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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
72/232

それぞれの夜

「リョウ、ちょっといいか?」

 アクサーナとデニスの婚礼を終えた夜、リューバの家に戻り簡単に昼間の汗を流した後、自室へ戻ろうとしている所をリョウは呼びとめられた。

 声がした方に顔を向ければ、客室の扉の前で同じくリューバの下に厄介になっているロッソが顔を覗かせていた。

 無言で顎をしゃくったロッソにリョウはタオルを首に掛けたまま一つ頷き返す。

「済まないな」

「いえ」

 ロッソはそう言って、中に入ってきたリョウに部屋の中に一つだけ置かれてあった小さな椅子を勧めた。そして、自分は寝台(ベッド)の上に腰を下ろした。

「砦に戻る前に、一つだけ、確認しておきたいことがあってな」

 静かに切り出されたその言葉にリョウは目を瞬かせた。

「なんですか?」

 当然の切り返しにロッソの視線が躊躇うように揺れた。開きかけた口が、再び閉じる。膝の上で組まれた手の親指が忙しなく動いていた。

 何か聞きにくいことでもあるのだろうか。

 ロッソのそんな様子は、北の砦滞在時、いつも落ち着いていて暴走しそうになる同僚たちを時に窘め、軌道修正させるという兄貴肌的な姿ばかり目にしていたリョウには、とても珍しく映った。

 リョウは可笑しそうに小さく笑った。

「そんなに聞きにくいことなんですか?」

 ロッソは若干気まずそうに己が柔らかな茶色の髪をかき上げた。

 そしてつるりと頬を撫でた。

 昼間は綺麗に剃られていた髭も夜になって少し伸びたのか、頬から顎を縁取る色が濃くなっていた。

 だが、そちらの方が寧ろ見慣れた相手の顔でもあった。

 ロッソはリョウを真正面から見た。

 こちらの内心の狼狽とは裏腹に相変わらず可笑しさを堪えるような笑みを浮かべていた。

 それを見て、ロッソは観念したように息を一つ吐き出した。

 漸く、覚悟を決めたらしかった。

 不意に真面目な顔をしたロッソにリョウも表情を改めた。

「帰還後、俺には、ここで見聞きしたこと全てを報告する義務がある」

 それは、ロッソ自らがここに来た理由を任務の一端であると認めるような発言だった。

 だが、敢えてその事には触れることなく、リョウは小さく頷いて見せた。

「それには、勿論、リョウ。お前のことも含まれるだろう」

 要するにこのスフミ村で自分に逢ったということを上に報告するということだった。それならば、別段、問題は無い。

「ええ。別に構いません」

「俺は……ありのままを報告する積りだ」

 ―それが、何を意味するか分かるか。

 ロッソは慎重に言葉を選んでいるようだった。

「つまり、ワタシがリューバの下に滞在し、村で行われた婚礼に出席したということですか?」

 その問いにロッソは視線を脇に流した後、やや言い難そうに口を開いた。

「まぁ、平たく言えば、それもそうだが。リョウ、お前は砦に居た時は男だと思われていただろう?」

 その言葉に漸くリョウは相手の躊躇いの原因を悟ったのだった。

 つまり、ロッソは自分が女であることを報告に入れてもよいかという確認を取りたかったのだ。

 リョウは思わず微笑んでいた。

 思慮深く心優しいロッソのことだ。自分が男の格好をしている理由についてきっとあれこれと要らぬ気を回して色々と考えたに違いなかった。

 自分が男に間違われていた経緯もここで女物の衣装を着た経緯も、リョウにとっては実に取るに足らないことであったのだが、ロッソにはそう見えなかったようだ。きっとああでもない、こうでもないと勘繰ってしまったのだろう。

 無駄に気を使わせてしまったことを心苦しく感じると同時に相手がそこまでの配慮をしてくれたことを純粋に嬉しく思った。

「ロッソは、ワタシが女であったことを伝えてよいものかと悩んでいたんですね」

「ああ。早い話がそうなるな」

 核心を突けば、あっさりと認めた。

「それなら、問題はありません。本当のことを伝えてもらって構いませんよ」

 淡々と紡がれた言葉にロッソがこちらを探るような視線を向けた。

「いいのか?」

「はい。別に隠すことではありませんから。但し、砦の皆が信じるかどうかは、また別の話になるでしょうが」

 最後、苦笑気味に付け足された言葉にロッソはかなり微妙な表情を浮かべた。


 風呂上がりで、リョウはゆったりとした作りの粗末な生成りのシャツとズボンを身に着けていた。ここでは寝間着代わりにしているものだ。

 濡れたままの黒髪は、明るさを抑えられた発光石の灯りに鈍く光を放っていた。

 その事実にロッソは今更ながらに気が付いたようだった。

「済まない。風呂上がりだったな」

 濡れたままの髪をよく拭くように告げられて、リョウは擽ったそうに喉の奥を鳴らした。

「いいえ。大丈夫です。直ぐ乾きますから」

 そう言って首に掛けたタオルの端で髪を拭う。

 昼間の残像が色濃く目裏に焼き付いている所為か、そうして男物の寝間着を身に着けていたとしても、最早ロッソの目には、リョウが男だとは到底思えなかった。

 シャツの隙間から覗く腕も開いた襟元から覗く首も驚くほど細い。それこそ砦の男達であれば、片手で簡単に捻り潰せそうな位に、だ。

 それから。

「ルスランは、既にご存じですよ」

 そっと目を伏せてからリョウは砦の中で自分の秘密を知っているであろう男の名前を挙げた。

「団長が?」

 意外なことだったのか、ロッソが少し驚いた顔をした。

「はい」

 他の兵士達と比べて身体的接触を密に持ってしまったという理由もあるのだろうが、出会って直ぐその日の内に向こうはリョウの本来の性別に気が付いていた節があった。

 その事を話せば、ロッソはあからさまに感嘆の息を吐いた。

 どうやら意図せずして団長への評価を高める形になってしまったようだ。

 そして序でとばかりに、馬や伝令の鷹たちを始めとする獣たちは、皆一目で見分けたということを話せば、目を丸くしてややばつの悪そうな顔をしながら「そうか」と大きく息を吐き出したのだった。知らなかったとはいえ、自分も気が付かなかったということが心苦しかったのだろう。

 それを感じ取ってか、リョウは気にすることはないと穏やかに微笑んだ。

「ロッソ、そんな顔をしないでください。ワタシは全く気にしていませんよ。シーリスやヨルグ、それにブコバルも気が付いてはいないようでしたら。ルスランは、偶々です。それに、このことに関しては、恐らく、ルスランから話が行っているのではないかと思います」

 だからロッソがそのことを報告しても、別段問題にはならないだろう。リョウ自身敢えて秘密にしていた訳ではないのだから。

 そう結論付けたリョウにロッソは言葉少なに、

「そうか」

 と口にしただけだった。


 そう言えば。

 リョウが砦を後にした際、ブコバルが矢鱈と大きな声を張り上げたという噂を食堂で耳にしたことをロッソは思い出した。

 その日一日、まるでこの世の終わりのように愕然とした表情を浮かべ、随分と落ち込んだ様子であったという。

 自分は間近にいなかったので、実際、その真実の程は良く分からないが、その姿を遠くから垣間見た時には、砦の兵士達の間でも一位・二位を誇る逞しい体つきがやけに小さく見えたような気がした。

 ある種異様な空気に若い下っ端の兵士たちは、居心地が悪そうに恐々としていたが、ブコバルの周囲に集う団長(ルスラン)副団長(シーリス)、そして、その補佐官(ヨルグ)といった砦中枢部の人達は、いつもと同じように淡々としていた。副団長などは、実にいい笑顔を浮かべて、ブコバルをからかっていたらしい。

 だが、そんな珍しく打ちひしがれたブコバルの様子も、元来の能天気さが幸いしてか、決して長続きはしなかったようで、翌日にはけろっと元に戻っていたらしい。そして、昨日の憂さを晴らすように翌日の訓練は実に容赦の無いものだった―というのは、後の兵士達の語り草でもあった。

 ひょっとしたら女相手の駆け引きに掛けては右に出る者がいないと豪語する根っからの女好きであるブコバルが、最後までリョウが女であることを見抜けなかった事実を知らされて、そのことに衝撃を受けたのではないかとリョウの話を聞き終えたロッソの中では、妙な邪推すら生まれていた。

 その思い付きは馬鹿らしくもあったが、妙な説得力があったのだ。その証拠に落胆したブコバルの横で団長はいつになく上機嫌であったらしいと他の仲間たちが噂話をしていた。


 ロッソがそのような他愛もないことを思い出していると、

「砦の皆は変わりありませんか?」

 リョウが静かに微笑んでいた。

「ああ。アッカの傷もすっかり癒えたし、セルゲイもオレグも相変わらずだ」

 皆の様子を聞かせて欲しいと懐かしそうに目を細めたリョウの申し出にロッソは思い付く限りの仲間たちの模様を話して聞かせた。リョウは訥々と紡がれるロッソの話に、時折合槌を打ち、可笑しそうに小さく忍び笑いを漏らした。

 こうして夜の帳が完全に下りるまでの短い一時、久々の再開を果たした仲間は、ささやかな親交を深め合ったのだった。


***


 さて、所変わって。

 今回の任務におけるロッソの相棒、若き鷹匠であるキリルが過ごすナターリアの家を覗いてみることにしよう。

 母親と久々に親子水入らずの一時を過ごしていたキリルであったが、その様子はもう一人余計に加わった人物のお陰で、お世辞にも和やかと形容されるようなものにはなっていなかった。

 キリルは、自分が横になる寝台(ベッド)の反対側で静かに横になる男を横目で透かし見た。

 何を考えているのかは知れないが、大胆にも自分のことを父親だと名乗って憚らないこの男は、珍しくこの家に泊って行くと言ったのだ。

 キリルが知る限りそれは初めてのことだった。

 なんとも調子が狂うではないか。

 それは、母親のナターリアにとっても実に意外な申し出であったらしい。

 母親は、男の気紛れにいつも優しげに細められている自分と同じ光彩を持つ黄緑色の瞳を目一杯開いて、その後、嬉しそうに破顔した。そんな母親の顔を見てしまえば、息子であるキリルは表立って嫌だとはどうしても言えなかった。


「なぁ、キリル」

 発光石の灯りを完全に落として。

 差し込む月明かりが部屋の中に濃淡の影を作る室内に男の低い呟きが響いた。

 キリルは返事をしなかった。目を瞑って寝たふりをする。

 だが、そのことを男は全く気に留めていないようで尚も言葉を紡ぎ始めた。

「あの()………確か、リョウといったか。お前はあの子を知ってたんだな」

 キリルは瞑っていた瞼を開くとそっと首を回した。

 両手を頭の下に掲げて寝台に横たわったまま片膝を立てた男は、天井を見つめていた。

「会ったのは、昨日が初めてだ」

 答える積りは無かったのになぜか言葉がするりと口を突いて出ていた。

「ナターシャの話じゃぁ、あの術師(リューバ)の所にいるらしいじゃねぇか」

「アクサーナが、婚礼に招待したと聞いた」

「あ? この村にいるんじゃねぇのか?」

 男の顔がこちらに向いたのが視界の隅で感じ取れた。

「さぁな」

 母親の話では、時折村を訪れるのだということだった。薬師でもあるリューバに薬草を届けているらしい。どこで暮らしているのか、この辺りでは見かけない珍しい顔立ちはどこの生まれなのか。それは、誰も知らないとのことだった。

 この村の大人たちは、一度懐に入れた相手に関しては、無駄に詮索をしない。

 男はキリルの曖昧な言葉からその正確な意味合いを悟ったらしかった。

「にしちゃぁ、ここに随分と馴染んでるみてぇだったが」

「最初に連れて来たのは、あの【森の爺さん】だって聞いた」

 それは、ここから遥か北西に広がる森、通称【帰らずの森】という物騒な名前を恣にしている場所に暮らすという男のことだった。村の人間はその真偽を確かめたことは無かったが、実しやかにそんなことを話していた。

 ここは、国でも北の辺境に位置する街道沿いの最後の集落で、それより以北は人が暮らす町や村は存在しなかった。村の人間は誰一人として、ここから北上をしたことはないのだ。

 だが、そんな中で、時折思い出したようにこの村の術師を尋ねて来る男は、どうやらその北の方角からやってくるらしいとのことだった。

 村人たちは、その男を【ガルーシャ】と呼んでいた。痩せてひょろりとした背中に長い外套を引きずっているという風貌からして少し風変わりな男だったが、その男が術師であるということに村人たちは術師というものは皆、そのような奇特な輩だと思っている節があるようで、別段気にも留めなかったようだ。

「あ? あの偏屈なジジイか?」

 心当たりでもあるのか男の顔が嫌そうに顰められた。

 偶に分からなくなる。この男は村人ではないのに実に村のことに精通している。それに様々な場所を放浪している所為か、とても物知りなようだった。と言ってもそういう空気を言葉の端々に感じるだけで、キリル自身、この男がどこで何をやっているのか、全く想像が付かなかった。

 それはさておき。

 キリルの記憶の中にある【森の爺さん】の輪郭は、酷く曖昧だった。

 いつやってくるか分からない幻のような存在で実際にその姿を目にしたのは、幼い頃、遠目に一・二度位といった所だった。

 だが、村の大人たちの間ではそれなりに交流らしきものがあったようで、村人は皆、親しみを込めて【ガルーシャ】と呼んでいた。


 それっきり、何か物思いに沈むように口を噤んでしまった男にキリルは静かに目を閉じた。

 深い眠りに誘われ、薄れゆく意識の中で、

「おやすみ」

 ―オヤジ。

 キリルは無意識に口にしていた。

 その消え入りそうな微かな囁きを拾って男が動きを止めた。

「ああ。おやすみ」

 そう言って囁き返した男の口元は、暗闇の中でいつになく弧を描いていた。

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