしながら。ここは賑やかな男たちのだみ声が響く街の食堂で。その密談風景は、庶民的なこの場所では実に違和感を覚える光景だった。
「どれ。俺も一枚噛むか」
小さく吊り上がった口角のままにドーリンが言えば、
「冗談じゃねぇぞ。唯でさえあの店は肩が凝るってのに。ドーリンまで来んのかよ」
ブコバルは、心底嫌そうに目を眇めると椅子の背凭れに大きな身体を凭せ掛けた。
神経質そうなドーリンの眉が、器用に片方だけ上がった。
「一人も二人も大して変りがないだろう?」
「飯が不味くなる」
ぶすりとブコバルが本音を漏らせば、
「そうでなくては意味がない。お前が楽しんでどうする?」
止めを刺さんばかりの台詞がユルスナールの口から吐き出された。
「ひでぇ。鬼だ。悪魔だ」
「何とでも言え」
二対一。話の内容は良く分からなかったが、明らかにブコバルが不利な展開だった。
いつも傍若無人で、我が道を行くブコバルが遣り込められるという珍しい事態に、リョウは一人静かに【ペリメニ】のスープを啜りながら、内心、目を丸くしていた。
そして、ユルスナールは元より、ブコバルの手綱を握れそうなドーリンの手腕に密かに尊敬の念を抱き始めていた。
そんな他愛もないことを考えながら、熱々の【ペリメニ】を頬張る。生地はもちもちとした触感で、中には丸みを帯びた厚みのある肉団子のような塊が入っている。一口噛めば、口の中に溢れんばかりの肉汁が広がった。
初めて食べる【ペリメニ】は実に美味しかった。今度、スフミに寄ったらリューバに作り方を教えてもらおう。
一人ほくほくと幸せな気分で自分を虜にした【ペリメニ】の味を堪能していると、
「リョウ。お前もだぞ」
不意にこちらを向いたユルスナールが、そんなことを口にした。
唐突とも言える話の振りにリョウは反応が遅れた。
「………はい?」
「明後日の晩、空けておけ。夕方、迎えに行くからな」
続いて淡々と告げられた決定事項のような言葉に、【ローシュカ】を持ったまま、リョウの手が止まった。
「何の話ですか?」
「ブコバルに飯を奢らせると言っていただろう?」
――――――――この間のシャツの詫びに。
それと今の話がどう繋がるのだろう。
「ああ。あれは別に良いですよ。もう過ぎたことですし」
実際の所、もう気にはしていなかった。【ツェントル】の軍医・ステパンから貰った薬を塗布して、ユルスナールの滞在する宿屋に厄介になった時、ユルスナールは何処から調達してきたのか、代わりのシャツをくれたのだ。それで十分だった。今は、それを身に着けている。
不思議にも大きさは自分にはちょうど良かった。肩のところが若干、余るが、それ位は別段気にすることでもない。大き過ぎず、小さ過ぎず。この国の人達の標準的な体格を鑑みれば、子供服を扱っている店にでも行ったのだろうか。そうでなくとも、ユルスナールが、かなり気を使ったであろうことは分かった。
だから、リョウとしてはあの一件は、もう終わったことにしていたのだ。それを急に蒸し返されて、少し驚いた。
「そういう訳にはいかないだろう」
「あ? リョウも連れて来んのか?」
ユルスナールの言葉に、ブコバルが急に興味を惹かれたように身を乗り出した。
「ああ。その積りだ」
そして今度は男二人で目配せをする。
「そいつはいい。………なら、しゃーねぇか」
「あの…………………話が、全く見えないのですが」
妙な展開に、リョウは内心、顔を引き攣らせていた。
「まぁ、いい。美味いものが食えると思っていればいい。楽しみにしておけ」
だが、ユルスナール自身は、それ以上この場で話をする積りはないようで、どうやら、三人の男たちの企みにリョウが参加するのは本決まりらしかった。
先程まで、あれ程嫌な顔をして拒絶反応を見せていたブコバルが、急に掌を返したように乗り気になっていた。それがやけにリョウの不安を煽った。
その予感は、後日、見事的中することになる。
食事の後、ドーリンと共に【ツェントル】に戻ると言ったブコバルたちと別れて、ユルスナールに連れられたリョウは、とある場所を訪れていた。
それは賑やかな大通りに面した一角だった。
ガラスが大きく填め込まれた木の扉へユルスナールは迷うことなく手を掛けた。
重厚な石造りの建物の軒先には、小さな看板が掛かっている。その看板には、一組の着飾った紳士・淑女の絵が描かれていた。
扉に付いていたのだろうか、ドアを開けると呼び鈴のような鈴の音が小さく響いて、来客を知らせた。
濃紺の外套を纏った長身の男が店内に足を踏み入れると、
「これはシビリークス様、ようこそお出で下さいました」
店の主と思しき男が、すぐさま駆けつけて来た。
細めの面に小さな口髭を蓄えた温厚そうな顔立ちの男は、ユルスナールを認めると慇懃に胸元に手を宛てて軽く会釈をした。それは、この国では専ら目上の相手に対して行われる礼の一種だった。
「この間のものを見せて貰いたいのだが」
そう切り出したユルスナールに、店の主は上品な微笑みを浮かべると合点して見せた。
「ええ。ございますとも」
そして、ちらりと濃紺の外套の後ろに半ば隠れるようにして立つもう一人の姿へ視線を走らせると、
「そちらがお連れ様でございますね」
一つ、したり顔で鷹揚に頷いて見せた。
「さぁ、こちらへどうぞ」
奥へと足を進めた主人の後に付いて、ユルスナールも足を進めた。
リョウは中に入るとぐるりと店内を見渡した。
そこは、街の仕立屋のようだった。天井まで続く壁際の棚には、様々な種類の反物と思しき生地が積まれていた。視線を転じれば、大きな姿見と低いテーブルと長椅子のある応接室のような空間。それから、作業台のような広い机。隅の方には、色とりどりの刺繍糸やリボンが置かれた棚もあった。トルソーのような人の体型の型を取った木型の模型が置かれ、その首元には巻尺のような紐がぶら下がっていた。
そして、少し奥の方には、見本か、作成途中の注文品なのか、出来上がった服が衣紋掛けのようなものに吊るされていた。
仮縫い途中と思われる木型の一つにリョウの視線は吸い寄せられていた。
それは女性物の【プラーティエ】、所謂、イヴニング・ドレスだった。光沢のある藍とも群青とも取れる深い艶やかな濃紺の生地がゆったりと襞を生み出していた。
「綺麗なものだろう」
気が付けば、ユルスナールが隣に立っていた。
「これは【シーニェイェ・マルタ】の特産品だ」
【シーニェイェ・マルタ】―――――――その名前には心当たりがあった。
アクサーナの姉エレーナとキーン夫妻が暮らす街の名前だ。そしてその街の特産品は、藍色の染料で染めた生地だとのことだった。
「これがそうですか」
リョウの口からは溜息のようなものが漏れていた。女性であるならば、綺麗なものを前にして思わず漏れてしまうという類のものだった。
このような華やかな衣装を身に纏う女性は、どんな人なのだろう。
「気に入ったか?」
「綺麗ですね」
「お連れ様は、こちらにお越しいただけませんか」
振り返れば、この店の主が巻尺を手に穏やかな表情をして立っていた。
「ワタシのことですか?」
「そうだ。採寸を頼んだ」
―――――――何のために?
怪訝そうな顔をしたリョウにユルスナールは小さく微笑んだ。
困惑を隠すこともせずに、リョウは言われるままに店主の前に立った。
促されるままに上着を脱いで、シャツ一枚になると、仕立屋の主は長い指を器用に動かして瞬く間の内に採寸を済ませた。
「いやはや、華奢なお方ですなぁ」
どこか感嘆に似た溜息を吐いた後、
「ですが、御心配には及びません。やりようは幾らでもあります」
―――――――久々に腕が鳴りますな。
その顔に喜色すら浮かべて目を細めた。
「そうか」
ユルスナールは店主の言葉に満足そうに返すと、半ば所在無げに立っているリョウに声を掛けた。
「リョウ。当ててみろ」
ユルスナールの合図で店主がトルソーに掛かっていた仕上げ途中のドレスを手に取った。
「さぁ、こちらへどうぞ」
どこか品のある柔らかな微笑みを向けられて、リョウは尚のこと戸惑うようにユルスナールと店主の顔を代わる代わるに見た。
「あの………」
リョウは突然の成り行きに面食らっていた。ユルスナールの考えていることが全く理解できなかった。
まさか、自分にこの【プラーティエ】を着せようというのだろうか。
何のために?
ここは、どうやら仕立屋だ。しかも高級な部類の。この店の店主の応対を見る限り、ユルスナールはここでは、上客の部類に入るのだろう。
リョウはてっきり、ユルスナールがこの店で自身用に服を頼んでいたのかと思ったのだ。それなのに急に自分のことを引き合いに出されて、訳が分からぬ内に話が進んでいる。
ユルスナールは、リョウの傍に来ると耳元に顔を寄せた。
「リョウ。着せて見せてくれ。明後日に間に合わせる為には、若干の手直しが必要だからな」
思いも寄らない言葉に、リョウは心底驚いてユルスナールを仰ぎ見た。
「明後日………ですか?」
「ああ。【ヴェチェリンカ】にな」
「【ヴェチェリンカ】…………ですか」
【ヴェチェリンカ】―――――――初めて耳にする言葉に、リョウは首を傾げた。
その言葉が、【ヴェーチェル】という単語から派生していることは、何となくだが、想像が付く。【夜】に関わる何か。そして、明後日という単語。何かが繋がりそうで繋がらない。
「【ヴェチェリンカ】が分からないか?」
リョウが怪訝な顔をしているのをユルスナールは見逃さなかった。
「はい」
正直に答えれば、
「そうだな」
少し考える風にした後、
「ちょっとした食事会のようなものだ」
「【ヴェーチェル】に開かれる?」
「ああ」
正解だと言う風にユルスナールの目が細められた。
それからリョウは序でとばかりに気になったことを訊いた。
急に【スタローヴァヤ】での男たちの会話が、何らかの意味と共に現実味を帯びてきたのだ。
「あの、【エリセーエフスカヤ】というのは?」
「ああ、それは店の名前だ」
詰まり、これまでの情報を簡単に整理すると、【エリセーエフスカヤ】という店で開かれる食事会(この場合はパーティーの類か?)に出る為に、この【プラーティエ】が必要ということになる。
漸く、飲み込めた事態に安堵したのも束の間、続いて明らかになった事実にリョウは肝を冷やした。
「ルスラン。もしかしなくても、凄く高級なお店で食事をするということですか?」
ブコバルを懲らしめたいが為であったのだろうが、それは余りにも予想外のことに思えた。
「まぁ、入店の際にそれなりの格好は求められるが、そこまで畏まることもない。ブコバルはああいった堅苦しいことを厭うから、罰にはちょうど良いと思ったまでだ。いい薬にはなるだろう」
「もしかして、その費用もブコバル持ちなんですか」
「そうだ。だが、心配はいらんぞ。ああ見えてあいつも貴族の端くれだ。この位大したことにはならんからな」
男の口から次々と明らかになる真実の断片に、リョウは茫然とした。
ああ。ブコバルもユルスナールも貴族なのだ。上流階級の人間、昔風に言えば殿上人のようなものか。
改めて二人が身を置く場所は、一般庶民とは違う世界なのだと思わずにはいられなかった。だとすれば、先程、【スタローヴァヤ】で浮きまくっていた男、ドーリンも彼らと同じ側の人間なのだろう。小さい頃から身に着いた育ちの良さは、やはりそうそう誤魔化せるものではないのだ。
自分の預かり知らぬ所で、随分と話が進んでいたようだ。
ブコバルの奢り飯――――――それがこんな事態になると誰が予想し得ただろうか。
「あの………ワタシ……こちらでの食事の作法とか、よく知りませんよ? 大丈夫でしょうか?」
高級店での晩餐会。いや、それ以上に、この場所では階級社会が生きているのだ。細かいしきたりや決まりごとはそれこそ沢山あるのだろう。そう思った途端に言い知れぬ不安のようなものが押し寄せて来た。元より一般庶民の出だ。雲の上のことなど知りえない。
様々なことが浮かんで来た所為か、急に情けない顔をしたリョウを、ユルスナールは心配いらないと軽く笑い飛ばした。
「なに、問題はない。当日は個室を用意してもらう予定だからな。美味いものが食べられると気楽に考えていればいい」
ユルスナール達からすれば、それは日常の延長にある事柄に違いないのだろうが、リョウにとっては、とても遠い世界の話に聞こえた。現実味の無い煌びやかな世界のお話。一時でもそこに紛れこむのは恐れ多いことだった。
「…………でも。こんな【プラーティエ】………」
店主が掲げ持つドレスは、店内に入り込む自然光の下、艶やかな光沢を描き出していた。色は深い濃紺という控え目なものだが、表面の光沢は明かりの濃度で様々に変化をした。滑らかで柔らかそうな生地の風合い。着る人を選ぶ代物だ。自分にはどう引っくり返っても着こなせそうにはない。そう思わずにはいられなかった。
「気に入らないか?」
「まさか! こんな高価なものをワタシが着るなんて。とても似合うとは思えないのですが…………」
不安に慄くリョウに、ユルスナールがそっとその肩を抱いた。
「リョウ。見せてくれ」
「本当に………これを着るんですか? ……ワタシが?」
信じられないとばかりに、だが、やはり、どこかで女としての性が疼くのか、その視線は、店の店主が持つドレスに釘付けだった。
あともう一押し。そんな思いで、ユルスナールはとっておきの秘密を披露した。
「リョウ。スフミでは女物の晴れ着を着ていたそうだな。ロッソの奴が見違えるほど綺麗だったと褒めちぎっていた」
―――――――なんで、ここでその話が出て来るのだ?
その言葉に、リョウは驚いてユルスナールの方を見た。
だが、その瞬間、リョウは軽く後悔した。
―――――――俺には見せてくれないのか。お前の着飾った姿を?
低く、熱の籠った囁きを吹き込まれて、目眩がしそうだった。
どこか強請るような男の強い視線にかち合う。真剣そのものの本気の色。そこにある瑠璃色の瞳を見てしまえば、【否な】と言うことなどできようか。
「………分かりました」
リョウは内心、白旗を上げる気分でそう口にしていた。
「さぁ、こちらへどうぞ」
それまで静かに成り行きを見守っていた店の主に促されるようにしてリョウはその後に続いた。
別室に案内されると店主の妻と思しき女性が待っていた。
その人は、クセーニアと名乗ると静かに微笑んだ。
その女性は、子供を身ごもっているのか下腹部が大きく膨らんでいた。
クセーニアは、店主と二言、三言言葉を交わすと小さな紙切れを受け取った。
「準備が出来ましたら呼びますから、あちらでお待ち下さい」
店主は妻の言葉に無言のまま頷き返すと、そっと女の膨らんだ腹部へ大きな手を当てる。そして、名残惜しそうに骨ばった大きな手で触れた後、再び扉の向こうへと消えていった。
「さぁ、それでは始めましょうか」
にっこりと微笑んだ妻の言葉に、リョウは諦めたように息を吐いた。身重の女性を煩わせる訳にはいかなかった。
「よろしくお願いします」
ぎこちない微笑みを浮かべたリョウに、
「大丈夫よ。緊張することはないわ」
店主の妻は、どこか可笑しそうに小さく微笑んだ。
身に着けていたものを全て取り去って、言われるままに渡された物を身に着ける。下着姿になったリョウを見て、店主の妻は、矯正の類は必要ないと判断したようだった。
そして、店主の妻に手伝ってもらいながら、慎重にドレスに手を掛けた。
肩紐に手を通すと肌に馴染むように柔らかな生地が吸いついた。その感触に自然と息が漏れた。重厚そうな見た目とは違い、それはとても軽かった。
ドレスは、身体の線がそのまま出る形体だった。結婚式のパーティーでも余りお目に掛からないような本格的な代物だ。背中部分は大きくⅤの字にカットされている。腰の辺りは脇から太い共布をリボンにして後ろに結ぶことで身幅を調整するようだった。前にもかなり大きく切れ込みが入っていた。
やはり、基本は、この国のふくよかな女たちの身体を念頭に於いて作られているものである。自分の貧弱な身体では着こなすのが難しいだろうと思われた。
腰紐の部分を調整してからクセーニアは前に回った。
そこで目が合ったリョウは苦笑を浮かべて見せた。
「大分………余りますね」
前身ごろの部分は生地がかなり余っていた。張りのある大きな乳房を包むであろうその箇所に収まっているのは、自分の貧弱な乳房だ。
「そう? ここをこうして、こうするとどうかしら?」
だが、クセーニアは仕立屋の妻らしく真剣な面持ちでドレスの具合を確かめながら、生地を摘んでいった。
「これはデザイン的に元々この辺りにたっぷりと生地を持ってきているものなの。そうすると女性らしい線が綺麗に出るでしょう? 大きさは余り気にすることはないわ。貴方の場合でも十分すぎる程よ」
慰めなのかは分からないが本職の言葉にリョウは静かに頷いて見せるだけに留めた。
そして、クセーニアは後方を振り返ると声を張り上げた。
「あなた、こっちにいらして」
その声に待ってましたとばかりに仕立屋の店主がやってきた。そして、本職らしく真剣な面持ちで生地のフィット具合を確かめて行く。暫く、妻と二人でなにやら専門用語を交えながら相談をしていたが、やがて納得したのか、もう良いとリョウを解放した。
再び元の服に着替えて衝立の内から出れば、クセーニアと夫は、和やかに仕立ての話をしていた。
「お疲れ様でした。これより仕上げに掛かりますので、どうぞ楽しみにしていて下さいませ」
ひっそりとした品のいい微笑みを浮かべた店主に、リョウは曖昧に微笑んだ。
まるで体の好い着せ替え人形のような気分だった。こうしてあちこちを採寸されても、どこか他人事のようで、不思議な気持ちだった。
「それにしても不思議なものですわね」
再び、元の服を着込んだリョウをクセーニアがまじまじと見つめて言った。
「先程のドレスを着た時は、私からみても艶めかしい女性でしたのに、そうしてズボンを穿いていらっしゃると男の子のようにしか見えないのですから」
「………そうですか」
「ええ。でも当日はとびっきりにお化粧をして。お相手の殿方を驚かせなくてはなりませんわね。うふふ。俄然、やる気が出てきましたわ。ねぇ、あなた」
そう言ってクセーニアは茶目っ気たっぷりに目配せをすると、鈴を転がすように小さく笑った。
「ああ。そうだな。何と言ってもシビリークス様のお連れ様だ。私どもの腕の見せ所というものだろう」
対する主人も、何やらやる気満々といった風で、リョウは、もしかしなくとも、とんでもないことに巻き込まれたのではないだろうかと思わずにはいられなかった。
そして、二日後。その予感は現実のものとなったのだった。
ロッソからスフミ村での報告を受けたユルスナールは、きっと内心穏やかではなかったであろうと踏みました(笑)。