表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
78/232

風来坊の受難

久々に【あの人】の登場です。覚えていらっしゃいますでしょうか。


 さて、ちょうど時を同じくして、【プラミィーシュレ】の治安維持を全面的に任されている【スタルゴラド第五師団】の兵士たちの詰め所、通称【ツェントル】では、一人の男が管を巻いていた。

「おいおい、久々に遠路遥々、友人が尋ねて来たってのに、茶の一杯も無しかよ」

 街の中心部よりやや南に位置する重厚な石造りの兵舎の中、その内部でも基本的に限られた兵士達しか出入りを許されることの無い団長室で、高級そうな長椅子にどっかりと腰を下ろして、緩慢な動作で足を組んだ男は、部屋にある数々の落ち着いた調度品とは、どう見ても釣り合わない粗野で粗暴な空気を身に纏っていた。身に付けている衣服も随分と簡素だ。

 その風体は、外の通りを我が物顔で闊歩している傭兵の類とまるで変わらなかった。一歩間違えば、兇状持ちのようにも見えなくはない。

 長旅の所為か、埃に塗れた長靴が、躊躇いも無く床に敷き詰められた繊細な絨毯の模様を踏む。着古してくたくたになった外套は、どこぞで引っかけたのか、裾の方が解れていた。

 この部屋の主である男は、我が物顔で長椅子に座る無頼漢と認識されても仕方が無いような風体の男に冷ややかな視線を送った。

「大体、その格好(なり)はなんだ? 隊服はどうした?」

 神経質そうな細い眉を吊り上げ、暗めの茶色の前髪を一寸の乱れも無く綺麗に後ろに撫でつけた男の眉間には、幾筋もの皺が寄っていた。

 『この場所を訪れるのならば、それなりの格好をして来い』とでも言いたげな男の視線を相手の男は鼻で笑った。

「んな窮屈なの、着てられっかよ。俺は、ごめんだね。それに今回は、仕事じゃねぇんだ」

 ―――――だから、固いこと言うなって。

 鷹揚に片手を振った男に、執務机の前で書面に目を通していたこの部屋の主は、片手で秀でた額際を覆うと、心底、呆れたような顔をして見せた。

「だからと言って、のこのことそのまま、ここに来たのでは変わりがないだろうが」

 ついつい愚痴の一つや二つは言いたくなる。


 公式な訪問では無いのだから、自らの立場を示す軍部の隊服を着る必要はないと目の前の男は嘯いた。 その口で、この第五師団の団長室を真正面から訪ねて来るのだから、恐れ入る。几帳面で対面を重んじるこの部屋の主には、目の前の男の論理は、到底、理解できないことだった。

 案の定、兵舎の入り口では、見張りをしていた門番の歩哨に詰問されて、通す通さないと騒ぎになったのだ。この男の粗野さは相変わらずだが、呆れて開いた口が塞がらなかった。

 とてもじゃないが、対面を重んじる貴族の生まれだとは思えない。どこをどうしたらこんな息子が育つのか、厳しさの中にも柔和で洗練された物腰を持つこの男の父親の顔を思い浮かべる度に、男には不思議で仕方が無かった。

 だが、まぁ、それは今に始まったことではないので一旦、置いておくことにする。

 男は、気分を入れ替えるように小さく息を吐き出した。

「ルスランはどうしたのだ?」

 不意に団長室の机に座る男が真面目な顔をした。


 事前にもたらされた情報では、この男の他に、もう一人の男もこの街に入って来ているはずだった。

 同じスタルゴラドの軍部の中でも、第七師団の責任者であるその男は、自分にとっても旧知の間柄だった。要するに同期の同じ釜の飯を食った仲だった。あちらの方が、まだ、この目の前に座る男よりは馬が合う。久々の邂逅を内心、密かに楽しみにしていたのだ。

 この目の前に居座る男と同じく、公式な訪問ではなく、私的な用事だから、構う必要はないとの伝令だったが、てっきり、昔馴染みの顔を覗きに一緒にここを訪ねて来るとばかり思っていた。あの男は、軍部の中でも比較的顔を知られていたから、賊のような風体のこの男が一緒に居たとしてもここを通るのにさして問題にはならなかった筈だった。

 なんとも間が悪いとしか言いようがない。

「あ? アイツはいつもの所さ。朝っぱらから熱心だよ。全く」

 だが、返ってきた答えは、実に素っ気の無いものだった。

 男の剣ダコが出来た太い指が小さく左右に振れる。そうやって示された符牒に、それを問うた部屋の主も事の次第を理解した。

 あの男がここを訪れる理由はいつも決まっていたからだ。

 毎年、この時期になると己が剣の状態を改めて貰うべく、馴染みの鍛冶屋の元を訪れるのだ。そうして、歯零れやらを直し、再び鍛えられた己が【愛剣】を手に、来るべき任務に備え、持ち場に戻って行く。

 あの男が用いる剣は、特別に鍛えられた珍しい代物だった。

 それを作ったのは、当時、この界隈でも一・二を争う名うての名工と呼ばれた偏屈な鍛冶屋で、腕は確かなのだが、気紛れにしか客を取らないことで、その筋では有名だった。あの老人が残した剣は少なく、この世に一振りしかないとも二振りしか存在しないとも言われていた。

 稀代の名工とまで称えられた男だ。なんとかして、高名な鍛冶屋に自分の剣を鍛えてもらおうと思った武人も多かったが、その殆どが、険もほろろに追い返されていた。

 そんな中、どうした訳か、あの男は奇人・変人の名を恣にしていた鍛冶屋のお眼鏡に敵い、一振りの剣を鍛えてもらった。それ以降、こうして、年に一回、手入れの為にこの街を訪れていたのだ。

 かつての名工と謳われた偏屈な老鍛冶屋は、今は引退して、その弟子が店を継いでいる。そして、親方から引き継いだ【教え】をしっかりと守り抜き、今でも多くの鍛冶屋が集まる街の中心部では無く、この街の外れにある、一見、うらぶれた細い小路の中で、ひっそりと店を構えているらしい。

 知る者しか訪れることのない裏通りだ。

「そうか」

 事情を知るこの部屋の主は、言葉少なにそう答えた


 そんな時だった。

 静かなノックの音の後、襟の上までしっかりと留め具を填めて規格通りに隙なく隊服に身を包んだ一人の兵士が、報告書を手に団長室を訪れた。

 軍人らしいきびきびとした動作で己が上官に書類を手渡す。

 兵士は何やら小声で団長と議論をした後、室内に居た客人である男に一礼をしてから、部屋を後にした。

 その兵士は長椅子に居座る男の風体を見ても、別段、顔色を変えることも眉を顰めることもしなかった。実に良く訓練されている。

「ブコバル」

 スタルゴラド第五師団・団長のドーリンは、手渡された書類を手に振り返った。

 ドーリンは、久し振りに顔を覗かせた友人に対して満面の笑みを浮かべていた。

 それは、見る人によってはその肝を冷やすような実にあくどい類のものだった。

「あ?」

 案の定、それを目の当たりにしたブコバルは、実に嫌そうな顔をしてぞんざいな返事を返していた。

「ちょうどいい。お前に打ってつけの仕事がある。えらく暇を持て余しているようだからな」

「んだよ?」

 ドーリンは、相手に反論の隙を与える事無く速やかに執務机から立ち上がると、長椅子にだらりと体を持たせかけているブコバルにの鼻先に、先程の下士官が持ってきたであろう書類を差し出した。

「こいつの尋問を頼む」

「あ? なんで俺がんなことに首を突っ込まなくちゃなんねぇんだよ」

「生憎、俺は忙しい。実に残念だが、次の予定が押している。だが、お前は暇だ」

 最後の単語をやけに強調して、簡潔に言い放った。

 ―――――これ以上、単純明快な理由があるか?

 そのような副音声が憚らずに聞こえて来た。

 ドーリンは、尤もらしくぱらりと報告書の上書きを捲って、簡単に内容を確認する。

「唯の傷害未遂事件だな。相手は子供だ。適当に話を聞いてやってくれ」

 決定事項とばかりに口にされた言葉に、ブコバルは冗談ではないと体を起こした。

「はぁ? なんで俺がんなことやんなくちゃなんねぇんだよ!」

 ドーリンが管轄するのは、この街の第五師団で、ブコバルの所属は、北の砦である第七師団だ。

 明らかに管轄外である。幾ら同じ国の軍部に属しているとは言え、この場所はブコバルにとっては勝手が違う。余所者がいきなり首を突っ込んだら、それこそ、往々にして仲間意識の強い軍部の第五師団の連中は、いい顔をしないに違いない。

 上官の命令は絶対であるから、団長がそう決定を下したのならば、表立って異を唱える輩はいないのだろうが、内心は面白くないに違いなかった。そんなささやかな蟠りも積み重なれば、それなりの不安材料になり得る。このような所でそんな火種を残して置きたくはない。見てくれはいい加減だが、軍人として、それ位の思慮深さはブコバルにも備わっていた。

 そう思ったのだが。

 対するドーリンは至って真面目だった。

「これはお前の得意分野だろう? 適材・適所というではないか」

 そう言って、ほんの少しだけ口角を上げる。

 そこには、ブコバルがこれまでにこの場所で起こしたであろう度重なる揉め事の前科のことが仄めかされていた。

 痛いところを突かれたのか、不意に押し黙った相手に、ドーリンは実に効果的な笑みを浮かべる。

「では、任せたぞ。報告書は書記官が上げるから問題ない。お前は話を聞くだけだ。簡単なものだろう?」

 そう言って、書類をブコバルの胸に押しつけた。

「あ、おい、ドーリン。てめぇ、待ちやがれ」

 そして、この部屋の主は、手早く椅子に掛けていた上着に袖を通すと、有無を言わせない早さで身を翻し、言いたいことだけを言い捨てて、団長室の重厚な扉の向こうに消えた。


 主が去った部屋に一人残されたブコバルは、盛大に舌打ちをした。

「あの野郎、言うだけ言いやがって」

 そして、ブコバルはテーブルの上に無造作に置かれた件の報告書を摘み上げた。

「相変わらず、人使いの荒い野郎だ」

 年がら年中、忙しそうにせかせかとあちらこちらを動きまわる友人は、こうして偶に顔を覗かせる(ともがら)も、使える者は容赦なく使った。

 まぁ、ここに来る度に、色街で何かと揉め事を起こすブコバルであるから、それはドーリンにしてみれば、迷惑料の前払い的な意味合いが多分にもあるのかもしれない。

 要するに【持ちつ、持たれつ】というやつだ。

 ブコバルも決して故意ではないにせよ、その辺りのことに関しては自覚があったので、最終的にはいつもその尻拭いをさせる形になってしまうドーリンに対しては、中々強く出られない所があったのだ。

 ドーリンもその辺りのブコバルの性格を良く熟知しているのだ。総合的に見てみれば、相手の方が一枚上手ということなのだろう。

「しゃーねぇか」

 ブコバルはガシガシと伸びた髪を無造作に掻くと、緩慢な動作で立ち上がった。

 やる気など端から無い。明らかに嫌々という仕草である。

 だが、喩え、それが意にそぐわないものであっても、一度、受けたのならば、与えられた任務を途中で投げ出すことはしなかった。

「後で覚えてろよ。ぜってぇ高く付けてやる」

 苦情を聞かせる主の居なくなった部屋で、伝言を残すようにそう吐き捨てると、テーブルの上に置かれた書類を手に、団長室の扉に手を掛けた。

「茶くらい出せっての」

 ―――――ケチな野郎だぜ。

 沢山の書類が積み上がって小高い山を成す友人の執務机を一瞥し、相変わらず鬼のような仕事量をこなしているであろう事実に肩を竦めて見せてから、その場を後にしたのだった。



 長い廊下を歩きながら、ブコバルは手の内にある書類を捲った。

 中に書かれてあるのは、どうしようもない、実にくだらない事だった。

 ―――――こんなことまで、回ってくるのか?

 ブコバルは内心、眉を顰めた。

 往来で騒ぎを起こした酔っ払い男。相手を鞘で一方的に打ち据えただと?

 おいおいおいおい。こんなの良くある喧嘩だろう。自警団に任せておけばいいだろうに。態々、軍部の兵士たちが出張ることなど無いだろう――――――と思い掛けて、そう言えば、この街で揉め事を起こすのは、大抵が自称、傭兵………というか、兵士崩れの柄の悪い連中が圧倒的に多いことに思い至る。

 そこで、ふいに自分がこれから顔を拝みに行く相手が、どう考えてもむさ苦しい男であるという事実が簡単に導き出されて、げんなりした。

 ―――――マジかよ。どうせなら、もっとこう色っぽい話が良いんだがな。色街の娼婦のいざこざとか。

 だが、そんなブコバルの願いも虚しく、敵ながらあっぱれという実に素早い用意周到さで、団長からとある有力な【助っ人】が、管轄内で起こった傷害未遂事件の事情聴取を引き受けてくれるという有り難い話に、その登場を待っていた兵士が顔を輝かせた。

「ご苦労様です」

 小さく敬礼をして、喜色を浮かべたその兵士の顔に、

「ああ」

 ブコバルは曖昧な返事をした。

 ―――――チクショウ、覚えてろよ。ドーリン。

 そっと心の内で呪詛の言葉を吐くのは忘れない。

 それが相手に伝わるかは、未知数だが。

 こんなことになるなら、朝早くに宿屋を出たユルスナールに付いて行けばよかったかとの思いが頭を掠めたが、それも今となっては後の祭りである。

 そして、ブコバルは、緑の腕章を付けたここの兵士から、同じように仮初の兵士としての腕章を受け取ると、それを指先でくるくると弄んだ。

 そして、促されるままに騒ぎを起こしたであろう酔っ払い男が止め置かれているという部屋に入ったのだった。


【あの人】の登場ということでルスランと感違いをされた方、スミマセン。

ブコバルでした。今回は書いていて、とても楽しかったです。個人的にブコバルは好きな登場人物です。次回は、漸く、ルスランが登場するかと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ