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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
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腐れ縁の法則 

 久し振りに見る男の姿は、一年前に比べて随分と小さくなっていた。

 視界の隅に己が愛馬の尻尾のような黒髪が弾むのを見送ってから、ユルスナールはゆっくりと寝台(ベッド)の上の主に向き直った。

 真っ直ぐに伸びた背筋は、今も昔も変わらなかった。

「お加減はいかがですか?」

 寝台(ベッド)の脇に置かれた丸椅子に腰を下ろせば、目線は同じ位になった。

 視線が合えば、豊かな白髪から秀でた額の下、男の酷薄そうな薄い唇が小さく上がった。

「おめぇの陰険な面ぁ拝めば、また、冬が来ちまったってぇ感じだな」

 端から聞いたら答えにはなっていないであろうその言葉も、付き合いの長いユルスナールには理解が出来た。

 要するに、また一年、命永らえたということが言いたいのだろう。普通の人間にはなんてことはない一年も、この男にとっては重みのある貴重な時間だった。

 ―――――――だが、まぁ。

 窓の外を一瞥してから、男が不意に喉の奥を鳴らした。

「俺は、この通り、もう長くはねぇ。この冬が峠ってぇ所だろ」

 そう言って、緩慢な動作で自分の袖を捲って見せた。

 鍛冶職人としての生命線である利き腕。その男の右腕には、手首から肘に掛けて、紫色の痣が一面に広がっていた。色も前に比べて随分と濃く、黒ずんでいる。

 それを静かに見て、ユルスナールは徐に口を開いた。

「この春、ガルーシャ・マライが旅立ちました」

 神経質そうな男の白い眉毛が小さく動いた。

「そうかい。そうかい。あのクソジジイもとうとう、くたばっちまったか」

 この男の口の悪さは昔から悪評高かったが、辛辣な言葉とは裏腹に、男の顔には、どこか懐かしそうな表情が浮かんでいた。

「なら、満更でもねぇか。アイツの直ぐ後ってぇのは業腹だが、向こうで会ったら、しこたまからかってやるさ」

 男の脳裏には、その昔交わしたガルーシャとの賭けが思い出されていた。

 どちらが先にこの世を去ることになるか。酒の席での他愛もない戯言の一種だった。


 そして、いつからか、話題は先程までこの部屋にいた黒髪の人物に及んでいた。

「あの子はいつからここに?」

「あ? あの坊のことか?」

「ええ」

「五日前ぐれぇのことか? カマールんとこからだってぇ言って。ひょっこり顔を出しやがって。何でもアイツの母親んとこから寄こされた【伝令(メッセンジャー)】だってぇ言うじゃねぇか。生身の人間が伝令で来たって、あの野郎、随分とたまげてたさ」

 そんなことを一頻り、可笑しそうに語ると、カマールの師匠であるその男は、不意に柔らかな微笑みを浮かべた。

「それにしても、あの子は良い子だ」

 頑固で一切の妥協を許さない鍛冶屋の仮面を剥ぎ取って、突然、孫を可愛がる祖父のような顔付きになった男を、ユルスナールは無言のまま、見遣った。

「あの子………リョウは、ガルーシャ・マライの縁です」

 その言葉に、男は動きを止めた。

 ゆっくりと首を回して、ユルスナールの方を見た。

 穏やかな空気から一転、驚きの表情を浮かべた男に、ユルスナールは小さく笑った。

「と言っても。血の繋がりはありませんが」

「なんでぇ。驚かすなよ。こっちは心臓が止まるかと思っただろ」

 本当に驚いたのだろう。

 あからさまに安堵の溜息を吐いた男は、つるりと自分の頬を撫でた。

「ですが、あの子は、ガルーシャの旅立ちを看取りました」

 暫し、沈黙が落ちた。

 静寂に満ちた室内に、窓から入る冷たい風が、男の白髪を揺らした。

「……………そうか」

 男はただ一言、小さく言葉を発すると開けられたままの戸口へ視線を投げた。

 やがて、緩く長い息を吐き出しながら、目を閉じた。

 ガルーシャの最期に寄り添ったと言うあの子が、今、この時期に自分の前に居るという事実に、男は運命の悪戯のようなものを感じずにはいられなかった。

 ――――――最後の最後まで。

 あの男との縁は切れそうもなかった。

 その繋がりを鬱陶しく思う反面、どこかで喜んでいる自分がいた。


「お待たせ致しました」

 不意に耳に飛び込んできた軽やかな声に閉じていた瞼を上げれば、朗らかな表情を浮かべたその話題の主が、お盆の上に茶器を乗せて戻ってきた。

 柔らかな風が、室内を満たしてゆく。

 その子の腕には湯を沸かした時の薬缶がぶら下がっていた。

 かつてガルーシャに師事していたという不肖の弟子が、すぐさま立ち上がって、その子の手の内の物を受け取ろうとする。

 それをその子がやんわりと首を振って断った。


 ――――――だがまぁ、こんな最期も悪くは無いかもしれない。

 そんなことを考え始めている自分に、男は小さく笑みを零す。

 穏やかな一時が、男の周りを取り巻いていた。


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