表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
90/232

苛立ちの矛先


「リョウ、待ってくれ」

 足早に歩くリョウの傍らを大きな影が張り付く様にして並んでいた。

 それを尻目に出来るだけ歩幅を大きく取って、勢いを付けて足を繰り出す。

 石畳に当たる長靴の底が鈍い音を立てて鳴った。

 だが、ぴったりと脇に並んだ男の足は、余裕たっぷりに付いてくる。それが、余計にリョウの闘争心に火を点けていた。

 それもそうだ。男は背も高く、その上、足も長かった。男の一歩は、リョウの二歩に当たるだろう。歩幅の違いは歴然としていた。


「リョウ。悪かった。謝る。だから、いい加減、機嫌を直してくれ」

 ユルスナールの顔には、珍しく困惑と焦りの色が浮かんでいた。往来の人混みを器用に避けながら歩く男の声からは、いつもの冷静沈着さは何処に行ったのか、必死な感がひしひしと伝わって来ていた。

 ユルスナールは、額に落ちかかる前髪もそのままに、依然として前を向いたまま歩き続けるリョウの顔を覗き込んだ。

 リョウは、ちらりと右上にある男の顔へ視線を投げた。

 努めて無表情を作ってはいるが、いつにないユルスナールの狼狽振りに、内心、動揺しているのも確かだった。

 往来を歩くことで、リョウの腹立ちは収まりを見せていた。元々、のんびりとした気楽な性質で、人に怒りをぶつけたり、怒り自体を抱くことが苦手だった。

 だが、子供染みた八つ当たりをしているという自覚はあって。今更、どんな顔をすればいいのか、引っ込みが付かなくなっていたのも確かだった。

 そのもどかしさを紛らわすように、リョウは歩く速度を上げていた。今にも走りだしてしまいそうだ。いや、気持ちだけを見るならば、心は既に疾駆していた。


 そんな相手に埒が明かないと思ったのか、ユルスナールが強硬手段に出た。

「リョウ」

 手を伸ばして、力任せにそのほっそりとした身体を引っ張る。

 突然のことで、リョウの身体は簡単に男の元に引き寄せられた。ユルスナールは、そのまま、有無を言わせない態度で、直ぐ脇の路地裏に足を進めていった。


 人気の無い細い路地裏は石壁と煉瓦造りの建物とに囲まれて、昼間だというのに、薄暗かった。

 人が一人通るのがやっとというような細い道が続いている場所だ。隅には空になった酒瓶が何本か転がり、微かに差し込む陽の光に、品名(ラベル)部分が反射して見えた。

「いい加減にしろ」

 ピシャリと放たれた言葉と共にリョウに身体は壁際に縫い留められていた。

 リョウはきつく目を閉じた。

 そうしなければ、胸内を去来する様々な感情の嵐に飲まれてしまいそうだった。

 ユルスナールの叱責の声。自分に向けられたのを聞くのは初めてのことだった。

 怒らせてしまった。きっと呆れているだろう。子供染みたことをする面倒な奴だと。そう思うと、目を開けるのが怖くて仕方がなかった。

 相手との距離感を測り損ねたのは、明らかに自分の落ち度だった。

 自分が少年に間違われることなど今更のことだろう。ズボンを履いて、この格好を続ける限り、それはずっと付いて回ることだ。その事自体は、もう受け入れた筈だった。

 それに、あの女の人は、悪気があった訳ではないのだ。あの位、笑顔でかわして見せなくてどうする。あの人はユルスナールの知り合いだ。その二人の間に要らぬ詮索をするつもりもなかった。いや、それはしてはいけないことだ。

 ―――――――自分が嫌になる。

 不意に湧いて出て来た気持ちの高ぶりに、涙が滲みそうになるのを、唇を噛み締めることでやり過ごそうとした。


「リョウ」

 骨ばった男の指が、俯いたままの顎に掛かる。

「こっちを向け」

 予想に反して掛かった静かな声に、恐る恐る瞼を持ち上げれば、ユルスナールが緩く息を吐き出した。

 漸く、視線を合わせると、

「俺が悪かった」

 男の口からは、再び謝罪の言葉が繰り返されていた。

「なんでルスランが謝るんですか?」

 思わず可愛げのない言葉が口を突いて出て来る。

「そう拗ねるな」

「拗ねてなんか……いません」

 そう言えば、ユルスナールが小さく笑った。

「そうか? なら、なんで口を尖らす?」

 リョウは咄嗟に目を背けた。

 自分の取っている行動が、酷く恥ずかしくなってきた。居た堪れないにも程がある。いい年をした大人のすることではないだろう。

 そして、それを見透かされている。この男に。

「リョウ。目を逸らすな。こっちを見ろ。ん?」

 至近距離でユルスナールの囁きが震えた。

 頬の表面を男の吐息が掠める。その熱に、無意識に肌が粟立った。

 ひんやりとした鼻先が触れた。

「ルスランこそ、こんなところでワタシに構っている暇はないんじゃないですか。さっきの女の人…………イリーナさん、放ってきてしまったんでしょう? いいんですか。誘われていたじゃないですか。あんな綺麗な人なのに。勿体ない」

「アレは、いいんだ。お前が気にする必要はない」

「……そうですか。そうでしょうね。すみません。差し出がましいことをしました。ワタシには関係のないことですものね」

 完全な八つ当たりだった。感情の振り幅のままに出て来る憎まれ口をどうすることもできない。

「リョウ」

 ユルスナールが戸惑うように溜息を吐いたのが分かった。そんな事をさせてしまっている自分が情けなくて仕方がなかった。

「何をそんなに怒っている?」

「怒ってなんか…………」

「なら、何故、俺の目を見ない?」

 素直になれない自分が、もどかしかった。

「それは…………………」

 少しでも落ち着こうと緩く息を吐き出す。

「……ルスランこそ、どうし…て…」

 だが、その先の言葉は、それ以上、音には成らず、くぐもった声と一緒に喉の奥に消えた。

「ん…………」

 ユルスナールの唇が、それ以上の言葉を強引に封じ込めたからだった。

 リョウは混乱していた。

 吸い込む呼気に、男からの熱が被せられてくる。それは、強引で、どこか執拗な、文字通りの【口封じ】だった。



 長い間、半ば強制的に呼気を奪われて、再び息を取り戻した頃には、リョウはぐったりとしていた。

「なんで……こんなこと……」

「愚問だな」

 男らしい口元が尊大な笑みを浮かべる。

 先程まで我が物顔で這っていたその薄い唇を見詰めた。

「何とも思っていない相手に口付けをする程、飢えてはいない」

「なら……どうして」

「ん? 分からないか?」

 耳元に落ちてきた甘い囁きに、リョウは余所を向いた。

 自分から認めるには、余りにも気恥ずかしくて仕方がなかった。

 お互い、決定的な言葉は口にしていない。それでも、そこに燻る熱を認めない訳にはいかなかった。

「アナタが考えていることなんて………………」

 ―――――――分かる訳がない。

 そう言って、リョウは首を横に振った。その目元は、どこか気まり悪げに赤みを帯びていた。

 軟化した空気にユルスナールが可笑しそうに喉を鳴らす。

 リョウは、そっとそんな笑いを零した男を見上げた。

「……そうやって、今まで何人の女の人を口説いてきたんですか?」

 不意に矛先の変わった話に、ユルスナールの眉が小さく上がった。

「何の話だ?」

 空惚けた男の台詞に更なる追い打ちが掛かった。

「色街ではさぞかし引く手数多だったんでしょうね。どなたかさんと二人で」

「そんな訳あるか」

 ―――――――ブコバルではあるまいし。

 そう言って、それでもばつが悪くなったのか、視線を逸らしたユルスナールに、リョウはひっそりとした笑いを零していた。それで、少し溜飲が下がった気分だった。

 漸く笑顔を見せた相手に、ユルスナールも目を細める。


「腹が減ったな」

 不意に、ユルスナールが口にした台詞に、

「そう言えば、お昼ご飯を食べに外に出たんでしたっけ?」

 当初の目的を思い出して、リョウも自分の腹部に手を宛てた。

 それから二人は、徐に顔を見交わせると肩を揺らして笑い合った。


『やれやれ。気の揉めることよ』

 そんな二人の姿を一羽の大鷲が、少し離れた屋根の上から眺めていた。

 一部始終を見届け終わると、用事が済んだとばかりに大きな羽をはばたたかせて、上空へと飛び立った。黒い影が大きく旋回する。その影が、路地裏を掠めた。


 そして、夜空の闇を映した黒い髪とそこに煌めく星々の色を映した銀色の髪をした二人組は、薄暗い闇の小路を抜けて、再び明るい日差しが降り注ぐ、表の大通りへと戻って行った。


蓋を開けてみれば、犬も食わぬという痴話喧嘩な感じに収まりました。二人の関係も気持ち的に一歩前進といったところでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ