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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
71/232

純白の花嫁

 ―ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ!

 集まった人々が盛大に囃したてる向こうで、花嫁衣装に身を包んだ乙女とその脇に寄り添うようにして立つ正装をした青年が並んで見えた。


 ―ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ!

 花嫁の顔は喜びに輝いている。それを見守る花婿の顔も堂々として威厳に満ちていた。


 ―ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ!

 尚も村人たちの歓声は止まらない。

 花嫁が照れたようにはにかんだ笑みを浮かべた。新郎も緊張した面持ちの中にやや引き攣ったような笑みを浮かべている。

 だが、囃したてる人々の声は、益々高まりを見せていた。

 皆、心を一つにして【あること】を待っていた。それは、婚礼では最早お馴染みの欠かせない光景であった。


 ―ゴーリカ。

 その言葉の意味は【苦い】ということだ。人が感じる味覚の甘い・苦いの【苦い】である。

 連呼される【苦い】という言葉に、リョウはそっと隣に立つロッソの袖を引いた


 広場の真ん中では、アクサーナとデニスの婚礼が執り行われている真っ最中だった。

 式の進行も恙無く進み、若き二人は礼拝堂の司祭と村長のダルジの立ち会いの下、婚姻を結ぶ宣誓を行った。


 あの後、キリルは実家に帰ったというイサークからの報告を受けて、リューバの家に残されたリョウとロッソは一先ず安堵の息を吐いた。

 そのままキリルは母親の所に泊るであろうからということで、リューバは一人残されたロッソに一夜の宿を提供した。

 最初は丁重に断りの文句を口にしたロッソであったが、リューバの迫力に最終的には根負けした形でその首を縦に振ったのだ。

 そして翌日、どうせならお祭りの一番の盛り上がりである婚礼に顔を出していけばよいということで、ロッソはリョウと連れだって村の中心の広場に来ていた。


 ロッソが身に付けている服装は、昨日見た洗いざらしの粗末なものではなく、村の男たちと同じような晴れ着であった。あのままでもロッソ自身は頓着しなかったようなのだが、リューバがそれを許さなかった。地味な服装の方が却って目立つということで、リューバの旦那さんが昔に着ていたという代物を急遽拝借することになったのだ。運よく背格好も似たようなものであったようで、袖丈が若干短い気がしないでもないが、借りものにしては十分と言える位であった。

 髭も綺麗に剃り直し、髪もそれらしく整えて。光沢のある柔らかなルバーシュカ(シャツ)に袖を通したロッソは、見違えるように垢抜けて見えた。同じく光沢のある黒のズボンに淡い緑色の腰帯を巻き、その端を長く横に垂らしている。

 元々端正な造りであるとは思っていたが、兵士らしい荒削りの野暮ったさみたいなのがすっかり鳴りを潜める形になっており、リョウは不思議な気分になった。

 着替えを終えたロッソを見たリューバは、暫く矯めつ眇めつその周りを巡った後、満足そうに息を吐いた。

 そして、先に着替えを終えて待っていたリョウが隣に並べば、

「そうしていると若い頃を思い出すわ」

 懐かしそうに目を細めたのだった。

 きっと思い出しているのは、夫と過ごした若かりし頃のことなのだろう。

 全てが輝いて希望に満ち溢れていた頃の思い出。

 リューバの旦那さんは、まだ若い頃に旅立ったとのことだった。それからリューバは一人で、二人の男の子を立派に育て上げた。

「良く似合っているわ」

 優しく微笑んだリューバにロッソは居心地が悪そうに身じろいだ後、小さく礼を口にした。


 小さく袖を引かれて、ロッソは、直ぐ脇に立つリョウを見下ろすと、無言のまま「なんだ」と視線だけで問うた。

「あの、なぜ、皆さん【ゴーリカ(苦い)】と連呼しているんですか?」

 囁く様にして発せられたリョウの問いにロッソは一瞬意外そうな顔をした。

「知らなかったか?」

「はい」

 素直に頷けば、ロッソは一つ咳払いをしてから簡単に説明をした。

「あれは、新婚の二人に口付け(キス)を促す掛け声だ。こっちは【苦くて】しょうがないから二人の口付け(キス)でここの空気を【甘く】してくれということだ」

 それで【ゴーリカ】―こっちは【苦いぞ】ということなのか。幸せのお裾分けを求めて周囲がそれにあやかろうというのだろう。

 なるほどと納得して隣を見上げれば、ロッソはどこか面映ゆそうな顔をしていた。


 その隙にワァーという歓声が響いた。

 慌てて顔を正面に戻してみれば、アクサーナがデニスと口付けを交わしている所だった。

 周囲の人達から歓声と共に拍手が沸き起こる。リョウも釣られるように精一杯の拍手を送った。

 それを合図に周りに控えていた楽師たちが一斉に曲を奏で始めた。

 村を挙げての婚礼祝いの始まりだ。


 主役であるアクサーナとデニスは、集まった村人たちに揉みくちゃにされていた。

 アクサーナの周りには同じ年頃の若い娘たちが群がり、アクサーナはいつも以上に頬を上気させて笑顔が眩しい位だった。

 一方のデニスも、周囲を友人達が取り囲み、一足先に独り身を脱した仲間を憎まれ口半分、やっかみ半分、そして嬉しさ半分、激励半分で取り捲いていた。

 少し脇に視線を流せば、案の定、花嫁の父親であるクルスクは、鼻を真っ赤にさせて、ぐずぐずとハンカチを手に溢れ出る【心の汗】と戦っているようだった。それを宥めるように妻のナジェージュダが、周囲からかかるお祝いの言葉に笑顔を振り撒きながら寄り添っている。その直ぐ隣には、アクサーナの姉であるエレーナとその夫のキーン。そして、双子の子供たちの姿もあった。

 リョウは思わず目頭を押さえた。

 ここにあるのは、幸せそのものの家族の形だ。温かな日常。

 それに触発されるようにして自分が失くしてしまったモノの輪郭が滲み出るように侵蝕を始める。

 不意に湧いた恐ろしい程の喪失感に足下が竦みそうだった。

 リョウは、無意識に自分の胸元を握りしめていた。そこにあるのは、小さな瑠璃色の光を放つ首飾り(ペンダント)

 そして呼吸を整える。震えそうになる指を握りしめて。

「リョウ?」

 怪訝そうなロッソの声にリョウは我に帰った。慌てて指先で目元を拭うとにっこりと微笑んで見せた。

「余りにもアクサーナが嬉しそうで。良かったなって。クルスクさんじゃないですけど、少し伝染したようです」

 そんな急拵えの弁解に尚もロッソが眉を顰めたが、

「「リョ~ウ~!」」

 タイミング良く二つの小さな塊が背中に追突してきてそれ以上の追及を免れた。

 後ろを振り返れば、この間よりもお洒落をした小さなミーシャとカーチャの二人が元気一杯に拳を振り上げていた。

「踊ろうぜ!」

「踊ろう!」

 急襲に似た突撃に苦笑い。

 二人の中では決定事項であったのか、こちらが声を出す間もなく、リョウは、二人に手を引かれるようにして踊りの輪が出来ている方へと連れていかれた。

 視界の端を掠めたエレーナとキーン夫妻は、若干申し訳が無さそうな顔をしながらも幸せそうに微笑んでいた。

 それに笑顔で応える。

 そっと後ろを振り返れば、こちらを見ていたロッソは手を一振りして、行って来いとの合図を送った。

 それに軽く頷き返して。

 無意識に溜まりそうになった澱を吐き出すようにリョウも少し前を行く二つの小さな背中に声を掛けていた。

「ねぇ、ミーシャ、カーチャ」

「あ? なんだ?」

「なぁに?」

 揃って振り向いた二対の緑色の瞳にとっておきの秘密を漏らす。

「ワタシ、踊ったことないんだけれど、大丈夫かしら?」

 首を傾げて見せれば、二人は立ち止まり、吃驚したように目を丸くしたけれども直ぐにミーシャが得意げに親指を突き上げて胸を反らした。

「簡単さ。俺が教えてやるよ!」

「アタシも!」

「ありがと。じゃぁ、二人ともよろしくお願いね」

 そうやって小さな先生に手を引かれるようにして既に出来上がっている輪の中へリョウも足を踏み入れたのだった。


 鳴り響く楽の音色に合わせて踊りの輪をくるくると幾つか回った所で、隣になった男が不意に声を潜めて囁いた。

「お嬢さん。悪いことは言わないよ。そいつは仕舞って置くんだ」

 声のした方に顔を向けてリョウは思わず息を飲んだ。

「あなたは……」

 だが、それ以上の発言を阻止するかのように、男は指を一本、自分の口元に当てる。

 真っ直ぐな癖の無い金茶色の髪が、軽やかなステップに合わせて弾み、穏やかな日の光を反射して目映いばかりに輝きを放っていた。

 見紛うはずがない。男は、昨日のスカモローフ(道化師)だった。昨日のように仮面は付けていないので、右半分の本来の顔が露わになっていた。

 削げた頬にやや吊り上がり気味の鋭い眼差し。そこにある瞳の虹彩はありふれた淡い茶色だった。

 男の視線は自分の胸元に注がれていた。そこにはいつの間に出たのか、瑠璃色の石が煌めくペンダントが白いシャツの上で跳ねていた。


 リョウは、曲に合わせて足を動かしながら自由が利く方の手で揺れる青い石をシャツの中に入れた。

 それでいいと頷いて男はからかう様な微笑みを浮かべていた。

「お嬢さんには、恋人がいるんだね」

 突然、断定されたように口にされて、訳が分からないという顔をして隣を見上げれば、男の眉がひょいと上がった。

「おや? 違うのかい? それとも照れているだけかな。別に隠すことなんてないだろう。そいつは恋人から貰ったものなんだろう?」

 ―深い青色の瞳を持った男だ。違うのかい?

 確かに、男が言うようにこれはとある男性から貰ったものだったが、別に恋人という訳ではなかった。

「そんな色のある話ではありませんよ」

 苦笑を滲ませて困惑気味に答えれば、男は尚も意味深に目配せをしながら言葉を紡いだ。

「お嬢さんは、これをある男から貰った。そうだろう?」

 事実を客観的に捉えれば、そういうことになる。

「………そういう意味では、間違ってはいませんが」

「ああ、そいつも浮かばれないねぇ」

 ―可哀想に。

 いかにも残念そうに出された声にリョウは思わず剣呑な声を出していた。

「何が、仰りたいんですか?」

 その言葉に男は意外そうな顔をした。

「おや、お嬢さん、そいつは本気で言ってるのかい? そんな振りをしているなんざぁ、止めた方がいい。性質が悪いよ」

 そう言って少し意地が悪そうに笑う。

 昨日といい今日といい、この男は一体、何がしたいのだろう。訳の分からない言いがかりにリョウが目を白黒させていると、その表情から男は相手が嘘を吐いていないことが分かったようだった。

「おやおや、こいつは驚いた。その様子じゃぁ、ご存じないようだね」

 大げさに肩を竦めて驚いたという表情を作って見せる。

「何のことですか?」

 リョウは思わず焦れたように問い掛けていた。

「そうかい、そうかい。そいつは面白い」

 だが、これだけ前振りをしておいても男はその問いには答える積りは無いらしく、愉快そうに何やら一人で合点をした後、こう付け足した。

「そいつは大事にするんだ。だがね、異国のお嬢さん。そいつをみだりに他人に見せてはいけないよ? いいかい?」

 言葉の真意を探るようにリョウは男を見つめた。

 なぜ、男は自分にそのような助言をするのだろうか。

 ―これをみだりに他人の目に晒してはいけない?

 つまり、これは自分のような者が持っていてはいけない代物なのか。

 ぐるぐると様々な疑問が渦のようになって湧いて出て来る。

 ―そう言えば。

 この男が隣に並ぶ前、次々と入れ替わり立ち替わり踊りの輪の中をステップを踏んで行く男たちの中に、このペンダントのことを尋ねてきた人物がいた。

 綺麗な石だと誉められて、悪い気はしなかった。石の由来を聞いて来た者もいたが、これは貰いものであったのでリョウ自身はそれらの質問に答えられはしなかった。

「なぜ、ワタシに、そんなことを?」

 思い切って尋ねれば、男の口元が薄らと弧を描いた。

「昨日の礼さ」

 その言葉にリョウは益々困惑した。

「あなたにお礼をされる覚えはありませんが?」

 そう言えば、男は酷く可笑しそうに喉の奥を鳴らした。

「ハハハ。まぁ、いいじゃないか。お嬢さんには無くっても、こっちにはあるのさ」

 相変わらず何を考えているのか分からない表情で男は唯一顕わになっている右目を瞑って見せた。

 それにリョウは息を深く吐き出した。

「分かりました。それでは、そういうことにしておきましょう」

 この男とまともに理解し合おうというのがそもそもの間違いなのかもしれないと思った。

 男のリズムと言語感覚は到底自分とは掠りそうもなかった。ならば、こちらの線引きの中で出来る限りの距離を測るだけだ。


 そうこうするうちに曲が段々と終わりに近づいてきた。最終章(フィナーレ)へ向けて【バラーニ(太鼓)】が激しく打ち鳴らされ、竪琴や弦楽器、笛が奏でる旋律が急峻を帯びて行く。

 ―ジャン。

 そして最後の一音が、轟きのように響いた。

 不意に落ちた一瞬の空白に輪を形作る男たち、女たちが作法の如く、軽く目礼をする。そして、緩やかな楔で築かれていた円形は、再びばらばらに点となっていった。


 やがて、少し離れた所で別の踊りの輪が生み出される。次の踊りの輪には、新郎・新婦も参加をするようだ。

 こうして、この賑やかな踊りの連鎖は、踊り手たちが疲れ果てるまで延々と続くことになるのだ。


 踊りの輪からさっと身を翻す前に男はリョウの耳元に小さな囁きを残して行った。

 ―この国の男は、惚れた相手に自分の瞳と同じ色の石の付いた装飾品を贈るのさ。そいつは、どうやらお嬢さんにぞっこんのようだね。

 発せられた言葉の正確な意味を理解するのに、時間が掛かった。

 リョウは暫しその場に立ち尽くした。

 そして、呆けたように軽やかに去って行く男の背中を見つめていた。

 男の微かな笑い声が耳元でこだまする。

 冗談にしては余りにも性質が悪すぎた。

 リョウは思わず自分の胸元へ手を当てていた。そこに隠れているのは深い輝きを放つ瑠璃色の石だ。偶然にも、これを自分にくれた男も同じ色の瞳を持っていた。

 そこまで考えて。リョウは揺るく頭を振った。

 湧き出て来る雑念を払拭するように。

 馬鹿げている。余りにも。

 あの(スカモローフ)が何を知っているというのだろう。


 リョウは気持ちを入れ替えるように顔を上げるとざっと周囲を見渡した。件のお騒がせ男の姿を目で追う。

 男の傍には振る舞い酒の入ったグラスを手にしているキリルとロッソの姿があった。

 昨日は実家に帰り、久々に母親のナターリアと親子水入らずの時間を過ごしたであろう年若い鷹匠(キリル)は、村の男達と同様に真新しい晴れ着に身を包んでいた。

 こうして端から見るとキリルとあの男は良く似ていた。昨日、自分が思った親子であるという想像は強ち間違っていないのかもしれないと思える程だ。

 ぼんやりとその光景を眺めていた所為か、向こうの二人がこちらに気が付いた。

 キリルが軽く目礼をしたのに微笑みを返す。

 ロッソは二人に何やら一言、二言告げるとこちらにやってきた。

「大丈夫か?」

 どこか気遣わしげな青灰色の瞳がリョウを見下ろしていた。

 他人の感情の機微に敏いロッソにいたたまれなさを感じるのは決まってこのような時だ。

 この男の優しさを心苦しく思う自分は、何という罰当たりだろうか。

「どうしたんですか?」

 それに気が付かない振りをしてリョウはロッソを見上げた。

 穏やかに微笑んで見せたリョウをロッソは暫し無言のまま見つめた。

「いや」

 だが、直ぐに緩く頭を振った。

「リョウも一杯どうだ?」

 ―中々に上手いぞ。

 そう言って何事も無かったように手にしたグラスを小さく傾けて見せたロッソに、リョウは心の内でありったけの感謝の言葉を口にしていた。

「そうですね」

 そうしてリョウはロッソに促されるようにして喜びに湧き立つ人垣の中に入って行ったのだった。

 村を挙げての婚礼祝いの宴は始まったばかりだ。


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