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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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招かれざる珍客

 人の感覚で言う所の【久し振り】の温もりに浸ったまま、うつらうつらとしていると、部屋の戸を小さく叩く音が聞こえた。

「は…い?」

 半分眠りかけたようなぼんやりとした思考のまま声を掛けると、無駄のない動きでぱっと扉が開く。

 そこに身体半分を覗かせた補佐官のヨルグの顔が見えた。

「リョウ、済まないが、この…あ……」

 深い、艶やかな低音で淀みなく告げられるはずの言葉は、リョウの身体をすっぽりと包むようにして寝台に寝そべる白い毛皮を前に、不自然に止まる。

 そして、束の間の沈黙が下りた。


 まどろみの中にいたリョウはともかく、しっかりと覚醒していたセレブロは、ちらりと扉の前に立つ男へ一瞥をくれた。

 ヨルグは一瞬、硬直したように身体の動きを止めた。

 だが、ここは常日頃から、冷静沈着、不動の鉄仮面を地で行く性格がモノを言うのか、二三度瞬きをした後、驚く程速く己が職務を思い出したようで、体勢を整えるといつものように簡潔に用件を告げ始めた。

 いや、この場合、リョウ以外の存在を敢えて見なかったことにしたとも言う。

「この間の例のモノを持って、団長室まで来てくれ」

 その言葉にリョウはハッと顔を上げた。

「今からですか?」

「ああ」

 バネのように身体を起こしたリョウの艶やかな長い黒髪が、さらりと背中に広がった。

 いつもは無造作に束ねられているだけの髪が、存在を主張するかの如く発光石の光を内包する。鈍く光を湛えたその【ノーチ()】を紡いだ糸のような美しさにヨルグは思わず見とれた。風呂にでも入ったのか、ふわりと石鹸の柔らかい香りが鼻孔を擽った。


『どれ、我も行かむ』

 不意に耳に入った低い囁きのような声らしき音に、ヨルグはその発生源を確かめるように室内を見回した。そこでその白い大きな狼のような獣と目が合った気がした。

 この部屋には自分以外、リョウとその獣しかいない。消去法からいっても、先の言葉はこの獣が発したことになる。

 そんなことがあるだろうか。

 だが、それを裏付けるように、

「セレブロ?」

 リョウはその白い獣の方を見ていた。

「あの、このセレブロも付いてくると言っているのですが、一緒でも構いませんか?」

 リョウ自身もその申し出に困惑をしているのか、躊躇いがちに尋ねる。

「………構わないだろう」

 珍しく少し逡巡した後にヨルグは許可を下した。

「では、今すぐ準備をいたしますので」

 良く見るとリョウは寝間着のままだった。

 それに小さく了承の頷きを返して、ヨルグは来た時と同じように、無駄のない動きで扉を閉めた。


***


 勝手知ったる砦内を団長室へ向かいながら、ヨルグは恐ろしく無表情のまま歩いていた。

 だが、その頭の中は、今、情報が高速回転をしている。今しがた、リョウの室内で目にしてしまったもの。それの処理に対してだ。

 白く光り輝く見事な毛並みを持つ大きな獣。単なる獣という括りに分類するには、どこか神聖で冒し難く、威厳に満ち溢れていた。

 狼に似たそれは、一体、なんであったのか。

 あのような獣は、これまでに見たことがなかった。

 しかもヨルグには、あの獣が人と同じ言葉を発したように思えた。

 何かが引っかかる。果たして、それは何であったか。どこかの本で読んだのか、何かの報告にあったのか。持てる知識を総動員して、膨大な記憶の引き出しを漁っていた。


 あの獣がどうやって侵入したのかも砦の管理を預かる責任者としてはかなり気になるところではあるが、動物に好かれるリョウを毎日のように見ているので、その点は、余り疑問に思っていなかった。

 恐らく、アレも伝令の鷹と同じく、リョウの知り合いなのだろう。気持ち良さそうに仲睦まじく寝台に横になっていられる程には、気心が知れているらしい。

 そういう認識で捉えてみれば、あの獣を団長室に呼んだとて、まぁ、唯でさえ手狭な部屋が狭くは感じられるかもしれないが、別段、問題が発生することではないだろうと踏んだのだが。

 果たしてそれで良かったのだろうか。一抹の不安が頭をよぎった。

 だが、考えても埒が明かない。許可を下したのは、自分なのだから。

 ヨルグは、頭を振って要らない思考の波を脇へ追いやると、長い歩幅をそのままに足早に廊下を歩いて行った。



 程なくして、団長室に現れたヨルグの顔に浮かぶ微妙な表情に、すでに中で待機していた面々は眉を潜めた。

「なにか問題でもありましたか?」

 上官のシーリスがいち早く、部下の【らしからぬ態度】を問いただせば、

「いえ、………何と言いますか」

 いつもの無表情をほんの少し、苦々しものに切り替えて、ヨルグが歯切れ悪く答える。

 それを端から見ていたブコバルが笑って口を挿んだ。

「おいおい、ヨルグ、珍しいこともあるじゃねぇか。何だ、はっきりしろよ」

 勿体ぶるなとからかうように促せば、そんな部下達の遣り取りを団長室の椅子に座り、机の上に書面を広げながら聞いていたユルスナールは、静かに面を上げると鋭く切り込んだ。

「何があった?」

 真剣な顔つきをした団長に、ヨルグは慌てて表情を改めると、小さく敬礼をした。

「失礼いたしました」

 そして、今度は淀みなく、先程の経緯を簡単に報告し始めた。

「先程、リョウの部屋に赴き、ここに必要なものを持ってくるようにと伝えたのですが」

「今は、間が悪いと?」

 シーリスが先回りをするように問えば、ヨルグは軽く首を横に振った。

「いいえ。その件に関しては問題ありません。ちょうど風呂から上がったばかりのようで、支度が整い次第こちらに向かうとのことです」

 簡潔に告げられた言葉に、ブコバルが片方の眉を器用に跳ね上げた。

「なら、問題なんかねぇだろ」

「いえ、そうではなく。リョウ自体は問題ないのですが、その、部屋に…もう一人…客人…らしきものがいまして、それがリョウに付いてくるらしいのです」

 そう。あの時、あの獣は、はっきりと己が意思を主張するように口にしたのだ。

 あの獣を何と形容しようかと思い悩んで、咄嗟に人と同じ扱いをしたのだが、その違和感は相手にも伝わったらしい。

「客人?」

 この砦の全ての人の出入りを把握している筈のシーリスは、同じ情報を共有しているはずの有能な補佐官へ、訳が分からないというように視線を投げた。

「敢えて形容するならば、恐らく。これまで、ここでは見たことがありませんでしたので」

「誰だ。……いや、そんな言い方をするってぇことは………そいつは、人…じゃぁねぇのか?」

 独特だが、鋭い嗅覚を持つブコバルが、ヨルグの躊躇いの背景をものの見事に言い当てた。

「ええ。まぁ、口で言うよりも実際に見た方が早いとは思いますが……。一応、許可は出しておきましたので」

 まぁ、あの様子であれば、こちらの許可など関係無しにやって来そうではあったが。

 とにかく大きさが規格外なので、少々部屋が手狭になるかもしれない。そう、言外に匂わせることも忘れてはならない。

 そして、最後に真顔でこう言い放った。

「白い毛並みの大きな狼のような獣です。大きさは、そう……小振りの牝馬ほどはありましょうか」

 他に表現の仕様がなかったからなのか、そう、つけ足したのだった。


 ヨルグの言葉に、シーリスとブコバルは一瞬、固まり、互いに顔を見合わせた。

 ヨルグがこのような時に冗談を言っているとは思えない。第一、長い付き合いからそれなりに自分の部下の性格を知るシーリスとしては、ヨルグがこのような場面でそういった冗談の類を口にするとは思えなかった。

 それなのに。

 部下からの報告は、シーリスの予想を遥か斜め上を行くものだった。ブコバルもそう感じたのか、微妙な表情を浮かべていた。

 ユルスナールは、じっとその話に耳を傾けた後、机の上で両肘を立て、合わさった手の間に顎を乗せながら、何かを思い出すようにすっと目を細めた。

 ―白い大きな狼のような獣。

 それを聞いて思い出すのは、この国の御伽話の中によく描かれている存在だ。

 人とは異なる時を刻む一族。ヴォルグ。

 人が一生の間に、それに遭遇する確率は驚くほど低い。

 だが、ユルスナールに心当たりは、無くも無かった。

「まぁ、来てみれば、分かるだろう」

 そう、独り呟いて結論付けると、途中になっていた書類に手を掛けた。


【ノーチ】-はこちら側でいうところのシルクに似た繊維という設定です。



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